〜 IARF/WCRP『愛・地球博』国際シンポジウム 基調講演 〜

『宗教は文明の衝突を回避できるか?』
IARFジュネーブ事務所代表
                       ジョン・テイラー

基調講演を行った
テイラー博士

▼われわれの意識の中にある歴史の記憶

本日は、『愛・地球博』の会場において、WCRP関係者ならびにIARF関係者の皆様とご一緒に話をさせていだたく機会を頂き、本当に有り難うございます。皆様のご協力のもと、このシンポジウムが開かれますこと、しかも、非常に難しい『文明の衝突』というテーマを選択されたということは、たいへん素晴らしいことだと思います。

「対立か対話か?」と、私は事前に講演原稿に書きましたが、「どうしても文明間の衝突は避けられない」という、サミュエル・ハンチントン教授(註:Samuel P. Huntington ハーバード大学教授。著書『文明の衝突』は、「9・11」米国中枢同時多発テロ以後の世界情勢を説明する論理として、国際政治の分野において広く支持されている)の考えに、私はどうしても賛成できないのであります。

確かに、ハンチントン教授の指摘されるように、こういった危険は存在するけれども、歴史の中で決して不可避なものはないと思ってます。教授は、最も重要な例のひとつとして、「文明の衝突の危険は、キリスト教とイスラム教の間に存在している」点を挙げておられますが、他にも様々な例があります。確かに「モスレム(イスラム教徒)とクリスチャン(キリスト教徒)の対立」はわれわれもよく知るところでありますが、この問題は、先のユーゴスラビア、今日のコーカサス、そして中近東にもあります。また、イスラエル・パレスチナ問題もあります。その他に、今日のシンポジウムの場となったアジア地域においても、フィリピン南部(ミンダナオ島)一帯、タイ南部、そして、スリランカ内部においても、やはりイスラム教と他の宗教との間に緊張が高まっています。

また、後ほどの討論にも出てくると思いますが、第二次世界大戦時のヨーロッパを思い起こしてみますと、特にユダヤ人、その他の少数民族の上に非常に大きな苦難がふりかかった訳です。つまり、これはわれわれの良心、もしくはわれわれの意識の中に、現実としてこのような衝突、歴史の苦しみや重みの記憶がある訳です。

最初の例として、私がまず取り上げてみたいと思いますのは、「キリスト教徒がイスラム教徒に対して、どういう態度をとっているか?」ということです。これは歴史的に見ますと、一般的に敵対的だと思います。2001年9月11日の米国中枢同時多発テロ事件の直後に、ジョージ・W・ブッシュ大統領が「十字軍の話」を引き合いに出しましたが、それが「最も不適切な記憶に頼った」ということが判明し、さっさと言い方を変えました。彼が十字軍の話をイスラム原理主義勢力への報復攻撃を実行するための理由として引き合いに出したことは、まだ皆さんの記憶に新しいですね。ヨーロッパの歴史を眺めてみますと、われわれの記憶の中において、十字軍は、決して「名誉ある歴史」ではなく、「歴史の中の恥ずべき部分」であります。十字軍について歴史家の1人は、「これは、神の名の下において行われた、長い不寛容の歴史である」と述べています。


テイラー博士の基調講演に耳を傾ける聴衆

これに対し、われわれは「不寛容な世界に囚われてしまう」可能性もありますし、また、「対話を行って緊張を緩和してゆく」という選択もできた訳であります。これは、中世においても、アッシジの聖フランシス(12世紀)のように、単にわれわれに自然の叡智を思い起こさせてくれただけでなく、人間として、公正に満ちた社会を創っていく責任があるということを教えてくれました。しかし一方で、ほぼ同じ時代に、非常にマイナスな側面を併せ持つ十字軍の侵略は、また、文化・文明がお互いに交わっていく現象を引き起こしたわけでもあります。当時、広大なイスラム帝国の版図の西端ジブラルタル海峡を挟んで、アフリカに最も近いヨーロッパである南スペインにおいて、化学と工業、そして、またそこから薬学が興り、キリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒が交わっていったのであります。


▼学ぶだけに留まっていてはいけない

私はイスラム教を学ぶ学生でありましたが、そもそも何故、「イスラム教を勉強したい」と思ったかと申しますと、キリスト教徒として、「イスラム教徒は敵だ」というイメージをなんとか変えてゆきたいと思ったからです。私は最初、イスラム教国に行って勉強することによって、モスレムの人たちから直接学ぼうとした訳です。しかし、実際に私が学んだケンブリッジ大学の先生は、キリスト教徒でありましたが、冷静かつ偉大な先生であり、イスラムを公正な歴史的観点から教えていただきました。

また、井筒俊彦(註:1914?93年。イスラーム学者・比較思想研究者。東京生まれ。慶応義塾大学卒。イスラーム研究では「欧米に比べて百年遅れ」と言われた当時の日本にあって、ほとんど独学で研究を進め、思想研究の世界的権威となった。慶応義塾大学教授、マックギル大学教授、在テヘラン王立イラン哲学研究所教授。欧米諸語のほか、中国語・サンスクリット語・アラビア語・ペルシア語に通じ、コーランの意味論的分析、イスラーム神秘主義の心理学的分析など、独創的な方法に基づく思想研究を展開した。『コーラン』を初めとして、アラビア語原典からの翻訳多数。『井筒俊彦著作集』 に収められた業績のほか、英語による多数の著作がある『近現代中東人名辞典』より)先生という日本人の教授は、私の恩師であり、また同時に、偉大な言語学の大家でもありました。

井筒先生は、日本人の仏教徒でありましたが、キリスト教徒である私に対して、アラブ言語とコーランについて、つまり、イスラム教の人々の精神について教えて下さいました。私は、このようなたくさんの文化的な経験を与えられました。しかし、それが「他の宗教を勉強する」ということに留まっていてはいけないのです。「対話」というものは、ただ単に誰かとおしゃべりをする、他者のことを学ぶだけであっては不十分です。経験は現場で活かされてゆかなければならないのです。われわれは共に生きてゆく時、過去の「記憶」が出てまいります。そして、ある時には、他の信仰に属している人たちをあたかも風刺漫画のように考えてしまいます。

バチカンが、ウィーン近郊の町で初めて、キリスト教とイスラム教間の会議を開催した際に、私もその会議に列席したのですが、実はウィーンは(註:15世紀の東ローマ帝国滅亡以後は、オーストリアがキリスト教世界の東の端に当たり、イスラム教徒であるトルコ人の)オスマン帝国の軍隊がヨーロッパ侵入を試みて押し戻される前に最後に攻撃した町なんですね。その時、われわれが散策した村で、大きな菊の花束が捧げられているのを見かけたので、村人に「何故か?」と 問うてみたところ、「ここがまさに、ヨーロッパへ侵攻してきたトルコ人を、われわれヨーロッパ人が撃退した記念すべき場所なので、花を捧げているんです」という答えが返ってきました。何百年も経った後でも、こういった慣習が続いている訳です。


▼イスラム教徒にとってのキリスト教徒

イスラム教徒もまた、キリスト教徒に対してマイナスのイメージを持っています。もちろん、いつもマイナスという訳ではありません。何故かというと、イスラム教というのは、キリスト教の後に成立したものであり、また、コーランやモハメッドの教えの中に「(先行する預言者たちによって立てられた兄弟宗教である)ユダヤ教とキリスト教に対して敬意を払うように」と説く一節もあります。また、イスラムの教えの中では、ただ単に、「アダムとイブが人類の祖である」というだけではなく、歴代の預言者であるアブラハムやモーゼ、あるいはイエス・キリストのような人たちも、特別な存在(神の啓示を伝える預言者)として大切にされています。そういった「共通の合意」というものが、3つの宗教間に基本原則としてあると同時に、違いもあるわけです。

今日、われわれはグローバル化の時代に生きていますが、しばしば逆説的に「共通点」よりも「違い」というものを取り上げ、さらにそれを大きく捉える傾向があります。例えば、多くのモスレムの世界において、西側世界(キリスト教世界)に対立する傾向があります。それは、世俗的な世界における緊張であり、アルバニアでの暴動や、アフガニスタンやスーダンでの暴力という形となって現れて来ています。モスレムの中には、コーランが何を教えてるのかを忘れ、つまり「イスラムへの改宗において、強制は許されない」と教えているにも関わらず、強制をしたり、あるいは暴力を使ったりする人たちがいます。しかし、これはキリスト教が「隣人を愛せ」という教えを忘れてしまうのと同じことであります。

このような暴力の問題に、キリスト教徒が関わっているという事実がありますが、それは、キリスト教やイスラム教が暴力を教えていることを意味するのではなく、それらの宗教に属する人々が、それぞれの宗教が何を教えているのかを忘れてしまっているということでしょう。ヨーロッパの歴史を遡ってみますと、これまでにも様々な論争がありました。先ほど、少しスペインの話に触れましたが、かつてのスペインは、キリスト教とイスラム教そしてユダヤ教の間に非常に良い協力関係があった国です。しかし、政治、経済そして文化的な要因によって、イスラム教徒はスペインから追放されてしまった(レコンキスタ)のです。

それから五百年経った今、スペインの人々はその時の歴史を思い出そうとしています。モスレムの人々をスペインから追い出したことは決して「素晴らしいこと」ではなく、「何故、あの時われわれは互いに分かち合いながら共存してゆく文化を捨てて、このような真似をしてしまったのだろう? アメリカにおいても、何故、イスラム教徒に留まらず、先住民の人々を追い出してしまうようなことをしたのだろう?」と、政府から市民レベルに至るまで、また、大学を含む教育機関も、この歴史を振り返り、自己批判し、悔い改めたのです。


関心を集めたシンポジウムの内容は、
放送用にも収録された

一方、モスレムは反動として、キリスト教徒を含む隣人に対して何が起こったのか? と言いますと、時にイスラムは良い記憶を中近東に持っているんですね。バクダッドを例にとってみますと、ここは先のスペインの例のように、これまでイスラム・キリスト・ユダヤの三つの教徒が、分かち合い、共存してきたんです。すなわち、「イスラムの黄金時代」が実現していた訳です。しかし、様々な理由があって、イスラムの世界自体が非常に混乱し、破壊され、他の世界の国々からの侵略によって壊れていきました。

そして、そのことによって「人権・寛容」の精神が忘れ去られてしまったのです。現在、イスラム世界においては、真摯な態度で、これらの過ちを正していこうとしています。そして、壊されてしまった――あるいは汚されてしまった――イスラムのイメージを変えようとしています。国連における、『イスラムと人権宣言』との関わりがある訳です。モスレムの人たちは、アラブだけでなく、アフリカやアジアにも居ります。その人々が、今一度集まって、もう一度イスラムの原則、すなわち、「全ての人たちに対する人権と正義を打ち立てられないか?」ということを考えています。


▼宗教間の平和なしに、国家間の平和はありえない

旧ユーゴスラビアで起こったことを考えてみましても、モスレムとキリスト教徒は何世紀にもわたって共存していました。ところが、共産主義政権が倒れてしまったことによって、新しい、いわば民族主義的な対立が、異なったグループ??クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてセルビア??の中で起こりました。宗教は、しばしばこれらの対立に利用されましたが、これは決して宗教の戦争ではなく、土地の所有や政治権力、経済的な力を求めた戦いでした。しかし、爆弾を落とし、鉄砲を撃ち、ダイナマイトで教会やモスクを破壊する惨劇がわれわれの目に映った時、その行為はあたかも神の名に基づいてやっているかのように見えてしまうのです。

宗教者たちはこの対立を止めようとしました。しかし一方で、ある宗教指導者はこれに対し何も言わなかったし、ある宗教指導者に至っては、奨励すらしました。これはキリスト教が教えたものではなく、イスラム教が教えたものでもありませんが、共産党の政治指導者は、時に、敢えて地域間の憎しみの念をかき立てるように仕向けました。暴力はニュースに取り上げられても、善い行いや出来事はなかなか取り上げられません。例えば、WCRPがキリスト教の指導者たちとモスレムの指導者たちを会合させても新聞には取り上げられません。ダライ・ラマが善いことをしても、仮にイスラエルとパレスチナ間で何か問題が起きれば、テレビのチャンネルはマイナスのことばかり報道しています。

私は子供の頃、自らの目を通して、第二次世界大戦が引き起こす惨事を――街が跡形もなく無くなってしまうのを――見ました。街は、夜通しの爆撃で真っ赤に燃えさかっていましたが、このような時でも、モスレムやキリスト教徒は一緒に助け合おうとしました。学校の教科書を通して、われわれはいったい、何を教えてきたのでしょうか? いったい何故、人々はこれほど無知なんでしょうか? われわれは宗教を通して、寛容や平和の原則を教えているはずなのに、何故このようなことが起こるのだろうか? ある人は、「共産主義時代には、そういった教育や指導はできなかったため、無知であらざるを得なかった」と言いましたが……。

もう少し、お話を先に進ませていただきます。今日、大きな可能性があるとすれば、宗教による対話が平和を求めていく可能性があるということです。WCRP(世界宗教者平和会議)とIARF(国際自由宗教連盟)の2つの団体を例にとってみますと、これらの組織は、世界が異なった宗教によって、そして異なった文明によって成り立っていることを認めている組織です。われわれは、単に「違い」だけを認めているのではなく、「共通性」も認めています。共通の要因とは、つまり「全ての者が平和を求め、公正を求めている」という点です。ですから、「対話をする」というのは、ただ単に頭の中だけで、あるいは学問的な対応に終始するのではなく、現実の人々のニーズを満たし、紛争を止めさせ、平和を創り出してゆくということが必要なのです。

このようなことのために、第22回庭野平和賞(2005年)の受賞者であるハンス・キュンク博士はずっとこう言ってきました。「宗教間の平和なくして、国家間に平和なし」と……。つまり、宗教は政治家に利用され、時には、政治家が暴力や不正義を正当化するための理由として使われてしまうという現実があるのです。ですから、博士が言うように、宗教にとっては、もっと「地球倫理」や「地球的責任」というものが大事になってくるのです。これは、ハンス・キュンク博士だけではなく、国連すべてのシステムが、この倫理的な側面の重要性を認め、特に、政治的な不正義を解決する手段として考え、また、ユネスコが提唱する共通の『世界倫理憲章』を考えていこうとしています。


▼断層が分裂しないように

確かに、サミュエル・ハンティントン教授の著した『文明の衝突』の本は多くの論争を引き起こし、政治家も関心を寄せました。国連もそれを受けて「2000年は、文明間の対話の年にしよう」ということになりました。確かに対立の年ではありましたが、だからこそ、対話をしなければならないという主旨に基づいていました。その翌年に「9・11」米国中枢同時多発テロのような暴力が起こりました。しかし、各国政府は「対話を促進してゆこう」という国連の考えに賛同しています。普通、例えばサウジアラビア政府のように、こういった類の対話は何かしら疑わしい目で見るのが常ですが、少なくとも財政的および精神的な支援を、差別された少数民族の人々を救うためにやろうとした訳です。

昨年末、インド洋で大規模な津波がありました。これは、スマトラ沖の海底地震によって起こりましたが、その震源地は断層(プレート境界線)の上にありました。ですので、「断層」というのが重要なファクターになるのです。つまり、地殻が分裂し分かれてしまった後、われわれは2つの断層のどちらかの側へ残され、離ればなれになってしまう可能性があるのです。これは、非常に危険な考えと言えます。

前の千年紀には、非常に大きな災難が多々ありましたが、今度の千年紀にも、ハンチントンは「2010年には、新しい世界大戦が、キリスト教徒とイスラム教徒の間で起こるかもしれない」と予言しました。彼自身はその可能性はないだろうと思っていたようですが……。しかしながら、われわれは「最終的に破滅する」と考えるのではなく、その断層、亀裂が揺れる様を注意深く感じなければなりません。日本で言うならば、必ず警告の徴(しるし)が来るでしょうから、地震の揺れ(社会的激震)を感じても(ハンチントンの本を読んでも)決してパニックになってはいけません。もちろん、「警告」はあくまでも「警告」ですが、家屋は十分強く造られているのですから、決してパニックになってはいけません。

私はパプア・ニューギニアで一度講演をしたことがあるのですが、ちょうどその時、地震に遭いました。われわれは竹の小屋の中に居たのですが、小屋全体が揺れていました。講演者である私は、聴衆を落ち着かせるために、「いったい次に何を言ったら良いんだろう?」と思い、皆に「冷静に地面に伏せて!」と呼びかけましたが、予想に反して誰もパニックにならず、皆はじめから落ち着いて座っていました。これは、彼らが日常的に地震の揺れを感じているからでしょうね。われわれも、彼らのように落ち着いていなければなりません。落ち着いて対話し、落ち着いて人生を生き続けなければなりません。決して破滅の予言に囚われてはいけません。対話は歴史に起こったし、今も起こりつつあるのです。


▼苦労を共にすることが大切

おそらく、これまでに最も効果的な形で起こってきた宗教間対話の組織は、IARFやWCRPであります。IARFは100年以上にわたって異なった宗教的伝統の人々を対話に導いてきました。そして、WCRPは35年間にわたって対話を継続し、また、発展させつつある組織です。制度としての「組織」を考える時、このような組織を創ることは、非常に大切な仕事です。何故、われわれの組織は信用を勝ち得ているのかというと、IARFにせよ、WCRPにせよ、過去に優れた指導者が存在したからです。例えば、庭野日敬先生や三宅歳雄先生のような常に自己犠牲を厭わない卓越した宗教指導者、そして、ヨーロッパやアフリカなど、世界の各地からも優れた指導者が参加したからです。

なおかつ、信頼されている組織であるもうひとつの理由として、社会に広く根を下ろしたことが挙げられるでしょう。社会は組織のリーダーである庭野先生や三宅先生に対して、「暴力」や「不正義」といった克服しなければならない困難な状況を与え、常にその困難に対して「彼らは何をしてくれるのだろう」と注視してきました。

また、この2団体は、重要な「道具」でもあります。というのは、地域社会における人々と、国際社会における人々を結びつけてきたからです。かつて、IARFは「インド西部の都市グジャラートにおいて、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間に対立がある」という報告を受けて、青年たちに地域社会レベルのプロジェクトを実行させました。大地震によって壊滅的な被害を受けた街で、モスレムはヒンズーのために寺院建設を手伝い、ヒンズーはモスレムのためにモスク再建を助け、破壊されたものを修復してゆきましたが、これは実に象徴的な活動でした。この出来事を通して、互いが互いに敬意を表してゆくこと。そして、若い世代が古い世代の偏見を乗り越えていくことができた訳です。同じように、イスラエルとパレスチナ間においても、偏見を乗り越えてゆくことができるのです。ある時は象徴的な活動により、ある時は教育によって……。

また、IARFはいくつものワークショップを開催しました。イスラム教やキリスト教の教師、ヒンズーや仏教の僧侶など、様々な宗教指導者が参加しました。ある時は、アフリカやアメリカの先住民族の文化に関して、「どうすれば、互いの文化を学び合うことができるか?」あるいは「どうすれば、われわれの学校のために良い教科書を作り、良い教師になるための教育を施すことができるのか?」といった主題を取り上げ、その他にもテレビの放送を通して、良い宗教対話教育プログラムを作り、われわれの知識や態度を変えてゆく試みがなされました。

われわれは、「イスラム教徒は皆、原理主義者だ」とか、「キリスト教徒は皆、帝国主義者だ」あるいは「日本人は皆、軍国主義者だ」といったような、レッテル貼りを基にした偏見でもって相手を見ないように注意する必要があります。われわれは、歴史を忘れてはいけません。過去に起こった出来事を記憶し、そこから学んでゆくのです。しかし一方で、われわれは、誤った歴史の記憶も正してゆかなければなりません。ヨーロッパ人は、歴史において犯した過ちにもう一度目を向けるべきでしょう。

しかし、同時にわれわれの歴史の良い点も学び、活かしていくことも考えていかなければなりません。本当の意味で、真に宗教的な対話――これは「学問的な」という意味ではなく――には、霊的なリソース(資源)も使わなければなりません。この愛知万博において、われわれは沈黙の中に祈りを捧げることにより、これからしようとしていることの力を得ています。そして、この力によって、われわれは「暴力に対抗する正義の戦い」をこれからも継続し、また、仏の教えである慈悲の心に、コーランにおける慈愛に、また、イエス・キリストの示した愛に戻っていくことができるのです。


▼問われる宗教家の実践

社会的に「政治家は、どんな問題でも解決できる」と言われても、われわれ宗教家はそう思わないでしょう。もちろん、問題によっては、ある程度助けることができるけれども、ある時は、逆にわれわれ自身が間違いを犯し、問題を起こす原因にもなっています。 困難や問題を解決する過程において、単に言葉だけで悔い改めを行うのではなく、実際に悔い改め、それを行動で示し、壊したものを再び創り直してゆかなければなりません。他方、真の意味での教育をしなければなりません。単に繕うもの、国粋的なものではなく、国際的な教育です。われわれは好奇心を持って、異なった世界の文明・文化を学んでいく必要があります。そういった意味において、この度の万博は、いろいろな国が参加していますから、われわれに多くの刺激を与え、人間の文明と文化や社会の多様化を示してくれることでしょう。

われわれは、衝突して戦争をするために「在る」のではなく、協力して応答してゆくために「在る」んです。そして、そのための道具が存在している訳です。そのひとつが、われわれのような組織であり、また、大きな国際的な枠組みでもあります。国連を批判することは容易です。しかし、国連はわれわれの行く手にビジョンを与えてくれます。世界中の非常に多くの問題と、それらの問題解決に関するビジョンを提示してくれます。この新しい千年紀の問題を明らかにし、対処してゆくのです。例えば、貧困の撲滅が挙げられます。世界の多くの場所において、教育そしてヘルスケアを受けることができない人々がいますが、これは、まさに貧困から起因しています。ですから、まず貧困を撲滅し、皆が文字を読めるようにすることが大切です。また、男女間の平等性を確立し、すべての文化において互いが協力しながらしてゆくということが大切です。

われわれは、今現在生きている人間に限らず、将来、生まれてくる新しい世代や自然に対しても責任を持っています。自然に対する思いやりを持ち、大切にし、守ってゆくということは、われわれ宗教的伝統の重要な部分でもあります。もし、われわれが、ただ単に言葉上だけでなく、現実に一緒に手足を動かして、自然やわれわれ人間家族に対して仕事をし、パートナーシップを作っているのだとすれば、何事も1人だけで達成することはできないということです。お互いがお互いを必要としているのです。そして、霊性を持って協力し合って行くことができるのであれば、われわれが現在不可能と考えていることを実際に達成していくことも可能になろうかと思います。ご清聴、有り難うございました。

(連載おわり 文責編集部)