〜 イベント報告 〜

「愛・地球博」の『こころの再生・いのり』館
シンポ『水・森・いのち』パネリスト発題B
05年05月23日
曹洞宗大阪宗務所長 萩の寺 東光院 住職
村山廣甫

 村山廣甫 先生

 どうぞよろしくお願いいたします。実は、今回のシンポジウムのテーマ『水・森・いのち』というのは、本当に私の坊さんになったときからの命題でした。と申しますのは、私の住んでおります豊中の曽根という地は、昔、北大路魯山人が彼の美意識に徹した料理と環境を実現した『星ヶ丘茶寮』という日本有数の料亭があった場所なんです。豊かな自然に恵まれたこの地を、魯山人はとても愛しましてね。しかし、皆さん。今、萩の寺にお出でになっても、その面影はまったくございません。私はその面影が壊されるその時に萩の寺に(後継者として)参りました。ですので、「なんとかこの萩の寺の環境を守ってゆこう」として36年間やってまいりました。

何故、この寺の萩を守ろうとしたのか? と申しますと、ちょうど私がこの寺に来た時に、檀家の方々から「実は、戦時中に(食糧増産のため)『芋畑にせよ』と言われても、なんとか頑張って古(いにしえ)からこの寺で守られてきた萩を咲かせてまいりました。そのため、当時のご住職が飢え死にしたんです」と伺ったからです。その頃、私は母と京都に疎開しておりましたが、芋畑も作ったし、麦も、トマトやキュウリ、胡麻やサヤエンドウも作ったのを覚えております。ですから、あのご時世に芋畑にせず何の腹の足しにもならない「萩の花を咲かせていた」というのですから、「これはドン・キホーテ以上だな」と思いました。何故そこまでして必死に守ったかと言いますと、「これはただの萩の花ではなく、このお寺の開山である行基菩薩(註:奈良時代の名僧。貧民救済や灌漑(かんがい)事業で手腕を発揮。朝廷からの依頼を受けて、東大寺建立にも協力)の願いの籠もった本尊様そのものである」と、萩を世話してきた歴代の和尚様のこころだからなんですね。

大阪で万博の開催された昭和45年当時、萩の寺は屋根も落ち、畳(表)を換えようにも、畳屋が引き取ってくれないほど、畳(床)も腐っていました。そのような状態の中、1年の間に台風が4度ぐらい来ましたが、私はずぶ濡れになりながら杭を打って、今の萩を守ってきました。そうこうしているうちに、近所の方がぼちぼちと助けに来てくれるようになりました。そうして残ったのが今の萩なんです。その頃は、座禅をしようにも、それをできる場所すらなかったので、中山寺(真言宗中山寺派大本山)の総持院を借りてやっていました。そのことを聞いた様々な方が現場にお出でになったことがきっかけとなり、テレビで紹介されるようになりました。私は、大阪の天王寺区にある大きな寺の長男として生まれ育ちましたが、後に萩の寺に入ります。その寺の畳は腐り、萩は放ったらかし。本堂の中では土足で盆踊りの稽古をしている……。その様子を見て、私は「日本はこんなことで良いのだろうか?」そして「日本の宗教界はこのままで良いのだろうか?」と義憤に駆られます。

それから、今も「ここに萩が在る」という事実が、私にいったい何を求めているのか? と考え始めますと、少しずつ判ってきたんです。萩は決してものを言いません。水が切れたから「喉が渇いた」とも、カミキリ虫が来たからとて「痛い」とも言いません。変な輩(やから)が来たからとて、自らの根っこを引っこ抜いて走って逃げる訳にもいきません。植物なんだから当たり前だと思われるかもしれません。けれど、その植物ですら、太陽の光と大地の水と、そしてわれわれの愛の心がなければ、今日まで続いては来なかったのです。これを私は「仏の間垣」と考えております。そのようなことをずっと訴え続けてきた結果、平成元年に、わが宗門(曹洞宗)が取り上げてくれたのが、この『グリーン・プラン』という、今日皆様にご紹介するものです。


大いにディスカッションが盛り上がった

皆様のお手元にご用意したものは、グリーン・プランの概略を記した『生命と環境の調和を目指して』という資料が1部。その中で取り上げられている最初の歌二首が、永平寺を開かれましたわが宗門の創始者である道元禅師の歌でございます。二首目の日本の四季を歌った「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」は、大阪の茨木市出身の作家、川端康成さんもスウェーデンで行われたノーベル文学賞受賞記念講演『美しい日本の心』の冒頭で引用された根本の歌ですね。

それから、この宗派には、手鞠をついた良寛(註:江戸時代の僧・歌人)さんの歌が残っているのですが、それが残るもう一首「やまかげの 岩間をつたう 苔水の かすかに我は すみわたるかも」です。ここには良寛さんの自然観が投影されていますね。それから、2番目の資料が、公募された800曲の中から選ばれたテーマソングで、中にCDが入っています。3分ほどですので、今日のお話の最後に皆様に聞いていただこうと思います。この「グリーン・プラン」に、何故テーマソングがあるかというと、われわれは「緑を守る」という行為を行動規範ではなく、信仰規範として考えているからなんです。

そういうことを広く知っていただくために、先ほど三宅善信先生からご紹介があったように、わが宗門の末寺は全国津々浦々に1万5000カ寺ありますが、その中の重点地区にある各寺の全てに百葉箱を設置し、酸性雨の測定を5年間実施しました。今年からは、新たにより高性能の機械を設置しまして、今後10年間測定する予定をしております。この『第一次酸性雨総括報告書』の中には、恐ろしいことが一杯書いてありますが、恐ろしいからといって失望する必要はありません。

お釈迦様は「人間は動物と違うところが二つある」と経典の中でおっしゃってます。人間は自己破壊(自殺)をする。犬や猫は自殺しない。そして、自殺するものが外へ向かうと、戦争になる訳です。しかし、昔は自殺をしても、戦争をしても、死者の復活儀礼を行う宗教性があったんです。しかし、現代は、戦争にしろ、自殺にせよ、宗教性がないんです。イラク戦争やアフガニスタンの戦争にしてもそうです。死んだ人の映像が何処に出てきますか? 

もうひとつは、「人間とは自然を改変する唯一の動物である」ということです。まず、人間は食糧増産のために自然界を変えましたが、そこまでは許せたんです。ところが、「食料が欲しい」という目的の先に、どんどん欲望が湧いてきたんです。その欲の行き着いた場所が生命操作です。成長した羊の乳腺から取り出した細胞から生まれた「クローン羊」のドリーは、元の羊と全く同じ遺伝子を持った個体として生まれました。この行為は、今のところ「倫理に反する」と言われてますが、臓器移植問題(註:クローン技術を用いて拒絶反応が出ない自らの臓器を予め用意しておくこと)ができてきた今、認められつつあります。しかし、これがどういう結果を引き起こすのか、われわれはよく考えなければなりません。仮にこのまま進むと、「ライオンの染色体と、トラの染色体と、ヘビの染色体と、カエルの染色体を入れて、ヒトを作ってみたら、果たしてできあがったそれは人間だろうか?」という時代にまもなく突入するでしょう……。

これを仏教では「少欲知足」といって戒めております。少欲とは「欲望とは、ある時点で絶対理性で抑えなければならないもの」だ。しかし、人間は、地球に自然を求め、なおかつ自然に依拠しなければ生きられない存在なので、その分、われわれは自然に対して「お返し」をすることを考えなければならない。さもないと、われわれはただの寄生虫です。「片利共生(へんりきょうせい)」といって、貰うばかりではスネを齧られる親もかなわないでしょう? 親は、たとえ一本の花でも、誕生日に「おめでとうございます」と子供から贈られると嬉しいですが、「(親元に)来たかと思えば、小遣いばかりねだる子供」では、親もかないません。そのような意味において、われわれは地球に対して感謝の言葉、そして、われわれに対する戒めの言葉が必要なのではないでしょうか。
そこで「皆、もう欲望のままに生きることは止めましょう」と難しいことから始めたのが、京都の水会議(註:1996年、関係機関に政策提言を行うことを目的に水に関する国際政策のシンクタンクとして、ユネスコや世界銀行などが中心となって、WWC世界水会議が設立された。また、2003年3月には、第3回世界水フォーラムが京都・大阪・滋賀を結んで開催された)や、アマゾンの森林の会議(註:1992年リオ・デ・ジャネイロで開催された「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」)でした。しかし、いくら国同士が話し合っても結論は出ないんです。そこで日本政府は「仕方がないから、適当にやりましょう。発展途上国には1兆円出しましょう」と言っていますが、そんなことでは絶対駄目なので、「小さなところから始めましょう」という提案が、このグリーン・プランの冊子の最後に書かれている10項目です。

このようないろいろな活動を通して、われわれは地球に恩返しができます。最後に今日お話ししたことを思い浮かべながら、このグリーン・プランのテーマソングの2番目の曲を聞いていただくことで、私のご挨拶とさせていただきます。有り難うございました。