「愛・地球博」の『こころの再生・いのり』館
シンポ『水・森・いのち』パネリスト発題A
05年05月23日
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岐阜県神社庁 庁長・美濃国一宮 南宮大社 宮司
宇都宮 精秀 |
宇都宮精秀先生
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宇都宮でございます。本日は『水・森・いのち』がテーマだと伺いましたが、なかなか大変です。こういったテーマは、どちらかと言いますと、三輪隆裕先生や三宅善信先生がお得意かと思いますが、いかんせん、ご両名とも主催者(「愛・地球博」出展委員会)側でございますから無理ですね。「それならば、(猿田彦神社宮司の)宇治土公貞明先生あたりに出ていただくのが筋ではないですか?」と申し上げましたら、「彼は忙しい」と言われてしまいまして……。私も忙しいんですがね(会場笑い)。まあ、お誘いも受けたことですし、せっかくの機会ですから、発表させていただこうと思います。しかし、未だ力不足な私の発表のこと、これだけを聴いて「日本の神道とはこんなものか」とどうか早合点なさらないでいただきたい。
「本日は何の話をしようか?」と逡巡したところ、5月4日・5日に南宮大社で行われます「お田植え神事」が、本日のテーマである『水・森・いのち』に関わっており、なおかつ神道への信仰が形になったものではないかと思い、選ばせていただきました。今、お手元にお配りしたパンフレットが、そのお田植え神事の案内になります。
岐阜県の西端に関ヶ原があることは、皆様も周知のことと思いますが、この一帯を含むのが不破郡です。不破郡には、美濃国の古墳群や国分寺などの古代史跡、そして美濃国一宮の南宮大社などがございます。海抜400メーターぐらいの南宮山という山がありますが、南宮大社はその麓に位置し、山頂には奥宮がございます。本社のご祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)で、先ほど基調講演をなさった田中先生の金峯山寺がある吉野山の総地主の神でもある神様です。奥宮は高山神社と申しまして、「山の神」ですから、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をお祀りしていますが、それはどなたでも納得がいくと思います。
その高山神社と並んで、子安神社がございます。これは「龍神」を祀る水分(みくまり)神社と同じで、分水嶺があるんです。「語呂合わせ」という訳ではないんですが、この「水分(みくまり)」が「身籠(みご)もり」→「子守(こもり)」と変化しまして、「子供の神様」になったんです。このお社の前がだいたい分水嶺になるんですが、ここでは、それが御前谷川という名の川に変わり、麓まで流れ着いた所が神田代(みたしろ)神社でございます。ここには「神田」がございまして、実際に「お田植え神事」を行います。もう現在はあまり残っていませんが、『(延喜式)神名帳』という平安時代に編纂された(全国の主な神社の)リストがございますが、美濃国の項目に、ちゃんと神田代神社の名前が残っています。ここは可児(かに)明神という子供の神様です。
この「お田植え神事」という行事は、まだ幼くて純粋な3歳?7歳の「稚児」もしくは「早乙女」に神様のエネルギーを移して田植えを行うのですが、実際に田圃でする場合もあれば、松葉を用いて模擬的に田植えの動作を行う「庭田植え」というのもございます。いずれにせよ、田植えをする仕草をして、その年の豊作を祝う神事です。昔の人は、「五風十雨で稲が実る」と言ったり、「稲光が光るエネルギーで稲が実る」などいろいろ言っていますが、最後は神様のエネルギーで以てして「稲が実る」と信じられていました。
同じような例でもっと知られたものですと、祇園祭の山鉾巡行の稚児も、同じ信仰から来ています。この時、稚児は肩に担いで運ぶのですが、これは「子供が幼くて歩けないから」ではなく、「その稚児に神様が宿っている」から、直接地べたを歩かせないんですね。他にもいろいろありますが、日本では「神は稚児に宿る」という伝説が神事などにその形を留めています。私の発表はこれで以上です。有り難うございました。