先代恩師親先生御生誕百年祭
03年01月05日

1月5日(日)、先代恩師親先生(先代教会長故三宅歳雄師の尊称)の御生誕百年祭が感激のうちに仕えられ、先代教会長の遺徳を偲んで、約1,000名の信者が参拝した。また、祭典終了後、広前で、歌舞伎舞踊の村山左近さんによる祝儀舞『島の千歳』が奉納され、引き続き、一階ホールに会場を移し、祝賀パーティが開催された。


神前で祝儀舞『島の千歳』が奉納された

 4年前に96歳で帰幽するまで、72年間の長きにわたって現役教会長を勤めた先代恩師親先生は、明治36年(1903年)1月7日にこの世に生を享けて、今年、生誕満百周年を迎えた。

 新春寒波も一段落し、穏やかな日和となった1月5日、泉尾教会では、三が日の神前奉仕(お書き下げ)に続いての行事となったが、「先代恩師親先生御生誕百年祭」の佳節を迎えるために、広前もすっかり飾り付けが整えられ、慶祝ムードが高まった。

 また、元旦以来、会堂1階ホールにおいては、「生誕百年記念展覧会」が開催されており、それぞれが先代恩師親先生から下賜された色紙や掛け軸、あるいは、各人の出典作品が展示された。

▼出社・各班会の代表者が献燈


祭主として玉串を奉奠する三宅龍雄教会長

 午後1時半、中正楽(雅楽の一種)の調べに乗せて、祭主以下二22名の祭員が参向着席し、先代恩師親先生御生誕百年祭が始まった。神前には、予め18台の三宝に海川山野の神饌物が供えられた正盛の他にも、おめでたい大角樽等が供えられ、奉祝ムード満点。

 ご祭事は、拝礼、取次詞奏上、大麻行事、神前拝詞奉唱と続き、祭主の三宅龍雄教会長による祭詞奏上・玉串奉奠、さらに、副祭主三宅光雄副教会長の先唱による『先代恩師親先生報徳拝詞』の奉唱と麗しく仕えられた。


教話をする三宅龍雄教会長

 さらに、今回は、77箇所に及ぶ出社・各班会からの代表者が、手に手に燭台を持って、神前に献燈を捧げ、祭儀はクライマックスを迎えた。さらに、参拝者代表として信徒総代(樋口徳光・田上知・川島晴見・廣瀬彰の各氏)が玉串を奉奠し、神徳賛詞奉唱の後、三宅龍雄教会長が教話を行い、祭員が退下し、生誕百年祭は無事終了した。

▼村山流家元が『島の千歳』を奉納

 祭典に引き続き、神前で歌舞伎舞踊村山流の家元村山左近氏による祝儀舞『島の千歳』が奉納された。

 奉納前の解説に立った神戸女子大の鈴鹿千代乃先生によると、『島の千歳』は、今を去ること99年前の明治37年に、7世望月太左衛門襲名披露で発表された白拍子舞で、故三宅歳雄師の出身地である和歌山県の名所和歌浦や紀ノ川の中之島と縁のある「この日の佳節にピッタリ」の曲だそうである。


神前で祝儀舞を奉納する村山左近家元

 今年は、歌舞伎舞踊の創始者「出雲の阿国」の四百周年にも当たり、出雲の阿国の流れを汲んで江戸時代から続く、村山流家元の村山左近氏と共に、小鼓の藤舎呂秀氏、長唄の杵屋佐喜美智氏、三味線の杵屋勝宣江・杵屋佐多明両氏に加えて、能管の野中久美子氏らが、伴奏者として錦上花を添えた。

 伝統芸能の奉納という泉尾教会では初めての試みでもあり、この日の参拝者は皆、村山左近氏の優雅な舞いと、地唄衆の力強い演奏に、目と耳が釘付けになった。また、奉納を済まされた師匠方も「ご立派なご神前で、めでたい舞を奉納させていただき、本当に有り難かった」と感想を漏らされた。


村山左近家元と地唄衆

 なお、今回の先代恩師親先生御生誕百年祭を記念して、「三宅歳雄教話選集」の第5弾として、『聖地を頂く時』が刊行され、この日の参拝者全員に記念品として配布された。

▼信徒による「慶びのつどい」開催

 広前での百年祭ならびに奉納舞に引き続き、会場を1階のホールに移して、『先代恩師親先生御生誕百年慶びのつどい』が開催された。


「書・俳句・短歌」展の入選者が表彰された

 会場正面には、故三宅歳雄師の遺影が飾られ、既に各テーブルには料理が盛りつけられ、準備が万端整ったところで、三宅龍雄教会長が挨拶に立ち、先代恩師親先生御生誕百年を記念して募集された「書・俳句・短歌」展の入選者の表彰が行われた。

 引き続き、真行会有志による威勢の良い「餅つき」のアトラクションが行われ、参集者を楽しませた。さらに、もう一度、教会長と副教会長がステージに登壇し、「鏡割り」で樽酒が開かれ、樋口徳光信徒会長の発声で乾杯となり、祝賀パーティが開宴となった。


三宅龍雄教会長と三宅光雄副教会長による鏡割り

 この日参拝した老若男女が立食パーティを堪能した後、田上知氏の音頭で「万歳」が三唱された、三宅光雄副教会長による「お礼の言葉」で、この日の行事は、全て終了した。


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