☆★ 親先生特集 ★☆

「葬儀後の祭事日程」

故三宅龍雄教会長の略歴

弔辞と喪主ご挨拶

海外から寄せられた弔電の数々(原文は英語)

各界から寄せられた弔電の数々(順不同・敬称略)

主な会葬者名(順不同・敬称略)




葬儀への参列者で満堂の広前
各界から3000人
悲しみにあふれる聖地
三宅龍雄教会長の教会葬 行われる


2006年3月28日午後6時時37分、金光教泉尾教会三宅龍雄師が78年間にわたるご生涯を閉じられました。

三宅龍雄師は、先代教会長(故三宅歳雄師)が泉尾の地に布教の第一歩を記した翌年の昭和3年に生を受け、先代教会長が後顧の憂いなく諸宗教対話や海外での平和活動に専心することができたのも、先代教会長を補佐して故人が38年間にわたる副教会長職を勤めきられたからであります。

1999年、先代恩師親先生の跡を承けて教会長の職に就いてからは、信奉者の助かり真の立ち行きを一層祈ると共に、泉尾教会願である諸宗教の相互理解と世界平和実現のため尽瘁し、78年間の生涯を全ういたしました。

本サイトでは、故三宅龍雄師のご功績を偲び、ご帰幽から葬祭・告別式に至る出来事を特集で紹介します。


◆親先生ご帰幽


ありし日の三宅龍雄教会長

 三宅龍雄教会長は、一昨年(2004年)12月に体調を崩して以来、大阪市総合医療センターに入退院を繰り返されていましたが、特に、副教会長の長男三宅光雄師の満50歳を祝った3月8日のおかげ祭の日に最期の入院、三週間の闘病生活の後、3月28日午後6時時37分、満78歳と1カ月を玉の緒のいのちの限りと、帰幽(逝去)いたしました。春の霊大祭が仕えられる3月21日の明け方、容態が急変されて以来、ご帰幽なされるまで、泉尾教会広前および全国各地の出社広前では、信者による「切れず」の特別ご祈念が上げられました。昭和3年2月7日生まれの故三宅龍雄師の78年間に及ぶ生涯は、その前年の昭和2年に故三宅歳雄師が泉尾教会に布教したことにピッタリと重なる、まさに「泉尾教会の歴史そのもの」であられました。

「親先生(泉尾教会長の尊称)ご帰幽!」の報は、夜にもかかわらず、泉尾教会の信奉者はいうまでもなく、あっという間に、宗教界から世界中の関係者へ衝撃波として伝わっていった。読売・朝日・毎日の全国紙はいうに及ばず、地方紙などにニュースを配信する通信社などが、翌日の朝刊に死亡記事を写真入りで掲載したことからも、宗教界だけにとどまらない三宅龍雄師の業績の大きさが伺い知られた。

特に、本来ならば3月26日から30日までの日程で、台湾の高雄市で開催されているIARF(国際自由宗教連盟)の第32回世界大会へ28名の代表団を派遣することになっていたのが、急遽キャンセルになったことも手伝って、「三宅龍雄師危篤」の報は、同大会に参加している世界の宗教指導者にもいち早く伝わって、逝去された翌朝には、早くも、世界大会の会場となった台湾の佛光山本部の特設会場において、『故三宅龍雄師追悼式』が山本行恭椿大神社宮司祭主のもとに急遽開催され、エレン・キャンベルIARF会長が弔辞を述べるなど、世界の宗教指導者によってその死が悼まれた。


台湾でも追悼式が行われた

3月28日夜の「親先生ご帰幽」のショックと悲しみくれる間もなく、金光教内の諸祭事日程の関係で、31日までには葬儀告別式を終えなければならないことになり、諸準備に奔走する中、三宅龍雄師のご遺体が安置されている神徳館は、29日の朝から故人を偲んで全国から届けられた枕花で埋め尽くされていった。この日から、終祭(遷霊式=神式のお通夜)の行われる30日まで、短い期間ではあったが、庭野日鑛立正佼成会会長ご夫妻、松緑神道大和山教団の田澤真理教主夫人、本門佛立宗清風寺住職の西村淳晨ご夫妻をはじめ、生前親先生と縁の深かった人々数多くの弔問客が訪れた。


◆厳粛に営まれた終祭(遷霊式)

3月30日午後6時30分、親先生のご遺体が安置された会堂広前の神前で、親先生の終祭(遷霊式)が始まった。諡号(おくりな)は「故三宅龍雄大人(もとのみやけたつおうし)」。遺族親族をはじめ、生前故人と親しかった各界からの特別参列者も席に着いた。和宗総本山四天王の塚原亮應管長、法相宗大本山薬師寺の安田暎胤貫主、天台宗の今出川行雲延暦寺執行、津江明宏今宮戎神社宮司、松井石根天理教豊岡大教会長、田中庸仁真生会理事長といった宗教界以外にも、平岡英信清風学園理事長や梅田善美神道国際学会理事長、菅波茂AMDA代表やマイケル・パイ元国際宗教学・宗教史学会会長といった故三宅龍雄師とご縁のあった大勢の人々が駆けつけた。


柩前で玉串を奉奠される祭主湯川正夫師

終祭とは、金光教式の通夜祭で、泉尾教会の親教会である玉水教会の湯川正夫教会長の祭主の下に厳かに勤められた。神前での天地金乃神と生神金光大神に日頃の神恵みへの感謝と終祭を執り行うことの報告をする奏上祭。次いで、柩前での遷霊行事(註:死者の霊魂を遺体から霊璽へ遷す。この間、広前は真っ暗闇になる)。および、新霊舎(註:合祀祭までの期間、霊璽を仮に奉安する社殿)での祭事。の三つがセットになっている祭事である。


霊が遷された新霊舎に玉串を奉奠される三宅光雄師

それぞれの神事が粛々と進められ、柩前では、祭主の玉串奉奠、遷霊詞奏上、喪主三代先生(三宅光雄副教会長)の玉串奉奠の後、消灯された広前で、祭主湯川正夫師による遷霊行事が行われ、新霊舎へ転座した後、祭主の玉串奉奠、鎮霊詞奏上、喪主・遺族親族の玉串奉奠、各宗派からの特別参拝者や一般参列者の玉串奉奠で終了した。終祭(遷霊式)終了後の広前には、「親先生のご遺体のこの世での最後の晩を共に過ごしたい」という熱心な信者が、夜を徹して祈りを捧げている姿が印象的であった。終祭の参拝者が家路に辿り着くのを待っていたかのように、この夜は、激しい雨風であった。


終祭にも各界から大勢のご来賓が参列され、
喪主が立礼をした

◆各宗派の参列者が集い 盛大な葬儀

3月31日、昨夜来の風雨ですっかり清められた「聖地泉光園」は、沈痛な朝を迎えた。三宅龍雄教会長の教会葬は、11時30分開式であるが、既に9時30分頃には、各界からの参列者を乗せた車が次々と到着しだした。先代教会長の後を受けて諸宗教対話の働きを積極的に推進した故三宅龍雄教会長に敬意を表して、教会葬としては異例の、第二五五世天台座主渡邊惠進猊下、浄土真宗本願寺派門主大谷光真猊下、立正佼成会会長庭野日鑛師、カトリック枢機卿白柳誠一師および、三十数年前に三宅龍雄師の「主治医」を務めた大阪市長の關淳一氏の五氏が「友人代表」として教会葬に名を連ねられた。


霊前に玉串を奉奠される喪主の三宅光雄師

葬儀の祭事は、昨晩と同じく湯川正夫師祭主の下、八名の祭員によって仕えられた。特別会葬者席には、融通念佛宗管長倍巌良舜猊下、辯天宗管長大森慈祥猊下、叡南覚範延暦寺長臈をはじめとする多数の天台宗関係者らの仏教界。上杉千郷皇學館理事長、真弓常忠住吉大社宮司ら神社神道関係者。佐原慶治妙道会会長、宮本けいし妙智會教団理事長をはじめ関係の深い黒住教、天理教、大本、真生会、円応教、念法眞教などはいうに及ばず、霊友会、白光真宏会などの新宗教各教団からの代表が参列した。また、三宅龍雄師と同年齢でWCRP等を通じて四十年来の親交のあった白柳誠一カトリック枢機卿も遠路参列された。さらには、三宅壽賀子教会長夫人が役員を務める近畿宗教婦人連盟からも、大谷綾乃副総裁や大阪府宗教婦人連盟顧問の六條照瑞道明寺門跡ら大勢が参列し、私学関係では、同志社・清風学園・大谷学園等の各理事長らが顔を揃えた。金光教関係では、本部大祭直前にもかかわらず、金光元正師、近藤武野難波教会長他、多数の教師教会長が参列した。もちろん、亀井静香国民新党代表代行をはじめ衆参両院の国会議員や各国大使館総領事館等の外交団の顔も多数見えた。


弔辞を奉読される立正佼成会会長庭野日鑛師

故三宅龍雄師の大きな遺影が祭壇正面に掲げられた広前での祭儀は荘厳な雰囲気で進行し、祭主による誄詞奏上は故人の広範囲にわたる業績を称えて二十数分間にも及んだ。喪主三宅光雄師の玉串奉奠に続いて、金光平輝教主(代読若林正信大阪センター所長)ならびに立正佼成会会長庭野日鑛師および泉尾教会の信徒総代廣瀬彰氏の三氏が弔辞を述べた。中でも、長年、WCRP創設者の第二世代という共通の立場で宗教協力の仕事を共にした庭野日鑛師は、故三宅龍雄師の遺影に向かい、その帰幽を「…先代の歳雄先生と本会(立正佼成会)の庭野日敬開祖は、心の奥底で、常に深い宗教的信念に結ばれた『盟友』ともいえる間柄でした。その息子に当たる者同士として、私は龍雄先生に対して特別の親近感を抱いておりました…」と、感慨を込めて弔辞を述べ、また、喪主の三宅光雄師のご挨拶(…何もできていませんが、今の私が、仮初めにも紋付き袴を着せていただいて御用をさせていただいているのも、全て父のおかげであります。今日、父と別れるというこの日を迎えさせていただいて、父の霊に、父の名に恥じない、また先代教会長の願いに添える私にならせてくださいと願わせてもらっております…)が参会者の涙を誘った。


喪主としてご挨拶される三宅光雄師


◆永久のお別れ

最後に、遺族親族、特別会葬者、一般参拝者の順に玉串を奉奠したが、あまりに大勢の参拝者のため、一度に十数人ずつ玉串を奉奠したにもかかわらず、参拝者全員が玉串を上げ終わるのに、一時間も時間を要した。最初のほうに玉串奉奠を行った信者は長時間待たねばならないにもかかわらず、玉串を終えて帰るものは一人もなかった。


遺族に抱えられて会堂の正面階段を降りる
故三宅龍雄師の御柩

長い玉串奉奠の後、葬祭が終了して、いよいよ永久の別れの告別式である。三宅龍雄師のご遺体が安置された御柩には、遺族親族等によって白菊が詰められ、故龍雄師の次男で春日丘教会長の善信師とその長男の善正氏、三男で神戸灘教会長の修師、弟で常盤台教会長の美智雄師とその長男の道人師の遺族によって担がれた御柩は、喪主の三宅光雄師が遺影を持って先導し、葬儀の行われたお広前から会堂正面大階段、参道へと大勢の信者が見送る中を御柩は進み、信者からは自然と「一心御神願一心…」の連唱が巻き起こった。


霊柩車の出発を正門で見送る参拝者たち

正門で待ち受けた霊柩車に到着した御柩に、光雄師の先唱で最後のお礼のご祈念を上げた後、「親先生ありがとうございます」と口々に叫ぶ信者たちを後に、霊柩車は聖地泉光園を跡にし、火葬場のある小林斎場へと車輪を進めた。



■ 故三宅龍雄大人葬祭関連行事のお知らせ ■



十 日 祭
4月09日(土) 14:00〜
二十日祭  4月15日(土) 14:00〜
三十日祭
4月23日(日) 14:00〜
四十日祭
5月08日(月) 14:00〜
五十日祭・合祀祭
5月13日(土) 14:00〜
納骨祭(三宅家奥城)
5月14日(日) 11:00〜
百日祭
7月01日(土) 13:30〜

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