『私ってなあに』
大阪府宗教婦人連盟 理事長
                         三宅壽賀子
 
本日の大会の冒頭にご追悼いただきましたように、私ども大阪府宗教婦人連盟では、昨年九月に、六十歳という惜しみても余りある第五代理事長川嶋妙香様を見送るという悲運に見舞われました。

 私ども大阪府宗教婦人連盟は、去る三月三十一日妙香様を偲ぶ会を、尼僧法団の方々におつとめしていただき、会員一同、お偲び申しあげました。

 その後、引き続き、次の理事長選出で、ご立派な諸先輩の大勢おられる中で、私のような未熟な者に、身に過ぎるご指名をいただきました。この上は、大阪を始め、広く皆様方のご意見を聞かせていただいて、新しい時代の宗教婦人のあり方を模索してまいりたいと思います。

 さて、北法相宗(きたほっそうしゅう)管長、森清範(もりせいはん)猊下を講師にお招きして開催されました、本日の第四十八回近畿宗教婦人連盟大会のテーマは、『私ってなあに(生かされている命)』について、各府県を代表して、この題で意見を述べなさいという大会本部からのご下命でございますので、私の日頃思っておりますところを述べさせていただきます。

 私ども宗教の世界に身を置く者は、よく「神の愛し子…」とか「御仏に生かされて…」ということを当たり前のことのように申しますが、その実、その「神仏に生かされて生きている」という宗教の根本的なメッセージが、私どもが現に暮らしているこの国において、通じなくなる時代になったと、身に滲みてお感じになっておられることかと存じます。近頃では、テレビのニュースを聞くのが恐ろしいほど、毎日のように、母親が我が子を虐待したり、保険金目当てに、家族を殺してしまったりというような、事件が続いております。つい四日前にも、大阪の教育大学附属池田小学校で八名ものいたいけな命が奪われた惨状は、いつまでも忘れることのできないわれわれの心の痛みとして残ることでしょう。また、国民に範を垂れるべき、裁判官や警察官から学校の先生に至るまで、そのような事件の加害者になってしまっております。

 このような、「末世の時代」に、私ども宗教婦人は、社会の諸問題に対して、これまでのように、「宗祖様・教祖様がこのように仰った」というだけでは、不十分なような気が致します。

 現代の日本社会は、まさしく「末世」、国中がお互いひとりひとりの心の中に、鬼の住処となってしまった感があります。

 それには、めいめい一人ひとりが生かされているのは、三十八億年前に、この地球に最初の生命が誕生して以来、絶えることなく続いてきた「いのちの営み」の連続の一局面に過ぎないということに目覚めることから出発することが大切かと存じます。これら、老若男女・職業・宗教の違いを越えて、広く受け入れることができると思います。人間は、自分の意志で何事も自己決定しているかのように錯覚しておりますが、その実、いつ・どこで・誰の子として生まれるかは、自分で決めることはできません。つまり、人生の最初と最後を自分で決めることができない以上、自分自身で決めたと思いこんでいるどんな学校に行ったかとか、誰と結婚したかなどということは、枝葉末節なことにしか過ぎません。

 三十八億年に及ぶ大いなる「いのちの連続」の中のわずか数十年間を、目に見えないくらい小さなバクテリアから巨大なクジラにいたるまでの億兆の「もろもろのいのち」の中のわずかひとつのいのちを、「仮に自分がお預かりしている。また、期間が過ぎれば、大いなるいのちにお返しする」という自覚から、多くのひとが「私ってなあに?」と問いかけるようになってゆけば、一見、「神も仏もあるものか」というような日常生活を送っている現代の日本によっても、「大いなるいのちの連続の中で生かされている私の命」というものに、気づいてゆくことができるのではないでしょうか?
私の思いの一端を述べさせていたきました。有難うございました。

戻る