祈りの人 三宅歳雄先生

元国際基督教大学 学長
                     学校法人大妻学院 理事長
                         中 川 秀 恭 

 三宅歳雄先生のお名前をはじめてうかがったのは、昭和50年頃のことであった。当時私は、東京三鷹の国際基督教大学(以下ICUと略称)の長を務めていたが、時の理事長湯浅八郎先生から、「大阪の金光教会に三宅歳雄というえらい先生がおられる。先生は宗派が違うにもかかわらずICUへ毎年寄附をして下さっている。この先生はご自分の教会での布教活動のほかに、世界平和実現のために、宗教や宗派の違いを超えて世界の宗教指導者達と相携えて活動しておられる、云々」というお話をうかがった。

 湯浅先生は京都大学農学部教授在職中、誘われて同志社大学総長に就任、第二次世界大戦後、ICUが創立されるに及んで、同志社を辞して初代総長として着任された方で、学識・経験についても、信仰の篤さにおいても傑出した方であられた。先生は夙つとに「宗際」ということを称えられ、諸々の宗教は最終的境地にいたるさまざまの道であって、互いに排除し合うものではない。むしろ、共同しながらこの境地の実現のためにつくさねばならないとの信念を抱いておられたように思う。これは私の推測であるが、三宅歳雄先生もこのような信念を堅持しておられ、二人の偉人は東西相呼応して活動しておられた。

 こういう次第で、私も三宅先生のご指導を受けるようになった。その後「現代における宗教の役割研究会」(以下「コルモス」と略称)の役員にえらばれるにいたって、先生とのご縁が益々深くなった。泉尾教会の大きな行事には東京からかけつけて出席したり、先生のご令孫光雄師の結婚にあたっては仲人役を仰せつかったりしたこともあった。

 先生のご活躍の領域はきわめて広く、私などの理解を超えるが、敢えて推測すると、泉尾教会の設立と布教、世界平和実現のための活躍(世界宗教者平和会議の立ち上げと、役員としての活動)、アジア、アフリカの発展途上国に対する教育上、民生上の援助活動、コルモスにおける指導的役割等があげられると思う。

 生まれつきさほど頑健とは申し上げられない三宅歳雄先生のこのように広範囲に及ぶ超人的ご活躍の原動力となったものは何であろうか。お察しするところ、それは祈りではなかったろうか。ある時、先生から次のようなお話をうかがったことがある。「ある時、腸捻転におそわれ、もの凄く苦しんだ。その時私は意を決して、必死に信徒のために祈った。祈りをつづけるうちに、腸捻転はなおったのか、痛みがとれて、平常の状態にもどった、云々」。

 先生は毎日早暁数時間にわたって泉尾教会境内の「祈りの塔」にこもってただ一人お祈りをされたとうかがったことがあるが、それは先生の最晩年に及んだのではなかろうか。

 私は先生の超人的なお働きの力のもとが、このような祈りにあったのではないかと思う。先生はこの祈りを通して、天地を通じて働く「霊気」を受けとっておられたのではなかろうか。

 泉尾教会は、昨年(平成14年)1月、布教七十五年記念大祭を執り行われたが、現教会長の三宅龍雄先生、ご令息の光雄先生、善信先生と三代にわたって布教をつづけておられることは、有り難いことである。そのお働きの源泉をなすものは、歳雄先生がその生涯を通じて実践され、お残しになられた「祈り」の精神ではなかったかと思う。

 最後に、三宅歳雄先生の在天のみ霊のご平安をお祈りし、泉尾教会の今後益々のご発展を祈願します。


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