三宅歳雄先生の「生誕百年」に寄せて
立正佼成会 会長
                          庭 野 日 鑛 

  本年は、金光教泉尾教会にとりまして、三宅歳雄先生の「生誕百年」という大変意義深い年と伺っております。この大きな節目の年を迎え、さまは、いま改めて三宅先生のお徳とその足跡をかみしめ、決意を新たにされていることと思います。皆さまの一層のご活躍を心よりご祈念申し上げます。

 三宅歳雄先生は、私にとりまして信仰の大先輩であり、折に触れてご指導を頂いてきた恩人の一人であります。世界宗教者平和会議(WCRP)の国内会議などに同席させて頂きますと、いつも出席者に向かって、「宗教者は実践しなければならない」と、叱咤激励しておられたことを思い出します。明治生まれらしい気骨あふれるお姿に、一同は息を飲み、そのお言葉に耳を傾けたものでございました。

 国際会議などの場にまいりましても、日本人はつい消極的になりがちですが、三宅先生は、少しも臆することなく発言され、WCRP日本委員会の存在を世界にアピールされていました。

 その最も象徴的な場面が、1994年11月、バチカン市国のシノドスホールで開催された第6回世界宗教者平和会議(WCRPY)の開会式でした。ローマ法王さまの記念講演に次いで、「諸宗教の祈り」として壇上に立たれた三宅先生は、世界各国から参集した宗教指導者に向かい、凛とした声で、次のように訴えられました。

 「自分の身を捨て、他の人々のために祈る。その精神を、今こそ実践に移す時です。『今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませよ』という御教えがありますが、それが今なのです」

 会場が水をうったように静まり返り、そのあと割れるような拍手が起こりました。参加者の一人としてその場に居合わせた私も、強く心を打たれ、諸宗教対話・協力による平和実現への決意を新たにさせて頂いたのを覚えています。

 私が、三宅先生に、最後にお会いしましたのは、平成11年3月29日のことでした。その年の11月、ヨルダン・アンマンで開催される第7回世界宗教者平和会議(WCRPZ)に向け、金光教泉尾教会で「平和のための宗教者研究集会」(WCRP日本委員会主催)が開かれたのであります。

 会議の合間、私は、白柳誠一先生(WCRP日本委員会理事長、カトリック枢機卿)、西田多戈止先生(WCRP日本委員会常務理事、一燈園当番)と共に、境内の一角にある応接間に待機していました。しばしお待ちすると、三宅先生が付き添いの方に両腕を支えられながらも、ご自身で歩いて、応接間に入ってこられました。正直に申し上げ、かなりお疲れの様子でした。しかし私どもの前では、自らに鞭打つように、気丈に、ごあいさつをくださり、別れ際には握手までしてくださいました。大先輩の温かいお心に、万感胸に迫るものがございました。

 その年の8月31日、残念なことに、三宅先生は、96年のご生涯を閉じられました。来るべき時が来たとはいえ、惜別の思いは尽きません。何かとても大きく、大切なものを失った思いが致しました。9月3日には、ご自宅に弔問に伺いました。奥の間で三宅先生に最後のお別れをさせて頂いた私は、これまで永年にわたって頂いてきたご恩に、ただただ感謝申し上げるのみでした。

 この日、ご自宅では、現教会長であられるご長男の三宅龍雄先生、お孫さんの光雄先生、善信先生が応対してくださいました。龍雄先生は、悲しみの内にありながらも、「父の歩んできた道を私たちが継承していきたい」と決意を述べられました。光雄先生、善信先生も真剣な表情でうなずいておられました。三宅歳雄先生のご遺志が、ご長男、お孫さんにしっかり受け継がれていることを、私は実感させて頂いたのでした。

 その1カ月後の10月4日、本会の庭野日敬開祖が満92歳で入寂致しました。三宅歳雄先生と庭野開祖は、心の奥底で、常に深い宗教的信念に結ばれた「盟友」といえる間柄でした。同じ明治生まれの先達が、ほぼ時を同じくするように旅立たれたことに、お二人のただならぬ因縁、絆を感じたものであります。

 庭野開祖は生前、三宅歳雄先生について次のように述べておりました。

 「私と共に、道なきところに道をつける苦労をされたのが畏友というか平和活動の大先輩ともいえる三宅歳雄先生であった。この大地には、もともと道というものはなかった。まず一人が歩く、また次の人が歩く。そうして道というものは、だんだん出来上がっていくものであろう。私よりも三つも年長の三宅先生が、難航する国際会議の席上、静かな激情と共に、宗教者のあるべき姿を、肺腑をえぐる言葉をもって語りかける光景は、洋の東西を問わず、宗教者の胸に鮮烈な印象を与えるものであった」

 この言葉からも、諸宗教対話・協力の黎明期の中で、三宅歳雄先生の存在が、庭野開祖にとってどんなに心強いものであったか、お二人がどれほど強い信頼感に結ばれていたかが伺えるのであります。

 そして今、仮に三宅歳雄先生、庭野開祖がご存命であったなら、現代の世界情勢をご覧になり、何と申されるだろう、とふと考えることがあります。米国での同時多発テロ事件、アフガニスタンへの武力攻撃、それにつづく新たなテロ。国と国、民族と民族間の不信感は、21世紀を迎え、さらに増幅されつつあります。国内的にも、自殺者が年間で3万人を超えるなど、課題が山積しています。きっとお二人とも深く心を痛められ、「今こそ、愛や慈悲に裏づけられた『共生の世界』を目指さなければならない。それはお前たちの役割だ」と私たちにご指導くださるに違いありません。

 金光教泉尾教会の皆さまは、諸宗教対話協力による平和実現に向け、先駆者の役割を果たしてこられました。その使命は、今後ますます大きくなっていくことと思います。龍雄先生を中心に、光雄先生、善信先生、修先生、教団幹部の皆さま、会員の皆さまが異体同心となり、平和のために一層ご尽力されますことを願ってやみません。

 「非暴力・不服従」を信念とした民衆運動で知られるマハトマ・ガンディーは、「すべての宗教は、同一点に集まる各方面からの道路のごときもの」と申されました。金光教泉尾教会も立正佼成会も他の宗教も、すべてのいのちが尊重される世界、その同一点を目指して働く同志であります。今後とも、手を携え、平和への道を歩んでまいりたいと存じます。三宅歳雄先生の「生誕百年」という意義深い年にあたり、改めて皆さまのご健勝、ますますのご活躍をご祈念申し上げ、お祝いのことばとさせて頂きます。


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