三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出

IARFジュネーブ国連代表
ジョン・テイラー

私が今は亡き三宅歳雄先生とご縁を頂戴して早や25年の歳月が経ちました。1984年(昭和59年)、ケニアのナイロビで開催された第4回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会の折に、三宅歳雄先生はWCRPの財務委員長に就任されました。その大会は、小さい予算であったにもかかわらず、全世界から、特にアフリカ各国から―彼らの多くはこのような諸宗教対話の大きな会議に参加するのは初めての体験でしたし、ましてや神道の指導者にお目にかかるのも初めてでしたが―300人以上の参加者を集めることに成功したのは、三宅歳雄先生の格別の財的貢献に拠るところが大であります。

ナイロビにおいて、私から見れば父親のような三宅歳雄先生は、私に大きな個人的支援をしてくださいました。大きな国際会議場を満たした全参加者にとって、三宅歳雄先生は魅力的で力強い人として映りました。閉会式において「アフリカの角」と呼ばれるソマリアにおける飢餓に直面している人々を助けるための緊急アピールが提出された時に、三宅歳雄先生と先生に導かれた日本の代表者たちによって「日本が10万ドルの基金を用意するから、他の大陸から参加した人々もこれに相当する額を出すように!」と発憤を促しました。するとあっという間に、北アメリカとヨーロッパの個人あるいは団体から20万ドルを超える寄付の申し出がありました。

三宅歳雄先生のこの他者をして行動を起こさせることへの勇気づけは、ただ単に財政的なことに限ったことではありません。南アジアやアフリカにおける困窮した諸地域への度重なる訪問に際して先生は、助けを必要としながらも放置されている人々に対する連帯感を示すために、宗教者が困難な状況下の場所へ行くことを勇気づけました。これは、大阪における三宅歳雄先生ご自身の教会での日々の布教活動からのインスピレーションであることは疑いもないことであります。先生ご自身の教会の信者と同様に、先生が訪れた地域に対してもまったく同じ様な精神性が付与されたことは疑う余地もありません。私は三宅歳雄先生の、例えばジュネーブで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)における「アフリカの角」への30万ドルの寄付金の贈呈式といったような公式な外遊のお供をする栄に何度か浴する機会がありました。

WCRPのような小さな国際機関の運営費のためにお金を集めるという、より退屈で困難な仕事において、三宅歳雄先生は、必要とする運営経費に事欠いて、事務総長である私が自腹を切ってスタッフの給与や事務所の家賃を立て替えることのないように、歳入不足の時にはいつでも資金を工面してくださるなど、常に前向きな姿勢を示してくださいました。私が大阪に三宅歳雄先生を訪ねて行った時、いつも先生は私をご自宅に温かく迎えてくださり、私を先生に続く二世代のご家族に紹介してくださいました。そのご家族の方々も、歳雄先生の国際的・人道的活動への展望と関わりをすでに共にされていました。歳雄先生は、特に若い世代の人々に、先生のビジョンを実践に移させることにご熱心で、お孫さんたちにWCRPを通してこのような活動への教育的・組織的挑戦をさせようとされていました。

私は、三宅歳雄先生のリーダーシップとビジョンの要素において、WCRPやIARF(国際自由宗教連盟)のような、宗教的な動機付けによって創設された団体の橋渡しをされる先生の類い希な能力を最も尊敬しています。先生は、こんな小さな団体が担うには大きすぎる、平和構築への挑戦と人道的連帯を示すことといった、すべての仕事に対して、感謝することができました。先生は、無駄な競争が起きないように、それぞれの組織の目的を明確化し、そのための活動に集中するためのエネルギーを傾注することに尽力されました。先生は、お孫さんのおひとりが最近、ニューヨークで開催された「平和のための国連諸宗教と諸文化の対話と理解と協力のための10年」に対して、イニシアティブを執ることを提言するための、主な国際的諸宗教対話団体の連携を推進するための会合に出席されたことを誇りに思っておられるでしょう。

三宅歳雄先生によって示された、諸宗教対話組織間の協力を推進することへの先見性と関わりは、世界連邦運動(WFM)といったような世俗の組織の活動へも拡げられていきました。先生は、狭隘(きょうあい)なナショナリズムに対して非常に厳しかった。また、国連のような組織においても、しばしば自国の国益に基づいて繰り返される議論や行動が限界のあるものだということを、先生は見抜いておられました。世界連邦政府を樹立するといったような大胆な試みは、相互に複雑に関連し合うグローバル化された世界が、個別の「国益」に従属させられるというようなあり方を変えさせるためのものであります。

そしてまた、2008年に日本で開催されたG8首脳会議に対して、宗教指導者の関心や考えを反映させるための会合である「G8宗教指導者サミット」を成功に導くため、三宅歳雄先生のお孫さんたちが大変なエネルギーを注がれ、全世界からの参加者に対して歓待の心を示されたことを、先生は誇りに思っておられることでしょう。

国際会議や公式訪問のような場で三宅歳雄先生と出会ったことのある人は誰でも、私のように、先生が金光教泉尾教会で信者さんたちにされている霊的な教導の場面を垣間見る特権に浴することができました。美しくて静謐(せいひつ)な泉尾教会の早朝に、三宅歳雄先生の後を追って、言葉では言い表せないようなカリスマ的なご指導を頂くために、多くの異なった社会的背景を持つ老若男女がご祈念とお取次を受けに参拝してくる様子を目の当たりにしました。ロシア正教の府主教を含む他の海外ゲストと共に、私は泉尾教会の大祭(註:1987年1月の御布教六十年記念大祭)に招かれたことがありました。それは、海川山野の様々な収穫物が神前に供えられたまことに荘厳な祭典でした。その美的感覚と天地自然の恵みに対する感謝の念は、その場にいた多くの人々にインスピレーションを与えました。

この霊的なインスピレーションのひとつの局面は、三宅歳雄先生がこれまで、泉尾教会で、日本国内で、アジアで、そして世界で引き受けてこられた全ての仕事の顕著な現れであったと、私は信じています。1984年に、三宅歳雄先生がケニアのナイロビで開催されたWCRPの世界大会で、先生が国際委員長に選出される直前に、先生は世界大会に参加している人々の前で、先生は以下のようなお祈りをされました。

  生神金光大神天地金乃神一心に願え。おかげは和賀心にあり。

  神はすべての人々を平等に創っている。神の目から見れば、われわれは皆同じである。  人類は皆、神の氏子である。

  生きている間は神を信じて信心せよ。そして亡くなった時には、あなたが神と共に天国で永遠のいのちを授かることを祝福するであろう。

  自分ひとりの助かりでなく、世の全ての人の幸せのために神に感謝するならば、その人は神の祝福を受けるだろう。

  いかなる難儀に出遭うとも、怖れず心配せず、神に祈れ。おかげを授ける。神はいつもその人の傍に居る。

  全人類の幸福、世界真の平和を祈れ。自分ひとりの助かりでなく、世のすべての人のために祈れ。難儀な人を助けよ。

  神は他者を愛し、助け合うためにわれわれを創ったのだから、難儀な人を助ける時に自らの犠牲を顧みるな。御神願に添ってなす時、神はいつも愛と祝福を以て、その人を守り助ける。

この美しくて深遠で普遍的に受け入れられる祈りが、三宅歳雄先生に対する私の想い出のすべてを端的に言い表しています。神の恵みに関する先生の祈りの言葉は、いつも人間の欲望からわれわれを遠ざけています。しかし、これは神の御力(みちから)と慈悲のおかげに拠るものです。クリスチャンにとっても、信仰心は神の御恵(みめぐみ)に満たされることであり、寛大さや平和を望むことを人々の心に導入することであります。

祈りの冒頭の確信は、神の御恵についてのみならず、神が人類をひとつの家族の一員として創造せしめたことによる人間性の尊厳についても触れています。これらの言葉は、アフリカ大陸の人々と、他の大陸からこの地に集った人々に向けて発せられました。ナイロビ大会で、三宅歳雄先生の前に発言したノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大主教のスピーチと響き合いました。神の前における「平等」は、「正義」という条件を創り出すことを主張しなければなりません。三宅歳雄先生は、祈りの高貴な感情を実践に採り入れるために、一貫して働き、説教をされていました。

われわれが、三宅歳雄先生によって生かされた信仰と真実の生活へ立ち返る時、「死に際しては、神はあなたに永遠のいのちを与える」という言葉は、激しくもあり、また、勇気づけるものであります。先生のシンプルでありながら普遍的な言葉の数々は、多くの異なった宗教者に認められ、かつ受け入れられて、自らの人生を正義と共に平和を構築するために捧げるよう導くものでした。三宅歳雄先生による、利己主義を避けるためのアピールは、ただ単に天国への道を得るための行為ではなく、他者への善い行いを促すためのものですが、それは喜びに満ちた行為を承認するものでもあり、また、自分自身が受けるすべての利益と祝福への感謝のようにも見えます。

その祈りは、人生において直面するかも知れない難儀や困難について認めております。しかし、怖れや心配は、それらの苦労によって打ち勝たれるべき最も確かな方法であるかもしれません。今日の世界においては、よそ者や外国人に対して、時として持続不可能なレベルの繁栄―これは「必要に応じて」ということではなく、「欲望に応じて」というレベルの繁栄のことですが―を自分たちが維持するための熱烈な主張と政治的暴力―場合によっては「家庭内暴力」であったりもしますが―が平和と正義を打ち立てようとするすべての希望を破壊するかもしれないという恐怖症があります。そのような怖れと心配は、平和と正義を打ち立てようとするわれわれの貢献を無力化してしまいます。にもかかわらず、三宅歳雄先生の自信に満ちた祈りは、世界の諸問題に直面したわれわれが、望みを回復して、エネルギッシュな約束へと向かうことを可能にしてくれます。

この祈りの言葉は、単に、自分自身の願いを成就させるために発せられた言葉ではありません。この祈りの言葉は、人類の幸福、共栄と世界平和の実現のために神様が発せられた言葉であります。その他者への慈愛に満ちた奉仕の精神は、三宅歳雄先生の業績と先生に触れた全ての人をして、そのことは、個人的にも組織的にも、インスピレーションでありまたチャレンジとして、われわれの心にいつまでも留めおくべきものであります。三宅歳雄先生は、WCRPやIARFやWFMという組織を通じて、協力していくことができると信じておられました。先生は、個人主義者ではなく、他者と連帯することのモデルを世界に示してくださいました。特に、そのことを必要としている人々に対して。ですから、歳雄先生の「自分一人の助かりのためではなく、他の全ての人々の助かりのために祈れ」という祈りは、われわれを奮い立たせてくれます。

最後に、三宅歳雄先生の祈りの「他者を助けるときに自己犠牲を恐れてはいけない。神は、人間をして他者を愛し、助けるために創られたのだから……」という言葉は、人間を、「相互に愛し合い、助け合う存在として世界の諸宗教の教えが響き合うことを、国連のような機構においても、これらの精神が実際に行われる必要がある」と、何年も前から説いてこられました。三宅歳雄先生は、日本においても、また世界においても、平和構築と人道的活動の協力と宗教的自由への貢献について、偉大な先駆者であり、また預言者でもありました。先生のお働きと先例は、長きにわたって人々の心に留めおかれることになるでしょう。
                               (原文は英語)