三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出

天理大学おやさと研究所 所長
井上昭夫

1970年、京都で第1回世界宗教者平和会議(WCRP)が開催された。その6年後に、シンガポールにおいて第1回アジア宗教者平和会議(ACRP)が行われた。当時、筆者はシンガポール国際宗教連盟に所属していた唯一の日本からやってきた伝道者で、連盟の理事長であったシーク教徒のメヘルバン・シン氏から会議の開催を知り、連盟の一員として会議の手伝いを依頼されたように記憶している。会議の裏仕事をこなしていると、主催者とは異なる視点から案外会議そのものの実態が垣間見られることがある。

筆者が三宅歳雄先生と出会ったのは、本会議の合間を縫ってシンガポールにアジア宗教者平和会議の事務局を設置する件について準備会議が行われた時と推測している。この時が、最初で最後の三宅歳雄先生との出会いであった。わずか半時間ほどの出会いであったが、いまだ故人の面影が脳裏から不思議に離れないでいる光景を記録させていただくこととした。

シンガポールのホテルの名前は失念したが、そのホテルの会議室から1人の小柄な初老の方が出てこられて、椅子に座って準備会議が終わるのを外で待っている筆者に歩み寄り、「井上先生、ちょっとお聞きしたいのですが…」と言われた。驚いたことに、筆者がシンガポールにおける天理教の伝道者であることを前もって知っておられたのである。「三宅先生、会議は終わられたのですか? 連日カレー食では大変でしょうから、これから日本料理屋にでもご案内しましょうか?」などと方向違いの返事をしたことを覚えている。先生は「いやいや、いろいろ井上先生に聞きたいことがある」と話し始めて、シンガポールに事務局を設置するについて、シンガポールで数年すでに異文化布教の体験をもつ筆者に、同国の宗教事情や政治問題を含めた意見を聞きたくて、会議の合間を縫って室外に出てこられたのだと後で気がついた。

シンガポールには、第2次世界大戦における日本軍による華僑虐殺の追悼碑や、その近くにある最高裁判所には、山下奉文将軍(註:帝国陸軍大将。英国統治下のシンガポールを電撃戦で陥落させ『マレーの虎』と恐れられた。後にフィリピンでマッカーサーに敗れ、マニラで処刑された)が英軍パーシバル中将に降伏調印を迫る蝋人形が展示されている部屋がある。シンガポール史を伝える小学校の教科書の第一章は「Surrender of Japan (日本の降伏)」から始まっている。まずシンガポール人の潜在的反日感情の歴史認識を押さえておかないと、国家神道という日本宗教がシンガポール侵略を促したと理解される国家で、「安易に宗教者平和会議の事務局を日本の宗教指導者が設置するというのは、よほどの覚悟がないと済まされない」といったような意味のことを筆者は体験を通して力説した。「日本人墓地に参拝し、『殉職烈士之碑』や『納骨一万余体』とある日本人戦士の慰霊碑に献花をするのもよいが、その前に日本軍による『華僑虐殺慰霊碑』に参るのが順序ではないか」という正直な感想を述べた記憶がある。

しかし、そのような儀礼的行動は、「献花だけで加害者である日本人の罪が軽減されるとでも日本の宗教者は考えているのか?」という反論が逆に予想され、反日運動に火が点くかもしれない。「そのときは、宗教者平和会議はどのように問題を収拾されますか?」とお尋ねした。同じ頃に、日本シンガポール協会が東京青山のアジア会館で設立されていた。輸出入に関する法律の改正や、凄まじい勢いで開発に突進しつつある新生国家シンガポールの社会・教育状況について情報を送るために、布教活動と並行してさまざまな調査をしていた時でもあったから、なおさら筆者の発言は先生にとっては過激な印象を与えたかもしれない。「政治と宗教の軋轢(あつれき)」を饒舌(じょうぜつ)する若輩の意見を黙って聞かれた後、会議室へ戻られた先生の孤影悄然とした後姿がいま目に浮かぶ。

宗教の理想と政治の現実を調和させる運動は過去にさまざまに実験された。例えばトルストイは、「汝らの仇を愛せよ」というキリストの完全主義を垂直に政治的次元に持ち込んだ。その徹底した無抵抗主義でツアー(ロシア皇帝)の圧政に耐え忍ぶことが専制君主を改心させる宗教的方法であるとして農民を励ましたが、その努力は悲壮で、結果は完全な敗北であった。ブックマンの『道徳再武装運動(MRA)』も愛のセンチメンタリズム以外の何物でもなかった。為政者の改心は、権力の放棄を意味する。自己犠牲に基づく真の愛の精神は、他人を強制する権力の世界では通用しないのが冷酷な現実である。両者を繋ぐ触媒は何かが宗教者に問われ続けているが、いまだ回答はない。宗教者が不甲斐ないからだと自省している。

三宅歳雄先生の生涯を一言で語るとすれば、老子の言う「光りて輝かず」がぴたりとする。また故人の教話選集の中で筆者の一番好きな言葉は、神仏を「信じる世界」の妙味は「騙される世界」にあるという逆説的表現である。「騙されてもよい」という境地は、理知を超えた世界にあるからであり、先生のご生涯は、理論や目に見える地上の枝葉や果実に目的があったのではなく、それを支える目に見えない強靱な根を張る精神世界にあったと思われる。根が生きていれば、いのちが再生するのは天の理であるからだ。


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