三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出

本門法華宗 管長
大本山妙蓮寺 貫首
松下日肆

昔を思い出すことは懐かしくもあり、また泣きじゃくりたい気持ちにもなります。

金光教泉尾教会の三宅歳雄初代教会長先生との想い出を語る上では、六十有余年前のことからとなります。歳雄先生が霊山へ帰処されて今年が十年祭、先代龍雄先生が三年祭という節目の年。

初代、二代、そして光雄先生、善信先生と三代にわたって、歳雄先生の提唱された「世助け 人助け」をモットーとして、教会ご一同が一体となって決意を新たに邁進する覚悟と定められたこと悦ばしく存じます。

思えば、中学卒業と同時に鹿児島から大阪(註:港区の上行寺)へ小僧として寺に入りました。

大阪は戦災復興中の焼け野原の時代です。寺では朝夕は読経、その他は仕事として朝は4時から本堂の清掃、庭の草取り落葉拾いと小僧時代を十有余年過ごしました。

「給仕奉行第一」と父に教えられていましたので苦にはなりませんでした。自分で言うのも恥ずかしいことですが、祖父や父にお経は小さい頃から教えられていましたので少しは楽をしました。

学林(僧侶になるための学校)の先生に「お経はさすが鹿児島の日慈(祖父)上人の孫やねー」と褒められたこともありました。

屋久島で6年生まで生活しましたので、夏になると海や川が恋しくなり、自転車で大正区側の尻無川口まで行って、海に浮かぶ沢山の材木を舟代わりにして遊んでは、わざと海に落ちて泳ぎ廻ったことや堺市の高師浜、浜寺まで足を伸ばして海遊びをしていました。その想い出の中に泉尾教会のオジサンが垣根越しに笑顔で、じっと眺めていてくれたこと「おーいボン危ないぜーもう止めとけや」と優しく諭してくれたことが大変懐かしく目に浮かんで来ます。

それから何年過ぎたでしょうか、昭和五十九年(1984)8月23日から31日のアフリカ・ケニアに於けるWCRP(世界宗教者平和会議)第4回世界大会がナイロビで開催されました。その会議のテーマは『人間の尊厳と世界平和を求めて』で、歳雄先生はWCRP国際役員として出席されておられました。

その折の休憩時間で久しぶりに歳雄先生にご挨拶して、優しいオジサンと海の想い出話をすることができました。「オーあの時の小僧さんが君かいな。何年ぶりや?」「30年にはなります」と話しましたところ「そんなになるか、頑張れや、この会議は大切やで、今やることやでー」と導いていただきました。

「松下君よ、今やらなければ何時(いつ)やる。後でやるでは遅すぎるんやで」と声をかけてくださったことは大変有り難いことと承りました。そして、この言葉をハッと思い出しましたのは、昭和三十八年に妙連寺八十六世木村日英猊下と山本杉先生(全日本仏教婦人連盟理事長)が協同して、私にくださった色紙の言葉と同じであったことです。

そのことがあってから「真剣にWCRPの会員として働かなければ」と覚悟を決めました。

歳雄先生は、会議等で会うごとに「オー元気でやってるか。頑張れよ。今が花やで」と声をかけていただきました。

教えられたことは沢山あります。そのひとつに「青年の仲間で燃やした心は、たとえどんな小さなことであろうと、燃やし続けて行くことが青年本来の精神、それが花や」と、また、「世界はひとつ、日本もそのひとつ、私もあなたも世界の中の一人やなー。誰の言葉か忘れたけれど、人間は皆、聖なる大地を通して兄弟姉妹である。同じ大地に住む人が手をつなぎ、困難に遭う人を助けるのは当り前やなー」と教えていただきました。

今思えば、WCRPが一貫して取り上げてきた、軍縮、人権、環境、開発、平和教育は皆、今日的課題でもあります。朋友的存在であられた、庭野日敬先生や歳雄先生が、地球の危機的状況を早くも感知して、宗教の壁を超えて世界の宗教者に諸宗教対話を呼びかけ、一堂に会して実践して来た課題でもありました。

このナイロビの会議では、「今こそ宗教者は貧困や圧政に苦しむ声なき人々、力なき人々のために立ち上がる必要がある。

平和とは、生命の完全さ、正義を示すのであり、人々が互いに労(いたわ)り合い、生活が向上し、自己の尊厳をもって他を尊厳する。人間の生命の根源は平和であり、平和であってこそ、人間の生活の意味が出てくるものである」とし、「この平和実現こそ宗教の役割である」と強調した会議でした。

地球上のいかなる人の悩みも、宗教者は共有しなければならないという認識、これこそは歳雄先生の念願された「世助け、人助け」でありましょう。

私が真剣に仏教者として働く覚悟は、この道を示してくださった歳雄先生の人助けの道でありました。平成七年病床で法華経を通読し、退院して1年間種々のことを模索しました。「いついのちが終わっても自分に悔いのないことは何か」「仏教者としての本来の教務をどう生かすか」、自問して、今日一日を充実した日とすることを第一と定め、「一生懸命働かせていただいて有り難う」と、新たな銘を「一日生涯」といたしました。

この座右の銘も歳雄先生の「今やらなければ何時やる」の言葉からです。泉尾教会の皆さま、いま光雄先生、善信先生を中心に、皆さまと共に「世助け、人助け」の念願を継承され諸宗教対話の促進、世界の平和実現に向けての力強い協力精神態勢こそが、初代・二代先生が一番お喜びになり願っておられたことでありましょう。

歳雄先生の「十年祭」という年に当たって、想い出を語るには少々不足のこととなりました。先師の歌「馴れ馴れし 人ははかなくなりはてて 面影ばかりのこる世の中」で、お許し下さい。泉尾教会の発展興隆と信徒会員の皆さまのご健勝とますますのご活躍を祈念申し上げます。私の想い出を有り難うございました。

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