三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出

学校法人 佛教教育学園(佛教大学)理事長
水谷幸正

金光教泉尾教会初代会長――というよりか、わたくしにとっては金光教を代表する大教師であった――三宅歳雄大先生がお浄土へ往かれてから10年になります。歳雄先生を私にご紹介してくださったのは、大先生の弟子として仕えておられた内海雅継さんでした。内海さんは、宗教家として仏教をより深く学びたいという願いをもって「佛教大学」の門を叩かれたのであります。

かれこれ約30年前ごろ、内海さんに導かれて泉尾教会へ参拝し、歳雄先生とお会いしました。爾来、いろいろなご縁で3回ほどお会いしただけで、詳しい話し合いはあまりしておりません。しかし、さすがに、ご苦労して泉尾教会を立ち上げられた方だけに、創始者特有の素晴らしい威風を受け、戦前から戦後にかけての50年間にわたる苦難に満ちた宗教者の歩みの漂いを感得させていただきました。大先生の年齢は私の父より5歳ぐらい若年だったと思いますが、ご令息の二代先生(三宅龍雄師)が私と同年輩であることを後日お聞きし、父子二代にわたり同時代の空気を吸ってきた仲間として格別の親しみを感じております。

大先生とのご縁は、共に海外宗教者との交流をめざしていたということにあります。まず、少し私自身の自己紹介をしておきます。私は仏教者であります。日本の宗派仏教で言えば「浄土宗」です。つまり、法然上人が説く「愚者の自覚による念仏往生を目ざす」信者であり、教師であります。私の一日は「念仏から始まり念仏に終わる」と言ってもよいでしょう。

しかし、現代社会に生きる宗教者(のはしくれのひとりですが)として、戦後の日本の進むべき道は平和国家、つまりは「国際交流社会への参加である」という方向づけの中で、インド、中国、韓国を経て日本へ伝来した仏教のありようからいっても、三国の仏教者との交流が大切であることを痛感し、「佛教大学」を根拠としていささか活動しております。私は法然上人の心を心とすべく精進しておりますが、さりとて、他者を排斥するようでは宗教者ではないと言えます。いわゆる宗派根性は情けない狭量心です。大ざっぱに言えば「宗教はひとつである」というのが私の行動基準であり、法然上人はそういう大きな心を持った方であったと受けとめております。

さて、国交が回復していない頃から、私は韓国の仏教徒と交流し、さらに中国の仏教徒とも交流し、ひいては25年前から北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の仏教徒とも交流しております。このようなことを通じて大先生と気合が通じたのではないでしょうか。27年前(1982年)だったと思いますが、大先生のご依頼を受けて、韓国の仏教者を、(韓国が)まだ国交を回復していなかった中国の仏跡を尋ねさせ、そこから仏教による中韓両国の友好の道を見出そうという働きかけもしました。中国仏教界を代表する趙撲初先生が協力してくれました。また、その頃、台湾での宗教者会議のとき、韓国仏教の代表的学者であった趙明先生に、中韓両国の宗教者交流について交渉するよう大先生から依頼を受けたこともありました。

ともあれ、私は韓国(北朝鮮を含む)、中国(台湾を含む)を中心に、ごく狭い範囲でしか国際交流の経験はありませんが、大先生はWCRP(世界宗教者平和会議)をはじめとして、宗教を根底としての平和運動に貢献された功績はまことに大であります。いつになるか判りませんが、もしも世界連邦が出来上がったとするならば、その基礎を築いていった偉大な人物のひとりとして大先生は歴史上に足跡を残したことになるでありましょう。

二代先生は、温厚で几帳面な方であられたという印象です。三代先生についてはコルモス会議等でご挨拶したことしかありませんが、弟の善信総長先生とは、いろいろな会議でお会いすることが多く、三代先生同様、大先生の気風気概を受けついでおられるのではないかと、ひそかに受けとめております。十数年前になるでしょうか、北朝鮮の僧侶を日本へ招きました。総本山四天王寺へ参拝するということでしたので、二代先生もお招きしたのですが、北朝鮮の僧侶の急な訪問先変更で、ご迷惑をおかけした時の事後処理のお手並みを想い出しております。

最近のことを申し上げれば、歴代四天王寺管長猊下を会長に戴き、私が25年間理事長を務めてきました「日韓友好平和の塔を守る会」が新たに「NPO(特定非営利活動法人)ニッポン・コリア友好平和協議会」として発足し、その慰霊大祭が5月17日に四天王寺本坊五智光院において開催されました。もちろん猊下を導師とする仏式法要ですが、最初に、神道界を代表して、装束姿で善信先生が「鎮霊詞」を奏上したあと、僧侶たちが「観音経」を読経するという慰霊法要でした。善信先生の宗教者としての偉容を拝し、あらためて初代先生の「日韓宗教者協議会」会長の遺徳を想いおこした次第であります。

せっかくの『三宅歳雄先生の想い出』に出稿を依頼されましたが、粗文しか提供できず申しわけなく存じます。「人類平和」の礎は「宗教」であることを重ねて訴えて筆を擱(お)きます。


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