金光教泉尾教会「大恩師親先生十年祭」


『偲ぶ言葉』

                      一燈園 当番
                       IARF副会長
                           西田多戈止


一燈園当番 西田多戈止師

一燈園の西田でございます。三宅歳雄先生が亡くなられて10年ということですけれども、私の心の中には今でも生きておられます。私の祖父である西田天香は、三宅歳雄先生と大変親交の深い間柄でした。天香のほうが31歳年上だったことから、三宅先生は天香を大変尊敬されて、父に仕えるような姿勢を崩されなかったと伺っています。

ちょうど今から21年前、西田天香の資料館である『香倉院』を造った時に、天台宗の山田恵諦座主や、四天王寺の出口常順管長や、哲学者の西谷啓治先生、臨済宗妙心寺派管長の山田無文老師といった方々が発起人になってくださったんですが、その発起人の一人に三宅歳雄先生も入ってくださいました。

中外日報の創始者である真渓涙骨翁のご紹介で歳雄先生が天香さんと知り合われた(註:昭和の初期)後、天香さんが泉尾教会へ講演に伺った時のことですが、皆様ご承知のように、一燈園はトイレ掃除が看板のようになっていますから、泉尾教会様でもトイレ掃除をさせていただきました。歳雄先生は、大変恐縮されて「止めてください」とお願いされたそうですが、祖父は「私に気持ちよく話をさせたいならば、便所掃除をさせてくれ」と答えたようです。それ以来の結びつきであります。

祖父は「三宅歳雄先生は、金光教の先生で言えば、高橋正雄先生に似ておられる」と、よく申していました。金光教の方ならば高橋正雄先生のことをよくご存知だと思いますが…。終戦直後の昭和二十二年、時の同志社総長の牧野虎次先生、大本の出口伊佐男先生、そして三宅歳雄先生と、私どもの祖父である西田天香が、その他の宗教界のリーダーの方々と一緒に国際宗教同志会を設立し、いわゆる「宗教協力」を始めることになりました。日本の宗教協力の歴史においては、これが一番最初であったと私は思っております。とにかく「肝胆相照らす仲」と申しますか、牧野虎次先生が委員長で三宅歳雄先生が副委員長になられ、祖父も何度か講演に招かれて足を運んだようです。

1970年には、三宅歳雄先生や立正佼成会会長の庭野日敬先生、そして松緑神道大和山教主の田澤康三郎先生たちが手を取り合って、世界宗教者平和会議(WCRP)が発足した訳であります。その直前に、歳雄先生は一燈園へお越しになって、私に「あんたはWCRPに入らなあかん」とお誘いくださいました。私は「一燈園は財団法人であって、一宗立てている訳ではありませんから、宗教者の集まりであるWCRPに参加する資格はありません」とお答えしたのですが、三宅歳雄先生は私どものために「友愛代表」という枠を創って役に付けてくださり、出させていただいた次第であります。それから40年、精勤に努めたということで、何の才能も力もないのですが、現在でもWCRP日本委員会の常務理事を務めさせていただいております。

そういった中で、環境問題について大変教えられました。1990年に日本政府が出した環境白書のサブタイトルに「地球に優しくしましょう」とありましたが、これが何だかとても良い言葉のように思えたのか、企業も新聞広告に「地球にやさしく」などといった1行を盛り込んで、いかにも環境問題に取り組んでいるような姿勢を示しておりました。

しかし、私は「地球に優しくしましょうとは、何と偉そうなことを言っている」と思いました。まるで幼稚園の子供(人間)が大の大人(地球)に向かって、「優しくしてあげましょう」と言わんばかりです。そういうことを訴えていくには「地球感謝のため」に何かすることが必要だと思いました。ちょうどオウム真理教が暴れた直後ですから、世間の風は「宗教とはなんぞや」と批判していた時期でもありますが、そんな時こそ、正しいメッセージを発することが宗教指導者の仕事であります。ですので、正しいメッセージを発するためにも、宗教協力によって『地球感謝の鐘』を創ることを、私が一番初めに言い出しました。

これは、宮崎県の日南海岸にあるんですが、「宗教協力で創るのだから、できれば教団ごとに100万円ほど出していただけないか」とお願いするべく、私はまず、当時90歳か91歳になっておられた三宅歳雄先生をお訪ねし、龍雄先生や光雄先生にも同席していただいた席上でお願い申し上げました。私が「かくかくしかじかの理由で…」と話を始めますと、歳雄先生が不意に中座されました。最初は「お手洗いに立たれたのか?」と思いました。龍雄先生が「親先生には後で、私からよく言っておきますから、大丈夫です」と言ってくださり、私も「そうですか」とお話ししていたところへ、再び歳雄先生がお部屋に戻ってこられました。よく見ると、手には100万円の札束を持って、私の所へ来られて「あんた、これで良いんかな?」と、まだ私の話は半分しか聞いておられなかったのに…。そうして、歳雄先生は一番最初に、私に100万円の寄付をくださいました。それはあたかも、父親が子供が何かをすると決心した時に励ましてくれるような姿勢でした。

そして、日南海岸を眼前にいただくところに『サンメッセ日南』というテーマパークを建設したのですが、その中心にあるのが『地球感謝の鐘』でございます。現在、13年と4カ月経ちましたが、おかげさまでこの8月12日に、累計200万人のお客様が足を運んでくださいました。その『地球感謝の鐘』に三宅歳雄先生から頂いた言葉は、「天地に生かされ、天地に生きる」というものでしたが、「歳雄先生のお言葉を、すでに200万人の方々が見てくださった」と、今日、ご霊前にご報告できることは、私にとって一番嬉しいことであります。三宅歳雄先生、本当に有り難うございました。


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