金光教泉尾教会「大恩師親先生十年祭」



『偲ぶ言葉』

                        石清水八幡宮 宮司
神社本庁 副総長
世界連邦日本宗教委員会 会長
                            田中恆清


石清水八幡宮宮司
田中恆清師

大変高い所からではございますが、ご指名がございましたので一言ご挨拶申し上げたいと思います。三宅歳雄先生と非常に親しい諸先生方がお集まりの中で、ご挨拶の機会を与えていただきまして、親先生(歳雄先生)の御霊(みたま)に心から感謝を申し上げる次第でございます。

ただいまのご紹介では、私は「神社界を代表して」ということでございましたが、日頃から世界連邦日本宗教委員会の活動を通して、親先生(歳雄先生)とは親しくさせていただいておりました。現在は、ご令孫のお2人がこの委員会の活動に積極的にご参加いただき、さらに、会議の席ではいつも大変素晴らしいアイディアを出していただき、私どもの活動をより一層盛り上げていただいております。

今日、こちらで頂戴しました記念品の中に立派な冊子(三宅歳雄教話選集『願いひとつに』)が入っておりましたが、私はまだその最初の数ページのみを拝読させていただいただけですけれども、その中に心に残る一行がございました。それは「…生涯、一教会長としてお勤めになられた…」という言葉でございます。その中に、私は宗教者の本質を見出させていただき、大変心打たれた次第でございます。

今日は、三宅歳雄先生が神去(かんさ)られまして10年ということでございます。ひとつの節目の年であろうという風に思う訳です。平成11年の8月にご逝去なされたということですが、実は私の父(註:石清水八幡宮先々代宮司田中文清大人)が同じ年の5月に逝去いたしました。何か深いご縁も感じますし、さらに、三宅歳雄先生は明治36年のお生まれと伺いましたが、そうしますと明治38年生まれの私の父よりも二つ齢が上であります。ですので、三宅歳雄先生と私の父は、ほとんど同年代と言って差し支えないと思います。おそらく、私の父との交流も深かったであろうと思いますし、そういった分、私がここに立たせていただき、こうやって皆様の前でご挨拶をさせていただくことも、ご神縁の賜(たまもの)であると、心から感謝を申し上げる次第でございます。

世界連邦日本宗教委員会は、超宗派の宗教協力組織ですが、三宅歳雄先生には、早くから世界連邦の活動にも積極的にご参加をいただいておりましたけれども、さらに自らも「宗教協力の輪を拡げて行こう」と、世界各地に目を向けられ、さらには多くの宗教者との交流を深められ、大きな成果を上げられました。そのご遺志を継がれて、現在の三宅光雄教会長様が先ほどのご挨拶にもございましたけれども、精一杯、親先生(歳雄先生)の功績をさらに引き上げるためのご活躍をいただいているところでございます。
神職は、説教をするのが実は苦手でございまして、さらに皆様方の前でこうやってお話しするのはさらに不得手ではございますが、神社神道の代表ということでございましたので、神道のひとつの考え方をお話し申し上げ、そして、さらなる宗教の垣根を超えた交流が深まっていくことを心から念じる訳でございます。

神道の考え方の中に「中今(なかいま)」というのがございます。「ちゅうこん」という読み方もいたしますが、本居宣長がこのことについては詳しく述べております。「中今」という考え方の中には、私たちが「今、この世に生かされている」そして「この一秒たりとも戻ってはこない今この瞬間を精一杯汗を流して、惟神(かんながら)なる道(註:人的な作為ではなく、ありのままの自然体の意)に沿うように生きていこう」という考え方でございます。これはすなわち、過去、現在、未来へと繋がるいのちの繋がりの中間点に、私たちは立っている。これを次の世代に引き継ぐための努力を常に積み重ねていかなければならないという「戒め」でございます。

私どもも常にそういったことを念頭におきながら、今日は三宅歳雄先生の大きなご功績を振り返り、そして、本日お集まりの皆様方と共に、金光教泉尾教会様がいよいよご発展され、信奉者の皆様方のさらなるご多幸を心から祈念申し上げまして、大変まとまりのないご挨拶となりましたが、本日の十年祭にあたっての私のご挨拶に代えさせていただきます。有り難うございました。


戻る