金光教泉尾教会「大恩師親先生十年祭」



『閉会の辞』

                     金光教泉尾教会 総長
                            三宅善信


金光教泉尾教会総長
三宅善信師

皆様、本日はご繁忙の中、三宅歳雄大人十年祭、偲ぶ会と長時間にわたりご臨席を賜り、誠に有り難うございます。あっという間に時間が経ってしまい、閉宴の時刻となってしまいました。偲ぶ会においては、マイクを取ってお話ししていただきたい先生方が大勢居られたのですが、できるだけゆっくりお食事を楽しんでいだたきたいということで、限られた先生方にご挨拶をお願い申し上げました。

今日のご祭事では、勿体ないことですが、祭主の御用を仰せつかりました。御用をさせていただく最中、私はある言葉を想い出しておりました。『論語』の学而編だったかと思いますが、「子曰く、父在(いま)せば其の志を観(み)よ。父没すればその行いを観よ。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂(い)う可(べ)し」という言葉です。
亡祖父は、先ほどご来賓の先生方から頂いたお言葉にもありましたように、本当に、生涯一教会長、現場の教会長として困った人々の側に身を置いておりましたが、と同時に、世界のいろんな問題に取り組んできました。十年前に亡祖父が身罷(みまか)った訳ですけれども、その後、父が跡を継いで七年間、教会長の御用に就かれましたが、父はまさに亡祖父の足跡のどおりに跡を辿(たど)った方でした。

残念ながらその父も、三年前に帰幽いたしまして、今では兄が泉尾教会長を継いで、日々のお勤めをされていますけれども、亡父も兄も、亡祖父の足跡そのままに辿られていることこそが、「孝」のひとつの形ではないかと思わせていただいております。

また、ご祭事前の僅かな時間ではありましたが、ご来賓の先生方にご休憩いただいたお部屋のひとつに、二枚の額が掛けられていたと思います。ひとつは、現ローマ教皇のベネディクト16世から光雄教会長へ贈られたお祝い状。もうひとつは、朝鮮王朝の最後の皇太子妃であられます李方子(イ・バンジャ)妃殿下から兄に贈られたものでしたが、これにも同じく『論語』の里仁編にある「子曰く、徳(とく)は孤(こ)ならず、必ず鄰(となり)有り」という文言が認(したた)められておりました。

今日、こうして百数十名の先生方にはそれぞれお忙しい中―とりわけ、国会議員の先生方にとっては総選挙の投票日という大変な中―わざわざ足をお運びいただき、「少しでも泉尾教会のことを応援してやろう」という温かい思し召しを一杯賜ったと思います。

本日は亡祖父三宅歳雄の十年祭ということでしたが、これから、20年、30年ますます三宅歳雄の遺志を一丸となって受け継がせていただき、より一層の努力をさせていただきたいと思いますので、どうか先生方、今後ともご教導を賜りますようお願い申し上げまして、高いところからではございますけれども、主催者を代表いたしましてお礼の言葉とさせていただきます。有り難うございました。


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