あいにくの冷たい小雨が降りしきる1月22日の昼下がり、大恩師親先生のご布教九十年を祝う高札やバナー(幟)で飾り付けられた泉尾教会の正面参道には、全国各地から帰参する大勢の参拝者やご来賓の先生方で賑わった。
大正から昭和へと元号が変わって1カ月しか経ていない昭和2年1月24日、弱冠24歳の青年教会長三宅歳雄師(大恩師親先生)が、徒手空拳、新興工業地帯の泉尾の地に布教の第一歩を
満堂の泉尾教会会堂広前
大恩師親先生の諸宗教対話の分野における先見性と世界性については、今さら言うまでもないことである。この日も、世界各地から諸宗教団体や国際機関の代表をはじめ、国内の各宗派教団の代表ら百数十名が来賓として駆けつけてくださった。
常盤台教会長先生による前講に続いて、「御布教九十年記念大祭」が、会堂広前において午後1時半から、親先生(三宅光雄教会長)ご祭主の下、四十数名の祭員によって厳粛に仕えられ、会堂広前は、約2,000名の参拝者で満席となった。祭員着席の後、取次詞奏上、
初代親先生以来受け継がれた燈明が祭主三宅光雄教会長によって神前に供えられた
続いて、御布教記念祭讃歌『救い主降る』が六十余名の聖歌隊によって合唱され、その音楽に合わせて祭主親先生が、典礼役の若先生から手継がれた三本の蝋燭がひとつになった燭台を神前に献燈した。これは、大恩師親先生時代に始められた泉尾教会独特の儀式で、大恩師親先生ご在世中には、三代親先生(三宅光雄師)から二代親先生(三宅龍雄師)の手を経て、大恩師親先生が燭台を神前に進め、「親子孫三代揃っての神前奉仕」を象徴していたが、この日参拝した多くの教信徒の目には、親先生による「献燈」を拝して、その頃の様子が彷彿したであろう。
その後、初代三宅歳雄師の遺徳を称える『大恩師親先生報徳拝詞』が参拝者一同によって唱えられ、祭主による祭詞奏上、玉串奉奠、天地書附奉体・御神願奉唱が行われた。さらには、来賓を代表して、亀谷暁英真言宗善通寺派大本山随心院門跡・村上太胤法相宗大本山薬師寺管主、五條良知金峯山修験本宗管長、西田多戈止一燈園当番の四師が、また、参拝教師を代表して、金光元正・金光英子・白神信幸・稲垣菊雄の四師が玉串を奉奠され、参拝者総代による玉串奉奠、神徳賛詞奉唱で記念祭典を終了し、祭員が退下した。
田中恆清神社本庁総長と倍巖良舜融通念佛宗管長によるご祝辞
続いて、記念式典に移り、田中恆清神社本庁総長・石清水八幡宮宮司と倍巖良舜融通念佛宗管長・総本山大念佛寺法主が祝辞を述べられた。最後に、親先生のご先唱で天地書附奉体・御神願奉唱が唱えられた後、「この『拝める宮』を頂いて50年…。泉尾教会は『人が助かる教会』である。『自分が先にではなく、人様お先に…』というあり方が泉尾教会の信心である」という趣旨の教話が行われ、御布教九十年記念大祭は感激のうちに終了した。なお、会堂1階ホールにおいては、親先生が五百日信行期間中、50日おきに広前に掲示された祈りの言葉のパネルが展示された。
その後、会場をリーガロイヤルホテルに移し、4時半から、「布教九十年記念祝宴」が親先生の謝辞で始まった。続いて、深田充啓円応教教主・新宗連名誉会長と山田能裕天台宗大僧正が祝辞を述べ、桶屋良祐念法眞教教務総長、田中安比呂賀茂別雷神社宮司、亀谷暁英真言宗善通寺派大本山随心院門跡門主、五條良知金峯山修験本宗管長、西田多戈止一燈園当番、宮本惠司妙智會教団法嗣、平岡昇修華厳宗大本山東大寺上院院主、村上太胤法相宗大本山薬師寺管主の各師らによってお祝いの樽酒が鏡開きされた後、泉尾教会と四代にわたって交流がある西田多戈止一燈園当番の発声による乾杯で開宴した。
祝宴で謝辞を述べる三宅光雄教会長
さらに、柳本卓治参議院憲法審査会長、川端健之立正佼成会理事長、井桁雄弘大阪府佛教会会長、岡野正純孝道教団統理、宍野史生神道扶桑教管長、島薗進東京大学名誉教授、星野俊也大阪大学教授の各師らが、次々と祝辞を述べた。最後に、三宅善信泉尾教会総長が御礼の言葉を述べて祝宴がお開きとなった。
西田多戈止一燈園当番の発声による乾杯
なお、この度の御布教九十年記念大祭に合わせて、三宅龍雄教話選集の第2弾『一乃弟子』(下巻)が刊行された。