▼△ 創立七十六周年青年大会記念講演 △▼ 

『電子メディア次代の人間の生き方』 
                       
    関西学院大学社会学部 教授
奥野卓司

奥野卓司先生
6月22日、創立七十六周年青年大会が開催され、関西学院大学社会学部の奥野卓司教授が『電子メディア時代の人間の生き方』という講題で、記念講演を行った。奥野教授は、過去数千年間におよぶ人類の文明史を紐き、その都度その都度、技術革新がいかに人間の生き方に変革を迫っていったかを概説し、高度情報化社会を迎えた日本に暮らすわれわれが、今後、いかに生きて行くべきかについての示唆を与えられた。本サイトでは、本講演の内容を順次紹介して行く。

◆IT革命はもう終わったのか

 こんにちは。ただいまご紹介に預かりました関西学院大学の奥野卓司と申します。よろしくお願いいたします。本日は、伝統ある金光教泉尾教会の青年大会にお招きいただきまして、本当に光栄に思っております。少しの間、お話をさせていただきますけれども、やはり、こういう場所(広前)では、うちの大学で話す時と違って、皆さん背筋をピンと伸ばして聴いておられるので、私も緊張いたしますが、少し長い話ですし、どうかリラックスなさって、聞いていただければと思っております。

 それで、今日のお話というのは、実は、私は三宅善信先生と同じ研究会に属しておりまして、三宅先生から「一度、泉尾教会で話をしてくれないか?」ということで、お誘いを受けて、こういうことになりました。私は、情報社会学――本当は、情報の文化人類学、もしくは、情報社会の文化人類学――をやっている者です。普通の言い方をすれば「情報社会学」すなわち、情報社会のありようを研究しているのですが、そういう立場なので、やはりそういう方面のお話をさせていただくということなんですけれども……。

 そういう人間が、この泉尾教会で、「人の生き方」ということをお話しするとしたら「じゃあ、これをいったいどう名付けるのか?」ということで、たとえば、『情報社会における人間の生き方』という話も可能でしょうし、あるいは、ちょっと前までなら、よく「IT革命」と言われましたので『IT革命における生き方』という講題を付けることも可能だったんですが、そうせずに、あえて『電子メディア時代の人間の生き方』というあまり聞き慣れないタイトルを付けさせていただきました。
というのは、「IT革命」と本当は言いたいのですが、「IT革命」と言いますと、皆さん「もう聞き飽きた」といいますか、「そんなんもう終わったんちゃうの?」というふうに、たぶん思われるだろうから、「そうじゃないよ」と、あえて言うためなのでありまして、別に「IT革命の時代」ということでも結構なんですね。むしろ、そう言いたいのですけれど、今では「IT革命」という言葉は、もう誰も使いません。一時は、あれほどよく言われたんですね。一時といっても、もうずいぶん前のことです。今の内閣の前に、森(喜朗)さんが一時的に首相をされました。それから、その前が小渕(恵三)首相でしたよね。その頃から、日本では「IT革命」ということを盛んに言い出したんですね。

 なぜ、急に「IT革命」と言い出したかといいますと、1990年代の初め頃にバブル経済が崩壊して、それに前後して、ソビエト社会主義が解体してロシアという新しい国ができるという大きな出来事がありましたけれど、その間、日本はどんどんどんどんバブル崩壊後の酷い状況になっていきました。それから十年間、「景気回復、景気回復」と言っていたんだけれど、どうしようもなく、どんどん悪くなって、そのうち、このままでは「日本全体が沈没してしまう」ということで、「日本再生を何とかしなきゃいかん」ということになりまして、盛んにいろんな人たちが、その切り札として、「IT革命」ということを言ったんですね。


◆失われた十年?

 というのは、アメリカでは、それが大成功したからです。アメリカは、1990年代の前に、もっと酷い状態があったんですね。アメリカでは、1980年代が「失われた十年」と言われているんです。今、日本では「失われた十年(実際は10年以上経っている)」とよく言われていますけれど、それは、日本が最初じゃなくて、もともとアメリカで、1980年代に、「失われた十年」というのがあったんですね。レーガン政権の頃ですけれども……。今は、ブッシュ政権になってますけど、その前にクリントン政権がありまして、その前が父ブッシュ大統領、そして、その父ブッシュを副大統領にしていたレーガンが大統領だった頃のことです。

 その時代に、今のブッシュさんと同じ共和党のレーガン政権というのがあって、その頃、日本のトヨタ・日産の車がたくさんアメリカ社会の中に入ってきて、アメリカでは、「自動車(国産車)が売れない!」ということになったんです。何しろ、アメリカの主力産業である自動車がダメになってきたわけですから最悪ですね。それでもう、景気が大変悪い状況になって――私はそのころアメリカにいたんですが――デトロイトなんか、もう大変な状態でした。失業者が溢れ、「殺人の街」という形で、自動車から一歩も表通りへ出ることもできなくて、外出する時には、ビルの横に車を着けて、そこからパッとエレベーターに乗ってしまうというふうなことを、人々は繰り返していたんですけれども、それでも、そのビルだけで30人ぐらいの人が事件に巻き込まれる――はっきり言えば殺されちゃう――ということがあるような、そういう酷い状態だったんですね。なにしろ、デトロイトという街は「自動車の街」ですからね。

 そういう状態からなんとか脱却するために、「アメリカの産業構造を転換しなければいけない」というので、1960年代のケネディ大統領、70年代のカーター大統領以来、しばらくぶりに共和党から民主党に政権が移って、クリントンさんという人が『情報スーパーハイウェイ構想』というのを引っさげて表舞台に登場して、社会が変わったんですね。その頃は、今とはずいぶん雰囲気が違いまして、ソフト路線というか、アメリカは平和路線に転換して、それで、シリコンバレーを活性化させて、今までの自動車とかさまざまな家庭電化製品といったような重工業製品の生産を中心とするような産業構造から、シリコンバレーの知識集約型の産業に切り替えて、情報産業への転換を図った。そういう経緯があって、インターネットを世界に発信していくというふうな時代になりました。これでアメリカは再生しました。IT革命で再生したわけですね。


奥野卓司先生の講演に
熱心に耳を傾ける青年会員たち

 10年遅れで、今度は日本の経済がダメになっちゃったんで、「そのパターンを真似したらええやろ」と言うことで、盛んに「IT革命、IT革命」と言い、「IT革命によって日本再生を!」ということが言われたんですね。どういう人たちが言ったかというと、エコノミスト、つまり、テレビなんかでよく経済について論じている人たちです。その代表格というのが、現在、金融・経済財政担当大臣をやられている竹中(平蔵)さんですが、ああいう方が、一生懸命言われたんですね。ところが、今では、竹中大臣も、ITなどと一言もおっしゃいません(会場笑い)。時々、バイオの話はされるようですけど……。もうすっかりITは忘れられて、「バイオだ」とか、「ナノテクノロジーだ」とか、そっちのほうでなんとかという話ばかりで……。それも、実は、ITと同じことで、「本当はもうあかんのちゃうか?」というふうな話になっているわけですね。


◆ユビキタスって何?

 それでは、IT革命が目指していたような技術革新がダメになってしまったのかというと、そうじゃないんですね。ここ(註=講題)に書かれてある、「電子メディア時代」とか「IT革命」とかという言い方よりも、この頃、そちらの世界では『ユビキタス時代』と言われるようになりました。僕にも、この頃は、そちらのほうがリクエストが多くて、「ユビキタス時代とか情報家電とかで話してくれ」と言われるんですね。明日も大阪産業創造館で、シンポジウムがありまして、マイクロソフトのビル・ゲイツあたりと一緒にやっていた日本人で、西和彦さんという方が関西におられますけど、彼らがシンポジウムをやる。それも『ユビキタス時代の未来』という題なんです。

 ですから、技術系の人たちの間では、まだ、ユビキタスになんとなくバラ色の夢があるようです。「ユビキタス」というのは、古代ギリシャの神様だそうですけれども、これは汎神教なんですね。「そこらじゅうに神様がある」ということで、要するに、この場合、神様はコンピュータで、そこらじゅういたるところにコンピュータがあって、人間は手ぶらでそこへ行くだけでよい。今は、自分のコンピュータを持っていかなければ他所でも使えませんけど、だんだんウェアラブルといって、例えば、皆さん携帯電話をお持ちのように――携帯電話もコンピュータの一種なんですけども――そうしたコンピュータを体中に身に着けている。服の中にコンピュータが入るようになってきて、「ウェアラブル(着ることができる)の時代」になってくるそうです。

 その次に来るのが、そういうコンピュータすら持っていかなくても、そこに常にコンピュータ的な環境があって、ネットワークに接続しているという世界です。これが本当に夢なのか、本当に良いことなのかということは、僕には判らないんですけど、まあそれを理想とする人たちがいて、「ユビキタス時代」とよく言われるんです。そうすると、これが良いことか悪いことかはともかくとして、技術的には進歩しているわけですよ。だから、技術的にはまだまだやれることはあるし、やることもあるはずなんですね。


◆結局は、金儲けにしか関心がない

 ところが、「IT革命」ということは、もう言われなくなったでしょ。それは、もしIT社会が実現したって「そうたいしたことはない」とか、「日本が再生するポイント(パワー)にはならない」というふうに思われているからです。技術的には、日進月歩で進歩しているのに、なぜそれが日本を蘇(よみがえ)らせるというか、元気づけることにならないのか? ないしは、かつては「バラ色のIT革命」と言われていたのに、なぜそれがダメになっちゃったのか? それは、技術的な原因や技術的な停滞ではないということは、先ほど申し上げたとおりなんです。

 他にも、さまざまな証拠を挙げることはできますけど。先ほども申し上げましたように、それ(IT革命)を盛んに言っていた多くの人たちは、ひとつはもちろん、技術の側面から、「これからの技術は素晴らしいぞ。マルチメディアになるぞ。デジタル時代が来るぞ」とかいうふうな形で、盛んに言ってきた技術系の人たちがいるわけですけれど、よく考えてみると、「(IT革命によって)日本再生。日本再生」と言っていた人たちは、実は、「これやったら儲(もう)かりまっせ!」ということだけだったんです。

 つまり「IT革命やったら儲かりまっせ!」ということを言っていた。だけど、結局、儲からなかったわけですよ。IT革命にとって必需品である機械、つまりパソコンをどんなに造ったところで、それは、どんどんどんどん安くなっていくわけですよね。まだ、皆さん一人ひとりにとっては、パソコンは高いものだけれど、実際に造っている側からすると、開発費なんかから比べたら、むちゃくちゃ安くなってしまっている。

 今、会場で三宅善信先生がデジタルカメラで撮っておられますが、あのデジタルカメラは、ちょっと前まではめちゃくちゃ高かったんですけど、先生がお持ちの機種はいくらくらいのものか知りませんけれども、おそらく、わずか2〜3万円ぐらいじゃないですかね(会場笑い)。それくらいで誰にでも手に入る。しかし、物凄く高い技術を使っているわけです。小型のデジカメを造るために……。それが、すぐ2〜3万になり、もう1年ぐらいすると、すぐ1〜2万円になっちゃう。どんどんどんどん安くなって儲からなくなってしまう。

 それはなぜかというと、日本でしか造れなかった物が、ご存知のように、近頃では、アジア、特に中国等でどんどん生産できるようになってきているからです。だから、今まで日本でしか造れなかったコンピュータ関連のさまざまなハイテク製品が、どんどん日本以外のところで造られるようになって、そうなってしまうと、アジアの諸国と比べると日本の会社員(サラリーマン)の給料は高いですから、コスト的にはとても太刀打ちできなくなって、輸出できなくなる上に、日本人自身が中国で造^nられた安い製品をどんどん買うんで、同じようなMade in Japanの製品とMade in Chinaの製品を出すと、ぜんぜん価格の点で勝負にならないわけですね。


▼日本の何が「失われた」のか?

 その対抗策として、「じゃ日本はもっと高度なものを造ったらええやないか」ということになるのだけれど、実は、アメリカがそこのところはほとんど押さえておりまして、日本中のどのパソコンを見ても、入っているのは、ほとんど米国製のマイクロソフト社のソフトウェアです。これは『Windows』に代表されるようなソフトウェアですね。日本語のワードプロセッサのソフトウェアですら、昔はみんな、日本製の『一太郎』というのを使ってたわけですけども――その前は『松』というのを使ってましたけど、もう『松』なんて、存在したことすら、ほとんど知られておりません――その『一太郎』も、ほとんどマイナーな存在になってきまして、今ではほとんどの方は『Word』を使っている。人によっては「『Word』しかワープロソフトはないんやろ」と思っている方もおられると思うんですね。『Word』は、日本語のソフトウェアなんだけれども、日本の製品ではなくて、アメリカのマイクロソフト社の製品なんですね。

 その他、さまざまな基本的な技術は、ほとんどアメリカに特許で押さえられてしまっている。ということは、たとえ日本の工場で製造しても、利益は全部、最終的にはアメリカに持って行かれる。さらに、その研究開発をどこでやっているのかというと、多くはイスラエルでやっているわけですね。だから当然、アメリカの知的産業に関わっている人たちは、ユダヤ系の会社が多いんですけども、多くはそのような形で、アメリカやイスラエルがお金を得ていくということになっているんです。だから、日本は、アメリカの製品を造るための「単なる現地工場のひとつ」になっているだけで、しかも、いくら工場の生産性を上げ、あるいは効率化したとしても、中国に負けてしまうので、結局、そんなパソコンやなんかで勝負してても、また、実際にどんどんITが社会に普及していっても、日本にとってはほとんどメリットがない。結局は「何のメリットがないのか?」と言うたら、「金儲けにならへん」ということですよ。

 だけど、本当に「IT革命」というのは、お金儲けの話だったんでしょうか? 先ほども言いました「失われた十年」ということですけれど、この「失われた」ということは、いったいどういうことなんでしょうかね? 私たちは、日にち日本の社会の中で生きているわけですよね。でも、別に「日本が失われている」わけでもないんですよね。確かに、今日、日本の経済力はかつてほどなくて、バブルの時には、ニューヨークのマンハッタンの目抜き通りのビルは、ほとんど日本のものだったのだけど、今はそうじゃないわけですよね。9月11日のテロ攻撃が行われた世界貿易センタービルも、かつては日本(の会社の所有)のビルだったんだけど、今はそうじゃないわけですよね。逆に、今、大阪の街のそこここの価値のありそうなビルは――もちろん、既に空き部屋になっていて、それ自体に価値がないということになっているビルもたくさんあるのですけれども――たいてい外国資本が入っているというふうな状況で、確かに日本の経済力は低下しているわけですよ。

▼そもそも「革命」とは何なのか?

 だけど、「経済力が低下している」ということが、即、「日本が駄目になった」ということなんでしょうかね? そしてまた、IT革命というのは、そういう意味で、経済的に駄目になっていたものを、もう一回活性化させるという意味なんでしょうか? そもそも、「革命」というのは、決して、経済のためにあるわけではないんです。IT革命が本当に「革命」であるとしたら……。「革命」とは、「Revolution」ですよね。「レボリューション」の意味を辞典で引いてみたら、単なるeconomic change(経済の変化)じゃなくって、これは、social change(社会の変化)であって、「価値観のチェンジ」つまり「社会変化」と書いてあるわけです。

 しかし、この「社会変化」の前に、もうひとつ形容詞が付いていて、fundamentalという言葉が付いていたり、あるいはradicalという言葉がついているんです。両方ともよく似ていますけど、ファンダメンタルというのは「根本的」にということで、ラディカルというのは、時々、誤解されて「過激な」と訳されちゃうけれども、「根本的な変化」のことです。根本的な社会変化というのは、決して経済の変化だけじゃありません。根本的な社会変化というのはどこに現れるかというと、普通の人々の日常生活とか価値観に現れるんです。それは本日の講題にさせていただいている「生き方(=Way of Life)」ということですね。文化人類学という学問をしていると、「文化って何ですか?」とよく聞かれるのですけど、「文化」イコール「Way of Life(=生活のあり方)」です。

 つまり、一人ひとりの生き方ということなんです。したがって、革命っていうことは、単に、お金が儲かっていなかったものを儲かるようにするとか、あるいは、今までお金が儲かってなかった人がお金が得られるようになるとかという類の話ではなくて、生活がこれまでの時代とガラッと変わってしまうということです。現に、かつて「革命」と呼ばれたものは、すべてそうだったわけですよ。

 皆さんよくご存知の「フランス革命」がそうだったのと、例えば、日本語では「革命」になってはいないけれど、「アメリカの独立戦争」と言われてるやつですね。あれは、英語では「American Revolution(アメリカ革命)」と呼ばれていますが、日本語では、なぜか独立戦争と訳されているのが不思議です。同様に、アメリカの「南北戦争」も「Civil War」で、やはり「市民革命」なんですよね。なぜか日本語ではこういうふうに訳されてしまっているんですけど……。実はアメリカにも革命があったのです。アメリカは、イギリスから独立したのです。誰が独立したのかといったら、ヨーロッパで迫害された、特にイギリスで迫害されていた清教徒(ピューリタン)たちが、自分たちの生活の場を求めてアメリカへ渡って、そこで、宗主国であるイギリスと独立戦争をしたということですね。これに成功したから、独立革命が成ったわけです。

 こういうふうな政治的な革命は、もちろん、政治の形態を変えるだけじゃなくて、政治を変える前に、人々の生活を変えます。それは、何らかの形で、人々に「自分たちはこういう生き方をしたいんだ」という考え方があって、それを実現するためにやるわけです。過程としては当然、「戦い」ということになりますけれど、最終的には「生活の変化」を目指しているわけです。

 その証拠に、「革命」と言えば、政治的な変化だけではなくて、他の分野の革命というものもある。皆さんが一番よくご存知なのが「産業革命」です。劇的な経済的・社会的変化としての「産業革命」は有名ですけど、それと同じような類の革命として、別に産業革命だけがあったんではなくて、ずっと大昔には「農業革命」というのがあったんです。「農業革命」で何が起きたかというと、農耕によって人々が生きていくような社会が実現したんですね。

▼近代社会を生み出した産業革命

 じゃあ、「農業革命」の前は、人々はどうしてたのかというと、これは世界共通で、みんな採集・狩猟の生活をしてたのです。もちろん、農業革命の起こった社会もありますし、起こらなかった社会もある。それから、産業革命の起こった社会もあるし、起こらなかった社会もあるわけですけれど、ともかく、われわれ人類は皆、はじめは採集・狩猟の生活をしていたんですね。それが、今から五千年ぐらい前に、オリエントで植物を栽培する。つまり、穀物を栽培するという技術が広範に起こって、日本だと縄文時代から弥生時代になって稲作農耕が拡がるというのと同じようなことが、もっと以前に、西アジアの一角で起こって、それが世界に拡がっていくわけですね。これが農業革命です。

 その農業革命から数千年を経て、もう一度、18世紀の後半から19世紀にかけて、イギリスを中心にしてヨーロッパから、だんだんと蒸気機関をはじめとする工業化がはじまって、工場で物を大量生産をして大量消費する社会が訪れたんですね。これが「産業革命」です。「産業革命」は、本当は英語の「Industrial Revolution」の訳なんで、日本語で「産業革命」というと何か商業とかも含むように思いますけど、industryは工業ですよね。結局、それまでの農耕が中心となっている社会から、工業が中心となった近代社会に生まれ変わったということです。

 その過程でどのようなことが起こったかというと、先ほど言いましたように、よく「産業革命」というと「蒸気機関が導入された」と言われる訳ですけど、蒸気機関が導入されても、何も新しいことは起こらないわけですよ。蒸気機関というのは単なる技術ですから……。本当に大事なことは、イギリスの田舎で、農民として働いていた人々――その人たちは、村という暮らしの組織を持っていて、そこを中心にして働いていたわけですけども――が、どんどん都市に出て来て、その都市に人々が引き付けられていくようになった。そうすると、もう既に自分たちが生活の中心にしていた村、それぞれが中心としていた畑から離れてしまいますから、自分たちは生活のための手段を持たないことになります。当然、工場で働かなければいけなくなって、蒸気機関と共に、蒸気機関を使って働くような工場労働者になっていきます。技術として最初に導入されたのは蒸気機関ですけど、ここでは人々の生活は大きく変わっているわけです。

 それまで、農村で農業中心の生活をしていたのが――農業中心の生活ということは、ほとんどそこで食住がこと足りています。よそへ行かなくても、自分たちで物を作り、住むところを作って、そこから離れなくても生活できるというふうな状態です――これが産業革命が起こって、工業社会になると、そうした自分たちがもともと生まれ育った土地を離れて、都市に出て行って、そして、自分の生産手段じゃなくて、どこかにお勤めをしてそこで働くという生活のスタイルが生まれたわけです。これはもの凄く大きな生活の変化です。単に蒸気機関という新たな技術が生まれただけではありません。そうすると、単に「生活が変わった」というだけでなくて、「本当にそれが望ましい生活であったのか?」といったら必ずしもそうじゃないわけです。

 現代人の感覚で、自給自足の農村生活についてお聞きになったら、「えらいしんどいこっちゃな」と思われるかもしれません。しかし、「自分が生まれ育ったところで農民として生活をする」それは、われわれから見たらすごく退屈なことのように思えるかもしれませんが、それなりに自然に生活できるわけですよね。生まれ育って、自分たちの親が行っていることを見よう見真似でだんだん大きくなってきて、それも身に付いて、その通りのことをやっていれば、またそれなりに一生が送れて、自分たちが生んだ子供たちもそれなりに同じ生活を続けていくということが、普通に行われているわけです。何かよほど特別なことがない限り、自分が生活に困るということはなかったはずです。
確かに今から見ると、都市の生活のほうが面白いように思うんですけれども、それはそれで大変なことで、最初に都市に出て行った人たちは、まず見たこともない蒸気機関の前に立たされて、「ここでおまえたち働け」と言われても、本当に困ったことでしょう。今まで鍬や鋤を持っていた人たちが、突然「蒸気機関の前で働け」と言われても、働き方が判りません。そこで、それ(操作)の勉強をしなければいけない。田舎にいてたら、ぜんぜんそんなこと勉強しなくてもよかったのに、わざわざ勉強しなくてはいけない。そして、慣れないものの前で、一所懸命決まりきった労働をやらなければいけない。それをもう少し戯画化したのが、チャップリンの描いた『モダンタイムス』という映画ですよね。ああいう生活が始まっちゃう。だから、産業革命といっても、今から思うと、もの凄く必要なものだし、私たちの今の豊かな生活を実現させてくれたのも産業革命ですけども、しかし、その産業革命当時の人たちにとって、産業革命は、薔薇色のものだったかというと、必ずしもそうじゃない訳ですよね。

▼革命の渦中の人は幸せではない

 これは、後世に残っているわれわれから見れば、産業革命がないと、人類はこれほど進歩しなかっただろうし、その意味でも必要なことだった。だけど、そこに生きている当事者、その革命の中心の人々にとっては、必ずしも幸せだったわけでないんですね。だから、革命というのは、政治的な革命にしても、社会的な革命にしても、経済的な革命にしても、「これを果たせば幸せになれる」と、少なくともその当事者が幸せになれると約束されているわけではない。必要なことは、単にどこかで何かが変わっているということではなくて、われわれ自身がそういう変化の渦の中に否応無しに巻き込まれているということです。そして、それが、非常に劇的に、急激に起こっていることで、今までとまったく違った生活の形がわれわれの前に現れてきているということなんですね。

 もうこうなると、私たちはこの新たな生活を始めないと、ますます非常にまずいところに追い込まれていくわけですよ。これが「革命」ということの意味です。日本でも、IT革命について、これまでいろいろ言われてきました。しかし、革命というものはそういうものじゃないんです。ところが、僕らはただじっとしていて、とりあえずコンピュータぐらい触れたら、「IT革命がうまく進展していったら、僕たちにも良い仕事が来て、楽にしてて儲かって、日本全体が経済的に蘇りますよ」という類の話ばっかりなんですよ。これは一種の「打出の小槌論」ですよね。

「ITという打出の小槌を振ったら、みんな幸せになれる」という話なんです。だけど、こんな打出の小槌はあるはずがないんです。IT革命の中で例えれば、「電子時代」ということが言われて、今も電子時代というのはどんどん推進はされています。お役所にはどんどんコンピュータが入るようになりました。「政府が率先してやらなければいけない」ということで、官庁が大型コンピュータをたくさん調達して、光ファイバーを積極的に導入して、お役所はもうコンピュータだらけです。現にその結果として、日本には33,000の自治体(市町村)があるんですが、村のレベルも含めて……。(地方自治体を所管する)総務省のホームページがありまして、その総務省のホームページにリンクして――リンクしてというのは、あるホームページから他のホームページへ簡単に移れるように連結するということです――各自治体のホームページを全部連結しているんですね。だから、総務省のホームページを見ると、たとえそれがどんな小さな村であっても、ホームページを掲げている村でさえあれば、その村のホームページを見に行くことができます。日本全体では33,000くらいの自治体があるはずですけれど、それの4分の3くらいはホームページを出しているんです。

 ですから、日本の行政の情報化だってこれだけ進んだ訳です。ここだけ見るとね。だけど、皆さん方が、役所で実際に何か書類を貰おうということになると、たいていは、自分の住んでいる地域の区役所に行ったり、場合によっては、区役所に行っても駄目で、「この書類はあなたの本籍地へ行って取りなさい」とか言われて、昔と同じように、窓口に備え付けの書類に手書きで書き込んで、それで判子を持っていかなかったら、「判子が要る」(会場笑い)と言われて、何度も足を運ぶことになる訳ですよ。
例えば、草野球のために「どこかのグランドを借りたい」ということになったら、それはそれで書類を取りに行かなければいけない。その時には、どこかの公民館に行って手続きをするんでしょうけども、そうすると、「これは住民票が要ります」だの「証明書が要ります」だのといって、それがなければ、また区役所へ取りに行かなければいけないということを繰り返す訳ですよ。

 電子時代と言っているのは、どうもこういうことじゃなさそうなんですよね。まあ政府が言っているところでは、究極的には、家のパソコンから全部そういうことができてしまう。そこで、「いずれは判子も要らなくなって」というのが、謳い文句になっているのですけれど……。パソコンをやってる方は良くご存知だと思うんですけれども、この頃、コンピュータを使った印影(判子)の偽造が問題になって、銀行やなんかで、自分の預金が誰かに勝手に引き出されたりして、驚いてしまうということが相次いでいます。あの手の事件はもちろん、三文判なんかを使っているからということもあるんですけれども、たとえ、上等の判子でも、コンピュータのスキャナ機能を使ってそっくりなものが作れる訳ですよね。判を押した紙が一枚でもあれば……。だから、「盗まれるほうが悪い」というよりも、もはやこの時代に、判子をあくまで個人の認証の中心にしているほうが悪いんですけれども、未だに銀行でもそうですし、お役所でもまだそうなんです。

 そこで、これからは、そういうことじゃなくて、別の認証の方法を、私本人であるという認証の方法を確実にすることによって、家のコンピュータからでも、何処からでも様々な手続きができるようにするというのが、電子時代の究極の姿らしいんですけれども……。現実はもっとそこから遠いですけれどもね(会場笑い)。現に、設備としては、あるいは技術としては、お役所はそれができる体制にある訳ですよ。だけどそうならない。それは何故かというと、お役所の仕事の仕方が昔のままだからですよ。そこに、道具としてコンピュータが入っているだけなんですよ。


▼電子政府のお寒い現状


 だから、実際に、自治体のホームページを見まして、例えば、「SARSの対策はどうしているんですか?」ということを聞くとしましょう。SARS対策について恐らくホームページにいろいろ書いてあるでしょうが、「この場合はどうしたらいいんですか?」というふうなことや、「台湾の友達に会いたいんだけどどうしたらいいんですか?」ということを具体的に聞きたいとします。そうすると、お役所でホームページを担当されている方は、当然、返信メールを出されると思うんですよ。そのメールをそのまま保健課・厚生課といった担当の部署へ転送してくだされば、当然、すぐに質問に対して回答を返してくれるはずですよね。

 ところが、多くの自治体では、そうはなっていません。ホームページを開設しているのは、お役所の中でも、広報課とか情報なんとか課という部署が担当されているんですよね。だから、まずそこに、市民の方からのメールが行きます。そして、その課のスタッフがメールを読みます。だけど、広報課は保健とか厚生のことを答える立場にないでしょ。自分で勝手に答えることはできません。そこで、そのメールをプリントアウトして、これを今までどおり、とっとことっとこと保健の部署に持っていくんですよ(会場笑い)。保健の部署に質問の文書が届いたら、実は、その人にも、役所内にメールアドレスがあるのだから、その担当官が直接メールで返事を打てばいいんだけど――この頃は、高校生でも中学生でもメールを打っている――お役所では、その人は、仮に普段は自分でメールを打っている人でもそうはしません。そこにメモを書いて、あるいはワープロを打つなりしていますけれども、それをメールで送るのではなくて、広報課の担当官の所へとことことことこと持って行く訳です。そして、その広報課の担当官はそれを見て、最初にメールを出された一般市民の方に返事のメールを打たれる訳です。

 まだ、これでも早いほうなんですよ。お役所というところは、個人では答えてくれません。しかし、メールの世界は個人の世界です。この青年大会でも、確かに僕は、金光教泉尾教会から講演を頼まれた訳で、僕自身もそうお答えした訳ですが、具体的には、三宅善信先生から僕に個人的なメールが来た訳です。で、僕は、奥野卓司として三宅先生にお応えのメールを出したんです。こんなふうに、僕たちの世界はあくまで個人の世界。だけど、お役所の世界は、組織対市民の世界ですから、こういうふうには答えられないんですよ。だから、なかなかそんなふうにすらいかない。そうすると、やっぱり相変わらず、書類に書いて判子を押して、窓口から提出させて、お役所からの回答を待ってという世界が延々と続いている訳ですよ。これでは、設備的にはIT革命は推進されたとしても、仕事の仕方は今までと全く何も変わらない。

 このような例は、お役所のことだと割合言いやすいんですけれどもね。決してお役所だけを笑っていることはできないんですよ。私たち一人ひとり、具体的には、企業の世界でも、ビジネスマンの世界でも、IT革命の前と後で、何かものすごく劇的に、生活とか価値観が変わったとか、やり方が変わったということはない。電気通信の技術としては、いろいろ工夫はなされているけれども、決定的ではないんですよ。例えば、最近は、「一般社員が直接社長にメールを打てるようになった」というふうな会社が確かにありますよね。だけど、それだけでいいんでしょうか? 先ほども青年会員の方が体験談をされましたが、会社というのはどんどん厳しい情勢になっている訳なんですよ。だから、どんどん「製品を売れ!」とか、「仕事を効率よくしろ!」とかいう話になっている訳なんですよ。これはね、どっちかと言うと、本来、情報社会が目指していたIT革命のあるべき姿とは、実は逆の方向なんですよね。


▼本当に工業社会は終わったのか

 なぜそんなことが言えるのかというと、情報社会というのをもう一度、考えてみればよく判ります。情報社会は、何故これまでの工業社会と違うのか? つまり、工業社会というのは、先ほど申しました通り、産業革命によって、農耕社会から工業社会へという変化が起こったんですね。それは、日本ではだいたい「明治維新」のことだと考えていいと思います。「明治維新」という言葉になっていますが、あれは政治的な革命でもあり、産業社会的な革命でもあるんですよ。日本における「産業革命」というのは、明治維新のことで、世界中で起こった産業革命のひとつのモデルとして、「産業革命の日本版」だと考えていいと思うんですよ。それ以来、ずっと百何十年が経過して、ここ(現在)まで来て、今日IT革命というものがあるとすれば、日本で言えば、明治維新と同じようなことが劇的に起ころうとしているということですよ。明治維新に例えれば、江戸時代のお侍さんたちが丁髷(ちょんまげ)を切った。それだけではありませんよね。普通の町民も村人も、それまでの生活とはガラッと変わった生活を始めた訳ですね。


それと同じことが今起きているか? と言えば、決してそんなことはない訳ですよ。だけど、もしIT革命が本物の革命で、工業社会が情報社会に転換しているとすれば、それぐらい大きなことが起こらなければいけないはずです。つまり、生活とか、われわれが考えてる価値観、すなわち何に価値を置くかというレベルで、そういうことが行わなければいけないはずです。


▼大量生産、大量消費、大量廃棄

これは何かと言うと、情報社会です。情報という言葉が付いているように、今までの工業を中心として考えてきた社会、工業を価値観の中心として考えて来た社会、工業生産を高めて行きさえすれば私たちが豊かになれるという社会から、そうではなくて、情報に価値を置いた社会ということです。これはどういうことかと言ったら、工業が作り出すものは「物」なんですよ。蒸気機関ができて、それからさらに電気を使うような機械ができてですね、これは何ができてきたかと言うと、「物を大量に作り出す」というしくみができてきたということなのです。その物を大量に作り出すと、当然、大量に作り出したたくさんの物を受け取ることができますから、その物をたくさん使うことができるようになる訳ですよね。大量生産は、単に大量に生産できているのではなくて、大量消費ということも生み出す訳です。

 「青年大会」と言いながら、本日の会場には、結構、僕と同じくらい、あるいはそれ以上の年輩の方も大勢いらっしゃるので、この話はお解りいただけると思うんですが、僕たちが子供の頃というのは、こんなに物はなかった訳なんですよ。僕が子供の頃には、電気冷蔵庫というのはなかったですし、電気洗濯機もなかった訳ですよ。普通に石鹸をつけてたらいで洗濯をしていました。それから、冷蔵庫には(氷屋さんで氷を買ってきて、その)氷を入れて冷やしていました。だけど、その前の時代だと、そんな冷蔵庫すらなかったと思うんですけれどもね。

だけど、急激にこの30年か40年くらいの間で社会がこれだけ電化してきて、家電製品だけではなくて、さまざまな物が私たちの周りに満ち溢れるようになった訳ですよね。これは、まさに大量生産そして大量消費のおかげなんです。工業社会の成果が私たちを豊かにしたことは事実です。「豊かさ」というのは何を基準にするのかというのは難しいですが、「豊かさ」が、必ずしも「幸せ」であるということではないですけれども、とりあえず、物質的には私たちの生活を豊かにしてきたということは、否定できない事実です。

だけど、IT革命が意味しているのは、「そういう時代は終わりましたよ」ということなんです。つまり、それは何かと言うと、「大量生産・大量消費の世の中の仕組みはもう終わったよ」ということなんです。その傾向は、実はもう、今から30年くらい前の1970年頃からほぼ芽が見えてきたんですよね。それまでは、ともかく大量生産をして、例えば「3C時代」(註=カラーテレビ、クーラー、マイカーといった耐久消費財が各家庭に普及した時代)だとかいう時代を経て、人々の間に必要なものはほとんどゆきわった。これはもちろん、先進国の話でですよ。大多数の人々がほぼ同じような生活をするようになってきた。

ところが、実はそれらと共に、水俣病をはじめとする公害問題が起こったり、オイルショックのような資源問題が起こったりしてきました。もちろん、オイルショックは、あくまで中東諸国の石油戦略によって起こったんですが、オイルショック自体はそんなに大した危機ではありませんでしたが、このことによって、「地球資源的には、このまま原油を掘り続けたら、そのうち石油資源は枯渇してしまう」という意識を人々に植えつけました。それだけではなくて、地球環境そのものの問題になってきている。さらに、大量生産・大量消費とはいっても、大量生産したものが、大量消費で全部なくなってくれたらいいんだけど、実は全部なくなりはしないんですよね。どうしても滓(かす)が残ってしまう。そのうち、そっち(滓)のほうが多くなって、廃棄物が増大してくるいわゆる(ごみ)処理の問題が起こってきたんです。これらの問題については、当時は、まだどちらかと言うと、そういう世の中の進歩に自信を持つ人々が、科学的解決法を主張していた訳ですよ。


▼成長の限界

ところが、1970年代くらいになると、そうでなくなってきたわけですね。例えば、生物学者のレイチェル・カーソンという人が、『沈黙の春』という作品を発表して注目を集めました。これは、「春になっても、春は来ない」という話なんですよ。それだけではなくて、経営者の側でも、ヨーロッパの経営者の団体に『ローマクラブ』という団体があるんですが、これは日本で言えば、経団連のような団体です。このローマクラブが、『成長の限界』という説を発表しました。つまり、経営者の側から見ても、「このやり方を続けていたら、経済そのものが駄目になっちゃうぞ」ということなんですよ。つまり、このまま「大量生産・大量消費」の仕組みを続けていたら、どんどん環境破壊が起こって、それからさらに産業廃棄物が多くなって、なおかつ資源が枯渇していくと、工業生産自体もできなくなっちゃうと……。

それだけではなくて、経営者自身が考えたのは、工業社会のトリックというか、これもやはり大量生産・大量消費で成り立っている訳なんです。生産されたものは必ず買ってくれなければ困る訳なんですよ。ところが、消費者が、だいたい(たいてい)の物(耐久消費財)を持ち出すと、物が売れなくなっちゃう訳なんですよね。消費者が物を買わなくなっちゃうから。そうすると、生産しても売れない状態が起こり、デフレが来るようになって、経済が縮小してしまう。今日の不況というのは、根本的な原因はここにある訳なんですよね。不況の原因がいろいろ言われているけど、銀行の不良債権処理とか、いろんな施策を打つのですけれども、根本的には、日本の社会が不景気から立ち直り得ないのは、自分自身の生活に立ってみれば解るんですが、この日本社会を決定的に変えるものはない訳なんですよ。

僕が子供だった頃には、父親がボーナスの時には、必ず新しい電化製品を買いました。年に2回は「新しい電化製品が来るぞ!」ということで、次は「カラーテレビが来るぞ!」とか、「クーラーが来るぞ!」ということを楽しみにしていた訳ですが、ところが、今では、もう次に「買おか?」というものは何も無い訳なんですよ。僕は最近、空気清浄器を買ったんです。最近、部屋でタバコを吸うと、煙ったくなるんです。これはまたおかしなことで、僕は普段あまりタバコを吸わないということもあるんだけれども、自分のタバコで自分がむせるんですよね。それで、空気清浄器でも買って、確かに室内の煙は少なくなっているはずなんですが、よく考えてみると、これなんか根本的な生活は何も変わらない訳なんですよ。電気屋に行ったら、空気清浄器がたまたまあったんで、「これまだ持ってないな」と思って買っただけです。

その前は、トイレがシャワーになるやつ買いました。それから、たまたま今、僕一人で生活しているもんだから、これは必要に駆られて、とりあえず、自動食器洗い機というのを買いました。しかし、これらの電化製品は、別に無くても生活できる訳なんですよね。空気清浄器なんかその最たるものですよ。でも、冷蔵庫とか洗濯機というのは、基本的にはわれわれの近代生活に必要なものです。だけど、空気清浄器は必ずしも必要じゃない。無かった時の僕の生活と、今の僕の生活と、何ら変わりはない訳なんですよ。ほとんど部屋の中も変わっていない。

もうそんな物しか「買おか?」というものは残っていないでしょ? しかも、そんなもん「買おか?」とは、本当は思っていないんですよ。皆さん、今、本当に欲しい物が有りますか? このことを、自分一人ひとりの生活に考えてみれば、ここに来て、日本の不況というのが、今、行われているようないろいろな経済政策で解決するはずがないということが解るはずなんですよ。これは、そもそも、「物が売れなくなって困った」という考え方を変えない限り、私たちは豊かになれないということを意味しています。物をたくさん作って、それを大量に消費していくという生活。「大量消費をどんどんすることが幸せだ」という考え方を止めなければいけない。それが、まさに「工業社会から情報社会へ」と展開していくというIT革命になっていくということなんですよ。


▼モノからコトへの転換が必要

現に、IT革命が起こって、パソコンが一人1台ずつ普及し、光ファイバーが各家庭にまで普及するようになりました。でも、少しも豊かにならなかったでしょ? それは単に、中国で安いものが作られるからということではありません。もし、最大限売れたとしても、日本の総人口以上は売れない訳でしょ。大量生産の仕組みが進めば進むほど、コンピュータ技術が進めば進むほど、どんどんどんどんと製品ができるようになる訳ですから……。コンピュータ技術は、そもそも効率性を目指しているシステムですから。効率性を目指していった極限が、自らの効率性によって自らの効率性をなくしてしまう訳ですから、皮肉なものです。まず、イギリスで農業社会から産業革命で工業社会に移った。しかし、これは何も農業社会が駄目になったから工業社会に移った訳ではないですよ。逆に、農業社会が大成功したから工業社会に移ることができたんです。

つまり、ちょっと難しい話になりますけれど、例えば、食べ物が少ない時代には、食べ物がものすごく価値があります。だけど、食べ物の生産が成功して、人々が必要な量よりももっと多くの食べ物を作れるようになったら、食べ物の生産は意味が弱くなるんですね。だから「別のものを作らなければいけない」ということで、産業革命が起こったんです。イギリスで産業革命が起こったのは、農業が失敗したからではないんですよ。だから、私たちの社会も、ものづくりが失敗したから、今、日本の経済がうまく行かなくなっているのではなくて、あまりにも「ものづくり」が成功してしまったから、その先には、もう「物は要らなく」なってしまうんです。その極致がコンピュータなんです。コンピュータというのは、そのための機械なんですから……。

そうすると、コンピュータ自身が受難する番で、コンピュータ社会が進めば進むほど、コンピュータというハードウェアそのものは要らなくなってくる。そこで必要なことは、インターネットにとって大切なことは、どういう内容を送るかという話になってくるんですよ。これも、仕事の効率化とか、生産の効率化ということではなくて、まさに僕たちの心を豊かにすること、豊かさをもたらすという内容をお互いに双方に送り合うということになるのですね。つまり、「モノからコトへ」と社会の価値観は変わり、生活は変わっていく。そうなってくると、産業の目的も、今までの「物の大量生産」ということではなくて、目的とするものそのものが、例えば、癒しだとか、遊びだとか、学びだとか、あるいは楽しくすることだとかというふうな方向に変わらざるを得ません。そこにしかもう価値はないんですから……。そう考えると、「宗教」というのは、根源的に情報産業なんですよね。


▼真ん中で媒介するのがメディア

「メディア(media)」という言葉がありますよね。本日の講題にも『電子メディア時代……』とか書いてあると思うんですけれど……。その「メディア」のメディアです。テレビも電話も「メディア」です。実は、「メディア」という英語は複数形なんですね。普通「メディア」という言葉は英語では使いません。「メディア」の単数形は何かというと、これは皆さんよくご存知の言葉なんですけれども、普通は思い付かないんですが……。「ミディアム(medium)」という言葉なんですね。「ミディアム」というのは、ステーキ屋さんなんかでお肉の焼き加減を言う時に聞きますよね。「どのように焼きますか?」とか聞かれて、たいていの場合、面倒くさいから「ミディアム」と答えますよね。ミディアムというのは、生肉でもなく、焼き過ぎたのでもなくて、真ん中という意味ですよね。

ですから、メディアという概念はそういうことで、「真ん中」とか、あるものとあるものの「媒介をしている」という意味です。だから、われわれは今、メディアというと、すぐテレビとか電話とか、そういう近代的なものを思い浮かべますけれども。実は、そういう物が無かった時代に、メディアはなんであったのかというと、これは、例えば、西洋で言えば、神父さんとか、宣教師とかそういう者を言ったんですね。それより以前はもっと呪術師(じゅじゅつし)のような人たちです。

なぜそうなったのか? なぜメディアが、テレビや新聞や電話のことを指すようになったのかと言うと、実は、これは印刷された本としての聖書が作られるようになったからです。近代の最初のメディアは何かというと、もちろん、グーテンベルグが作った活版印刷ですね。これで作られたものが『聖書』です。本としての聖書が作られるようになって、何が要らなくなったのかというと、宗教家の皆さんには悪いですけれども、実は神父さんなんですね。そのことによって、プロテスタンティズムが生まれてくることになったんですね。西欧において、新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の対立が生まれてきたのです。皆が聖書を読むことができることによって、神父さんの言葉が神様の言葉ではなくて、印刷された聖書に載っている言葉が神様の言葉になってしまった。だけど、近代のメディアができてくるまでは、神様の言葉を伝える宗教者自身がメディアだった訳ですね。


▼宗教は情報産業の根元

だから、「メディア」というものは、すなわち「宗教」というのは、情報産業の根元なんですね。これは、文化人類学者の梅棹忠夫という人が最初に言い出したことなんですけれど。現に、「宗教」というのは、そういった情報産業の根元的要素を持っています。「情報」というものは、なぜ経済的に成り立ち(商売になり)にくいかと言うと、「生産と消費の回路」を通らないからなんです。例えば、テレビ放送というのは――今は有料放送とかがありますけれども――基本的には、放送しても、電波を受信した人からお金を貰えるとは限らないんですよ。だけど放送する。その番組を見ても、それで得られるものも、人それぞれですし、それを見た人々にとっても価値は違います。ある人は「面白かった」と思うけれども、ある人は「つまらなかった」と思う。そういう掴みどころのないものに対して、一種のお布施的にお金を払うのが情報産業のありようなんですね。

これは、ある程度は実現されているんですよ。宗教ではそういう形になっています。定価が決まっている訳でもない。それぞれの人がそれぞれの受け止め方で、その中でその価値を決めていくというシステムです。そして、それがまたネットワーク的に人から人へとが繋がっていくというふうなことです。まさに、宗教を最初として、情報産業が始まっている訳なんですけれども、そうすると、既存の工業だと思われていたものも、これが情報化していくというのはどういうことかと言うと、つまり、癒しとか遊びとか学びとか快楽とか、そうした精神的な価値の方向へシフトしていくということです。

つまり、農業社会から工業社会に移った時に、農業が駄目になってしまったのではなくて、農業の工業化というのが起こった訳ですね。と同じように、今日、IT革命によってどういうことが起こったかと言うと、今日の工業社会では、工場だとか会社だとか思われていたものが、それの情報化が起こってくる。あるいは、工業化した農業の情報化ということも起こってくる。このことの根幹は、今までのモノを中心とした価値の置き方ではなくて、そうした生産の世界でも、あるいは、私たちの日常の消費の世界でも、あるいは、生産と消費の世界が一緒になった形でも、今の工業的な価値観から情報的な価値観……。つまり、癒しとか学びとか遊びとかが中心となってきたというようなそういう社会。言わば、一種そういった社会全体の宗教化ということが起こってくるということになってくる。
そういう形で、もう既に時間が来てしまいましたので、話し終わらなければいけなんですけれども。IT革命が、もしこれからの社会の核になるとしたら、それは、けっしてお金儲けの話ではなくて、一人ひとりの生活の仕方が、今までのモノというものを中心とした価値観の置き方ではなくて、人々の心の問題、あるいは癒しの問題というふうな所に価値観を置く。そこに向かって人々は価値を置いて生きていく社会になっていくと……。そうならなければ、IT革命というのは、ありえないというふうなことをお話しして、僕の話は終わらせていただきます。


(連載おわり 文責編集部)


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