男子壮年信徒大会 記念講演
私の健康法
元大阪大学蛋白質研究所 所長
 泉 美治

泉 美治 先生

2月27日、男子壮年信徒大会が開催され、『私の健康法』の講題で、元大阪大学蛋白質研究所長の泉美治氏が記念講演を行った。戦後すぐの時点から研究生活に入られた泉氏は、生命操作が行われるまでに至った最先端のバイオテクノロジーの基礎になった蛋白質(アミノ酸)の人工合成に初めて道を開かれた研究者として知られるだけでなく、科学者としての立場から、深遠な仏教哲学の研究を進めて、「人間がより幸せに生きるためには、方法論の異なる宗教と科学の調和が必要である」と、長年、宗教者とも積極的に対話を進めてこられた泰斗である。本サイトでは、数回に分けて、泉美治氏の記念講演を紹介してゆく。


▼科学者と仏教哲学の出会い

ただ今ご紹介にあずかりました泉でございます。皆様のお手元に既に配られております私の経歴をご覧いただければ、私がおよそ宗教とは関係のない仕事を続けてきた人間であることがお判りいただけるかと思います。私は自らを科学者だと思っておりますが、強いて言いますと「仏教哲学に非常に関心を持った科学者」として私を理解していただけたら幸いかと存じます。

皆様の中には「科学と仏教哲学は、いったい何の繋がりがあるのか?」と思っていらっしゃる方もおられるかもしれませんが、私の携わった基礎化学研究というのは、「科学者が自然をどう見ているか?」という立脚点がまさに問題になる研究領域なんです。見方によって、自然というものは様々な形でもってわれわれの前に現れるわけですから、まず、その人の持っている「哲学」あるいは「考え」が、新しい自然の姿を発見をしていく基礎になると私は考えております。

ことの起こりは、真面目な話ではなかったのですが、たまたま仏教哲学との出会いがございました。戦後、私が製薬会社から大阪大学に移り、学歴も、職歴も、職種も全く違うところで研究をするに当たりまして、たいていの人々が西洋哲学を基礎に考えられる中、私は「唯識(ゆいしき)」という、大乗仏教??日本のほとんどの仏教宗派がこの流れに属しているのですが??の哲学を基礎に置きまして研究をやってきた次第です。それによって、私は非常におもしろい人生、おもしろい研究結果が出たのではないかと思います。


解りやすい比喩で熱弁をふるわれる泉美治先生

皆様も三宅善信先生からお話を聞かれる機会があるかと思いますが、泉尾教会の初代の三宅歳雄先生らがお創りになられた『コルモス(現代における宗教の役割研究会)』という、宗教宗派の違いを超えて宗教哲学や宗教学をやっておられる方々の研究会議がございます。その中で、私は、数少ない自然科学者のメンバーとして薦められ、この会議に入ったのですが、そのコルモスを通じて、こちらの先代の教会長先生、現教会長先生、そして善信先生と、世代を超えてご交誼をいただいたのが、皆様とのご縁の始まりかと思います。


▼胃の全摘手術を受けて

私は現在83歳でございます。同世代の中では、結核にもやられず、弾にも当たらず、非常に運の強い人生を生きぬいてきた数少ない戦中世代でございます。この齢まで健康体で来ましたが、それにはこれまで長年怠らずにやってきたことがいくつがございます。これは、私も自分の経験から皆様にもお奨めしたいのですが、年に1回の健康診断をされたほうがいいんじゃないかと思います。

私はこれまでの長い人生、病気とは無縁でやってきましたが、それがあまりにも気色悪いので、三十数年来、大阪大学で非常に馬の合うたお医者様がいて、彼がまだ研修医だった時分から診てもらっています。毎年、2月末から3月初旬にかけて診てもらっているのですが、去年はたまたまいろんな行事が重なりまして4月にずれこんだのですが、その時、お医者様に「今年は例年通り検査をするけれど、私も83歳になるから、これから先は、わざわざ穿(ほじ)ってまで病気を探す必要もないでしょう。むしろ、病気が見つかったら楽に死ぬ方法を考えてくれたほうが良いでしょうね」と笑いながら話をして帰ってまいりました。

胃カメラ検診も毎年するのですが、担当医師も長い付き合いですから顔なじみになってまいります。彼は毎年、先端にカメラの付いたファイバースコープを抜き取りながら「先生、今年も何も見つからなかったですよ」と言うのですが、「毎回『何もない』と言うのもなんですから、一度、一カ所だけ検査試料(サンプル)を取っておきましょうか?」と提案がありました。「それならば」とお願いして、後日検査結果を聞きに行くと、「泉先生、今年は深刻ですよ」と言う。「どういうことですか?」と尋ねると、「最悪性の癌だ」というんです。まあ、私もハンクロ(半分玄人=医師に近い職業)ですから、「どういう種類の癌か?」と尋ねたのですが、それを聞いた時はさすがに「これなら胃を全摘(出)すればまず今年は大丈夫だが、ここ2、3年のうちには悶(もだ)え死ぬかな……」と覚悟せざるを得ませんでした。

けれど、結果的に、これは本当に縁というか、神様のお助けというものが、術後、抜糸する時分になって初めて判ったんです。と申しますのも、たまたまお医者様が試料(サンプル)を取った場所が、たった直径5ミリ範囲の、深さは粘膜の半分にしか至ってない癌そのものの場所だったんです。その時点で、「そこから5センチの範囲は摘出しないと、癌が転移する可能性が高い非常に危険な状態だ」と言われました。まぁ、私は元来少食ですから、「この際しっかりと摘出しておいてくれ」と頼みまして、結局、胃の5分の4を摘出しました。その後、病院側は??経理上の理由もあるのでしょうが??「本音としては、術後15日間は入院するように」と言われました。実際には、一カ月半から二カ月程度入院される方が多いようです。ところが、私はもうとにかく、風呂に入れないのが我慢できなくてね(笑い)。それで「ここ(病院)で風呂に入ってもよろしいか?」と聞きましたら「いや、泉先生。ここではそんな派手にやられたら困るんやけど……」と言われましたので、ちゃんと傷に注意を払うことを約束して10日間で退院しました。

実は、私はある病院の倫理委員を務めております。これは、私ひとりが欠席すると、残りの委員全員が出席されていてもその会は流会になるんです。それでは、皆に大変な迷惑をかけることになりますので、(胃癌の手術を受けてから)17日目には??私は三田から神戸電鉄で10分ぐらいの所に住んでいるのですが、そこから倫理委員会を開催する病院まで片道1時間半かかります??出かけていき、一時間の会議を何食わぬ顔してこなして帰って来ましたし、その翌日には、以前から頼まれていた講演を3時間ほどいたしました。

加えて、この8月の半ばは、ちょうど白菜や大根の種蒔きをしなければならない時期ですから、腹を切ってから二カ月半目には畑を耕して種を蒔きました。

かような話を、昨年末に京都で開催された『コルモス』の際に、三宅善信先生にいたしましたところ、「泉先生、凄いですね」とずいぶん驚いておられました。その時はそれで話は終わったのですが、その翌日、大阪駅の改札口でバッタリと出会い、三宅先生のほうから「先生、今度うちの教会でこのような大会があるのですが、ひとつ皆の前でその話をしていただけないでしょうか?」と申し出がありました。私としては、「人前で話すような類の話でもない」と、恐縮でしたが、最終的にはこうやって引き受けた次第です。


▼健康日課

私はご覧のとおり、姿勢が良いほうです。だいたい、昔軍隊におられた人は皆さん姿勢が良く、温泉場などに出かけましても、似たような年格好の方とすれ違う時、互いに「お、兵隊ですな」などと声を掛け合ったりします。また、姿勢だけに限らず、私の場合、軍隊にいた若かりし頃から現在に至るまでの約65年間近く、体重・身長・血圧がほとんど変わっておりません。

私は召集で入った兵隊なのですが、他はどこも悪いところがない(病歴がない)のに、体重が足りなかったため、「第二乙種」という、いわば「兵隊としては三等品の体格の持ち主」(註:当時の徴兵検査の基準では、甲種・第一乙種・第二乙種・丙種の四段階があり、甲種と第一乙種合格者は現役兵として即入隊。第二乙種は「教育召集」ということで必要に応じて「召集令状(赤紙)」が来ることになっていた。因みに、兵役に耐えられないような障害や病歴が認められる丙種は不合格=兵役免除とされた)として入隊しましたが、その時から、先ほど申し上げた昨夏の胃癌の全摘手術を受ける際の身体測定の時まで、身長・体重・血圧等の数字がほとんど変わっていないことを知り、われながら驚きました。

今日のお題は『私の健康法』ですが、私はとりたてて「健康法」と呼ばれるようなことはやっておりません。まぁ、強いて言えば「健康法」と言えないことはないいくつかの日課を列挙してみましょう。

私はアメリカで1年半ほど滞在した経験があるのですが、その間(車社会であるアメリカで)全く車を運転しませんでした。と申しますのも、実は私は、酒席を横目に帰るという勇気を持っておりません(会場笑い)。また、お酒を飲むと眠くなったり、向こう気が強くなりますので、一番事故を起こしそうな性格の持ち主ですから、はじめから「運転はしないでおこう」と心に決めていました。そんな訳で、アメリカに滞在している間中毎日、都心から1時間半ほどかけて、バスで通勤しておりました。その習慣は今でも続いていて、私は自動車に乗っておりません。

それから、朝起きて顔を洗う時に、手のひらに一杯水を溜めて、鼻から吸って口から出します。これは東洋紡の常務だった方から教わったのですが、一見簡単にできるように聞こえるでしょう? しかし、実際やってみると、まるで鼻から頭のてっぺんまで串で刺されたような気がしますよ。特に始めてから半月間ぐらいは、これをやった後の数分間は真っ直ぐ歩けないほどです。ですから、この方法は結構な荒行だと思いますので、あまり一般的な健康法としてはお奨めできないかと思います。私がこれを始めたのは今から40年ほど前になるのですが、それ以来、扁桃腺が腫れることが全くなくなり、したがって、風邪もほとんど引くことがなくなりました。そういう意味では良い予防法のひとつだと思うのですが、試される方はくれぐれも注意して下さい。

朝の行事を順番に挙げていきましょう。こうして顔を洗った後、次は、足首から先を石鹸で丁寧に洗うんです。これは朝だけでなく、夜寝しなにもやります。寝ている間も、やっぱり結構な汗をかいているのか、起き抜けの足は湿気を帯びています。今日(2月27日)みたいな日でしたら、足が非常に冷えますけれども、そうやって足を丁寧に洗っておくと、足の冷えがかえって気持ち良く感じます。


▼腰の回転運動で腰痛とおさらば

それから、その次にすることが、今日の話のメインにしようと思っていたことです。それは何かと申しますと、これを本当の「健康法」と言うのかどうか判りませんけれども、朝と晩に15分間ずつ、「腰を振る運動」をするんです。この運動は、皆さん「案外簡単にできる」と思って、わりとちゃんとやれているつもりでも、実はできてない場合が多いんですけれどもね。そこをもう少し注意してやりますと、本当にわりと簡単に実行できる健康法かと思います。

私がこれを始めたきっかけは、もともと軍隊にいた時分に、50キログラム入った砂糖の俵を、トラックから降ろす作業をしていた時に、まだ腰を構えていないところへ袋をバーンと落とされたことが発端なんです。それから、腰痛を頻繁に起こすようになりましてね。この痛みとは長い付き合いになっており、一番堪(こた)えた定年の前後の頃ですと、すぐに腰が怠(だる)くなったり、痛くなったりしまして、1分間として同じ姿勢で居れないほどになってしまい、日常生活でさえも不便をきたしていたんです。ところが、この簡単な「腰振り運動」を約一カ月ほど続けてみましたところ、不思議とこの痛みが治まりましてね。以来、どんなことがありましても朝晩15分間ずつやっておりますが、おかげで今では腰が非常に強くなりました。


「腰振り運動」の実演をされる
泉美治先生

私の住んでいる所は田舎ですから、30キログラムぐらいの肥料の袋でも、平気で抱えて運びますけれども、全くどうもありません。昨日も、ジャガイモを植える準備を、4時間ほどぶっ続けでやりましたけれども、どこが堪えるとか、痛いとか、全然ありません。非常に腰が強くなりました。また、腰が強くなったおかげで姿勢がよくなりました。電車で座席に腰掛けても、腰が引けましてね。私は「座禅会」をやっておりますけれども、ちょうど、あの座禅をした時の腰構えとほとんど変わらんような格好に自然となります。

この運動は、人にお奨めすると、たいていの人が、「泉さん、私も今まで灸も針もやったし、とにかくいろんなことやってきたけれども、そんなもん効きませんでした。それが、こんなアホみたいな(簡単な)運動で、腰痛がいとも簡単に治ったんです」などと、教えた人はほとんど皆さん、「泉さん、これほど効果がある療法は初めてや!」という答えが返ってくるんです。

ところが、治ってしまうと、止めてしまう人も多いんですね。そうしてまた、悪くなったらやるというのを繰り返しているわけですが、こういうことをしている間に、だんだんと悪くなってしまうんです。けれども、毎日こうして続けている限りにおいては、これは非常に良い運動だと思いますよ。それ以外にも、ある方の奥さんに「うちの夫は、腰が痛くて往生してるんです」という話を聞いた時に、「それやったら、こうしたら簡単に治るで」と教えましたら、半月ぐらい経った後、その奥さんから返って来た第一報がですね、「泉さん、あの運動をしたら、私の便秘がいっぺんに治りました」
             
ご主人よりも先に奥さんのほうから「便秘を治すのに非常に効果的だ」というお答えが返ってくるというようなこともございました。

それから、「若さ」ということに関して申しましても、「腰」は非常に大切だと思います。腰が丈夫になりますと、自然と姿勢が良くなります。姿勢が良くなるということは、俯(うつむ)かないようになります。人間は俯くと駄目ですね。人間そうなると、前向きにものを考えられなくなり、ロクでもないことを考えるようになります。クヨクヨと、もう愚にもつかんようなことを考えるようになるんです。ですから、前向きの心の持ち様というものを、最も阻害するのは何かというと、俯きの姿勢だと私は思います。

病気がちの方はたいてい、俯いた人が多いように思うんです。それに反して、上を向いている人は、そんなに病気がちになる人はいないと思うんです。これは、決していい加減な話ではないんですよ。これは、もう少し後で詳しくお話しますが、ともかく人間は「上を向く」ということが非常に大切なことなんですね。よく、電車の中で足を組んで座っている人を見かけますが、人間、座って足を組むようになるのは腰がイカレてる証拠なんですね。「足を組まなければ、座っていられない」という現象は、腰が弱っているかどうかを見分けるひとつの非常にはっきりした証拠だと思います。「もしや」と思う方が、皆様の中にも3割くらいおられるのではないでしょうか。そんな方は、是非一度、後ほど紹介するような簡単な運動をやってみてはどうかと思います。


▼仏壇や神棚の機能

それから、「上を向いて」すなわち「稀有壮大な心を持つ」ということが、非常に大事だということに関連しまして、「腰振り運動」とは違いますが、もうひとつお奨めしたいことがあります。これは私にとって、一家の主としての務めでもあるし、また、私自身の問題でもあるのですが……。私は仏教徒ですが、「朝夕欠かさず、仏壇と神棚に一家の幸福と一日の安全のお礼を申し上げる」という日課を続けております。正式なお経などはよう上げませんが、まずこのことは「人間の心を正常に保つための重要な行事のひとつではないか」と、私は思っております。

私は日頃、浄土宗のお寺の寺相談などさまざまな活動をやっておりますが、その中で、私はよく檀家の人々に対して「子供たちにそんな難しい教えは言わなくてもいいから、とにかく朝晩仏壇へ掌を合わすように教える」とか、あるいは「珍しいものをもらったら、まず、まんまんさん(神棚)にお供えしてから頂戴する」などといった、神棚や仏壇に掌を合わす習慣を常日頃から子供たちに持たせる運動を呼びかけています。こんな席でこんなことを言うと甚だ不謹慎かもしれませんが、極端な表現をしますと日常生活の中において、神棚や仏壇というのは、人間の憂(うっとおし)さと言いますか、くしゃくしゃした思いのくずかごだと思います。このくずかごという役目が、仏壇や神棚のひとつの機能ではないかと思うんです。

この頃、世間では、老若男女を問わず、今まで考えられなかったような不可解で残虐な犯罪が発生していますが、私はその原因のひとつとして、最近の人は、その心の憂さを捌(は)けることのできる場がないために、積もり積もってそういう事件を引き起こすに至っているのではないかと思います。そんなもの「カウンセラー」といっても、短期大学やそれぐらいのところを数年前に卒業したばかりで、まだまともに自分の子供をすら最後まで育てた経験のないような人が、カウンセラーとして話を聞いて、「果たしてどれほどの効果があるのかな?」と私は疑問に思うんですがね……。

昔ですと、必ず、朝な夕なに神棚、あるいはお日様(お天道様)を拝んだものですが、この「朝夕に日を拝む」という行為を通して、われわれは心の中の塵(ちり)をきれいに掃除して眠りに就き、明くる朝にはその塵の残り滓(かす)をもう一度きれいに祓って一日を始めるということをやっていた訳です。それが家庭も円満になり、社会も円満になるための、非常に大きな原動力であったのではないかと思うんです。

これは、「俯いては駄目だ」ということと同じことなんですよ。これを言うと、皆さん驚かれるかもしれませんが、少し専門的な話で申し上げますと、私たちは、いくら健康な人間だといっても、10万から20万もの癌になりかけた細胞を既に持っているんです。ところが、誰も彼もが病気を発症せず、一部の人だけが実際に癌になりますよね。何故、そういうことが起こるのかと申しますと、われわれの体は、本来、自己修復能力を持っているんです。「少し歪(いびつ)になって、働きが悪くなってきた酵素や蛋白質、DNAなどの悪いところを修理する」あるいは、「もう修理が効かないほど歪になってしまったものは、すべて分解して体外に排出する」といった作業が、四六時中、体内で行われている訳です。

特にその活動が活発な時間帯は、朝方(=夜明け前)ですね。夜明け前、われわれの体はものすごく集中していろんなところを修復しているんです。そういう時に、クシャクシャといろいろ仕様のないこと――例えば、「嫁が冷たい」とか「あいつが要らんことを言いよった」などといった、朝起きた時には「なんで、あんな馬鹿なことを考えていたのかな?」というようなこと――を寝ている時に考えていたとします。この体が正常な状態へ戻ろうと修復している最も大切な時間にそういうことをやりますと、蛋白質やDNAを、修復するための指令を出すホルモンの分泌が悪くなるんです。

ですから、「心労のためにあの人は癌になったのではないか」という話は、決して憶測でもなんでもなく、むしろ、現代の医学の常識なんですね。今日の話では、癌だけを例に取り上げましたが、その他にも、消化酵素なども含めて、心労によって分泌能力が落ちます。ですから、「健康の阻害」という点においては、これが一番大きな原因になる訳です。「心労は、非常に健康に悪い」と申しますが、これは決して言い伝えだけのものではありません。

ですから、たとえ誰かと上手くいかないことがあっても、晩の寝しなに神前や仏前で「どうかあいつが上手くいきませんように」とか「死んでしまえ」などと、えげつないことを祈るほど人間の本性は悪いものではないと思うんです。やはり、神仏に何かをお願いする時は、まともなことを願うのが、正常な人間の精神作用ではないでしょうか。大切なのは、こうやって神仏に祈ることで、モヤモヤした心の塵を掃除すること。これが重要なポイントなのではないかと思います。

そうして、姿勢を正して常に前向きに物事を考えていますと、仕様のないこと、あるいはどうしても処理ができなかったことに対しても、いつまでもクヨクヨ考えなくなります。現実には私にもいろいろな問題がありますけれども、幸い、あまり気にしない性分ですね……。

私は、現代では非常に珍しくなった、娘二家族と同居の大家族ですけれども、皆が仲良く生活できていられるのも、皆がそういう姿勢を大切にしているからではないだろうかと思います


▼ 内と外の筋肉を同時に
解(ほぐ)す

では、時間も迫ってまいりましたので、先ほどお話した「体操」をやってみましょうか。ちょっと皆さん、一度立ってみて下さい。そうして脚を半歩横へ開いて、膝を曲げることなく真っ直ぐ立って見て下さい。その状態で腰を丸く回します。「丸く回す」と申しましても、本当に丸く回っているのかいないのか、ハッキリ判りにくいので、「おへそ臍がきれいな真円を描くように」意識しながら回すのがコツです。右周りに1000回、左回りに同じく1000回。 実に簡単でしょう? 皆さんも実際にやってみて下さい(会場の聴衆もみな実演する)。

最初は自分の回し方をじっくりと見ながらされるほうが良いでしょう。というのも、この体操は誰でもすぐに始められますが、最初からキチンと臍を丸く回している人は少ないと思うんですよ。自分ではちゃんと回しているつもりだけれども、第三者から見ると、腰をただ横に振っているか前後に振っているだけで、臍はちっとも回っていないことがあります。どうです? 簡単な体操に見えて、案外難しいでしょう? 肝心なことは、この「臍を丸く回す」ことですから、ゆっくりでいいのです。後は膝(ひざ)を曲げないように注意して……。どうぞ、皆様お座り下さい。お疲れ様でした。

本には書いていませんが、この体操は徐々に運動する時間を延ばされたほうが良いですよ。と申しますのも、私も初めてこの体操をした時は「なんや、こんな簡単なことか」と、最初から毎日10分間フルに体操をやってみたところ、??私は元来、あまり熱を出す人間ではないんですけれども??この体操を始めて3日ほど経った頃に、お腹の中に何やら筋がたくさんあるのかと思うほど骨盤の中に筋が立ち(筋肉がツッパリ)まして、微熱が3、4日続いた経験があるんです。ですから、人にこれを教える時は「最初は3分間ぐらいから始めて、10日から半月かけて10分間に延ばしたら良い。そうすると、筋が立って熱が出るような副作用はない」と言っています。

皆さんも経験がおありかと思いますが、腰痛になった時に揉んでもらうと、その時は気になる所をマッサージ師さんにグッ、グッと押してもらうと実に気持ちが良い。けれど、しばらく経つとまた、腰が怠(だる)く感じるのと似ていますね。この体操で、初めに筋が立って判ったことは、普段私たちは、痛みや怠さを感じると、外側の筋肉ばかり触っているけれど、実は、中側にも等分の筋肉があるんですね。そこまでは、按摩(あんま)の手も届かない訳ですから、いくら揉んでもらっても、痛みが取れるのはその場限りで、根本的に治っている訳ではないんです。

けれども、私も最初から良い方法を見つけた訳ではないんです。針やら灸やら、いろいろ試しましたよ。けれども、いつまで経っても腰痛が治らないので、さすがに「このままでは、私もいよいよ勤めを辞めないと駄目かもしれないな」と思うほどの深刻な状況になっていました。ところが、そんなある日、以前、新聞広告で見かけ、印象に残っていた本が、羽田空港の書店で平積みになっているのを見つけたので、買い求めて読んでみたんです。

その本には、「骨は元々はバラバラのものである。一見、脊椎(せきつい)は、何をせずとも真っ直ぐに保たれているように思っているが、実際は、周りの筋肉が脊椎を真っ直ぐになるように支えている。したがって、周囲の筋肉を均等に鍛(きた)えれば、骨も自ずとまっすぐに保たれる」と書かれていたのですが、私は、まさに「その通りだ!」と思いましてね。これならば、実践する価値があるだろうと思い、試してみたところ非常に良かったという訳です。

これは、私の経験から感じたことなんですが、この体操を、一人で壁に向かってやりますと、せいぜい5分間が関の山です。たった5分間でも、ものすごく長い時間に感じますよ。そんなことを「朝晩欠かさず、壁に向かって続けろ」と言われたら、それこそ苦行ですよ(会場笑い)。それを解消する方法のひとつとしてお奨めするのが、「日頃座って視ているテレビを、腰を振りながら視る」ことです。特にニュース番組がよろしい。画面の端にタイムが出ますからね。「ああ、もう10分経過したか」とすぐに判る訳です。座って視るのもニュースなら、立って視るのもニュースですからね。どうせ視るものなら、姿勢悪く視るより、よろしいかもしれませんよ。これが、私は皆さんにお奨めする一番価値のある健康法かと思います。ご婦人方の便秘にもよく効くそうですから、是非、お奨めしますよ。


▼ 唯 今に尽くす者こそ幸いなれ

とにかく、私たちは滅入った感覚のままで生活をしてはなりません。常に前向きに、そして明るく生活をすることが、あらゆる病気の根源を絶つ唯一の方法ではないかと思います。皆様のお手元にお配りした私の略歴の下に、お釈迦様が諭された言葉を私なりに簡略化したものを載せてあります。私はこの言葉を何かある度に思い、また、若い人たちに、いつも言ってあげる言葉です。
  過ぎたるを追うことなかれ。
  未だ来らざるを念うことなかれ。
  唯 今に
  尽くす者こそ幸いなれ。
人間俯いていると、いくらでも、昔のことで「あの時こうすれば良かった」とか「こう言えばよかった」などと、いろいろと悔やむものです。けれども、いくら悔やんだところで「覆水盆に返らず」で、元に戻らないことも分かりきったことです。将来のことにしても、「一寸先は闇」ですよ。天気予報にしてみたって、今や宇宙に衛星まで上げて、空の上から見ているのにもかかわらず、七割当たったらいいところじゃないですか。まして、それに比べたら自分の将来なんて……。いくら願ってみたところで、それによって将来が約束される訳ではないんです。

では、そんな中ではっきりと言えるものは何か? というと、「縁」なんですね。金光教の信者の方々を前にして言うと変かもしれませんが、仏教的に申しますと、まさしく「縁」ですね。この「縁」の重なりの中に現在があり、はっきり言えるのは、この「今」だけのことです。仮に借金が一杯あったとしても、その現在の「借金が一杯ある」という状態をいかに未来の良き方向に向けていくかを考えていく以外に、良い未来を求める方法はないわけです。また逆に、現在、いくらお金をたくさん持っていたとしても、それを未来の良きことへ使うことを考えないと、いずれ貧乏になるのは確実なんです。

金光教の場合はどうか判りませんが、仏教の場合、そういうことを言いますと、お坊さんの収入に関わりますから、あまり表だって言いませんが(会場笑い)、仏教の本来のお釈迦様の考え方からしますと、われわれが確実に保証されているのは「今」以外にないんです。ですから、「過去が悪い」からといって「現在も悪い」とは限らない。良い未来を考えず今に至ると、それは「現在も悪い」のではなく、その影響によって「現在は苦しい」状況になるのです。

また、「過去が良い」からといって「現在や未来も同じく良い」かと思うと、それは大きな間違い。例えば、いくら過去に良い行いをして、いわゆる「良い地位」を得たとしても、それによって得た運や財産を、未来に向かって、例えば汚職にでも使おうものなら、せっかく得た良い「縁」は一気にダウン(雲散霧消)し、例えば「良い未来」は無くなってしまいます。そういう意味では、皆、同じ条件下、環境下に生きている訳です。

私は、いずれの宗教も、結果的には同じことを言っていると思っています。ですから、皆さんもどうか、クヨクヨせずに、健康に生きていただきたいと思います。大変、場違いな話をしましたけれども、お許しいただきたいと思います。本日は、どうもご静聴有り難うございました。

(連載おわり 文責編集部)

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