青年会創立79周年大会 記念講演
『神様に喜んでもらえる信心』
真生会 理事長
田中庸仁

田中庸仁先生

6月18日、創立79周年青年大会が開催され、真生会教団理事長の田中庸仁師が『神様に喜んでもらえる信心』という講題で記念講演を行った。田中師は三代親先生の後をうけて、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会の青年部会幹事長、開発・環境委員長を歴任されるなど、特に三代親先生とのご親交が深い先生である。本紙では、数回に分けて本講演の内容を紹介する。  


▼「不断の友」とは

皆さん、こんにちは。本日は、泉尾教会様で開かれる青年大会の講演にお招きいただきまして、有難うございます。これは大変尊い機会を頂いたと思い、感謝いたしております。私はただいまのご紹介にありましたように、真生会という仏教の一教団で修行をさせていただいている田中庸仁(つねひと)と申します。三宅光雄親先生とは、WCRPでずっとご一緒させていただいています。以前、光雄先生が青年部会の幹事長をされていた時も、私は女房役である事務局長をさせていただきましたが、そのご縁以来、ずっとお付き合いいただいています。事務局長の任をお受けした時も、幹事会で決定した云々というよりは、光雄先生からの依頼もございましたが、私のほうからも「是非、幹事長である三宅先生の女房役となる事務局長を務めさせていただきたい」と申し出ました。

このようなご縁を経て、本日の、このような大きな会でお話をさせていただくことになった訳ですが、私もいささか緊張しておりますので、今日は私設応援団ということで、昔の青年部の方々にも来ていただきました。ですので、前の座席には現役の青年部の方々が座っておられますが、後ろのほうにはOBの方々の顔が見えますね・・・・・・。お時間の許す限り、精一杯お話をさせていただこうと思いますので、どうか気楽に耳を傾けていただけたらと思います。自分では「まだまだ若い」と思っておりますが、これでも、今年で49歳になりますから、もう青年とは言えないかもしれませんが、気持ちの上ではまだまだ青年、30代ぐらいの気概でやっておりますので、そのつもりで聞いていただけますと有り難く思います。

本日は『神様に喜んでもらえる信心』というお題を頂きましたが、仏教徒である私にとって、お釈迦様の教えにもあるように、友達とは非常に大切な存在です。青年時代は特に、お金や暇や彼女といったように欲しいものが一杯ありますが、私は今日まで様々な経験を積み重ねて来た結果、やはり、一番の宝物は友達ではないかと思うのです。
お釈迦様のお弟子の中に阿難(あなん)(註:アーナンダ。釈迦の従兄弟(いとこ)で十大弟子の一人。二十五年間、常に釈迦に近待していたので、その教説を最もよく記憶していたと伝えられる)という人がいますが、ある時その阿難がお釈迦様に「お釈迦様、私はずっとお釈迦様の下で修行をしておりますが、法友とは教えの友だちであり、『良き友達を持つ』ということは、教えの半ばを完成したぐらいの価値があるのでしょうか?」と尋ねました。すると、お釈迦様は「違う」と申されました。「良き友達とは、教えのすべてである」とおっしゃった。これを仏教では『不断の友』と呼びます。これはいわゆる飲み友達や遊び友達といったものではなく、「どんなことがあっても、決して断えることのない友」なのですが、このような友を持つことは、「まさに人生の宝であり、教えの宝なのだ」とお釈迦様はおっしゃっています。そして、お釈迦様は続けて「私も皆さんの友達なのだ。私たちの関係は『私が師匠で貴方たちが弟子』なのではない。私自身も共に仏の真理を歩む皆さんの友達なのだ。だからこそ、良き友を持つことは、教えのすべてなのだ」と教えてくださっています。


田中先生の熱弁に真剣に
耳を傾ける青年会員たち

三宅光雄先生は私よりも1歳年長ですが、――私は先生も思ってくださっていると思うのですが――私にとっての「不断の友」だと思っております。では、この「不断の友」とはいったいどんな友なのでしょうか? 良いことを言い合うのが不断の友な訳ではないんです。むしろ、利害損得が相反しても、相手のためだと思うことは思い切ってお話しする。もう一方も、たとえ聞きづらいことを言われても「よく言ってくれた。普通だったらこんなことはなかなか言ってもらえない」と素直に耳を傾けられる。そのような友こそ、真の友であり、まさに「不断の友」と言えると思います。


▼切れるような縁なら切れてもよい

私には学生時代以来の友人がいるのですが、私自身は大学を中退し、この教えの道に入りました。その後も学生時代に仲の良かった友人が時折私を訪ねてくるのですが、これが何をしに来るのかと申しますと、お金を借りに来るのです(会場笑い)。その理由は「ガソリン代が足りないので、1万円貸してくれ」だったり、またある時は「今度遊びに行くのにお金が足りないから、2万円貸してくれ」といった内容だったりします。けれども、私は修行中の身(収入がない)ですから、せいぜい小遣い銭程度で生活していますので、人にお金を貸すほど余裕のある暮らしをしておりません。それでもまあ学生時代の友達ですから、「少しだけれど・・・・・・」と貸したりしていました。

私の教団の教えでは「人にお金や物を貸したりした場合、特にお金を貸す場合は、相手にあげたと思って貸さなければならない」と言っています。もし、返してもらうつもりでお金を貸すと、これが返ってこなかった時に「あいつはいったいどういう奴だ!」という気持ちになりますが、仮にあげたつもりで相手に渡したならば、お金が返ってきた時に「ああ、有り難い」という気持ちになれます。そんな話をこの友人にもしたのですが、彼はいつもこの話を自分に都合の良いように解釈して(私が彼にお金を渡す時)、「このお金は俺にくれたつもりだろう?」と言うのです。

そんなことを繰り返していた若い頃の話ですが、ある時、彼が「済まないが、10万円貸してもらえないか?」と私の所に頼みにやってきました。当時の私にとって10万円は大金でしたが、何とかやりくりして貯めたお金がありました。そこで彼に「いったい何に使うのか?」と尋ねますと、「聞かずに貸してくれ」(会場笑い)と言います。けれども、この時はさすがに大金でしたから、私も「理由を聞かずには貸せない」と答えました。すると友人は「では、理由を言ったら必ず貸してくれるのか?」と切り返してきましたが、これにも「聞いて理由が悪ければ、貸せない」と答えました。それを聞いた友人は「お前はなんとも友達甲斐のない奴だな」と言いましたが・・・・・・。

しかし、こうやって話しているうちに、私もだんだんと判ってきました。当時、私は修行中の身ですから、彼女と呼ぶような存在はおりませんでしたが、友人は当時、年上のOLと付き合っていました。私はそのことを思い出し、「もしかすると、彼女と別れるために必要なのか?」と尋ねますと、彼は「まあ、そんなところだ」と言いました。相手はOLですが、こちらは一介の学生の身ですから、食事をごちそうしてもらったり、遊びに行く時はガソリン代を出してもらったりと、彼も何かとお世話になっていたんですね。ところが、いざ別れようと思っても、今までにずいぶんお金を借りてしまっているものだから、なかなかこちらから「別れよう」と切り出せない。そこで「スパッと別れるためにお金を貸して欲しい」ということでした。

話の前に、彼は「(理由を)言ったら貸してくれるか?」と聞いていましたから、「これで貸してもらえないだろうか?」と頼んできたのですが、私はそこで「そういうことなら、いよいよお金は貸せない」と答えました。それを聞いた友人は「言わすだけ言わしておいて、貸せないのか!」と、ずいぶんと怒りましたが、私はあくまでも「そういう事情なら、お金を貸すとお前のためにならないから貸さない」と答えました。すると今度は――この友人は私の父親である開祖会長先生とも、祖父とも顔見知りなのですが――「どうか今の話は、お二人には黙っておいて欲しい」と言ってきたので、私は「決してうわさ話や悪口といった類のものではなく、この私の判断が正しかったのかどうか、その一点を尋ねるつもりでいる」と答えました。

私は常々「危ないぞ、危ないぞ(そのうち結婚を迫られるぞ)」と彼に忠告していました。そこへ「最近、彼女が見合いの話を断るようになってきた」と聞いたので、「君という存在を意識して見合いを何人も断るようになったら、いよいよ危ないぞ!」と再三忠告したのですが、友人は「そんなことない、ない」と笑うばかりでした。しかし、彼も彼女が本気だということを感じ始めたため、これ以上の交際を断ろうと思ったようです。相手の女性と何年付き合っていたのかまでは判りませんが、楽しい思い出もあっただろうと思うと、別れ際に人から拝借したお金で借りを返すのは男として潔いと思えない。「せめて、自分で汗水たらして稼いだお金で返せ。会って渡すのが気まずいならば手紙に同封して返したって良い。それがせめてものお前の真心じゃないのか?」と私は言いました。

彼はそんな私を「友達甲斐がない」と言いましたが、私も、人から借りた手切れ金で別れを告げるなどといった、相手に寂しい思いをさせるようなことの片棒担ぎはやりたくありません。私は「今の話で切れるような縁ならば、どうぞ切ってくれ」と譲りませんでした。こんな経緯のあった友人ですが、実は今でも挨拶を交わす仲です。全く職種が異なりますから、そう頻繁に顔を合わせる訳ではありませんが、2人の間には何の蟠(わだかま)りもありません。皆様は、このようなことはないかもしれませんが、友人とは、ただベタベタとした付き合いをするのではなく、キチッと伝えることが大事なのではないかと思います。

▼お酒をお控えください

三宅光雄先生とは、WCRPの世界大会などの大きな場でもお世話になる間柄ですが、いつでも光雄先生は言うべきことははっきりおっしゃる。けれども一方では、非常に細やかな気遣いをされる方ですので、その姿に感動した私は「是非、お手伝い(青年部会の事務局長)をさせていただきたい」と申し出た訳です。

もう数年前の話になりますが、ご体調がいまひとつ優れなかったのか、光雄先生にお元気がなく、心配した時期がありました。それからしばらくして開催された研究会後の食事会の席で、光雄先生はずいぶんと回復されたご様子で、普段はほとんど口にされないお酒まで飲まれました。われわれなら、こういった席ではいつもお酒を飲みますから、飲酒は珍しくもありませんが、たとえコップに1杯でも普段飲まれない光雄先生が飲まれるとなると、逆に周りは心配になる訳です。「しかし、そんなことは光雄先生には言えない」と、皆言っていましたが、当時すでに、光雄先生は泉尾教会の大切なお立場にあられると同時に、世界の様々な場で活躍される第一線の宗教家でもある訳ですから、体は大切にしていただきたい・・・・・・。そんな思いで、幹事長経験者の中から誰かひとりが光雄先生に、無理してお酒を飲むのは控えていただくように伝えることになりました。

そこで「誰が言うのか?」という話になった時、光雄先生のすぐ年下にあたるのが私でしたので、皆「田中君に言ってもらえたら・・・・・・」という雰囲気でしたが、ひとまず誰でも、最初に会った者がお伝えしようということになりました。その後、私は東京でお会いする機会があったので、研究会後の食事を十分ご馳走になった――研究会後の食事の時は、先輩である光雄先生がいつもおごってくださいます――後で、「三宅先生、今日はちょっと申し上げにくい話があるんですが、聞いていただけますか?」と切り出しました。光雄先生は「田中先生のおっしゃることなら、何でも聞きますよ」と快く応じてくださったので、これはチャンスだと思い、思い切って「三宅先生が、食事の席でひとりだけ飲まないと皆が気を遣うと思い、一緒にお酒をお付き合いくださるのは嬉しいのですが、平素まったく飲まれない光雄先生が飲まれるとなると、青年部会の者は皆、逆に心配になります。どうか、お付き合いされる場合は、2次会まででお止めになっては如何でしょうか?(会場笑い)」と申し上げました。

私が光雄先生をお食事に招待して、ご馳走した席で、かような科白(セリフ)を申し上げるならば判りますが、私も心臓が強いものですから、逆に私がおごっていただいた席で、「三宅先生、お酒をお控えください」などと伝えたわけです。そんな私の話に光雄先生は耳を傾けてくださったあと、「田中先生、よく言ってくださった。そこまで言ってくださるのなら、遠慮無く私もお酒を控えさせていただきましょう」とおっしゃいました。それを聞いて、私も大変嬉しかったのを覚えています。ですから、どうか皆様も、本気と本気で。本音と本音でぶつかり合えるような青年同士でいて欲しいと思います。

私も日頃まだまだ若いつもりでおりますが、年齢的にはもうすぐ50歳に手が届こうという歳です。この歳になると、言い過ぎたり失敗したりしましても「済みません。若気の至りで失敗しました」のひと言ではなかなか通用しなくなってきます。それに比べると、10代から20代、30代ぐらいまでは、勢いよく鉄砲玉のように挑戦して失敗したとしても、「済みません。若気の至りでご迷惑をおかけしました」と頭を下げれば、それで済むんですから、そのような時にどんどんいろんなことに挑戦すると良いですね。


▼無一物中無尽蔵

もうひとつ私のエピソードを紹介します。おそらく、泉尾教会にもよくお越しになるので皆様もよくご存知だと思いますが、一燈園の当番(最高責任者)の西田多戈止先生という先生がおられます。西田先生は、私よりも、むしろ私共真生会の会長とお歳が近い方です。今から20年近く前に、東京でIARFの世界大会(註:一九八四年に開催)がございましたが、私ども真生会は、初めてそのような大きな大会に参加させていただきました。見るもの聞くもの珍しく、私は会長先生と共に東京で数日を過ごしておりましたが、その折、一燈園さんの教団紹介のワークショップがありました。

以前から「京都の有名なご教団だな」と名前だけは存じておりましたが、ちょうどワークショップが行われ、一燈園の教えに触れる機会がございましたので、私も参加いたしました。一燈園の活動は、皆様もよくご存知だと思いますが、様々な場所におけるトイレ掃除の実践や、「無一物中無尽蔵」という無所有の教えをもとに活動されています。一人ひとりは何も持たないけれど、なんでもある。すべてが神様仏様からお与えいただいたもの・・・・・・。そういった考えは、われわれ仏教徒の教えにも通じるところがあるなと思いました。

最後に、一燈園は明治37年、西田天香さんによって創始された生活共同体で、自然に叶った生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも、許されて生かされるという信条のもとに、常に懺悔(ざんげ)の心を持って、無所有奉仕の生活を行っているところです。ここの「光泉林(註:光泉林は昭和四年現在地に開設され、財団法人として認可された。約十万坪(三十三ヘクタール)の土地に、数十棟の建物があり、二百数十人の者(同人と云う)が生活を共にし、懺悔報恩の心を持って捧げた働きをすることを念願している(一燈園HPより抜粋))」は、ある事業家から寄贈されたものらしいですが、「一切無所有」という創始者・西田天香師の生き方に準(なぞら)えて、年に一度この聖地を捨てるそうです。

一度、聖地(一燈園)を捨てることで無一物になり、またゼロから始めることによって、開祖(西田天香師)のお心を受け継いでおられるという話を聞き、「凄いなあ」と感心しました。小さいお子さんやお年寄りや子育て中で大変なご婦人方は除きますが、それ以外の方々は皆、聖地を捨てて出る訳です。そうして一燈園を出た後、路頭で暮らすのですが、そこへ一燈園に残った人の代表者が追いかけてきて「私たちだけではこの聖地をお守りすることはできません。是非戻って来て、この聖地を受け取って下さい」と頼みに来られるそうです。それを受けて、皆が再び聖地へ戻り、再び1年間修行をされるそうですが、これを毎年繰り返しているとのお話でした。

当時、私はまだ20代と若かったものですから、この一燈園の『総路頭』のお話を伺った時に疑問が湧いてきたんです。何しろ、場はIARFの世界大会ですから、緊張もしています。しかし、うちの会長先生に「ひとつ質問をしたいことがあるのですが、質問してもいいでしょうか?」とお尋ねしたところ、「責任は私が取るから何でも質問しなさい」との返事が返ってきました。質問者は「教団名と名前を言うように」とのことでしたので、「岐阜の真生会の田中と申します」と名乗った後に続けました。

「(西田)先生のお話は大変素晴らしく、感動いたしました。私の属する教団にも様々な修行がございますが、うっかりすると単なる行事になってしまいます。修行ということも、知らないうちに行事になってしまう訳です。そこで、大変失礼なことをお伺いしますが、先生の教団の『総路頭』は行事になってしまっていないでしょうか? 先ほど『本当に捨てる』とおっしゃいましたが、捨てたにもかかわらず、2日も経てば誰かが頼みに来てまた一燈園へ戻る。1年経ったら、また聖地を捨てるが、再び誰かが迎えに来て、またまた戻る・・・・・・。これは行事と言えなくはないでしょうか?」と尋ねたのです。

それを聞かれた西田先生は――ここだけの話ですが――その時は「この若造、なんてことを訊(き)くんだ!」と言わんばかりにグッと私を睨(にら)まれました。私もその表情を見た時は、さすがに「しまった! 要らないことを訊いてしまったか……」と思いましたが、この質問の意図は、批判でもなければ貶(けな)すためでもありません。ただ、真剣に信心の道を歩もうとしている血気盛んな若者の「本当に教えて欲しい」という思いだけでした。場が場でしたから、怒る訳にもいかなかったであろう西田先生は、グッと睨まれた後にこうおっしゃいました。「君の言う通りです。君の言う通り、同人(共同生活者)さんや光友(一燈園生活の共鳴者)さんの中には『また今年も外へ出たふりして、2、3日経ったら再び戻るんやな』といった風に、行事と捉えている方もいるかもしれません。しかし、少なくとも私や幹部は本気で捨てています」と・・・・・・。私はドキッとしながら「よく解りました」と答えたのですが、これが西田先生との感動的な最初の出会いでした。

それからWCRPにも出させていただくようになったのですが、人間、ご縁とは不思議なものですよね。仏教の教えの中には四苦八苦といって「愛別離苦(あいべつりく)(愛する者とは離れなくてはいけない)」の一方で、「怨憎会苦(おんぞうえく)(嫌ったり憎しみあったりする人とは離れられない)」という苦しみがあります。私も何も解らないままWCRPへ出向くようになったのですが、悉(ことご)く西田先生と勉強会でかち合うのです(会場笑い)。10人から20人ぐらいの勉強会なのですが、そこへ西田先生がお見えになると、「この間、叱られた西田先生だな」と緊張します。とはいえ、せっかく東京まで出向いておきながら何も言わずに帰ってくるという訳にはいきませんから、たとえトンチンカン、チンプンカンプンであっても私は何か話して帰るようにしているのですが、これが悉く西田先生のご意見とぶつかるんです。こうなってきますと、言葉は悪いですが、西田先生は私の天敵です(会場笑い)。

ある時、京都の伏見稲荷大社で韓国に関する勉強会があったのですが、この時も西田先生がご一緒で、席も隣だったのですが、その折に西田先生から「田中君、君は意見を述べるところは良いけれども、もう少し勉強してから言わないと・・・・・・」と言われたことがありました。私はそれを聞いて「ああ、何でもかんでも思いつくままに言えば良いという訳ではないのだな」と思ったのですが・・・・・・。そんなこともございました。また、別の大会に、私が会長先生のお供で参加した時に、西田先生にお会いしたこともございました。私は「こんな機会にこそ、会長先生を紹介しなければ」と思い引き合わせたのですが、トップとトップは違いますね。パッと出会われた瞬間に、パシッ、パシッと何かがスパークしたようです。お互いに何か感じるところがあったのか、それ以降、うちの会長先生と西田先生が親しくなったのをきっかけに、(息子である)私も可愛がっていただけるようになりました。

真生会の観音様を建てた時も、西田先生に落慶式にお越しいただきました。この大きな観音様は、土台がコンクリートで打ちっぱなしになっているのですが、これをご覧になった西田先生が、お接待の手伝いをしていた私に「田中君、この度は大変立派な観音様ができたと思うのだけれど、コンクリートで打ちっぱなしの土台は、そのままではいかんと私は思う。いずれ将来は、皆さんにちゃんとご寄付してもらって、あの部分にタイルをきれいに貼ると良いと思うな」とおっしゃいました。大勢の先生がお見えになっている中、そんなことを言って下さったのは西田先生だけでした。しかしこれは、喧嘩したり、相手を非難したりしているからではなく、求めるものと求めるものがバチッとぶつかりあった本気の出会いがあったからこそのひと言だと思うのです。年齢からすれば、かなり年下の立場である私が申し上げる話ではありませんが、西田先生には今でも齢の差を超えて可愛がっていただいています。


▼おかげは和賀心にあり

今日の若者を見ていると、本当はエネルギーが一杯あるにも拘わらず、非常に大人しくしているような気がいたしますが、うちの会長先生は、よく「人間、若いうちから貴公子になってはいけない。むしろ山賊で良い。荒削りで良いのだ」と言われます。私は、泉尾教会の親先生も、この荒削りで、溌剌(はつらつ)とした若さの爆発を望んでおられるのではないかなという気がします。私は、泉尾教会へは何度も来させていただいておりますが、そのうち二度ほど、早朝のお祈りに出させていただいたことがありました。3時や4時といった早朝に、あの石畳の拝礼殿の上でお参りをさせていただく・・・・・・。毎日、出るようにと言われたらちょっと困るかもしれませんが(笑い)、私はこの時、「素晴らしいお祈りだな」と大変感動いたしました。

その際にいろいろと唱える言葉がございましたが、その中でも強く印象に残っているのは「御神願有難うございます。御神願有難うございます」という言葉。そして、「おかげは和賀心にあり。今月今日で頼めい」という言葉です。私ども真生会のお釈迦様の教えに、「一念三千(註:その人が、心の中で深く深く思ったことは、必ず自分の身の回りに現れ、三千の世界を創り出す)」というのがあるのですが、これを簡単に説明しますと、「世の中は自分の思い通りにならないけれど、一人ひとり『必ず実現できる』と心から願えば必ず実現できる。反対に、一所懸命願っても、心の中で『無理だ』と思っていたら、それは絶対に無理。だから、頭の中で『これは難しいかな』と思っても『きっとやるぞ』と思えば必ず実現できる」といった意味なのですが、心の奥底に刻まれたことは、良いことであろうと悪いことであろうと必ず実現するのだから、「実は、自分の目の前で起こることは自分が呼び込んでいる」という仏教の教えです。

これに対し、金光教泉尾教会の「御神願有難うございます」という言葉は、私は心に刻まれた思いのように感じます。この世の中、この自分の人生、すべて神様が既に創り上げて整えて準備していただいてるものだから、「有難うございます」とお礼を申し上げる決意のようなものなのかな、と・・・・・・。むろん、これは私個人の感じ方ですから、親先生がお説きになる時はもっと違った角度かもしれませんね。

本日、青年大会にお見えの方の面々を拝見しておりますと、ご信心が一世の方も大勢おられますが、2世、3世の方も見えます。私は教えにおいては3世になりますが、うっかりすると「親が信心していたから、知らないうちに自分も信心している」ということになりかねません。もちろん、それも悪くはないのですが、「自分は何のために信心するのか?」あるいは「何を求めて信心するのか?」といった具体的な目標を持つことも非常に大切だと思うのです。先程、青年会員の方が「世の中のためになろう!」と感話されていましたが、確かに究極の目標はそこかもしれません。けれども、まずは自分のためで構わない。「自分は何のために信心をするのか?」そして「何のためにお祈りをさせてもらうのか?」といった具体的な目標を掲げて、神を求め、信仰することが大きな力になると思います。

早朝の寒い中、お祈りさせてもらった時に印象に残った言葉、「おかげは和賀心にあり」とは、つまり自分自身であり、「今月今日で頼めい」とは、「ただ漠然と信心をするのではなく、具体的な信心を求めよ」ということ。そして「私はこうなりたい、こう進みたい」としっかりとした目標を持った時に、それが心の奥底に思いとして刻まれ、実現するのだと教えておられるのだなと思いました。

「おかげは和賀心にあり。今日で頼めい」これを私たち仏教徒の言葉で言うならば「一念三千。深く心に刻め」でしょうか・・・・・・。同じ言葉を繰り返すことによって、心に刻み込まれてゆくんですね。「御神願有難うございます。御神願有難うございます」と、皆さんは毎日のお祈りの中で何度も何度もお唱えになるでしょう? それは必ず心に刻まれてゆきます。私たちも毎日お祈りして、毎日法華経を唱えますが、仏教の教えには「読誦せよ」つまり「お経を読み、かつ暗唱しなさい」と書いてあります。「暗唱しなさい」というのは、たとえお経の意味が解らなくても、繰り返し唱えることによって、その功徳が積み重なってゆき、自然と自分の運命が良くなってくるんですよ。この点は、金光教様の教えも同じなのかな? と思います。


▼見るのも縁、聞くも縁

私は、日本人には「察する文化」があると思うのです。よく「お察しください」と言いますが、これは言葉の行間に、そして裏に真実のある文化だと思うんですよ。これは非常に複雑な文化です。奈良時代や平安時代に書かれた文献資料を見ても、緑色だけでも、当時の人は何十種類もの緑に区別して見ています。『色帳』(色の見本)を見ても、十二単を見ても、現代人の目から見れば同じような色が何十種類とある。日本人にはそういった細やかな違いを感じ取れる感性があったから、相手の心を察することができたのだと思います。

ところが、現代になるにつれて、世の中がだんだん便利になってきたことと裏腹に、日本人の感性が豊かでなくなってしまった。ですから、「言ってもらわなければ解らない」とか「言葉で言わないと通じない」ということになるのだと思うのです。もちろん、言葉は選ばなければなりません。言葉が汚いと、言葉の乱れは生活の乱れ。生活の乱れは必ず心の乱れとなるのですから・・・・・・。言葉は本当に大切です。

一燈園の『総路頭』のお話を伺った時、私は本気で西田先生にお尋ねしたから、西田先生も本気で答えてくださった。年齢の差はあれど、それが、以来ずっとご縁を深めさせていただくきっかけとなりました。ですから皆さん、若いうちは出る杭になりましょう。打たれたっていいじゃないですか。打たれて初めて間違いに気が付いたり、また、素晴らしさも解るのです。「何とか叱られないように・・・・・・」と、失敗しないよう小さく小さくなっていてはいけません。本気だからこそ、自分の解らないことは本気で尋ねる。そして、本気で尋ねるからこそ、本当のことを教えていただける・・・・・・。

そして、自分のことばかりでなく、ここ泉尾教会の御教えにもあるように、「心も体も世の中のお役に立ちましょう」ということになるので、自分の能力を精一杯使わせてもらい「神様に喜んでもらえる信心」に本気で取り組みましょう。そうすれば、「世のお役に立ちたい」という思いは周りへ拡がってゆきます。本日は『神様に喜んでいただける信心』というお題を頂きましたが、実際、神様が喜んでおられるかどうかは、目で見て確かめることはできません。けれども、そういう時は、師匠である親先生が喜んで下さる。家庭でいえば親が喜んで下さる。それが神様が喜んで下さっている証(あかし)です。そんな行いが積み重なったその先で、神様仏様が喜んで下さっているのです。

そろそろ時間になってまいりましたが、最近の映画の中で最も人気がある『ダヴィンチ・コード』を観られた方はおられますか(会場に挙手を求めて)? その次に人気があるのが『LIMIT OF LOVE 海猿』ですが、ではこれを観られた方は?そして3番目が若年性アルツハイマーをテーマにした『明日の記憶』ですが、私はこの映画を京都で観まして、2度とも泣きました。思わず嗚咽(おえつ)が漏れそうになって、ぐっと堪えたほどです。主役の渡辺謙氏は49歳で、私と同い年なんです。実は、私どもの仏教の教えの中に「見聞測知、皆菩提に近づく」つまり「見るも縁、聞くも縁」という言葉があります。ですので「私も(映画の主人公と同じ)49歳。このような映画を観たら、私も認知症に近づくのではないか?」という錯覚に陥り、最初は見に行くのは止めようと思っていました。しかし、実際に観て来て、私は大変感動いたしました。


▼自己中心の人と信心する人の物忘れ

少し前に、韓国映画で『私の頭の中の消しゴム』という作品がありましたが、これも若年性アルツハイマー型痴呆をテーマに取り上げた映画です。医学的な見地ではまた違うと思いますが、私はあの2つの映画を見て「どうして人は若年性認知症になるのかな?」と考えました。BSEに罹った牛肉を喰ったから? 食にうるさい日本人にとって、それが原因とは思えません(会場笑い)。普通の認知症のようにある程度高齢になってから罹るという訳でもない。

『私の頭の中の消しゴム』の中で認知症になるのは、28歳の若い奥さんです。映画の中で、彼女が若い頃に不倫をしていた相手の家庭が崩壊するのですが、その時は警察の厄介にもなり、親ともバトルがあったみたいです。そんな状態が落ち着いた後に、「この人と結婚したい!」と連れて来た男性は、親が大反対していたその人でした。しかし彼女は親の反対を押し切って結婚をし、「さあ夢のわが家が建つぞ」という頃にぐっと呆けていくんです。

自分の幸せだけを考えて、親が反対しようが、周囲が心配しようが、相手の家庭が崩壊しようが、「私はこの人と一緒になりたい。誰がなんと言おうとこの人と結婚する!」どこにでもある話かもしれませんが、その背後には自分中心的な考え方が蔓延(まんえん)しています。もう一本の『明日の記憶』の内容は少し異なります。家庭のことは一切顧みず、会社では猛烈社員、猛烈部長で通っている。部下の話はまったく聞かないが、上司には「ハイ。ハイ」と言う。これは「一生懸命働いてはいるけれども、自分中心的な考え方が病気の根底にある」と言えますね。私はそう見ています。そういう人がいっぱい増えてきたから、若年性認知症のような病気が流行(はや)るんですよ。大勢の人のために自分を使ってこそ、初めて心が、脳が豊かになるのに、自分のことしか考えていないから脳が萎縮してくるのではないでしょうか?

けれども、うち(真生会)の信者さんにも言っているのですが、お参りしている人は大丈夫です。自分の小遣いの中から、ご供養してご寄付をして、人のやらないボランティアをして、一生懸命自分以外のことをやらさせていただいているうちは、私は大丈夫だと思っているのです。そんな話をある所でしましたら、まだ37、8歳の奥さんが「先生、私も危ないんです。認知症かもしれません」と私に言うんです。「何で?」と尋ねたら、「私、この頃道が覚えられず、忘れてしまうんです。勤めていた頃、会社のすぐ近くにあった美味しいレストランや喫茶店によく足を運んだんですが、今でもその喫茶店やレストランの店名は覚えてるんですが、そこへ行くまでの道が思い出せないのです。電車に乗って行こうと思っても道が判らないのです。先生、私は認知症なのでしょうか? 私には小学校に上がる前の子供が2人いるので心配です」とおっしゃる。私はその人に対して「大丈夫!あなたは認知症ではありません。あなたは単なる極度の方向音痴です(会場笑い)。認知症とは、忘れたことを忘れるのです」と答えました。

金光教のご信者の皆様は大丈夫でしょうが、よく巷(ちまた)ではお爺さんやお婆さんが「財布が無くなった。あれは嫁が盗んだんや。嫁に違いない」と言う人がありますが、認知症の人は、たとえどこかの引出しから財布が出てきたとしても、自分がそこへ財布をしまったことも忘れてしまっています。ですから、財布が出てきても、相変わらず「やっぱり誰かが隠していたんや。きっと嫁が隠したに違いない」と言ってしまうのです。しかし、財布が見つかった時に「自分が引出しに財布をしまったことをうっかり忘れていた」と認知できる人は認知症ではありません。自分の失敗が判るうちは認知症ではございません。私もよく物忘れをしますが、「認知症ではないな。これは単なる年相応の物忘れだな」と思っています。

宗教家は、特に泉尾教会の大恩師親先生や、先日ご帰幽なされた龍雄大先生も、お齢を召されれば召されるほど、頭が明快でした。おそらく、常に人様の幸せを願う人は、お齢をとられても頭はますます冴えるのでしょう。肉体的には齢を取っていても、頭はどんどんと冴えてくる。むしろ、若くても自分のことしか考えない人は若年性認知症になるんです。

今日は『神様に喜んでもらえる信心』という講題で、本気で教えを求めること。また「お互いに『こうしたらいいんじゃないの? こうしようよ』と本気で求め合える青年会として大いにご発展いただけるように」との思いを込めてお話しさせていただきました。去年は私ども真生会の本山へキャンプに、泉尾教会の青年会からも何人か来ていただきましたが、どうぞ今後とも私どもの会の若者たちとも仲良くしていただいて、一緒に育てていただきたいと思います。以上で私のお話を終了させていただきます。本日はご清聴有難うございました。

(連載おわり 文責編集部)


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