▼△ 男子壮年信徒大会記念講演 △▼ 

今ここに生きる! 21世紀へのメッセージ



曹洞宗東光院「萩の寺」住職
村山廣甫

2月20日、『新生―活力を!』を大会テーマに男子壮年信徒大会が開催され、曹洞宗東光院「萩の寺」住職の村山廣甫師が『今ここに生きる!21世紀へのメッセージ』と題して記念講演を行った。


*名刹萩の寺の復興


 失礼いたします。お手元に二枚ほどレジメをお届けしておりますが、本日は、この教会の三宅善信先生から「元気をつけるお話をしてほしい」ということで、まあもともと元気人間でもありますものですから、自分の体験を含めまして少しこのようにまとめてみました。

 実は私は大阪の天王寺に生まれまして、去年NHKの大河ドラマでブームになりました忠臣蔵の「義士の寺」の長男でございます。ですから、戦争に負けた後、いろいろと苦労をいたしまして、京都に疎開した父がいわゆる「マッカーサー指令」(註:日本を占領した連合国軍は、日本人が復讐行為に走るのを恐れて、歌舞伎や時代劇の仇あだ討うちもの、特に『忠臣蔵』の上演を禁止した)でいろいろな宗教活動を禁じられたりしまして、その中でいろいろと両親の背中を見て「宗教家になろう」と決意した人間でございます。

 ですので、今の豊中の「萩の寺」という寺に入りました時、この寺は「朝起きて泣き泣き暮らす東光院」とすぐに俳句を詠んだくらい疲弊しておりました。ところが、このお寺は、その昔は、今の造幣局―お金を造っている所ですよ―その正門の左半分から太閤園あるいは淀川小学校に至るまでの広大な境内地を有していた東照宮を別当(註:江戸時代までは、多くの神社は寺院の管理下に置かれていた)しておりました格の高いお寺だったのです。

 最後の将軍徳川慶喜が、戊辰戦争で負けてしまって、大阪の街が長州薩摩の連合軍、特に長州に占領されるわけですが、ちょうど、家康公の二百五十回忌の年だったそうでございます。その二百五十回忌の時の日記が残っております。

 私が43か44歳の時に中国の少林寺に行ったのですが、(文化大革命の影響で)お坊さんはとにかく抑圧されて、誰一人としてお寺に参拝しなくなり、達磨様の尊像に向かって細々とお坊さん方がお経をあげておられましたが、この日記によると、まさにそのような法要を当時の大阪の私共の大先輩は、その時(明治維新期)にしたようでございます。

 そこで私は「そのような由緒あるお寺がこの豊中でこれだけ朽ち果てておるんなら、これは絶対に頑張らなければならない」と思いました。そこが私に求められ、今ここに生きるということであります。

 バブルがはじけたり、あるいは岩戸景気、神武景気、いろいろありました。しかし、よく考えれば、必ず世の中は栄枯盛衰、流転するものでありますので、今、自分が置かれている立場で最善の使命を見つけ、使命を悟ることこそ、やはり仏様の道であろうと考えたわけであります。そこで今日のテーマは「今ここに生きる!」です。イギリスでは「もう21世紀だ」と言っているようですが、私は今年までは20世紀だと思っておりますので、そのようにさせていただいております。


*感謝の心が原動力


 私は、つらいこととか、悲しいこと、ピンチが来た時には必ず感動を覚えるように自分をもっていきました。感動を覚えるようにもっていきますと、必ずそこに感激というのが出てくるのです。しかし、これは簡単に頭で出来るものではありません。必ずそこには同志というものがいります。同じ志を求めるものは必ずいるんです。私の檀家にセルフ大西という会社があります。私の代になって檀家になられた方でありますが、このセルフ大西はいわゆる定価商法というのを定着させるために三年間は飲まず食わず、給料を払えるどころではなかったんです。社長以下、専務、各々今では立派な人になっています。この方々は二年半の間、給料は一銭もなかったのです。

 しかし、ひとつの辛いこと、悲しいこと、ピンチが到来しても、そこにひとつの使命と天命を考えて感動して頑張ったのですね。「辛いことがどんどん起こってくるのはありがたいことだなあ。辛いことがまた来ましたな。これで私はもっと強くなれんですよ」という風に自分をもっていくのです。また悲しいことが自分に来ますと、「ああ悲しいことだなあ。でもこのことで人の悲しみが分かるすばらしい人に自分はなれるのだなあ」と、ピンチがやって来ますと「これこそさらに強くなれる、たくましくなるチャンスが到来したのだ」と考えるのです。

 そうなりますと結論は、この世におきまして元気の大本は感謝であります。先程のお二方(註:感話をした会員)がおっしゃいました感謝、有り難うという言葉こそ、また心から出る「有り難う」という全人格のほとばしりこそ、全てにおいてやはり私共の自己実現の原動力だと思います。

 そこでひとつおもしろいお話をいたします。昨年ちょうどこの日、薬師寺で行基菩薩の一二五〇回忌の記念講演をいたしました。行基様のお寺でもある萩の寺は、もともと租庸調の税を国へ納めるため奈良の都へ来る人たちや、朝廷の役人が来た時に宿舎や食事を与えたり病気になったら治したりする寺なのですが、帰りしなは放ったらかしになるのです。そしたらやはりね、大多数の人が悲惨な目にあった。

 まず餓死をする人、病気になって野の垂たれ死にする人、いろいろ出てきたのです。それを救おうとしたのが布施屋というもので、今で言ったら何でしょうか、あいりん地区なんかにあります、いわゆる救済施設です。行基さんはその救済施設をたくさん作った。そのひとつがもともと大阪の波打ち際、南浜にありました東光院なんです。そして、今あります豊中の方での有名な布施屋さんというのは、伊丹に昆陽寺というのがありますが、これは病院でございます。


*戯曲「どろかぶら」に学ぶ


 話を元に戻しましょう。そういうような時代に設定して創られたおもしろい話でございます。『一人どろかぶら』というひとつの戯曲があります。新制作座が公演していまして、今で二万回を超えているそうです。二万回を超えているんです。この劇をごらんになった方おられますか?

 昨年、実はこの新制作座にお願いして『行基菩薩』というものを戯曲としてフェスティバルホールで公演させていただきました。一部に『どろかぶら』という戯曲が入ったんですが、これはお話を簡単にいたしますと、行基菩薩の時代というのは、非常に貧しい時代です。日本の国がまとまるか、まとまらないかという時代だったのです。

 奈良時代は今、歴史的には非常にすばらしい時代のように言われていますが、本当はもっと暗いみじめな時代です。日本は、いつどうなるか判らない。今よりもっと悲惨な時代であったようです。だから聖武天皇は大仏を作って元気をつけようとされたんです。

 その頃、ある村に貧しい一人の女の子がいました。お父さんはどこに行ったかわからない。お母さんは死んでしまって孤児みなしごです。天涯孤独ですから、いつも汚い恰好をしているし、ある意味では弱い立場でありますから、皆が苛いじめます。唾つばをかけます。石を投げます。もちろん一緒に遊んであげるようなことはいたしません。どこかの国の今の苛めみたいなものですな。

 だけどこの子は非常に気性が激しかった。だから石を投げられたら石を投げ返した。唾をかけられたら、かけ返した。そして遊んでくれなければ一人丘に上がって夕陽を見て知らん顔しておった。そのような生活をしておった。人生においてその子自身も考えた。このままでは自分はどうなるんだろうか……。

 そこへ一人のお坊様がまいります。行基菩薩です。行基がその村に来てその子のなりゆきをじっと見ているのです。「気性の激しい子だなあ。そして絶対に負けん子だなあ。よしわしが助けてやろう」ということで、その子がいつものように丘の上で夕陽を見ながらたたずんで座っているのを後ろから肩を叩くのです。「どろかぶらよ、お前は本当はすばらしい子なんだ。だけども今のままではダメだよ」。

 そこに私が書きました三つのことを行基様がおっしゃいました。
一、自分の顔を恥じないこと
一、どんな時にもニッコリ笑うこと
一、人の身になって思うこと

 こう言われた時に―ここが大切ですよ皆さん―入信の問題なのだ。入信というのは信じることなんです。このお坊様がおっしゃったこと、これを続けるのは非常に大変なことだ。しかし、このことで自分が良くなるのならやってみようかな。葛藤しますよ。今まで以上に悪くなるか、良くなるか判らない。自分としてはこんなことをしたくない。いつもニコニコ笑って、なぐられようが石を投げられようがニコニコ笑わなければ仕方がない。何を言われても何をされても人の身になって行動していたら、お人好しと思われるかもしれない。自分の顔を恥じないことというのは、自分はどろどろでむさくるしいボロをまとっているけれど、私こそすばらしい人生を持ってる人だと思うことでしょう。

 こんなことは大変だなと思ったんです。しかしこのままではどうにもならない。よしやってみよう。その次ですよ。この子はやってみようと思った。最後までやるのです。

 実はこれが今日の命題です。先程申しました通り、どんな時にもニッコリ笑う。と言っても笑えないことばかりあります。愚痴ばっかり言ってる人は絶対に笑えません。

 それから「人の身になって思え」と言いますけれど、今いろいろな問題が起こっています。少年法の問題にしても、同じように殺人をしても歳が一歳違ってそれで不問に付せられて、殺された方はそのままもう原因も判決も何にも分からない。こんなことでいいのだろうか。「人の身になって思え」、いろいろ。そんな議論もございます。

 また「人の身になって思う」といえば、アメリカのロスアンゼルスの中学校は先生が全員ピストルを持っているということをどういうふうに説明したらいいかということです。ですから「自分の顔を恥じないこと」というのは、自分は素晴らしいものだというふうに考えることですから、なおさら難しい。でもそれを実行します。どんなことがあっても、人と協調し、また常に笑うように努めていきます。


*守り通した三つの言葉

 ところが、ある時とんでもないことがおこります。極めつけみたいなことで濡れ衣を着せられます。実は、このどろかぶらという女の子を嫌って苛めておった者が村一番の美人と言われ一番お金持ちであるといわれていた庄屋の子です。この人をこずえといいます。ここにこずえさんという人がおられたら堪忍して下さい。これは戯曲なのです。

 こずえさんという人がどろかぶらを非常に苛めるのです。ところがある時に「助けて」と言ってどろかぶらのところに走って来るのです。舞台を思い浮かべますとよく分かります。その後ろからお父さんの庄屋が鞭を持って追いかけて来るのです。それはなぜかというと、庄屋が命よりも大切にしていた茶器を割ってしまった。しかもこのこずえが、「これはどろかぶらが割ったんだ」と言うんです。

 さあ、皆さんどう思われますか、ここでこのどろかぶらはその時に、「それは私がやったのではない」と言わなかった。自分を一番苛めた子、この子の気持ち、人の身になって思うことと言われたもんだから、これを実践したのです。黙ってこずえを庇おうとし、庄屋は当然、どろかぶらに先入観を持っていますから、こんな汚い奴でいつも喧嘩ばかりしていると思っていますからそのままその子を折檻します。

 そして折檻(せっかん)されている最中に「こんなもの止めよう。行基様がおっしゃったこの三つの言葉、あんなことで私は良くなるとは思えない」という気持ちになるのです。必ず人間そうなりますよ。何もない人は楽だけど、「仏様をお祀りしなさい。神様を拝みなさい。感謝しなさい」では、段々しんどくなって来る。

 「そんなもの無い方が良い」という気にもなりますが、この子はそれを打ち払います。そしてついに感動が訪れるのです。もう鞭で叩かれて体はぼろぼろになって、また丘の上の夕陽を見ながら泣いておった時に後ろからそっとやってきた人がいます。それは自分を貶めたこずえなのです。

 自分が一番大事にしていた宝物である櫛を差し出すのです。「助けてくれて有り難う。本当に悪い事をした。これは私の宝物だからあんたに貰ってほしい」と言ってくるんです。その時初めてどろかぶらは報いられたことを知る。そして「その櫛はいらないから、どうかその心だけでいいからこれから仲良くしてね」と言いました。その時にこずえはさらに感動してどろかぶらの泥を払って櫛で梳すいてあげて傍かたわらの花を挿してあげる。

 それから人生が逆転してしまいまして、今までの評価がどんどんと変わってきます。そうすればなおさらこのどろかぶらはお坊さんの三つの言葉をさらに実践して行きます。喘息持ちの老人の家には山奥に入って薬草を取って持ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、あるいは子守りをしてやったり、人の嫌がることを次から次にやっていきます。だから村人にとってついにどろかぶらは村にいなくてはならない人になっていく。ところがもうひとつ今度は凄い極めつけが来るんです。これはなかなか良く出来た戯曲だなと思っています。


*ニッコリ笑う心

人ひと買かいが来るのです。人買は今時、流は行やらないかもしれませんけれど、実は現在でも、外国では大いにあるのです。子供を売り買いする人がやって来るんです。この人買の名を次郎兵衛と言います。そして、このどろかぶらの親友である一人の娘を買っていこうとします。売られて行こうとする親友は泣き叫びます。それを見ていたどろかぶらは、ついに自分が身代わりになろうと決意する。そしてその人買次郎兵衛に「その子の代わりに私を連れて行ってくれ」と言い、次郎兵衛はびっくりする。目をむいて「お前、何を言っている。遊びに行くのではないということが判っているのか。もういいかげんにしろ。さっさと向こうに行け」と、はじめは取り合わないのですが、メソメソ泣いておる女の子と健康ではちきれんばかりのどろかぶらを見て、どっちが高く売れるか考えるのです。「よし、じゃあ、こっちのほうがいいな」とどろかぶらを連れて行くことにします。

ところが、どろかぶらは先ほどお坊さんの三つの言いつけを守っています。自分の顔に恥じない。自分の未来が必ず開かれるという信念を持っています。どんな時にもニッコリ笑っています。常に相手の身になって考えています。ですから、都へ上がる間、毎日毎日、何を見ても素晴らしい。何を食べても美味しい。どんな人に会っても常にその人を虜にしてしまう魅力がある。

ついに次郎兵衛はある時、置き手紙をしていなくなってしまった。そこにどう書いてあったか。「私はなんとひどい仕事をしておったか気が付いた。お前のお陰で、私の体の中にあった仏の心が目覚めた。だから、お前は仏の子である。どろかぶらよ、幸せになってくれよ」といってこの戯曲は終わるのですが、そこでやはり考えなくてはいけないこと……。これはわれわれの人生でもいくらでもあることです。

実は、私の知っている方で、もう一生懸命働いてお金を貯めて素晴らしい人に恵まれ喜んで結婚した人が、ある時、家へ帰って来ると、家の中には何にも無かった。もちろん貯金もすべて家財道具いっさい無くなった。こんな事件もあるのです。この人はそうなった時に死のうと思ったらしい。これは香川の人だったけど、私の青年会議所時代、同期の人だったのです。その人に私は五つの言葉を贈りました。

その五つの言葉を、この人は次の年の年賀状に書いて来た。この五つの言葉は、今日はご紹介しておりませんけど、簡単なことですよ。戯曲『どろかぶら』の三つの言葉が中心になっています。今の状況をうまく伝えられたかどうか分かりませんけれど……。偏らないで、捉われないで、広い心を持って聞いていただきたいのです。ここの「自分の顔に恥じない」、「どんな時にもニッコリ笑う」、「人の身になって思う」このことが、実はバブルが弾けたこの暗い世相なので、すぐ吹き飛ばされるということを知っておいてもらいたい。


*何か「一番」を作る

それをするために、十枚のカードというのをレジメの二枚目に書いております。あと十五分しか時間がないので、ちょっと早く行きます。そこに十の言葉を書いておりますが、「何事も一にてあるべし」ご承知の通り「一」という字を山門の扁額に掲げてある禅宗の寺というと、宇治の黄檗山万福寺。あそこに行きますと「当観第一義」と書いております。われわれの宗門であっても一と言うのは「禅即一」第一ということを非常に大事にします。なんでも「皆さんそれぞれが一番になりなさい」ということです。そのどろかぶらも一番になったのですよ。その一番とはどんなものかということを私が考えたのです。

早起き一番、幸福一番、笑顔一番、勇気一番、親切一番、健康一番、成長一番、学業一番、食欲一番、挨拶一番、元気一番、信用一番、愛情一番、評判一番、出世一番、成績一番、信頼一番、積極一番、忍耐一番、友情一番、辛抱一番、根気一番、率直一番、気楽一番……。まだまだ一杯ある。どれかひとつ一番になったらいい。まずそれが大事。

清少納言が『枕草子』で「何事も壱にあるべし」と言っています。いったん決めた以上、自分の持っている「何か一番」を作るということです。これが自分の顔に恥じない自分を作る。なんでも良いから、プラスで積極的で明るいことで一番になって下さい。その自身と信念と勇気がわれわれの未来を必ず作るのですからナンバーワンです。皆さん!今日、ここに来て、この話を聞かれただけでもナンバーワンです!

禅師様もおっしゃっています。「何事も一番だからといって、何でもトップになることではない」んです。「自分自身で絶対人に負けないものを持ちなさい」ということです。そして、ただで大きな財産を持ちなさい。

大阪の万国博覧会で、日本館の正面、一番パッと入ったところにありました薬師寺の仏像―もちろんミニチュアでレプリカですが―仏像と「寒山」の字だったのです。「寒山」というのは夢窓国師という人が書いた字です。これは禅宗の方ですけれど「夢はタダ」です。ただで貰えるものです。しかも、夢はどんどん、どんどん大きく持てるものです。

夢を持って、夢を持ったら「一度きりの人生は一日が一生である」ことに気付いて下さい。明日が無いのです。一日が一生です。今が一生です。二度と来ません。そういう考え方、そういう生き方が二番目のカードです。

先ほど、お二方の社長さんのお話を聞きまして、「ああ、面白くないことを言ってらっしゃるな」と思った。お仕事が自分の義務である間は駄目です。まず、義務になって、義務が使命となり、それが天命だと悟った時には、どんなことが来ていてもくじけません。全部それが試練である。実験であると考えられます。

私は春秋に富む和尚さんだと言われています。いろんな目に遭ってきました。火をつけられて、兼務していたお寺の本堂が全焼したことがあります。それから、赤旗がぱーっと上がって、家内も私もみんな篭城して、がんばったことがあります。もっとひどいのは、私の行ったあるお寺は、境内が何ひとつ無かった。みんな人手に渡っていました。それも八年間、頑張って最高裁まで争って勝ちました。「自分がやっていることは間違っていない」と思っていたからです。ですから、夢というものを持てば、必ず、天命というものがあります。


*自己管理の大切さ

その次、私はあんまりこれは言えないのですが―最近ちょっとだいぶ肥えてきたのでいけませんが―やはり、元気の源は体力・気力です。気力がなければ駄目ですよ。私の弟がよく言ってますけれども、アメリカでは、経営者あるいはリーダーとなる人は肥えてはおりません。太っている者は、それだけで失格であるとよく言われているんです。東洋では肥えているものが上に立って偉そうにしていることがあるけれども、アメリカでは、そういう人は自己管理が出来ていないということになるんです。

私の弟は私の仏弟子で、禅宗の二等教師です。普通の和尚さんの位を持っていますが、京都大学の医学部へ行きまして、今、都立の老人研究所の所長をしております。老人問題のエキスパートとして活動しているわけですが、それが、いつも私の顔を見て、「今の日本人は、高価な薬ばっかり飲んで、自己訓練をしない。こんなことでは、長生きしたって、みな老後の生きがいの無い者ばかりになる。これではいけない」と、そういうことをよく言っています。

ここまでは、私たちの自己確立のシステムみたいなものについてお話してきましたが、次の所からは、個人の実践用になってきます。

私が萩の寺へ赴任しましたときに、畳は腐っているは、瓦は落ちているは、ご飯を食べたら木の葉が落ちてきたのを覚えています。それがいつだと思いますか?万博のときですよ……。昭和四十五年です。高度経済成長期で、日本人は名刹なんて見向きもしなかった。すごい宝物のある大阪の歴史そのもののような文化遺産のお寺を放っぽらかしです。

それで、まずやれることからやろうと思いました。雨漏りがするから畳はすぐ揚げないといけないし、しかし、揚げるにはもう腐ってしまってどうしようもない。盆踊りの練習をするのに、三十畳の大広間で土足でやっているような老人会だったんですよ。ですので、まず、畳をきれいにしよう、靴をそろえよう、履き物をきっちりしよう、モップを持って掃除をしてやろう。整理、整頓、清掃、清潔、躾け、その気持ちを自分に実践させていこうとしました。この5Sを実行しました。5Sなんて後で考えたんですがね……。


私の元でおととし剃度された方で、江坂に会社を持っている社長さんがいますが、私の5Sを実践しておられます。実は、その会社に行きますと、いつもトイレのところでラッパズボンを着てトイレ掃除をしている人が社長なんです。「実によく情報が判るんです」と、苦笑いしているんです。来たお客さんの本音がそこですぐ判るんですとね。

その上、その社長は、能力のある二人の社員のうち、どちらを抜ばっ擢てきしようかという時には、その人の整理整頓ぶりを見るため、日曜日にその人の自宅に夜討ち朝駆けをします。その会社で、この間、けっさくなことがあったんですよ。非常に優秀だと思っておった東大出のエリートがおりまして、(人事について)社長が「先生どうでしょうか」と聞くので、「さぁどうかなぁ。私はこつこつしていたもう一人の方がいいと思うけどなぁ」と言ったら、しばらくして「やっぱりそうですよ。あの東大生の家に行ったら、部屋を見てビックリしたんです。こそ泥が入ったみたいなんです」と……。仕事は確かによくするのですが、自分の足元は全くほったらかし。これは駄目ですね。

栗田工業とか、清水建設を見せていただききましたが、安全管理などのことについては、この5Sは絶対に大事ですね。やっぱり、事故は「起こさないように。起こさないように」と思ったって、絶対に起きますからね。それを防ぐためには、やはり、これを常に躾しつけていかなければなりません。「やらなければいけないからやりましょう」では駄目なんです。

この5Sというのは、やっぱり、気になったら鏡を磨く。曇っていたら「ちょっと拭いておいてやろうかな」と……。草履が散らばっていたら揃える。実は、そういうことが徳を積んでいくんですね。目に見えませんが集まってくるんです。


*「挑」も「逃」も自分次第

そして次が、ありがとうの教えです。感動というものをまず求めなさい。放火で宝塚の寺が焼けた時に私が考えたことは、宝塚の寺を再建することよりも、それを焼いた子供の親たちを教化しようと思いました。そして、その後、親たちと一緒に托鉢しました。まず人作りだと思います。物はいつでもできる。お金さえあればできる。今はお金が無いかもしれませんが、金は天下の回りものです。

ですから、こういうありがとうの教え、この(レジュメの)六番までは行くんですが、その次が「吉兆」の教え。実は「吉兆」というのは、禅の言葉なんですね。兆ちょうというのは兆きざしです。兆という字に「しんにょう」をかけてみたら逃げるという字です。兆に「てへん」をかけてみたら、挑戦するの挑です。つまり、今、日本の国家予算は兆という単位になっているでしょう。それが逃げられるのか、挑戦に使えるのか、これをわれわれ自身も考えなければならない。私どもは、やはりピンチが来た時に、これは兆きざしですから、それを「しんにょう」を付けるか、「てへん」を付けるかを自分で考えなければならない。

私の大学の逍遥歌に『桃花爛漫月朧』というのがあります。「古城の影を慕いつつ、身をや何やに迷う時」というような逍遥歌があるのですが、これはどういうことかと言いますと、夜桜を考えてみてください。桜が咲いているのを見たことがあるでしょう。枝や幹が見えますか?見ようとすれば見えますが、その時は全部真っ白な花を見ているでしょう。ところが、雨が降り、風が吹いたりすると、それは飛んでしまう。飛んでしまって残るのは、今度は幹と本体でしょう。ピンチもチャンスも実は全てこの花なんですよ。本体こそが大事なんですよ。

本体が花をどう持つか、雨が降って花を散らせたくないと思っても、それは散ってしまうんです。私は、桜の花は大好きなんですね。東光院(萩の寺)には樹齢八十年になるソメイヨシノがあります。これを春に満開にして見られるのがものすごく楽しみなんです。ところがこの頃、「咲くだろうな」と思う頃に雨が降る。今年はどうなんでしょうか?もう本当にすばらしい桜なんです。それが見たくてしょうがないんだけど、見えない時はしょうがない。しかしこちらはこういう気持ちだが、桜はもっと悲惨ですね。われわれの心を持っていたら……。でも何も言いませんでしょう。

ですから、この吉兆の教え―兆きざしが来た時に、これに「しんにょう」をつけて逃避や逃げることに使ってしまっては、この兆きざしはつぶれてしまいます。人生においてはこの吉兆の教えをよく考えておかねばなりません。

料亭の吉兆さんはそれを屋号にして、もともと「ゆうき屋」といったらしいんです。それを屋号にしたのは先代に禅風があったんでしょうな。今や大阪で名だたる料亭になってしまって、普通の人がなかなか行けない。私も招かれたことはあるが、自分では行ったことがない(会場笑い)。その吉兆の教えは禅の教えです。


*プラス思考で生きる

それから八番目に、愚痴は言わない。この愚痴は、最近よく聞きます。「うちとこの会社は信用もなってない。社長は何も技量はない。同僚はバカばかりで、部下はもう一人もあかん。家へ帰ったら帰ったで、女房は子供のことばっかりで、自分のことはひとつも構ってくれない。子供は子供でこれまた父親を父親とも思ってくれない。もうかたなしですわ」皆様もこんな愚痴、聞かれたことがあるでしょう。しかし、この愚痴からは何も生まれないんです。愚痴というのはマイナス思考……。

先ほど、ここ(お広前)で尊い拝詞があがっていました。皆様方が一生懸命唱えてらっしゃいました。あれは言こと霊だまなんです。皆さんのお言葉に魂が宿ってらっしゃるんでしょう。これは、洋の東西を問わず大切なことなんです。ですから、「愚痴を言うな」と言っているのは、「積極的に明るい言葉を吐きなさい」ということになります。そして、プラス思考の言葉で一番大切なのは、「がんばりましょう。やってみましょう。努力しましょう。できます。やれる。可能。簡単。元気。楽しい。幸せ」このような言葉です。まだあります。「楽だ。おもしろい。うれしい。すばらしい。おいしい」金がなくても金があると言うんです。「金がある。まだ若い。美しい。きれいだ。利口だ。ステキだ。いける」このような言葉はプラス思考です。この言葉を吐いている人は愚痴は言いません。

幕末に高杉晋作という人がいましたが、この人が、お父さんから授かった巻物の中に「男子たるものは絶対に困ったと言うな。どんな時にも困ったと言うな」とありました。

私も懺悔ざんげしますが、やっぱり最近、忙しいとか、しんどいとか、困ったなあということを言わないとは限りません。しかし、人の前ではできるかぎり言わないようにしている。「忙しい。疲れた。やりたくない。どうしましょ。できない。ダメだ。失敗した。難しい。困った。面白くない。不幸だ。困難だ。つまらない。大変だ。まずい。金がない。もうだめだ。分からない。汚ない。バカだ。いやだ。辛い。苦しい」こういうことばかり言っていると、本当にそういう人になるんです。言霊ですもの。言葉は魂ですもの……。

ご神前に対してそういうことを言いますか。言わないでしょう。先ほどの体験談をされた方、皆こういう言葉をされないから、されない生き方をしているから、体験を立派に有り難い、勿体ないともっていかれているんです。

そうはいっても、これを全部言わないようにするのは大変でしょうから、この中で三つだけ言わないようにしたらいいと思います。まず「忙しい」誰でも忙しいんです。「疲れた」誰でも疲れてるんです。それからもうひとつ。私が「困ったなあ」と思うのは、「困ったなあ」とよく言うことでしょう。この三つの言葉を言わないようにする。それだけで、明るく、底ぬけに自己の未来を信頼して、悪人を善人に変える力を持っているどろかぶらに近づくことができると思うんですね。

そして九番目。これはよくロータリーやライオンズが言ってる言葉なんですが、大阪の八百八橋のうち「九十パーセントは民間の寄付だ」ということを知っておいて下さい。政府が造った橋は高麗橋ただひとつです。すべて民間の方が、息子の十三回忌、あるいは先祖の供養に、と架けた橋ですよ。心斎橋の橋もそう。道頓堀の橋もそう。大正橋もそう。私の母校の大学もそうだし、市立美術館は住友家の寄付だし、中央公会堂はわれわれの大先輩の株屋さんの百万円の寄付でできているし、というようなことです。

これがフィランソロピーです。ヒト・モノ・カネの時代から、今、フィランソロピーとメセナの時代にならなければいけません。フィランソロピーというのは、企業の社会貢献、それからメセナというのは文芸・科学に対する保護援助ということになります。

こういうことを踏まえて、自分も考えなければなりません。だからボランティア、ボランティアと最近言われるんです。ヒト・モノ・カネばっかり考えていては魅力がない。人を信用できない。自分に対しても忠実でない。向上もできない。感動もない。だからダメなんです。そういうのが二十一世紀です。


*自身の長所を見る

最後に、自分の魅力、長所短所を早く見極めることが大切です。時間がないので、短所はいいから長所を書いてみなさい。なかなかないでしょ。実はね、人間というのは面白いことですが、人の短所は皆、見ているんです。七十五パーセントの確率で人の短所はよく見る。しかし、人の長所は二十五パーセントしか見られない。だからこそ、自分の長所を見なさい。そうしたら人の長所も見えてきます。

これは逆転の発想です。そこで、自分はどこに長所があるのか?どうか今日お帰りになって、ご神前に向かいまして問うてもらいたいと思うんです。鏡に一度、自分の顔を映してニッコリ笑ってみてください。意外と経営者の方はフケ込んでいらっしゃいますよ。ニッコリ笑ってみると、「オレこんな顔して笑うのか」と思います。その笑うのをだんだん長くして、一度やってみてください。鏡で自分の顔を見るのは、女性にとっては当たり前なんですね。ですから、女性は常に足が地についていらっしゃる。どんな逆境にも強いのはそこなんです。

これは、実は禅の作法のひとつなんです。昔、中国の趙州和尚(従捻)は「一喝棒」といって、ものすごく厳しい人だったんですが、どうしても悟りを開けない弟子に言ったんです。「鏡に向かって自分の名前を呼んで、ハイと答えろ」という公案を出したんです。私もやってみた。なんか変な気持ちになって、向こうに自分の分身がおるような気持ちになってきました。最近、オウム真理教が変なことやってるから、「洗脳」なんて言葉は使ってはいけないと思う。けれども、いい意味で自分の姿、形、そして笑顔がすばらしいかどうか、これは確認していくべきだと思います。

今日は、拙い話になりました。四十五分とはじめから約束されましたが、十分オーバーいたしました。罰金でございます。どうぞよろしゅうに。(おわり)


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