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2010年2月

阪神淡路大震災から15年の歳月が経過した。今、神戸の街のどこを見ても、震災の傷跡など残っていない。数年の内に立派なビルが立ち並んだ。

身内に犠牲者の出なかった人々にとっては、避難所での不自由な雑魚寝(ざこね)も、寒い中、炊き出しの列に並んだことも、今では想い出話のひとつとなった。

しかし、現在の日本は、経済不況と社会構造の変化によって、大震災の時よりも多くの人々が職を失い、路頭に迷い、ホームレス化している。震災は「天災」であるが、これは「人災」である。

しかも、新たな天災がいつ襲ってくるか判らないことは、ハイチで起きた大地震の惨状を見るまでもない。15年前よりはるかに日本の体力が落ちているので、はたして大災害に耐えることができるかどうかは判らない。

大恩師親先生は、関東大震災下の銀座で修行され、昭和の金融恐慌の最中(さなか)に泉尾で道開きをされ、ジェーン台風による風水害の中で聖地泉光園を建設された。

泉尾教会の信心は、困難の中でその実力を発揮する信心である。踏まれても踏まれても、なお一層、雄々しく立ち上がってゆくのが「なんでも!」の精神である。今こそ、泉尾の信心の真価を世に問うべき時代である。