「無言の涙」が語るもの」 98年2月18日 昨日は、オリンピックのジャンプ団体で日本が金メダル…、壮挙でございました。夕刊に「原田選手ただただ涙」という見出しで、そのときのことが報じられておりましたが、本人も、仲間も、観衆も、涙だけで言葉なし……。というのがあの瞬間のありさまでした。「ただ涙が出るばかり。千万の言葉よりもその気持ち、喜び、そして苦労というものが現れておった」と……。私、生放送では見ませんでしたが、あとでニュースで放送されているのを見させてもらって、「やったな! 大変だったろうなあ」と、そう思わせていただきました。いよいよの時は、人間言葉が出なくなるんでしょうね。 ずっと以前のことでありますが、四国の高松からちょっと入ったところに、非常に熱心な信心をなさっていらっしゃるご婦人がいらっしゃいました。ご神縁を頂いて、親先生の祈りのもとで、それを頼りに、日々、頑張っていらっしゃる方がおられました。ところが、事情があって、大阪の泉尾教会までお引き寄せいただくことができない。ご神前で手を合わせることができない。それでも親先生に一目でもお目にかかりたい。 そこで、その方がいつもなさいますのは、在所から高松に出て、瀬戸内海を連絡船で渡って宇野へ出て、岡山駅まで行くんです。泉尾からのお国参り(ご本部団体参拝)の列車が、往きは夜行でございますから無理ですが、帰りに岡山駅で五分ほど――今はもっと短くなりましたが、その当時は、五分間停車がございまして――それだけを、その時にお目にかかるのを年に二度、唯一のお縋すがりというんでしょうかね。励ましていただくというんでしょうか、わざわざあれだけの道矩を経て会いに行かれるのです。ですから、泉尾の団体列車が何時何分に岡山駅着か確認して、それに合わせてわざわざ海を渡っていらっしゃる。親先生の乗ってられる列車が到着するのをプラットホームでじっと待っていらっしゃる。 列車が駅に着きましたら、駆け寄っていらっしゃって、せっかく窓越しに対面されたのに、何も申し上げられない。それは、半年分のですね……。いろんなことがあって思い詰めておる。時々、手紙でお届けを出されますけど、五分間で話はしきれませんですからね。それで、いつも親先生が窓を開けられたら、もう、ぽろぽろと涙が出るんですな。それで、その涙がプラットホームにぽたぽたと落ちる。私、親先生の隣で見ておりましたら、落ちた涙が、だんだん広がってじわーっとにじんでくるのが見える。その間に「ひとことでも、ふたことでも申し上げれば良いのに……」と思いますのに、いっつも初めから終わりまで、泣いてらっしゃる。でも、いよいよリリリーンと発車のベルが鳴ると、もうこれで時間がないかと思ったら、一段と涙をぼとぼと流してらっしゃる。で、じーっと見ておりましたら、走り去っていく列車の後をずうっと拝んでいらっしゃいました。親先生もひとことぐらい声をかけてあげたら良いのに……。本人もひとことぐらい申し上げれば良いのに……。 それはもう聞いてほしいことも、申し上げたいことも山ほどあるのに違いありません。五十分かかってもね、もう何もかも洗いざらい入れたら、五時間かかってもいいきれんほどのことが、詰まってらっしゃるんですね。それを五分間の中でっていうんですから、もう涙、涙、涙……。それしかない。だけれども、親先生もそれをじーっと黙っていらっしゃいながらも、ビンビン響かれるんでしょうね。本人もまた、それは一年に春秋の二回、五分間の二回だから合計十分間。その十分の中でですね。その人のいろんな問題難儀辛さ、それをどこから聞いてもらったよいか、どこから申し上げればよいか……。ということですから、もう、涙、涙、涙ということになるんでしょうね。 昨日も、そういうことがございましたですね。あの斎藤選手は、ウイニングランをしながら、自分の親の席は判ってますから、そこへ自分の持っている花をどうぞと手渡したのです。母親はそれを取ってですね、テレビの人がザアッと押し寄せてマイクを向けたが、何もいわんと、その花を持ってじーんと泣いておる。ここまで来るのにいろんなことがあったにちがいない。家庭の中でもいろんなことがあったにちがいない。岡部選手なんていうのは、飛び終わってね、インタビュアーが母親に「どう思いますか?」と尋ねたら、この方、「抱きしめてやりたい!」と、そういうて泣いてる。それはもう、その涙の中にいろんな出来事があったんでしょうね。本人も大変であっただろうけども、それをバックアップする親も大変だったので、みんな言葉に出ませんでした……。私、昨日、何度も何度もテレビで繰り返しやっているのを視ながらそう思いました。 詳しくは知りませんが、今回のジャンプの金メダルで、オリンピックでの日本の金メダルの総獲得数が夏と冬と全部足して昔、ロサンゼルス大会で小田という選手が初めて金メダルを取ってから百個目の金メダルになるんだそうですが、その百個目の金メダルは「非常に荒々しい」としかいいようがありませんが、荒々しい感動的なドラマでした。 あの原田選手というのは、四年前のリレハンメルオリンピックのジャンプ団体戦の時は彼がアンカーだったんですが、三人目を終えた時点で日本がダントツで、「原田さえ普通のジャンプをすれば、日本が金メダル」という時に、まさかの失敗ジャンプで団体金メダルを逃した選手です。今回の長野オリンピックで、その原田が一回目はとんでもない失敗ジャンプで、「リレハンメルの悪夢の再現か」と誰しもが思った二回目に、最長不倒距離一三七メートルの大ジャンプで逆転一番になった。原田が着地した時には、もう、どよめきというのでしょうか。ウォーという、地響きが伝わってきて、まわりでは万歳! 万歳!というて、どのぐらいやっておりましたでしょうかね。中継のアナウンサーがですね、助走の時に「前回のリレハンメルオリンピック団体は、原田の失敗ジャンプで金を逃した。その時の悪夢がさーっと蘇る」というようなことをアナウンサーが言っておりました。また、同じことを繰り返すのか……。それを立派にやり遂げた。 何もかも終わって落ち着いてからですが、インタビュアーが原田選手に「リレハンメルの時は……?」ここまでいいかけた時に、「ここはリレハンメルではない。ここは長野だ!」と、こういうたのです。で、それはそうでございましょうな。そして、「みんなの力でこれを得たんだ」とも言いました。原田は、二本目のときはバッケンレコードの一三七メートルも飛びましたからね。二本目は大ジャンプを飛んで、その後で「私(の力だけ)じゃないんだ」ということを申しておりまして、だんだん落ち着いてきてから、「一本目の時はどのように思いましたか?」と質問されると、本人の頭の中にもリレハンメルのことが思い出されたんでしょうね。「また、みんなに迷惑をかけるかと思った」と…。やっぱりアナウンサーが一本目の失敗ジャンプで「さぁーっと頭をよぎった」というのは、本人もその時に、「みんなに迷惑をかけたらいかん」と思ったと言っておりましたから。 だけど、二回目に逆転大ジャンプを飛べたのはですね、「みんなの祈りだった。思いだった。私はそんなんじゃない」ということを申しておりまして、努力っていうんでしょうかね。努力が大変なだけでなくて、それが実ったということが、大変な感動であったと思いますね。努力は皆してるんです。でも、風の具合や運もあるでしょうけど、それが実ったということが、ああいうかたちで実現しておるのを見てですね、それはもう、立派なことだ。涙で何もいいようがないということは……。結局、アナウンサーもですね、「喜びを伝えたい」と思ってやっておるんでしょうけれども、もう、そんなこと「思う間もない」っていう気持ちであったんだとそう思いますね。 それから、エースの船木選手が一番最後に飛んで、金メダルを確定したのですが、船木選手は、その前の個人選でもノーマルヒルで銀メダル、ラージヒルでは金メダルを取った能力的にはズバ抜けた選手ですが、個人戦で金メダルを取った「あの時もグーッときたけれども、あの時と比べると、団体は、みんなそれぞれやって、なんとか華を咲かせようとしている。団体のプレッシャーがこんなんだと思わなかった」というておりました。「リレハンメルの原田さんの気持ちがよう解った」と申しておりました。まぁ大変なことでごさいました。 何にしましても、もう力の限りやらしていただいた。その力がみんなに支えられて、その上にですね、実ったというところが素晴しかった。昨日のドラマは世界中がそれを見ておったことでございましょうね。あれを抱きしめる。あれを身に受けることが大事なんです。みんなそれぞれ、努力とか苦労とか辛抱をみんなしてるんですよ。だけども、それがドーッとどよめきになるってなことが、どれほど人生上、大事なことかということを思わしてもらいました。 原田選手が一回目のジャンプをしました時は、突然の吹雪で前が見えんなかで飛んでいくんですから、もう大変なことでございますけど、みんな私たちも同じことだ。人生の向こう先が見えません。向こう先見えん中でですね、先はどうなるか判らないけれども、ただ、現時点での精一杯、「どれほどのことがさしていただけるか」ということが、大事なところでなかろうかと思いまして、わたしは勇気づけられました。 あんなに若い人が、あんなにやるんだから、われわれは精一杯やらしてもらわなあかん。と、そんなことを思わしていただいたようなことでございます。みなさんも、テレビをご覧になった方は同じように思われたと思いますけれども、とにかく頑張る。頑張らしていただく、そして、そのせっかくの頑張りが華を咲かしてもらう。実を稔らしていただく。そういうおかげを蒙って参りたいと思います。ありがとうございました。 |