「一食を捧げる運動」再発足に祈る 98年 1月17日 副教会長 三宅龍雄 昨夜NHKのニュースの時間に、『九十八年、日本を知る知日家に聞く』という放送でエズラボーゲルというハーバード大学の経済学の先生がインタビューに応えていらっしゃる。「日本の経済の先行きをどうおもいますか」という問いかけに、「まだまだ、日本には将来性がある。むしろ、今、非常にいいと言われているアメリカのほうが危ない」と申していらっしゃって、「どのような点に日本の将来性があるとおっしゃるのですか。どうゆうことから日本がこのように悪い状態になったのですか」などの質問に対して、「日本には将来性が、十分あるけれども、ここから良くなっていくためには、謙虚な気持ちがいる。そして、世界のためになる。世界に目を向けて努力すること。貢献する、お役に立っていこう、という気持ちがいる」という意味のことを話しておられた。 その番組に引き続いて、NHK教育の『視点論点』で、渡辺泰三さんが『日本は、日本なりの貢献をしてきた。けれども一面、非常に傲慢なところがあって、そのために今まで、どれほどに反日運動がおこったか分からない。今、日本にいるのは、「反省する勇気」と、そして「貢献していくこと」で、それも、ただ費用を出すということでなく、「心の通うたお役に立っていこうとすることが、是非いる』とおっしゃって、お二人とも、わずかな時間に、短くまとめられた話でしたが、「これからは、もっともっとお役に立たたせていただく、それも地道な努力で、貢献していくことが要る」とおっしゃっていました。聞かせて貰って、今一度、私も考えを変えねば、と思わせていただきました。 第一に思いましたのは、「お役に立つということは、どうゆうことなのか」ということで、たまたま、今日から、今までさせていただいてきた『一食を捧げる運動』を改めて再出発させていただこう。今まで、それぞれが任意に、自発的にしてきた運動を信徒会の一食運動係の方が、とりまとめのお世話をして下さる、と聞かせていただきました。「そうして集められたお金で何をするのか、どういうことでお役に立っていこうとするのか」、と申しますと、ユニセフという国連の機関から昨年の暮れに『子供白書』という本が私に送って参りまして、その中に、世界で今、産まれた赤ちゃんが満一才になるまで育つ。それが大変なことで、日本では千人の赤ちゃんの内、三十年前は三十一人であったのが、今では四人が亡くなるようになった。日本だけでなく、世界中で赤ちゃんの死亡率が激減したけれども、今でも、モザンビークやマリという国では百七十三人も死なせている。五、六人に一人の赤ちゃんが亡くなる。国が貧しい、衛生が悪いなど、理由があるのでしょうけれども、満一才までですから、親の乳が必要で、その母親が栄養失調のために、生まれた赤子を死なす。母親ですから、その嘆きは大 変と思います。日本では、赤子に乳を飲ます母親が栄養失調ということでなく、難しい病気や不注意からでしょう。ところが貧しい国や戦乱で難民の子供さんは、満一才まで死なずにすんだ子供でも、虚弱体質であったり、ちょっとした伝染病で亡くなる。子供が世界中で一日に二万人ずつ死んでいる。そのほとんどが飢え死や栄養失調で抵抗力がなくて、ということですから、大変なことで、子を亡くした親の悲しみ。毎日二万もの子供の葬儀がある。これを恵まれた国のものがどう考えるか、ということでございます。 さらに申しますと、死なないまでも、栄養失調のために目が見えなくなる。そのような子供が、バングラディッシュだけでも、一年間に数万人も、一生、盲目で不自由する。そういう子供たちに、年にビタミン剤を一錠ずつ飲ませることで助けることが出来る。そのビタミン錠が日本円の二円で買える。それだけのことで大勢の子供の目が見えなくなるのを防ぐことが出来る、といわれております。そうしますと、二万円で一万人の子供の目を救うことが出来る。ささやかな善意が大変な働きをいたします。 思いかえしますと、終戦直後、八千万人の日本人が難民同様の暮らしをしていた。そこへ三百万人の引揚げ者が戻ってきた。そうしますと、当然、食べる物も乏しく、みんな体が弱っておりまして、発疹チフスという病気が流行って、次から次へと亡くなる。チフスはシラミからうつるのですが、栄養分を取っておりませんから抵抗力がない。当時の進駐軍が、DDTで、そのシラミ退治するように、と目新しい粉薬をくれた。そのDDTを各家庭に振りまいていくだけでなく、大阪駅の降りてくる人を並ばせて、頭の上から吹き付ける。背中のところに噴霧器の先を差し込んで、吹き付ける。頭から体中、白い粉だらけになる。それでも、これで、シラミもわかなくなり、発疹チフスにかからずにすむと思うて、「サンキュウ・サンキュウ」と口々にお礼を言ったものです。今日、バングラディッシュの子供さんにビタミン剤をあげるように、善意でしたことでありましょう。そのDDTは、今では有害物質。前ごろは農薬として、よく散布しておりましたが、DDTのかかっている野菜などは、よく洗わなければいけない、といわれている。その有害物質を頭の上からかけられると、今でしたら「なんという ことをするのか」というと思いますが、当時は「サンキュウ・サンキュウ」と言って喜んだ。今、豊かになった日本が貧しい国の人々を助ける。五十年前の終戦当時の日本と同じように、抵抗力もなく、体の弱っている人達に援助をする。 今の日本は、食事一つにでも、非常に勿体ないところが多々ある。その浪費の中から、切りつめた、一食を世界中の全体の人のために、お役に立たせていただこうという気持ちで、捧げさせていただくことによって、大勢の子供たちをはじめ、苦しんでいる人々を困窮から助けていただき、そのことを通して、人類共栄と世界平和を祈らせていただきたいと願う。一生、目が見えないことは、どれほど不自由なことか。それが二万円で一万人の子供さんを助けられる。人の苦しみを助けるお手伝いが出来るのであれば、ありがたいことであり、また、生まれた赤子の五分の一が母親が栄養失調のため生きることが出来ないという悲惨な現状に、ささやかなりとも、お役に立つことが出来ることを喜ばねば勿体ないと思います。 昨晩の放送で、「傲慢さを捨てねばいけない。その為に、あり方を反省する勇気がいる」と聞かせていただいて、自分の生活が、お粗末なことになっている、と反省する勇気を持たねばならぬことと、ささやかであったとしても、世のお役に立っていくことが、どれほど大切なことかとを、聞かせていただいて、教えられた。 この『一食を捧げる運動』を今まで長年続けておられる方は、今までどおりのなさり方で続けられればいいのですが、今回、信徒会が一食運動係を作られて、お世話をさせていただくと言って下さるのですから、ご家族をあげて、改めて運動へ参加して下されば、それを信徒会がまとめて、人類の共存共栄と世界の恒久平和のために使わせていただくと骨折って下さるのですから、私も加わらせていただきたいと思います。昨夜の放送で聞かせていただいた「日本のためにする。困っている国の為でない。自分のためにそれをしていくことが、改めて日本が、もう一度、力を回復するための土台になる。そういう努力が求められている」と聞かせて貰って、私どもの運動も、なにか、困っている国や、かわいそうな人を助けてあげようということでなく、自分の刷新、自分の一新、そして自分の真の繁栄のためにさせていただくのであって、慈善運動でない。自らの一新運動である、と改めて思わせていただいた。 教祖さまが、ご理解第七十六節で「人間はひとを助けることが出来るのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることが出来ぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けて貰うのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ」と教えて下さっております。みんな神様に助けていただいた。だから人の難儀をみて、助けさせて貰うことをありがたいことと心得よ。可哀想だから助けてあげるのでない。そういうことのさせていだける自分をありがたい。神様のまねをさせていただく。自分は助けていただいてご信心をさせていただいたのであるが、その神様のお働きを真似させていただくことを、ありがたいと心得て、そういう思いでさせてもらえ。という御教えでありますが、自分も助けていただいたことに比べましたら、本当に、ささやかなことでありましても、お働きの真似をさせていただくことができることを喜んで、ご信心のおかげを受けよと、教えていただいているのです。 一食を捧げる運動も、ありがたいこと、といただいて、そして貧しい国を助けるのでない、自分が助かるために、日本が立ち直っていく為に、そう思うことがいる。反省する勇気がいる。どれほどお金を出しても、それで傲慢になって、反日運動を起こしたか、計り知れない。われわれが今、しなければならないこと、させていただけることは、地道であっても、心の通うた援助でお役に立つことが、日本のために求められている。それが、自分が真に助かり、立ちゆくために、参加させていただくことが、まことに大切でなかろうか、と思うのであります。どうぞ、そういうことで、今日の日から、改めてこの運動に取り組ませていただくことが、「日日、おやしないいただいているよろこびを忘れておりはせんか。お粗末になってはおりはせんか、勿体ないことになってはおりはせんか」と噛みしめ噛みしめさせていただいて、「一食を捧げることが人を助けるということより、我が家の生活一新へのはずみになれば、一番、ありがたいこと」といただいて下さり、共々に、ご協力下さって、信徒会がお世話をさせて貰おうとおっしゃって下さっているのを、ありがたいことと思うて、しっかり、おかげをこ うむってまいりたいと思います。 |