なんでもの願いでお道引

教会長 三宅龍雄 13年7月29日

ご布教七十五年をどのようにお迎えし、末・まで立ちゆく真まことのおかげを頂く信心をどのようにさせていただくかを、それぞれに願い込めてお集まりになったことと思います。

このように、皆さんが一堂に集って、地区大会を開かれて、「ご一緒におかげを頂こう!」と祈りを込めておられるのを見させていただくと・・。

いよいよ、ごめいめいがおかげを頂くと同時に、「祈る喜びをひとりでも多くの人に伝えたい。その輪を拡げてゆこう」といたしますと、その輪を拡げることの一部分として自ずと出てくるのが、われと人との関わり、人とわれとの関係で、複雑というか微妙と申しますか、悪く申しますと煩わずらわしくもありますが、(人間関係のあり方に)関心を持たざるを得ないことになります。

何よりも、その煩わしさを乗り越えるためには、そこ(人間関係の複雑さ)から離れて自分自身に立ち返る外はない。一概に、「信心の輪を拡げる」といっても、助かりの喜びを人様に解ってもらうということには、どうしてもそういう難しさ(手順の複雑さ)があります。それほどの難しさを、神様がどうしてお与えなさったのか? と考えることすらありますね。

どうしてかと申しますと、神様は、日頃ひとりひとりにそういう難しさを与えながら、一方では、どうにもこうにも抜きさしならない事態に陥おちいったときには、このような煩わしさ抜きにして、直ちにおかげを授けてくださる。しかし、そこまでに至らぬときに、試練というか難しさをお与えなさる。このようなこと(二面性)への疑問が、前・からずっと私の中にあり通してきました。

このことは、ものごとをうわべだけでやっておるものには気が付きません。だけど、ちょっと本気で、一生懸命やってるものは、必ず、次のような二つのことにぶち当たりなさると思います。

金光教祖御理解の第二十六節で、「信心に連れはいらぬ」に始まり、「日に日に生きるが信心なり」と結ばれているみ教えで、教祖様は「独ひとり信心」ということ、しかも「そのときそのときの信心」ということを教えて下さっています。

いよいよのところを言えば、「信心には連れなど必要ないんだ。人間はいつも自分独りなんだ」と・・。生まれる時もひとり、死ぬ時もひとり・・。それが、一人ひとりというだけでなくて、同じひとりの人間においても、その時その時なんだと・・。だから、「日に日に生きる」とは、「昨日の私と、今日の私は違うんだ」と・・。そういうことですね。

ところが、同じみ教えの第二十四節では、「世に勢信心ということを言うが、一人で持ち上がらぬ石でも、大勢のかけ声で一度に力をそろえれば持ち上がる」、「家内中、勢をそろえた信心をせよ」と、第二十六節とまったく矛盾することをおっしゃっています。

分かりやすい例で申しますと、「(食糧不足で)これでは食べていけない」という状況が、戦時中から終戦直後にはございました。人は、いよいよ食べていけないとなると、目の前に食べられるものがあれば、人目を憚はばからず、もちろん他人と比べたりせずに、蛇でも蝗いなごでもなんでも口にしたものです。

ところが、だんだん生活に余裕ができてくると、「あっちのほうがご馳走や」と、人様と比べるようになってきました。「安く買うた。楽に手に入った」ということを競うようになり、だんだん求めるものが増えてくる。あらゆることで人と比べだすようになり、実際、物は増えたのに「満ち足りる」ということはなくなってきました。

つまり、人と比べるのは、あるいは、比べることができるのは、「選択の余裕」があってのことです。食べもの以外でも、もろもろの事柄についても同じことが言えます。オ・ル∧オア∧ナッシング(あるか、ないか)ではなく、損得や算そろ盤ばん勘定をするようになります。

単純明快、一番はっきりしているのは、一万円は五千円の二倍、五千円は一万円の半分・・。これは誰が見ても歴然としています。ところが、皆で何か行事をしようと思って、賛助金を集めたりする時に、幹事の人が、それぞれの人の懐具合を斟しん酌しゃくして、「AさんとBさんは一万円、Cさんは五千円で結構です・・」とお願いしたりすると、それを、Cさんは「見下げられたのは何故か」と怒り、Bさんは「(同じ一万円やのに)Aさんのほうが先で、私が後なのは何故か」と限りない・・。

もともと、一人ひとりの条件、立場や働き(能力)さえ違う。そのこと(当該行事)に対する思い入れ、気持ちもひとつでない。ごくごく公平∧公正にしても、難しさを孕はらむ。加えて自分の立場、算段が入ると、平らか(平等)であろうはずがない。その点、めいめいが思い思いに、人がどう思うとも、人にどう思われようとも、「私は(協賛)しません」とか、「私なりに精一杯します」とか、つまり、めいめいがそれぞれ自身に立ち戻る外に出口はない。おかげも・・。条件はみんな違うものですが、共におかげを頂きましょう。

いろいろ申しましたが、なんでもの願い・・。どうにも乗り越えさせていただかねば立つ瀬がないときには、神様はちゃんと凌しのがせて下さることは間違いない。「問題は、そこまで切羽詰まってはいないが、このままではたまらない・・」、「何とぞ、乗り越えさせて下さい」という時に、どこまで自分のなんでもの願いを発揮することができるかにかかっています。

来年一月二十七日の御布教七十五年記念大祭で、ご参拝の皆さんに貰っていただくことになっている先代恩師親先生の教話選集の第三巻に「天地日月の心」というお話が収録されています。
先代恩師親先生がご布教された当初(昭和二年)の社会は、金融恐慌で、今と変わりませんわ・・。企業倒産が相次ぎ、銀行までが潰つぶれてね。もちろん、当時の日本は、今みたいに経済の底力もありませんし、社会のセ・フティネットという考えすらありませんでしたので、人・の暮らしは、たいへん厳しいものになってゆきました。

そういう中で、大学を出たけれど就職がないという時代もありました。そして、戦争中、終戦直後の生存すること自体が大変な時代。経済復興後も、石油危機や円高など、その時その時、暮らしの上にも、経済の上にも、大変なところを乗り越えて来られた。その全体を通して、「天地日月の心」という言葉で教えて下さっておられる。

「天地日月の心」とは、どういうことかと申しますと、先ほどの金光教祖御理解の第七節に「天地は流は行やることなし。流行ることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある」とあります。どんなことにも、流行があったら、流行でなくなることがある。しかし、天地というものには流行がない。

「信心はせんでもおかげはやってある」というのは、天地の親神様が生神金光大神(教祖)様を世界にお差し向けなさった時のお知らせ(明治六年八月十九日のご神伝)に、「天地の間に氏子おっておかげを知らず・・、無礼いたし、前・の巡めぐり合わせで難を受け」という基本に立ち返ると、すべての道は開けるということです。ご無礼、巡りとは何かということを解りやすく言いますと、「ご無礼とは、おかげを知らんということ」であります。

いろんなことをお話しましたが、一番もとになるのは「お道引きとは大変なものなんだ」ということの自覚です。われひとりが大変なんじゃなく、知り合いとか皆で、御布教七十五年記念大祭に参拝する。人をお誘いして・・世間の言葉でいうと勧誘ですね

・・勧めて、誘うということですが、それは自分自身の信心なんです。自分の喜び。「そういうかたちを人様にも持っていただこう」と・・。

だから、道引くといっても、人を道引くんじゃなしに、自分を道引く。自分自身がもういっぺん信心の原点に戻らしてもらうために、頭の中じゃなくて、実際にさしてもらうのが、「お道引」というものであります。

「おかげを知らん。しかし、信心せんでもおかげはやってある」とおっしゃるのは、おかげをもういっぺんあらためて再認識する、頂き直すというところにあるんです。

御布教七十五年記念大祭は、私ひとりのためのお祭であって、同時に自分も参拝させていただいた幾多の人・の一員でありながら、そのご盛儀を拝ませていただくということでありましょう。

「なんでもの願い」を貫かせていただくにも、この原点に立つことが肝要です。記念大祭は、自分も大勢の参拝者のひとりでありますが、同時に「われひとりの記念大祭」と頂いておかげを頂いて下さい。

(姫路地区信徒大会にて)