「大変な中に値打ちがある」 99年2月5日
 
副教会長 三宅龍雄

 おはようございます。この三日、四日と「祈りの豆」を自分のお道引きをした人でありますとか、ご神縁のある人に配ってくださったお方が何人かございまして、ご苦労をお掛けしましたし、ありがたいことでありました。(節分祭にお参りになれなかった人のお家まで)「祈りの豆」をお届けに行って下さる。それ自体が、非常にありがたいことです。(行ってこられた方が)「こことここに行って参りました。この方はこういう様子でした」と、報告のお届けの中で、「相手方の『わざわざお祈りの籠こもった豆を持って来て下さった』と、その喜んで下さる言葉に、『この寒い中をよくおいでくださいました。私は自分のしたいことをするのでも、この寒さだから今日は控えてと思っておりましたのに、わざわざ私のためにお届けて下さって』と、そう申しておられまして、えらい喜んでもらいました」と、そういうお届けを次から次へと聞かしていただきました。

「祈り」を伝えるために、ここ何日かの間に、「神様のお使い」として、わざわざご縁のある方を尋ねるのですからね、その方の誠、真実。それに加えて、「ようもこの寒い中を」というところが、お渡しするものの上に値打ちとして「この寒い中を」というのが加わるのですから、一層ありがたいことに違いありません。教祖様のお言葉の中にも、「参拝するのに、雨が降るから風がきついからと言うてはならん。その辛抱こそ身に徳をいただくと、そう思うて喜び勇んで参拝しなさい」という、御教えが伝わっておりますね。神様のほうに帳面がございましてね。「今日、誰がしは参ったな。誰がしは参ってなかったな」と帳面につけておられるとすれば、いつもの参拝は丸一つなのに、今日のような寒い日には二重丸でしょうな、神様のほうでは……。われわれには判らんだけで、まあ、こういうことにしていただいているのではないかと、そんなことを思うのでござます。 

これは、昔(大正初期)の話でございますが、玉水教会の初代の大先生(註:湯川安太郎師)が、まだご布教された初めの頃のことでございましたが、ある一人の信者が難しい大変な病気を助けていただいて、その後もずーっとお参りを続けていらっしゃった。当時、大阪で非常に活気のあったお広前の教会が二つあった。ひとつは、教祖様の時代からのお広前で難波教会。もうひとつは、最近起ったばかりですが、日の出の勢いのある玉水教会。この二つが並んでご比礼が立っておった。

その二つのお広前が、「願い成就」ということについての構えが全然違う。難波教会のほうはですね、「同じお願いを三回以上するな」と、近藤藤守先生はそうおっしゃった。これは難波教会だけではなく、九州にもそのような教会(註:小倉教会桂松平師)がございますね。「三度以上同じ願いをするな」と……。それは先生の意気込みでございましてね。一度お願いに行く。二度お願いに行く。三度お願いに行く。必ずそれまでにおかげを授けると……。ですから、お結界の御み廉すがございましょ。机の前の御廉にですね――泉尾のお結界は向かい同士ですから横にしかありませんが――大抵の教会はお机の前と横に御廉あり、信者さんには見えませんが、近藤藤守先生が座っておられる目の前に「願いは三度まで」と書いて、自らそういう願いとして、「どっぷり受け止めよう」という意気込みといいますか、そういう具合にしてらっしゃったそうです。

玉水の大先生は違う。「何度でもお願いをしなさい。それが、成就するまで毎日毎日願いなさい」と……。玉水の大先生は、大先輩の近藤先生が「願いは三度まで」とおっしゃったのは、ご承知なんです。取次者の意気込みとしてはありがたいことですが、玉水の大先生はいろんなことを思ってらして、まず、なによりもお広前の賑わいといいますか、お結界に並ぶ人の賑わいを非常に願ってらっしゃった。

同じ金光教の教会ですから同じようなご祈念はございますが、片一方は、教祖様直々のご信者でございますからね。だからもう老舗っていいますか、誰でも知っているお教会。今ではもう写真だけにしか残っておりませんが、ずっと昔の難波教会といいますのは、ご神前のお扉がですね「四方扉」――うちの場合は一方(正面)だけでしょ。前のお広前(昭和二十六〜四十三年)はね、正面だけじゃなくて、横にもお掃除をする小さな扉があって、それを開けてもとギーッと音がした――難波教会は、正面にお扉があり、その真裏にもお扉があり、両横にもお扉がある。ご本部に参りますと、境内の門を真っ直ぐ降りて行きますと、アーケードの突き当たりに「近藤別邸」という難波の信者さんが泊まる施設がありますね。外から見たら、植木がいっぱい植わっていて控所のように見えますが、その真裏、酒屋の神露の向かい側に、お社が祀ってあるのが見えます。そこにもやはり扉が四つついてありますが、それと同様に、ご大祭の時などは、祭主が前の扉を開ける時に、副祭主は、ドーッと後ろにまわってね、前とタイミングを合して、ギーッとお扉を開けておられた。つまり八方神様がご覧になられる。表 からだけでなく、あちらからも、こちらからもと……。 

一方、玉水教会のほうは新興ですからね。何よりも初代の大先生は賑々しさを望んでおられましたから、お結界でも、たくさん並んでいる姿を非常に願われた。それで、「なんべんでもお届けに来い……」という訳でございますから、無い命を助けてもらったそのご信者は、ずーっと続けて参拝し、お届けをしていました。そしたらある時、そこのご信者に「あなた、ずっと同じことお願いしてるが、もっと別のお願いごとはないのか?」と、おっしゃったんですね。そしたら、「実はあるんですが……。これはいくら神様にお働きしていただいても、どうなることでもございませんので」と……。「それでも言うてみい」と言われると、「昔、頼まれて勝山通り(生野区)に住んでいる人にお金を貸したことがある」と……。それを不都合ができて、督促に行くんだけれど返してもらえない。それは何も「貸した相手が返す気がない」というのではなくて、仕事の大きな思惑が外れてしまったといいますか、今でいいますと、不良債権とでもいいますか、その当時は大正の初めでございますから、不良債権という言葉もございませんけれどもですね、不良債権なんです。

だけど、思惑が外れたのは向こうの事情なんです。貸した側からしたら、どうであろうとも返してもらわないといけなかった。「『元金が無理なら、せめて利息分ぐらいは返しなさい』と言ったんですが、行くたびに『済みません』と断られる。『あんた、どないしてくれるんですか!』というと、『ない袖は振れまへん』と、こう言うんです。袖がなければ振りようもないということですなぁ。この人物もあかんし、事業もあかんと思うて、もう行きませんねん」と、大先生に申し上げてですね、「無駄足を踏むだけでなくて、向こうが言うことが腹が立つ。それで、長らく行っておりませんねんや」とお届けしました。「自分のかなわんことをお願いするのが、信心じゃないのか」と、大先生はですね、これと「ひとつのことが成就するまでずっとお届けしなさいと、そうお願いするのが信心や。神様に縋すがらなくても、自分で出来ることはお願いすることはないけれども、自分のできないことをお願いし、お働きを頂き、お縋りして、おかげをもらうことが信心ではないのか? 明日から、『今日催促に行ってもよろしいか?』というお伺いを毎日しなさい」というお言葉でした。

すると、そのご信者が、「病気を治していただけるのは判りますけれども、借金のそれも相手が悪いのに、自分が助かるのではなく、相手が助かるようなことでも金光様はしていただけるのですか?」と、尋ねると、「天地のことは何事でも実意をもって願え」と、教祖様はおっしゃる。「毎日、お伺いに参るのですね。今日は参りましょうか? 今日は日が悪いでしょうか? とかね、お伺いをするたびにお言葉を頂くんですね」ということで、毎日お伺いに行くと、「今日は先方の都合が悪いから難しい」とかいうてね。なんべんお伺いしても「今日行ったらあかん」という答えばっかりですね。初めのうちはですね、お伺いして「行け」とおっしゃったら、それは、自分一人で行くのではなくて、「神様と共に行かしてもらうのだ」と思いながらも一縷いちるの希望を持っていたのですが、そのうちに、元どおりの気分になり、催促に行くこと自体がうっとうしい。で、「今日は日が悪い」とかいうお言葉を頂くと「ああ、行かずに済んだか」とほっとしていた訳です。まあ、それでもいちいち神様のお働きを受けることはありがたいことだと、毎日お伺いすると、大先生はいろんなことをおっしゃってね 、「ああ、先方は今日は留守じゃな」とかね。

ところが、なんべんお伺いしても、「行ったらあかん」というお言葉なんですな。初めのうちは、「行かんで済んだか」と、ええ意味で思っておったのですが、答えが決まっておる。今日お伺いしても、「今日は行ってもあかん」ということになるにちがいないと思って、だんだん身が入らない。そしたら、あるとき叱られた。「神様にお伺いするんだから、もっとしゃんとお伺いせい」と……。「そらそうだ。おっしゃるとおりだ」と、毎日毎日、そのこと一途に行けということですからね、「今日は借金の催促に参りましょうか?」というお伺いとするのですから、その信者さんも立派といえば立派ですな。 

ある日のことですが、その日はどしゃ降りの雨風の日でして、自分が参拝することさえ、「こんな中を参拝できるであろうか」と、かろうじてお広前に着きまして、ご祈念させていただいて、「毎日お届けせえ」と言われておったので、お結界に並んでお伺いしたら、自分が申し上げる前に、大先生の方から、「神様のお言葉で、『今日は日柄がええ』とおっしゃるから、しっかりおかげをいただけ!」と、いうお言葉でした。こんなどしゃ降りの中、自分がお参りできたことさえも奇跡に近いと思うぐらいの中でですね、これで相手の家に行って借金の催促とは……。しかし、「今日は日柄がええ」と神様がおっしゃった。へーっと思いながら聴いていると、「この足で行け」と……。「この足で行け」と言われても足元が悪い。勝山通りでございましょ。大正の初め頃ですから、玉水教会のあった江戸堀(西区)から歩くんです。向こうの家にたどりつくのが精一杯で、無駄足に決まっておると……。

店をしてる以上、どしゃ降りでもだれか店番がおる。「相手の主人も、こんな足元の悪い時に外に出ているはずがない」と思って辿たどりつきましたら、あいにく主人は留守で、奥さんが店番をしていた。奥さんという人がですね、どない申し上げたらよろしいでしょうかね。主人に対して素直といいますか従順といいますか、あるいは、自分の意志を持っていない人なんですな。考えようともしないし、考える力もないし、気力もないんです。なにもないんです。口だけは丁重なんですが、中味がなんにもない。そこでパッパッと店に行ったら「主人は出かけておりまして、夕方まで留守でございます。今日みたいな足元の悪い日にようおいでくださいました」と……。案の定、「無駄骨だったか」と……。自分が来たことを主人に伝えるか伝えないかも判らない。「ああ……無駄足というのはこのことか」と、思うて帰るんですな。「よろしくお伝え下さい」と言って……。

 「今日は日柄がええ」とおっしゃったので、足元悪い中を行ったのに、案の定、相手がおらん。だから、空振りも空振り、ええとこなしでございましてね、明日大先生にお届けする時に、「どないお届けしようかなぁ」と思っておった。そしたら、その晩、まだ、雨の降っているどしゃ降りの中をその夫婦がそろって来てね、「実は家内から、本日、あなたが来られたことを聞きましてなぁ、こんなお天気の中をわざわざお金のことでいらっしゃったということは、よっぽどのお入り用があると思いまして、思えば、えらいご迷惑かけております。お返しするといいましても利息分に当たるかどうかも判りませんけれども、何かきっと特別なお入り用があると思って、あり金かき集めて全部を持ってきました。明日になったらどんなに工面してでも、(つまりよそで借りてでも)後の残りを持ってまいります。長い間本当に申し訳ないことでした」と、向こうから来てくれた。奥さんちゃんと報告してたんですね。

 明くる日のお結界で、「初めは『お日柄がええ』と言われて行きましたけれども、だめだったので、大先生にどない申し上げようか」と……。空振りのお届けですから、お届けする自分も面白くないが、先生もですね、「神様のお言葉や」と、おっしゃったのに、「お言葉でありましたが、ハズレでしたとも、申し上げようかと思って悩んでもおりましたが、ありがたいことで、わざわざお金を夜に返しに来てくれました。また、あらためてご信心のありがたさを身に滲しみさせていただき、喜び勇んでおります」と、お届け申し上げたら、大先生は「そんなことやったんか。やっぱり、神様がお働き下さったんやなー」と、こうおっしゃったと言うんですね。なかなか、玉水の初代の大先生は、なんというんですか、芝居がかっていると申し上げたらご無礼に当たるのですが、「神様が『今日はお日柄がええ』とおっしゃた。どうれ、わしの言ったとおりだろう」と普通だったら言いますな。それが、「そうか、やっぱり神様がお働き下さったじゃなー」とおっしゃって、それから、そのご信者さんはいよいよ恐れ入ってですね、それからもずっと長くご信心を続けられたということです。「ちゃんとお願いす ることないのか?」と言われてですね、「これは、自分の信心でかなうことではございせん。先方のことでございます」と言われた時に、「その自分の思いどうりにいかんことだから、神様にお縋りするんだ」と教えていただいたと、伝わっているお話はそうでございます。

 実は、大先生はどしゃ降りの日を待っていらっしゃった。「借金かえせ」と言葉で言うたからといって、長年そういうことで、不良債権のようなものが返ってくるはずありませんわね。後は、どうして先方の心をくすぐるというか動かすというか、楔くさびを打ち込むことができるかということです。で、「今日は日柄が悪いな」とか、「先方の不都合やな」とか言っておいて、どしゃ降りの日が来るのを待っておられて、「今日こそいい」と思われたんでしょうな。その言葉を「神様が今日はお日柄がええ」とおっしゃった。と……。そしてその人が帰ってきたら、われわれのような者であれば、「そうか言ったとおりじゃったやろ」と言いたいところですが、「そうか、神様がお働きくださったんじゃな」と、おっしゃったところが、なかなか初代玉水の大先生は奥が深いですね。それは何かといいますと、自分の骨折りの上に加えて、どしゃ降りだったということが加わってね、それがその(借金催促の)値打ちになっている。 

 一番最初の話に戻りますがね、「祈りの豆」を配る。なかなかできませんよね。最近はパートに出られている人が多くて、お昼間に訪ねていっても留守であったりするから……。交通費もその人持ちですよね。お出会いなさって、親先生のお祈りを届けて下さる。相手の方も「わずかですがお礼でございます」といって、御献備をなさる。それを親先生が「今、その人どないしてるんだ?」とお尋ね下さる。それを言うのは、ただありがたいだけでなく、「この寒い中をこうして、わざわざお届けしてくださったということは、本当にありがたいことでございます」ということになるんです。三日の日はまだよかったですね。雪まで降った四日なんか節分の明くる日でございますね。「ようこの中を来て下さいました」と……。そうしますと、訪問に行って下さった方の祈りと思いと真心に加えてですね、寒さもですね、その中に付け加えられる。お働きの内容になってるんですね。今、流行の言葉でいいますと付加価値というんですか、値打ちを継ぎ足していると……。もちろん「祈りの豆」を家まで届けるという、交通というか足元というのも値打ちのひとつで、ただの豆ではないんですから……。それを ただ、その手間を取らす上に、寒さという自然のものも加わってですね、「喜んで下さって、行った私も行く甲斐がございました」と……。

ですから、いちいちですね、それはみんな教祖様がおっしゃるとおり、「身に徳をつける修行」だと思って、寒い中を早朝参拝にお越しになることはとっても大変だと思う。けれどもね、大変な中に値打がある。大変な中に「ようも参拝した」ということになるんでしょうね。そう思わしていただきますと、ありがたいことですよね。「それがなんじゃ」と言ってしまったら、しまいなんですが、そうではなくて、そこにいちいち花を咲かして下さるというか、実を実らして下さるというか、向こうもありがたいが、我もまたありがたいとおかげを蒙こうむって参るんですが、どうぞそういう点で、「身に徳をつける修行だと思うて」という教祖樣のお言葉をあらためて噛み締めさしていただいて、いよいよ元気なご信心でおかげを蒙って参りたいと思います。ありがとうございました。