『生きるしるしあり』 今日はお天気もよく、お日柄も言うことなしのご大祭日和(びより)でございます。昨日の朝から花冷えで少し冷え込んでおりますが、これは「元気を出せ」というお計らいでございまして、このお天気……。なんともいえないおかげを蒙(こうむ)りました。そうして今、皆様とご一緒に、神様のお働きのお礼を申し上げ、これからもお守りいただくように、お願いを申し上げたところでございます。 同時に、神様は「参拝できない言い訳はさせぬぞ!」ということでございましょう。私共はすぐに、足運びのできていないことの言い訳をします。「足許が悪いから」とか「仕事が忙しいから」とか……。しかし、今日は、7年に1度巡ってくる日曜日のご大祭で、しかも、このようなお天気です。神様はよほどお祈り下さっているのです。 今は世の中全体が非常に厳しく、もう守っていただくしかない。そんな中で、今日のご大祭のお道引きに真心を尽くしてくださった方々、また、それを受けて「この際おかげを頂こう」と思われた方、それらは皆、真(まこと)の思いでございます。神様によっていろんなことが守られている。また、いろんなことを支えてくださって、見守ってくださっている。そうして初めて、真心が真心としてお働きいただくわけですから……。風邪をひくこともなく、私はなんとお礼を申し上げていいか。その他にもそれぞれの立場・持ち場を守ってくださってこそ、こうしておかげをいただけるんです。 昔の言葉ですが、「生きるしるしあり」(註=出典は『万葉集』にある「御民われ 生きるしるしあり 天地の栄ゆるとき 逢へらく思へば」という和歌。戦時中『海ゆかば』同様に曲が付けられて唱われた)という言葉がありました。「たとえ、難しさがいろいろあろうとも、現に、天地の栄える時にこうして生かされておるという事実があるではないか」と……。 しかし、実際には様々な問題や難儀があるんですよ。けれど、そういう時に、手を合わせることができる信仰を持っているということはまことに有難いことだ。生きがいのあることだと、教えていただいている訳でございます。今までそうしてやらせていただいたし、これからもです。 今も先代恩師親先生の神霊様にお礼を申し上げたのですが、「どういう具合に五年祭を迎えさせていただくか」ということでございましょうね。そのためにも、どれほどのことがあろうともお守りいただきたい。そして、「たとえ全身傷だらけになっても、堂々と、この道でこのご縁をいただいている私たちが、しっかりおかげを蒙らせていただきますように」と願いを立てさせてもらいました。 私も皆さんも、それぞれに問題があるかと思いますが、共々にこの大きなお祈りの中に包み込んでいただいていることには変わりはない。歩ませていただく道も変わりない。ですから、皆さんもご一緒に、大手を振って「泉尾教会でおかげを蒙(こうむ)って信心させていただいている」と申し上げることのできるように、どうぞしっかりおかげを蒙ってまいりましょう。私もそのお誓いをしながら、今日のご大祭を拝ませていただきました。有難うございました。 (春の大祭での教話) |