『通さぬは通すがための橋普請(ぶしん) 』 

教会長 三宅龍雄     04年06月16日

昨日(6月15日)は、婦人会の例会をここ(感謝祭終了後のお広前)でさせていただきました。婦人大会まであとちょうどひと月……。発言なさる方が口々に「ここからの歩みをさせていただこう!」とおっしゃっていました。

「ここから」ということは、「今朝(6月16日)から」ということでしょうね。それは皆さん思っていらっしゃる。けれども、それを自ら率先して「引っ張っていこう」という人は、その通りなのですけれども、同時に「一服しないと(息切れする)」と思っている人もいるんでしょうね。

あるいは、現在、婦人会の中心(役員)になっている人の中でも、また、婦人会だけではなくて、求道会、青年会、教会人たちの中でも、口では皆「それはその通りだ」とおっしゃいますけど、「まあ、当面は様子を見て(自分からは何もしないで)おこうか」という人もおられるんですね。それらのすべての人をひっくるめて、婦人大会を目指していかなければならないのですから、それだけでも大変なことです。

そういう中で、「ここから!」ということを、どういう具合に受け止めてゆくのか? それには、まず今まで、ずっと一生懸命続けてきた「これがわが家のあり方」あるいは「自分の生き方」と言えるものを一生懸命続けることが大切です。

ところが、現実には「昨今の経済事情がはかばかしくありません。こんなことで、この先どうなっていくんでしょうか?」というお届けをされた方が昨日は5人もいらっしゃいました。いずれの方も、それぞれ業態は違いますが、皆さん、会社の経営に携わっていらっしゃる方々です。それだけ、大変な社会状況なんだろうなと思うんです。けれど、皆さんそれぞれに一生懸命やっていることは間違いないんです。

じゃあ、自分が一生懸命努力して、辛抱さえすればどうにかなるか? というと、「世の中全体の動き」というものがありまして。昔と違って、なかなかそう上手くゆく訳ではない。ある方は「一服しながらでないとやってられない」と言い、また、ある方は「一服どころではない。今まで以上に必死にやっていかないと、日にちが立ちゆかないんです」とおっしゃる。人それぞれですが、それらの全てをひっくるめての「おかげ」でなければならないのですから……。

私の旧制中学時代の頃の話なんですが、学校のすぐ裏手にあった校長先生の官舎の塀に尺取虫が這(は)っているのを見つけて、道端で友達とワーワー言いながら見てますと、校長先生がわれわれの様子を見咎(みとが)められて、「そんなところで立っていないで、家の縁側に座ってじっくりと観察しなさい」と言われ、奥様に命じられてお茶まで出してくださいました。

皆さんご存じのように、尺取虫という虫は――蝶々の幼虫か何かそういう類の生き物でしょうが――体を「くの字」に曲げて、胴体の前のほうに付いている足と後のほうに付いている足で、交互に木の枝などを掴んだり放したりしながら前進してゆくのですが、部分的に見ると、なにやら「バックしているのではないか」と思うような動きをしますね。「進むためには、一時、後退しなければならないこともある」ということを教えようとされたんでしょうね。校長先生は、理科系の方ではなく、東大の哲学科を卒業された先生でしたから、生物学的な仕組みの観察というよりは「ものごとの意味を考えることができる子供」に教育しようとされたのだと思います。

学校から教会に帰ると、今どきの子供と違って、「ただいま。今日は(学校で)こんなことがありました」と、その日の出来事を報告します。すると、先代恩師親先生は、頭でっかちの学校の先生と違って、実践的というか、具体的な和歌山のあるエピソードを取りあげて話をしてくださったことがあります。それは『通さぬは、通すがための橋普請(はしぶしん)』という話でした。

皆さんもご存知だと思いますが、和歌山市を東西に流れる紀ノ川は、河口近くに南海本線の鉄橋があります。途中に橋桁がいくつもいるような、とても川幅が広い河川です。私は子供の頃、この南海本線の鉄橋の下に舟を止めて、よく舟遊びをしました。この橋は、鉄筋コンクリート造りの立派な鉄道橋なんですが、実は、この橋の上手(上流)のほうに、橋がもうひとつと、さらに上流の中洲がある地点に「渡し船」がありました。

もうひとつの橋というのは、数年前に「毒入りカレー事件」という不名誉な事件で有名になった有功(いさお)地区を含む六十谷(むそた)と呼ばれる和歌山市内側から見て紀ノ川の対岸に当たる地域へ渡る「六十谷橋」のことですが、この橋は、別名「一銭橋」とも呼ばれまして、公の道路の延長であるにもかかわらず、通行するのに一銭必要なんです。

何故かというと、大雨が降った時に、上流の(奈良県の)吉野川のほうから伐採した材木がザアッと流れてくるんです。川幅の広い南海本線の鉄橋のほうまでそのまま流れていくと、あとは海まで流れ出るだけですけれど、途中で、この六十谷橋にひっかかると、橋桁が壊れて橋ごと流されてしまいます。それで、何かあったときの架け替え費用として、常々から渡る人から一銭ずつもらうことになっていました。たった一銭でいいんです。それをプールしておいて、橋の修理費用としたのです。

もうひとつは、そういう事情を鑑みて、さらに上流の川幅の狭い中洲のあるところに「渡し船」があったんです。「淵が瀬となり、瀬が淵となり」という諺(ことわざ)があります。「瀬」というのは「浅瀬(せせらぎ)」のことです。私は子供の頃、祖母(三宅音枝)から、紀ノ川の瀬を見ては、「ここは昔、淵やったんよ」と聞かされました。この「淵」とは、浅瀬と対照的に深いところのことです。水面の上から見てみても、色からして青黒い。この深い「淵」が、長年の間に浅い「瀬」になっているというんです。「対岸の目印になる松の木との位置関係を覚えておきなさい」とよく祖母に言われたものです。

何十年かに一度、「川普請」という大規模な河川改修工事をやることがあります。そうしないと、洪水の危険性が高まるからです。しかし、その時は、この「一銭橋」すら通行止めになって、当時子供だった私の足では、ずーっと上流の渡し船まで廻らなければならない。この時のことを「通さぬは、通すがための橋普請」とおっしゃったのです。通るための「通行止め」です。これは「いよいよ」ではなく、「一時の」通行止め。その最終的な目的である「通すがための」ということを忘れてはいけません。

話を婦人会に戻しますが、昨日の祭典後も、お届けを聞かせていただいていたら、「それは辛いなあ」という話がいくつもありました。ある会社を経営されている方などは、「ともかく、これ以上リストラはできない。逆に、将来のことを考えると、この時期に有能な人材を入れたいぐらいです」とおっしゃるので、「今、この不況下でないとできない、(好景気で)目標達成に追われている時にはとてもできないようなこと(根本的な見直し)を、今しなさい」と、こちらが申しますと、「親先生、それどころではない。そんな暢気なことは言っていられないんですよ」と、おっしゃる。

会社を経営するということは、全くその通りなんでしょうけれどもね。川の普請にしても、橋の普請にしても、大変なんです。究極の目標のために、当面は全く正反対のことをやることが余儀なくされることがあるのです。また、そんな中で、思いもかけないようなあらゆる問題が起こります。昨今の日本社会は、国会議員(の年金未納)にしても、警察(の不正経理)にしても、病院(の医療過誤)にしても、子供(虐待事件)のことにしても、本当に酷い限りですが、これらは、ある意味では、日本社会が「もう一度、始めからやり直し」という時期に来ている証拠だと思います。

泉尾婦人会でも、まさにそういう時期に来ているのですね。普段は教会のいろんな行事でバタバタしていることが多いけれども、ここは「じっくりやらせていただくチャンスをお与え下さっているんだ」と思います。

神様は「通して(おかげを与えて)やりたい!」と思っていらっしゃる。しかし、ここで敢えて「通さぬ(おかげはやらぬ)!」とおっしゃるのは、「今こそ、初心に帰って……」、あるいは「ひとつひとつ起こる出来事だけを捉えるのではなく、生活全体で立ち直るよう」に祈ってくださっているに違いない。

だから、「今」が大事なんです。「ああ、やっと一山(ひとやま)終わった」とか「これからだけども今は手が付けられない」という、家のことも全部含めて、「今こそ精一杯やらせていただく機会を神様が与えてくださっている」と思って、いよいよ、「今こそ!」と。経済情勢が大変な昨今ですけれども、先代恩師親先生のおっしゃられたことを思い出して、「追体験させていただくのだ」という意気込みをこめて、精一杯祈らせていただきましょう。有難うございました。