『鬨(とき)の声を告げる年に』 

教会長 三宅龍雄       05年01月01日

あけましておめでとうございます。まず最初に、昨秋、日本列島各地で相次いだ地震・台風・水害等の自然災害で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げると共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

古来、東洋では、六十年一区切りを「還暦」と称して、千変万化する世の中の諸相が「一循環した」というふうに解釈してこられましたが、今年は、第二次世界大戦終結60周年の年に当たり、国際連合をはじめ、第二次大戦後に構築されたあらゆる世界秩序に関する制度や常識を、あらためて検証し直してみるべき年を迎えたと認識いたしております。

まず、米英仏中露という第二次大戦の戦勝国に特権的地位(例えば、この5カ国だけが核兵器を保持する権利を有する)を与えて、他の190に及ばんとする世界中の国々との間に、不平等な上下関係を構築してきた国連安保理事会の「常任理事国体制」を見直さなければなりません。

なぜなら、「世界の平和と安全を保証する」責務を負っているはずのこれらの5カ国が、全世界の武器輸出の98パーセントを担っているという現状――つまり、本当に地球上から戦争が無くなってしまったら、最も困るのがこれらの5カ国――である以上、現常任理事国五カ国に、世界平和の監視役を期待するのは、元来、無理があるというものです。

さらには、「独立した主権国家」だけを「国際政治の行為主体」と見なす現世界秩序は、(自分たちは「不当に抑圧されている」と認識している)少数民族や一部の宗教原理主義勢力と主権国家との間のテロや暴力の応酬に対して、ほとんど正常に機能していないとしか言えません。

また、世界中から同じ目的を持った善意の民間人の集まりであるNGOや、ある意味でその正反対ともいえる「他人の幸せを踏み台にしても自分たちだけが儲かればよい」と考える国際的投機集団(いわゆる「ハゲタカ・ファンド」)などの多種多様な民間人による「国境を越えた地球規模の活動」に対しても、国連やG7はなんら有効な策を果たしていないとしか言いようがありません。

このような、第二次世界大戦終結時には想像もできなかった国際環境下で、「自己犠牲を厭(いと)わない」私ども宗教者の果たすべき役割は、ますます重要性を増していると思われます。それには、まず、「勝者」や「強者」の立場からではなく、「敗者」や「弱者」の立場に配慮した世界政治のあり方というものを現行システムに代入していくべき時期にきていることを人々に広く知らしめることが肝要かと思います。

さて、今年の干支(えと)は、「乙酉(ひのととり)」です。「乙」という漢字は、もともと、「土中にある種が、堅い殻を破って発芽する際に、まだその殻をつけたままの芽が、体をくの字形に折り曲げて、土を掻き分けつつ地表を目指す」という状態を形象する文字だそうです。つまり、大きく飛躍する前に、いったん、身を縮めて力を蓄えている状態のことであります。

また、「酉」という漢字は、もともとは、酒を醸造するための「瓶壺」の形象からできた漢字だそうです。これも、美味しいお酒の原料になる穀物を中に蓄えて、じっくりと発酵するのを待っている状態ですから、ある意味で、「乙」と共通する意味合いがあると思います。

しかも、「酉」の干支は、わが国では、一般に「鶏(にわとり)」のことを指しています。鶏は、まだ、夜の明けきらない状態の時に、いち早く夜明けの気配を察して、一番に鬨(とき)の声を告げる動物です。泉尾教会は、常に世に警鐘を鳴らす存在でありたいと思います。

私事で恐縮ですが、私は、昨年末に金婚式を迎えました。また、本年2月には、喜寿をお祝いしていただくことになっています。体の病弱な私が、皆から助けられ、先代恩師親先生の御跡を受けて御用に邁進(まいしん)させていただけるのも、皆、神様のお祈り、先代恩師親先生のお徳の伏せ込みあってのことであります。

今年を、ご布教八十年迎えの第一歩の年として、蓄えてきた祈りの力で、世界に対して「泉尾教会ここにあり!」と一挙に鬨を告げる年にしたいものだ、と願いも新たにいたしております。