『人が助かり立ちゆくこと」に使い切っていただく』 先代恩師親先生は、そのただ中にあって、不景気・生活困窮・テロ・失業・社会不安の時代に、何よりも「暮らし向きの良くなること」を願われたのであります。しかし、実際の世相は、15年間におよぶ軍国主義と戦争の時代へと突入してゆき、その結果が、昭和20年の「無条件降伏」という悲惨な結末となりました。 それから数十年の歳月を隔てて、当時からは信じられないほどの自由さ、豊かさを得たはずの日本社会にあってなお、経済不振・就職困難・社会不安は増すばかりであります。しかも、キャッシュカードからのスキミングによる現金詐取や最新のデジタル機器を用いた紙幣の偽造、身内の事故等を騙(たばか)る「振り込め(オレオレ)詐欺」。さらには、相次ぐ近親者による乳幼児の虐待死や、悪戯(いたずら)目的の女児誘拐殺害事件の続発など、「人の道」を見失った規範秩序の崩壊した日本社会の現状には目を覆うばかりであります。 これらのことは皆、過去数十年間にわたってこの国が、経済的豊かさ(所得の高さ)のみを価値とし、個々人の自由さ(勝手気儘(きまま)さ)のみを求めてきたことへのしっぺ返しであります。本来の人間の「あるべき姿」とは、先代恩師親先生が終始力説されてきたように、単なる経済的豊かさを求めるのではなく、「暮らしの向き(あり方)」が良くなることであり、また、個々人の私的な願望の実現ではなく、「御神願の成就」を願うことであります。 世界に目を転じても、イラク戦争後、かえって泥沼化したイラク情勢をはじめとする中東地域での止まるところを知らない自爆テロと、当局による報復攻撃などの暴力の応酬は悪化するばかりであります。さらには、昨年末にインドネシアのスマトラ島沖で発生した巨大地震によって、インド洋沿岸各国の広い地域で20万人以上もの夥(おびただ)しい犠牲者を出したインド洋大津波などの自然災害の頻発に、天地自然からも、あらためて、人類社会の根本のあり方を問い直されているように思われます。 そのような世相の中で、限りない大みかげを頂戴している私どもは、御布教七十八年記念祭を信者一人ひとりの御礼の御祭とさせていただき、教会挙げて勢信心・総助かりを蒙(こうむ)ってまいりたいと願わずにはおられません。10年前の御布教六十八年記念祭は、あの阪神淡路大震災で泉尾教会の関係者も大勢被災した中で仕えられました。神戸や淡路の出社広前で倒壊した所もありましたが、皆、以前にも増して立派に再建されましたが、まだまだそのことへの感謝が足りません。 泉尾教会の歴史は、78年になりますが、この2月6日に「喜寿生誕祭」を皆さんに祝っていただく私の生涯ともピッタリ重なるのであります。その意味でも、先代恩師親先生のご信行をそのまま引き継がせていただき、私のいのちを「人が助かり立ちゆくこと」に使い切っていただけますよう切に希望させていたくものであります。 |