★★ 教会長三宅歳雄 教話集 ★★


先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より

立ち行く道

暮らしの向きを良くする・・

どうも私は立ち行かぬ......。「どうすれば立ち行けるようになるのだろうか?」とか、あるいは「私は立ち行ってます」ということをいう前に、先ずお互いが、どうして立つことができているのか?あるいは、立たせてもらっているのであるかを、十分考えるべきではないかと思う。

その立っているということが本当に解り、その立っている場・・自分の内容が本当に会得できて、初めて立ち行く道ということが問題になるのであると思う。

鶏は二本の足で立っているという。否、私は「三本の足で立っているのだ」と言いたいのです。

「そんな馬鹿なことを......」と申しますが、それなら、鉄砲で撃ってみると判る。命中する......死ぬ......死んだら立っていられるか?

もし、二本の足で立っているのなら、立って死んでいるはずであるが、死んだら倒れるのは、目に見えぬ足で立たされておったからだと言える。目に見えぬものによって立つことを許されていたのだ。ということではないでしょうか。立ち行く道・・自分が立ち行くということの一番の条件は何でしょうか?

それは、自分が立っているのではなく、立たされているということ......立ち行かせてもらっているということを解らねばならぬと思う。

立つ゜立っている゜自分の立場・問題・内容をしっかりと知り、それと確しっかと取り組み、祈り励みして、初めて立たせてもらえる。それが十分になされて、立ち行かせてもらえるのである。

子供がコマを廻す。一本足のコマはブーンと唸うなって廻る。実に素晴らしい廻り方をする。

一本足のコマを立てるのは、大人でも立てられぬ。どんなに工夫しても立たぬ。どんなにしても倒れる。「一本足のものが立つものか」と言う。もっともである。

でも、コマは素早く回転することによって立派に立つことも事実である。一心に廻ること・・我慾、気ままを捨てて一心に祈り働くこと・・に専念して初めて立つことができるということである。

日にちの生活のよいはこび(立ち行くこと)も同じことで、金に困った......悩む......行き詰まる......。その時に、算そろ盤ばん持って思案しているようでは立ち行かぬ。算盤を忘れて、家中がそれぞれの立場を果たし、明るく勇み働き、悩み、迷い、心配を忘れて問題と真剣に取り組む時にこそ、立ち行くことを許されるのだと思う。

お互い人間考えの上にのみ立って、いくらあくせくしても、それは立派に、末々まで立ち行けるとは思えぬ。よほど良くて「親おや辛しん道どう、子こ楽らく、孫まご貧こ乏じき」である。

真しんに見えざるものの御力みちから(神様の御恵み)を頂き、立つことを得......立ち行かせてもらえる......。その御力を頂くために、すべてを忘れて、一心に廻る(祈る、働く)ことが大切である。

そこをお互いは、日々の生活に......信心の上に、稽けい古こを重ねてだんだんに身につけて、ものにしていただくことが信心道であると思う。

「暮らし向きを良くしたい」という。それは、言い換えると、経済状態を良くしてゆきたいということのようである。

しかし、暮らし向きを良くするということが、経済だけを良くするということなら、崩れることがあるし、また、それだけでは、本当に暮らし向きが良くなったとは言えぬと思う。暮らしの方向(暮らし方)を良くしてゆくことでなくてはならぬと思う。

たいていの人は、経済が少しでも良くなると「おかげを蒙こうむった」という。しかし、お互いひとりひとりの暮らしの方向が、本当に良い方向に進められて来なければ、「信心しておかげを蒙ってきた」とは言えぬ。

たくさんの財の持主でも、「あの人の今のやり方ではきっと潰つぶすぞ......。末はどうなるか判らんぞ」と言われるような暮らしの向き(暮らし方)の誤っている人もある。

反対に「今、あそこ、あんなに貧乏にしているけれども、あの人ならきっと先は良い」と言える良い暮らし向きを進めている人もある。暮らし向きが良くなって、初めて暮らしが良くなる(経済的な方面の安心)のでなければ、本物の安心の生活(良い暮らし)とは言えぬと思う。

私の生家の村(註=和歌山県海草郡中之島村)の人で、一人は相当の財を持って、米や株の相場だけして日々贅沢な生活をしていた人がおった。それはそれは日々の暮らしはたいしたものだった。しかし、結局その家は潰れた。それは暮らし向きがそうなっていたからだと思う。

もう一軒、反対に、私が子供時代に太鼓番(太鼓を打って夜警をしつつ時を知らせる番人)の一家は、村一番の貧乏で、とてもひどい暮らしをしていた。私は子供ながらに「ひどい貧乏だ」と思うていたが、私の母は、「今にあそこは村一番の長者になる」と言われていた。

果たして、その通りになった。二人の子供は大学を出て、今はたいしたものである。

それは、「太鼓番、太鼓番」と言われつつ......暮らし(経済生活)に困りつつ......暮らし向き(暮らしの方向、暮らし方)が良かった......。歩んだ暮らしの方向が成功への方向であったといえる。

立ち行くというために、方向を良いもの......将来あるもの、末々の繁栄につながるものにさせておかねばならない。お互い自身、自分の歩む道を反省し「まあ、見ていて下さい」と言えるでしょうか?それくらい、立派な暮らし向き(方向)を持っているであろうか?問題はそこである。

私自身も、親の教会(玉水教会)での修行中、二十二、三歳になるまで、「アゲ二枚、ネギ一把」と使い走りに買いにやらされたこともある。その頃は、いつまでも、下足番、掃除役と思うていた。

十五歳で和歌山から出て来て数年経った頃、「お前は今、何をしているのや?」と国(和歌山)の友人らによく言われた。そのとき、必ず私は、「恩師大先生(註=玉水教会初代教会長湯川安太郎師)が『ものにしてやる』と言われた......。そのお言葉を信じ、日にち御み教おしえを頂き、恩師大先生の容易ならぬお骨折り・・お仕込みに従ってゆくのみです」と答え、かつがつながら歩ませてもらって、ここまでやらせてもらって来たのである。

ご本部参拝のときでも、信者さんの荷物を預かって、江戸堀の教会(玉水教会)から大阪駅まで大八車(荷車)で運んだ。途中で堂島の一流会社に勤めている国の友人に遭あって「お前、何をしているのや?」と聞かれるのが辛さに、遠廻りをしたことが幾度もあった。

二十四歳で泉尾に来させてもらって(布教して)、自分一人になった(独立した)が、電燈もお広前にひとつ、内らにひとつしかない生活で(親様から、不自由なので)「点つけよ点けよ」と言われたが、ご修行(節電)させていただいた。

食べるものが何ひとつ無くなったときでも、自分の暮らし向きの方向がハッキリ定まっていたのである。おかげで今、本当に恵んでもらっている。

「困った困った」という人は、暮らし向きの方向を誤ってはおらぬでしょうか?立派な方向に、立ち行く方向に、暮らし向きの方向を向けているのでしょうか?暮らし向きさえ、はっきりと良い方向に向いておりさえすれば、必ず恵まれます。迷わず心配せず、しっかりとよい暮らしを歩んでください。必ずよい暮らし方(経済的な安心)が得られます。

その暮らしの方向を常によく検討してほしい。鮮やかに立ち行く道は......暮らし向きを良くしていただく道は......、「自分さえ良ければよいのだ」ということでなく、神様のお示し通りに、わがまま気ままを捨てて、それぞれの役前に一心に精進させていただく......。その日にちの営みが営々と続けられていくということであることをよく分かって下さい。(ある日の教話・昭和三十三年七月)

戻る