★★ 教会長三宅歳雄 教話集 ★★

先代恩師親先生教話選集『泉わき出づる』より

神の願いを成就する

助けられる道はそこから
ご大祭を頂くということは、御祭みまつりを形だけ盛大に仕えさせていただくというだけでなく、あくまで神様の御み祈いのりを頂ききる。言い換れば、御神願をいきいき自分の生活内容に頂ききるということであります。
私もすでに、ご大祭を頂くため特別にご修行をさせていただいております。
そして、そのご修行を通して、いよいよ神様の思召しの容易ならぬこと御神願がいかに大きいかということ取次の場にどれだけ神様の深いご祈念がお働き下されているかということ、また、ご神意の偉大さ神様の愛の有り難さというものを分からせていただき、合掌感激いたしているのであります。

私はこの至らぬ、不信心者の身を張って人助けに精進させていただく゜それ以外にないと判らせていただき、そこにひれ伏しきっております。神様に縋すがりきり、祈っております。それが私の全部です。
そのことが、容易ならぬ神様のご念願に沿いきる私自身の生き方であり、その生き方
に徹することが、その生き方を二代∧三代と受け継いでもらえる台になることが
、ご大祭を頂くたびに強めてゆく私の祈りであります。
皆様方も、立場立場でそれぞれ違いましょうが、同じことであると思います。
ご大祭を通し、真しんに神様に御礼を申し上げる。神様の思召しに応え、神様の御祈り
氏子を助けたい。助かってもらいたいの線に沿っての歩みを強めさせていただく以外にないと信じます。

お互いの生活に、神の願いを奉じ、その願いに沿いきる日にちの営みを続け、いかにそれが困難であっても、神の願いを成就する。それがそのまま真まことの自分の助かりなりという信。祈りと勇みを持ってご大祭を迎えていただきたいのであります。
たとえ、問題がいかに難しく、いかに困難であっても、背中の皮が破れ、血が流れようとも、重荷のために肩に食い込むような辛さでもなんでも゜と祈り縋り勇み、歯を喰い縛って耐え、頑張っておかげになるまで、おかげいただいて下さい。
これこそ御神願成就の第一歩であると感激合掌して下さい。その強い歩み、祈りこそ、お互いのご大祭生活の歩み、祈りであります。

もうあかんダメだ□と鐘を叩くことは止やめて下さい。明るく勇み働き、勤め、尽くし抜きましょう。
苦難の波を越える道は、苦難の波と真正面からぶつかることのみしかありません。逃げると波を被かぶって沈没する。問題から逃げて解決の道はない。そんな弱気を一掃して、神様を頂いての強さを持って生活して下さい。
信心を楽な道と思うてはならぬ。棚からボタ餅式のご利益信心ではない。真しんに難儀と取り組みゆくことである。真まことの助かりのために、日にちの生活が修行から修行への営みであると思うてください。

問題∧難儀と取り組んでゆくそこから、己おのれの新しい正しい行き道を見出し、歩み、営みを続ける。自分を反省∧懺ざん悔げし、難しければ難しいだけ、祈りと改まりを強めて行くとき、図らざるお守り、お恵みを頂き、立ち行く道が開け、思わず合掌感激させていただけるものである。
信心する者のみが味わう、自分と自分で自分が拝める有り難い強い生き力が頂ける道をいよいよ励みましょう。
私は、教える人でなしに、悩みを聴き、共に悩み、悩める人の友となって、真剣に祈り縋る道を日にち歩むものであります。
日にち、神様と共に歩み、問題に出遭あえば、そのときはその問題と取り組み、神様にお縋りし真に力強い信心を通して、生活の中身に明るさと有り難さを頂きましょう。
その心の成長信心の飛躍の一歩をご大祭のたびに頂くことが有り難いのであります。
私は分かっている十何年も信心したというような思い上がりを捨てて、今日初めての入信者の心になって、信心の仕直しをいたしましょう。ご大祭生活は、まずその一歩からだと信じます。ご

大祭迎えの教話∧昭和三十三年十月

戻る