感謝祭・ご命日祭教話 教会長 三宅光雄 08年4月1日 只今は先の教会長 二代親先生 三宅龍雄大人(うし)の神霊様の二年祭を仕えさせていただきました。一昨年の3月28日に78歳でご帰幽をされましたが、本当に昨日の事の様に思わせていただきます。今もお写真を見させていただきながら、その様に思わせていただき、お礼もお詫びも足らない事だと思わせていただいております。 今、お写真と、こう申しましたが、こちらに大きなお写真を出させてもらっています。御霊舎にもお写真を置かせていただいておりますから、お写真は一つでも良いかと、そうも思わせてもらいましたが、いやいやと思い大きなお写真を、4日前のご帰幽になられた当日の28日から、こちらに出させていただいたのですね。 大恩師親先生のお写真は御霊舎の上に、額に入ってございますでしょう。9年前に大恩師親先生がご帰幽になり、そして五十日合祀祭が終わった後、御霊舎の上に大きなお写真が上がったのです。このお写真、上に上がっているからそんなに大きく感じないかも分かりませんが、約畳一畳分あるのですね。この大きなお写真を上げさせてもらう時に、私が二代親先生に「この位置で宜しいでしょうか」と聞かせてもらったのです。「変な話をするようですが、後々は、二代親先生や私はどうなるのでしょうか」と、こうお聞きしたのですね。大きな釘で留めてしまいますともう動きません。仮留めにして、また動かすなら動かすで、釘の打ち方が違うのですね。その時に、「仮留めではなくて、このお広前には写真は一枚限り」と、こうおっしゃったのですね。「それでは二代親先生、しいては私などはどうさせてもらったら良いのでしょうか」と、その時にそう申しますと、「あの大恩師親先生のお写真の中に自分を見てくれ」とおっしゃった。私にですよ。これ、ご信者におっしゃったのではないのです。大恩師親先生のお写真。その大恩師親先生のお写真の中に自分を見なさい。だから写真は一枚で良いのだと、こういう事をおっしゃったのです。ですからそれを私はその時に頂いた遺言と頂いて、このお広前に二代親先生のお写真を上げることはしなかったのですね。 ですからあくまでも今回の大きなお写真は仮置きです。外殿に釘を一本も打っている訳ではない、大きな写真台を作って、このお祭の時にだけ出させてもらっている。仮に置かせてもらっているのですね。このこと一つ見ても、今もご祭詞で申し上げました様に、「一乃弟子(いちのでし)道」を貫かれた。大恩師親先生の一乃弟子として自分はある。一乃弟子道を貫かれたという事が本当に分かりますね。 祭典中にあの大きなお写真が祭主の席から少しだけ見えるのですね。あぁそうだったなと、その時のお言葉を思い出させていただいて、私も大恩師親先生・二代親先生の一乃弟子としての信心をもう一度今日からあらためて頂かせてもらわないといけないと、こう思わせていただいたのです。 さてみなさん、本日ご参拝をされました時に、桜が満開だったでしょう。京都や大阪は今日が満開。泉光園(せんこうえん)でも五分から満開になってきていますね。いつもの年より1週間ほど早いのでしょうか。 今日の午前中に祈りの塔にもお供えをさせていただき、お写真を出させていただいたので、皆さん方もお広前に参拝される途中に、ご拝された事とは思いますが、私も午前中に拝ませていただきました。祈りの塔の前だけは桜が満開なんですね。桜までもが二代親先生の二年祭に合わせて満開になってお花をお供えしてくれている。 ふと思い出しましたのが今から17年前。平成三年。米国のカーター元大統領が、このお広前で第1回の『平和フォーラム』の基調講演をしてくださった。その時の事を思い出したのですね。あの時も桜が綺麗で、勿論リップサービスですが、ワシントンにはすごく立派な桜並木があるのですね。そのワシントンの桜よりも泉光園の桜の方が綺麗だとおっしゃった…。勿論おべんちゃらだと思いますよ。けれどもカーター大統領がそういう様におっしゃってくださった事を、ふと思い出したのですね。そしてこのお広前でフォーラムがあったのですね。 フォーラムの後、神徳館の和室で、食事をご一緒に頂いたのですね。もう17年前の4月。その時のお話は色々とあるのですが、その中でカーター大統領の方から、「泉尾教会は本当に素晴しい。教会を挙げて平和活動に取組んでおられる。私たちも少しでもその事を学ばせていただきたい」と、素晴しいお言葉を頂いた。その事に二代親先生は、そのお言葉に応えられて、「信者一人ひとりの小さな善意(思い)の積み重ねです」という言い方をされたのですね。そして「その毎日毎日の小さな善意(思い)を積み重ねる事によって、この活動をさせてもらっています」という事をおっしゃいましたが、それでお言葉が終わっていれば、私は覚えていなかったと思いますが、その後におっしゃったお言葉を私は忘れることができないのですね。それは、「人間は放っておきますと欲というものが出ます。欲。放っておくと欲が出ます。そして小さな欲は大きな欲に繋がります。しかしその小さな欲を小さな善意に変えさせていただいて、積み重ねさせていただく事で、善意を積み重ねている泉尾教会の全信者が助かっています。ですから平和活動をさせていただくことによって、大きな欲を取っていただいていると思います」とおっしゃり、お礼を申されました。私はそのお言葉を今でも忘れられない。そういう言い方を、そういう思いをされる方は、私はそれまでは知らなかった。勿論私自身浅学なので、本来はそうなのかも分かりませんね。 二代親先生が、自身がさせてもらう事によって、良いことをさせてもらう事は、実は自分の大きな欲を誡めてくださっている。ですからその事にお礼を申しているのだという事をおっしゃったときには、驚き感激をいたしました。 今日、桜を見ておりまして、ふとその事を思い出したのですね。あれは確か17年前ですね。昼食の時に家内に「カーター大統領は何年前に来られたんだったかな」と申しますと、家内は直ぐに「長女が小学1年生でしたから、17年前です」…。17年前ということは、二代親先生は63歳ですか。私は52歳。未だ足元にも及ばない「一乃弟子」としての修行でも全く及ばないどころか、そのご信心の深さ、尊さ…。足元にも及ばないという事を、今日あらためて思わせていただいて、お礼お詫びを申し上げている次第であります。 今日は皆さん方、本当によくご参拝をくださいました。一年祭、三年祭、五年祭という様な一つの節目の年のお祭でない、二年祭という年祭であるにも拘わらず、こうして大勢ご参拝くだされたという事は、霊様だけではなくて、私からも、本当に有り難い事だと思わせていただきお礼申します。今日は本当によくご参拝くださいました。有難うございました。 |