早朝勢祈念
教話 教会長 三宅光雄 09年06月16日 先日、東京の昭島会へ行かせてもらいました。西野さんという大変熱心で長年信心をされている方のお家の年祭でした。そしてその後、ホテルで会食会があったのですね。一般的には私が行かせていただく年祭では、10回に1回くらいは、会食会に最後まで出させていただきますね。しかし殆どの場合は、食事を頂いても1時間ほどで席を立ちますね。最後の最後まで座って居るのは10回に1回くらいでしょうかね。本当に久しぶりでした。なぜなら、その日は東京に泊まりでしたから。しかもその会食会があったホテルにそのまま宿泊したのですからね…。だから最後まで座っているのは当たり前ですね。 2時間くらいの会食会で、テーブル毎で色んな話が出てくるのですね。例えば、この西野さんのご親戚のお一人が、真如苑(しんにょえん)という大教団の教務長であられる長塚充男先生で、そのテーブルには偶然に長塚先生と小学校からの同級生であった、昭島会の役員さんが座られていて、昔話をされたり。他の皆さんの昔話も出たり。そして私も、皆さんが聞かれるので子供時代の話をしましたね…。 ある方がこの9人掛けのテーブルで、こう言われました。「これで分かりました…」。実はその内の、私を除いて8人は、5人が昭島会の役員さんで、後の3人の方が、ご親戚で真如苑の長塚先生とそのご兄弟ですね。真如苑というご教団は、たしか立教されて70年程で、立正佼成会も70年程ですので、ほぼ同時期のご教団ですね。非常にパワーのあるご教団です。そこの理事長をされている。その方が昭島会の信者さんのご親戚ですね。不思議でしょう。そしてご本人もその昔は泉尾教会に参拝されて、大恩師親先生のお取次を頂いておられる。そのことが今のご信心の大きな支えになっておられると、おっしゃっておられましたね…。その中で私もいろいろと話をしたのですが、子供の時からのお話をしていると、ある役員さんが「これで分かりました」と……。 私はその時、その方の話を聞いて涙が出ました。このような話を聞いたのは初めてだったのですね。しかし昭島会の、そのテーブルに着いておられた方々は皆、その話を聞いていたというのですね。大恩師親先生がそれこそ今から30年程前に、30年ほど前のご大祭ということは、たぶん昭島会の『開所三十年』のご大祭でしょうね。私が22、3歳ですか。私は大学4年生ですかね。 「30年後を見ておいてくれ、三代目を見ておいてください」。「私の全てが三代目に表れる」とおっしゃったそうです。その話を聞いて私が感激して…。なにせ初めて聞きますからね。大恩師親先生がそのようなお話をされていたということを…。他の会でもおっしゃられているかどうか分かりませんが、私は聞いたことがない。30年前に昭島会ではそうおっしゃったそうです。「30年後を見ておいてください、三代目を見てくれ」…。「私の全てがここに表れる」とおっしゃったそうです。もうびっくりしました。その席の他の信者さんも、その通り、その通り、私も聞かせていただいたと口々に言われましたね。そのことを私自身は初めて聞いたのですね…。 30年前にそういうお言葉を、大恩師親先生が絶対に私の聞くことのない、他の修行者もめったに行かない昭島会で、ですね。そこでそういうようなお話をしてくださっていた。いや祈ってくださっていたということを、昭島会の信者さんからあらためて聞かせていただいたのですね。 大恩師親先生は誰にでも厳しかったですが、特に私に厳しくしていただいて、さらにご自身には本当に厳しくあられた。逆に言うと今の私たちは本当に甘いです。「食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝て、どうしておかげを頂けるのか」とおっしゃった意味が…。いや、その意味さえも分からないでしょうね。食べたいだけ食べているのですから、寝たいだけ寝ているのですから…。当時の泉尾教会は、この会堂の建設は終わりましたが、その後も切れずの普請(ふしん)が続き、全てに大変な時代でありました。しかもその時こそと、一番に世界平和を願われ、WCRPやIARFや世界連邦と、いろんな平和活動に対して取り組んでおられた頃ですよ。 本当に有り難く勿体なく、大変なことだと思うのですよ。そしてそのおかげで、今の私たちは、雨が降っても濡れずに、当たり前のようにこの大屋根の下で…。その中にぬくぬくとしている。世間で言うと「温室育ち」と言うのですけれども、今の私共は本当にそれで良いのか。もう一度自分たちがですよ、本気になって、世のため人のために何ができるのか。何をさせてもらうのか…。 きっと皆さん方も同じことが大恩師親先生に…。例えばもしそういう願いで、35年前に厳しく教えていただいたことがあったら、泣いてお礼を申さねばいけませんね。そのおかげ様で、今日の自分というものがあるのですね。なのに今日の自分は、自分の勝手な欲や思い上がり、努力のない生き方をしていますね。 いや、みな頑張っているのですよ。でもしかし、その頑張っていると、願われての中身の差が余りにも大きい…。そこに応えていかなくてはならない。それを勘違いして、自分で頑張って来たなんて思っていれば、えらい違いですよ。それこそガタガタと崩れていきますよ。崩れるのは早いですよ。見る見る崩れていきます。そこを分かっていただきたいですね。 私はようもようも、今回その食事会に、宿泊が同じホテルであったおかげで…。そして、同じテーブルであった真如苑の長塚理事長が聞いてくださっていて、「親先生こそ大恩師親先生の思いをそのまま頂いておられる。私たちは有り難いです」とおっしゃった。でも同じことが皆さん方お一人お一人に実は有るのです。そこを頂き直すのが、この『大恩師親先生十年祭』ですよ。お礼を申すのが『十年祭』。だから「努力をしています」なんて、私から言うと駄目ですよ。「命を懸けてます」でないとアカンのですよ。その命そのものが、願いであり祈りであるのですから。そう思うと甘い、そう思うと努力のない自分ですね。知らなかったら通ってしまった。たまたまそのことを聞かせていただいて、その5人の役員さんが30年前にみな聞かれていた。「その通りです」と…。 どうぞお一人お一人が祈られているということを自覚してください。祈られているのですよ。祈られているのです。そこをシッカリ頂かれて、前へ向かって、人を祈り、世のお役に立つ生き方をさせてもらって、祈られている中身に応えさせてもらえる自分にならせてもらって、共々におかげを蒙られますようにお祈りいたします。
|