三国会大祭
教話 教会長 三宅光雄 09年11月14日 皆さんおめでとうございます。今日はお天気に恵まれまして三国会のご大祭。本当に有り難いことであります。私は一昨日より、東京での御用のため上京していたのですが、羽田発の飛行機が1時間50分遅れまして、遅れたというのか、飛行機が飛ばなかったのですね。羽田空港から夕方に帰阪するなら、オバマ米国大統領が出国されるために、少しは遅れるかなとも思っていましたが、まさか午前便がと思いましたね。というのも東京が丁度その時間に前線が通過して、雨風が強く飛行機が離発着できなかったのですね。そのため1時間50分も遅れたのですね。 結果として私が祭主をさせていただくことができず、その上、前講として15分くらい教会所員がお話しさせてもらったと思います。大切なご祭典だけでなく、お話にも少し遅れるという形になり、申し訳ありませんでした。 一昨日、高知へ行きました。高知会のご大祭ですね。夕方に、高知から直接東京へ飛び、東京で2つの御用をさせていただいて、今、大阪へ戻ってきたのですが、12日は「天皇陛下ご即位二十年」の奉祝行事が東京でありましてね。私が上京したのは奉祝行事が終わったころでしたね。モノレールの浜松町駅からホテルまでタクシーに乗りますと、タクシーの運転手さんが「検問と規制がとても多かった」という話をしていましたね。そして続いて今度は、米国のオバマ大統領が、今東京へ来られていますね。今頃はまだ東京におられますかね。なんと機動隊員が他県から5,000人も来ていて、1万人以上の警備だそうです。そりゃもういたる所で検問をしていました。私は今日もタクシーで移動しましたから、タクシーは止められないのですが、一般車は本当に止められて、大変なことになっていましたね。その上、東京はずっと雨も降っていたのですね。車が雨で遅れ、オバマ大統領で遅れ、最後に今日は気象状況が悪くて飛行機までもが飛ばずに遅れ、何かもう、疲れに行ったみたいな東京でありましたが、しかし全てにお守りを頂き、こうしてお話をさせていただくことができたのですね。 今日のご大祭は、安政六年。今から150年前になりますが、安政六年の10月21日という日に、教祖様が親神様から「此幣(へい)切り堺に肥灰差止めるから其分に承知して呉れ…」というお言葉を頂かれる。これはどういう意味かと言いますと、「この幣(へい)」というのは、今このお広前では、よく似た感じというのは玉串の、これも幣(へい)ですが、紙を切りましてねじった形の、これが幣(へい)というものでありますね。「切り堺に」、境目ですね。これを切った今日の今から。「肥灰」、農業ですね。教祖様は農家ですね。その農業を止めて…。 例えば三国会の中心者として御用をしておられる吉村さんの家で言えば、家業は材木屋さんでしょう。「今日のご大祭から材木屋を辞めて、神様の御用だけをしてくれ…」と神様が頼まれた、こう思ったら、簡単に分かるでしょう。そういうことを神様から教祖様が頼まれたのが、150年前の10月21日という日であります。それでこの日を「立教」…。勿論ご信心はもっと前からされていたのですが、この日を「立教の日」と定めたのですね。この日からは、例えば吉村さんのお家で言うと、材木屋さんもさせていただきながら、この三国会の御用もさせていただいているのではなくて、三国会の御用一本でとなったという、これ一つの区切り。これが、幣を切り終えたら、神様からそうしなさいよという、お頼みのお言葉を頂かれたのですね。 私はその、150年前のそのご神伝(「立教神伝」)を、本当に私たちが、もう一度頂き直さないといけないと思う。150年前は安政六年と言いますから、今日は米国のオバマ大統領が来日していますが、その時代は、米海軍のペリーが黒船で開国をせまり、横浜が開港されたのが安政六年ですね。 今日は私、びっくりしました。気象状況が悪かったために飛行機が遅れていたのですが、いつもと違うコースを飛んだのですよ。風向きが悪かったために違うコースを飛んだのですね。そうすると普段は東京には、千葉の方から羽田に降りて、大阪に帰る時は神奈川の方を廻って伊豆半島の上を飛ぶのですが、今日は風向きが悪かったために、千葉の方へ向かって飛び上がったのですね。すると「海螢(うみほたる)」というのがあるのですが、千葉県の木更津というところから東京湾を横断して、こちら側の横浜方面まで、途中までが橋で、真ん中に島があり、これが「海螢」です。そこからトンネルで潜ってね…。それがすごく綺麗に見えたのですね。右に旋回してそして浦賀の辺り。あの辺りを飛行機が飛んだのです。私は窓側でした。普段はあまり窓側を取らないのですが、たまたま窓側だったので、ずっと見たのですね。そうしますと地形で分かるのですね…。 さすがに見えませんでしたが、今日は熊野灘(くまのなだ)の上も飛んだのです。昨日大きな船が座礁しましたでしょう。もしかすると見えるかなと、見えませんでした…。今日は丁度浦賀辺りを飛んだのです。その辺りにペリーが来たのかなと…。 日本人というのは大体外圧(がいあつ)と言いまして、一度決めたことは自分ではよう変えない。ところが外からきつく言われますと、変えるのですね。昔からそうなのですね。外からの影響を非常に受けやすい民族なのですね。今日もオバマ大統領が来て、きっといろいろと言っておられると思うのですね。テレビでは笑顔で写真を撮っておられましたけれども、きっとあると思う。そういうことが150年前にもあった。ということは、時代が大きく変わろうとした時ですよ。その後に明治維新ですね。その時代が変わろうとしていたということは、価値観が変わるということです。 特に教祖様は江戸時代という封建社会で、特に、例えば男女の差などは非常に大きかった。ところが教祖様は「家内は家の家老(かろう)じゃからして」という言い方をされていますように、女性というものを非常に大切に。女性がしっかりしていないとその家はイカンと…。信心は家族単位だと…。江戸時代の方でありながらそう考えられた。 それからさらにもう一つ。「万国まで残りなく金光大神でき、おかげを知らせてやる」。世界中までこの教えを…。岡山県のまあ言えばかなりの田舎。そこに住まわれていて、150年前の時代には、そんなに世界まで分からなかったはずなのに。そのことを言われておられる。だから私は、今のこの時代にもし教祖様がおられても、同じようにおっしゃったと思いますね。そのくらいの先見性というのか…。 それで私は、特に金光教は「世界宗教」だということを言ってきましたね。何故かと言うと「氏子あっての神 神あっての氏子 あいよかけよで立ち行く」とおっしゃいますが、人間と神様だけでなくて、神様同士も…。例えばイスラム教であってもキリスト教であってもユダヤ教であっても、その信仰を、その神様を尊重するという姿勢は金光教にはすごくある。だから男女の問題だとか、家族の問題だとか、そのまあ言えば21世紀型の宗教。それが19世紀にあったのですね。 これからは金光教の考え方というのは世界の標準になっていく。カトリックのヨハネ23世とパウロ6世がおっしゃったから、今のように宗教間の相互理解による平和活動があると言っても過言でないのですね。キリスト教も半世紀前まではキリスト教はキリスト教だけだった。その他の宗教は、キリスト教とは別で、他とは違うという姿勢であった。それが1962〜65年の『第2回バチカン公会議』からはそうではない。「お互いの宗教がお互いを認め合う」となったのですからね。キリスト教世界ではたった半世紀前ですよ。100年も200年も前の話ではない。そして1970年に大恩師親先生が『WCRP世界宗教者平和会議』を創られた…。それがなければカトリックは加わらなかったかもわからないし、そもそもWCRPができなかったかもわからない。それが40年前ですよ。 世界的にはそうであったのですが、教祖様は百数十年前にそのことを言われている。ですから金光教は、私は「世界宗教」だと思う。私たちは始めから世界標準なのです。 先ず「あなたがあって私がある」ということを言っている。今でこそ世界の皆が言いますよ。しかし、ほんの半世紀前の世界では通じなかった。だからこそ、大恩師親先生が教祖様のご信心を今の世界に現してくださった。その上、多くの宗教でも「原理主義」と言われる人々がいて、その人々は元々の教えだけを言うから、他のことは排除する。しかし、始めから金光教の原理は、オープンなのですよ。「あなたあっての私」…。私は本当にこの信仰に、この御神縁を頂かせていただいて、本当に有り難かったなと思うのですよ。 私たちが今、特に地球というものは人間が大きくなり過ぎて、人間のわがままで重たくなっているのですね。昔は地球の方が断然大きくて、人間がちょっとくらい悪さをしても、地球の方がヨシヨシと許してくれた。ところが段々人間の力が大きくなって、地球がもうしんどいと言っているような時代ですよ。その中で人間同士が争っていたらね、そりゃもう地球はもっとしんどくなってくる。ということは、例えば環境問題だとか、色々と言っていますが、全部含めて、私は先ず「あなたがあっての私」ということが、これから特に大事になってくると思う。そしてその「あなたあっての私」というものが、「私あってのあなた」ではないのですよ。同じように聞こえますけれども、「あなたあっての私」と「私あってのあなた」とは違うのですね。ということは、自分の存在そのものが先ずあなたの存在からある。これが私はこの道の信心だと…。 そのことを教祖様はそのまま教えてくださった。そして現在社会に現してくださったのが大恩師親先生。『御神願』と。…。「助かってくれよ」とおっしゃっる神様と、「助けてください」という私たちが、先ず神様の方から助かってくれよとおっしゃっている。これは凄いことですよ。私たちは今、当たり前のようにそのお道に触れているから分かっていますが、普通は大体、助けてくださいから始まる。神様と人間の中でも、ましてや他人様(ひと)と自分の中では、私の方が大体先に行きたいとなるのです。いやそんなこと私はしませんと言っていても、大体そうなるのです。 そう思うと150年前に、「此弊切り堺に肥灰差止めるから其分に承知して呉れ、家内も後家(ごけ)になったと思って呉」。「後家になった」というのは分かりますか。もう主人は死んだと思って…。そして「ぼとぼと」というのは少しずつでもということですよね。人助けの御用がどれだけ大事なのかと、それを神様が頼まれたのです。決して命令ではない、頼まれたのですよ。「神を助けてくれ。人を助けてやってくれ」と。ここが大事。ここが大事ですよ。 そしてそれは、150年前に教祖様が頂かれただけではないのです。また大恩師親先生がお偉いから、大恩師親先生が神様から頂かれただけではないのです。それがその証拠に、今から29年前、大阪中之島の「フェスティバルホール」で、大恩師親先生が講演中に御神言を頂かれる。御神言と書いてカミサマノオコトバと、泉尾教会で読ませていただいています。その3節目に、「大きい信心せい 自分一人の助かりでなく 世のすべての人の難儀を祈り助けよ」と、御神言を頂かれた。どうしても信心は、助けてください、私がおかげになったら良いと…。放っておくと、だんだんと小さな、自分の信心になっていく。だからこそ「大きい信心せい 世のすべての人の難儀を祈り助けよ」ということですよ。自分のその信心が、結局は自分の助かりなのです。そこをしっかり頂くことはとっても大事なことだと私は思うのですよ。 「自分の助かりとは何なのか」ということを、もう一度この150年というこのお年柄に私たちは考え直し、頂き直さないといけない。「助かりとは何なのか?」。助かりとは、美味しいものを食べて、楽して買い物へ行って、よく眠れて…。確かにそうかもしれない。それは美味しい物を食べられないより食べられた方が良いだろう。食べられるということは有り難いことですからね。食べたくとも食べられない人は大勢いますからね。しかし、美味しいものを食べていても、美味しいと頂けんのですね。当たり前に食べていて、美味しいと思わなくなれば、これは罰当たりですよ。「助かりとは何なのか?」ということを本当に考え直さないといけない。本当の助かりを求めないといけないのですね。 「あなた頑張りや」「祈っているよ」と言っているのに、その反対では、気付かないところで、人を愚痴っているかも分からない。知らないうちに気付かないうちに「めぐり」を積んでいるかも分からない。と同時に、私たちは「恵まれている」のだという自覚をしっかりと持たなくてはいけないのです。 そうであるならば、私たちはひとのために何ができるか、何をさせてもらうのか、どうあれば良いのかと、常に考えないといけない。だから大恩師親先生は「一寸のことでも良い加減にしてはいけない」とおっしゃった。こんなことくらい。1,000の内の1や2くらい、どっちでも良いじゃないかと言うけれども、この1の2のことで、命の懸かっている人だってたくさん居るのですよ。たったひとつの笑顔で、一言話したことで、皆変わってくるのです。悪気でやってなくとも、良かれと思って言っていても…。だからよく考えて行動する。しかし考えたところで、実は守られないと…。それなら守られなければどうにもならないのであったら、考えても意味がない。それは違うのです。守られなければいけないし、努力もしないといけない。それを私たちは「立教百五十年」のこの年に、もう一度考えて行動して…。 「何が幸せなのか、何を為すべきなのか」ということを、もう一度私たちが考え直させていただく機会としての『立教百五十年 秋の御大祭』ですね。泉尾教会は幸い26カ所の出社各会で。10月25日には泉尾のお広前でご大祭が仕えられ、その同じ思いで、願いで、26カ所のお広前で、もう一度ご大祭を頂いている。だから私たちは、勉強でも、学校で習ったら家に帰ってからもう一度復習をする。もう一度復習をすれば、次の試験では成績が違う…。ですから三国会に今日参拝ができた人は、泉尾のお広前での復習ができた。信心の復習ができたのですね。 どうぞひとつ、今日のご大祭がお一人お一人にとっての新しい出発にならせてもらえるご大祭でありますように。そして本当に自覚を持ってください。私は恵まれているのだという自覚。そしてどこでご無礼をしているのか分からないのだという自覚。だからこそ、一寸でもお役に立ててもらうのだという自覚。この自覚を持たせてもらって、11月を「おかげの月」とさせていただき、12月は「御礼の月」。そして来年、平成二十二年こそ「あらたまりの年」としておかげを頂かれますように…。 |