春の霊大祭 教話

教会長 三宅光雄               10年3月21日

只今は共々に、すべてに恵まれまして『春の霊大祭』のおかげを頂きました。昨日の今頃は、天気予報では今頃は雨。それが夕方から天気予報が雨が曇りに、曇りが晴れに変わって、本当に勿体ないことに、今朝までは雨が降っていたのですが、お恵みを頂きまして屋外での、『祈りの塔祭』のおかげを頂かせていただきましたね。有り難いことですし、勿体ないことだと思わせていただくのであります。

ところが、年に一度あるかないかのきつい黄砂(こうさ)が…。午前中までは今の様に綺麗な空が見えるのではなくて、少し前が見えにくかったですね。年に何度もありませんね。黄砂とは中国大陸の方から、本当にもう目に見えない大きさの砂粒が偏西風に乗って飛んでくるのですね。しかしそのおかげさまを以ちまして、天気予報とは違って1日早く天気が進んで、お天気のおかげを頂いたのですね。有り難いことです。

もう一つ驚くことは、私も初めてですが、『春の霊大祭』に桜が咲きましたね。昨日くらいからかな。急に咲きだした。彼岸桜というのはあるのですよ。しかし今咲いている桜は「ソメイヨシノ」ですよ。これはきっと、桜には法則があるのでしょうね。大寒以後に暖かい日が何日かあればとか、何かきっとあるのだろうと思うのですね。本当に少しですが桜の花が咲いている。午前中は黄砂。そして桜。これは何年経っても、「あれは確か平成二十二年の…」と、覚えていると思うのですよ。

そして参拝されたら必ず見てくださったと思うのですが、正門の参道の東側ですね。何か1台だけ小さな工作機械が入っているでしょう。実は一昨日まで大きな大きな機械が入っていましたが、今日のために除けたのです。あれは何をしているのかと言いますと、「御神田(ごしんでん)」を造らせてもらっているのですね。田圃(たんぼ)ですね。

2月2日に『井戸掘地鎮祭』というお祭をさせてもらいました。そしてこの「聖地泉光園(せんこうえん)」に井戸を掘らせていただいた。そもそも「泉光園」ですから、泉(いずみ)が光(ひか)る園(その)と書く。清い水が滾々と湧き出る園という意味ですよ。それが「泉光園」…。ところがこの大正区というのは工場地帯でありましたから、業者さんに聞きますと、井戸を掘っても、10分の1位の確率で水は出ても、田圃に使える水が出ない場合がある。植木の水やりには使えるのですよ。けれどもやはり田圃ということはお米ですから、お米ということは食べるのですから。「食品になるものに対しては駄目という水が出るかも分かりません」…。「いや掘ってください」と言って、井戸を掘ってもらった。見事。「何の問題もない立派な水です」という検査結果を頂きました。その日は何と、9月9日が『御布教八十五年記念大祭』迎えの「五〇〇日信行」の始まる日。500日前ですね。600日前は6月1日。そして700日前が2月21日の『男子壮年信徒大会』の日。その直前にOKという判断を頂きまして…。その後、3月2日は『御神田地鎮祭』をさせてもらった。

何とあの工事は竹中工務店がしてくれる。一流企業ですね。その竹中工務店の役員さんが「地鎮祭」で玉串を奉奠されましてね。その後お話をさせてもらった時に、「竹中工務店は、長年多くの工事をさせてもらってまいりました」。そりゃそうですね。一流企業ですからね。「今まで田圃を壊してビルを建てたことはありますが、この様な大都市の住宅区域に田圃を造るのは初めてです」と言われました。そりゃそうでしょうね。普通であれば考えない。また勿論これは、経済効率という言い方をすれば絶対に有り得ない。でもそんな経済効率で田圃を造るのではない。私は長年そう思っていました。

大恩師親先生が御自らのお手で、この6,200坪のお土地を全部撫でて祈ってくださった。その大恩師親先生のお思いの籠もった「聖地泉光園」。その泉光園で日本人の食の中心であるお米を、そしてそのお米は食べるのではなく、神様にお供えをさせてもらう。計算した人がいるのですね。計算すると泉尾教会の全信徒が、11月の『御初穂感謝祭』で御神田から穫れるお米を頂くとすれば、仮に全部で45キロ穫れたとしますと、1軒あたり小さじ半杯だそうです。

このことからもお米作りは大変だということですよ。皆さん方はコンビニに行って100円か150円かで、おにぎりを買って食べていますが、あれだけのおにぎりを作ろうと思えばお米がどれだけいるのか。大変な思い、願いがあって、いや神様から恵まれて、私たちは当たり前の様に、食事としてお米を食べているのです。いや、「私がお金を払って食べているのです」とこうおっしゃるかも分からない。それは便宜上(べんぎじょう)お金を払いますよ。お金を払わなければ泥棒ですからね。けれども恵まれなければお米は育たないのですよ。そして大勢の人の力がなければ育たないのですよ。しかも農業だけではないのですよ。それを運ぶ人だっている。

話は一寸横に逸れますが、『阪神淡路大震災』の時にそうでしたよ。一番最初に復旧したのはコンビニでしたよ。だからコンビニへ皆集まる。なので今では政府は、大きな地震が来たときの、一番最初の拠点をコンビニにしてはと言ってますね。一番早く水と食べ物を供給できる救済ポイントを、コンビニにしようという計画だってあるくらいですね。色んな人のおかげさまで、お金を払ったらご飯を食べられる。そして今年、6月13日に『御田植祭(おたうえさい)』というお祭をさせてもらう。これには皆、意味があるのですよ。

今年何故お米なのかと言いますと、この『聖地泉光園』に旧教会より御遷座されて今年が60年。人で言えば還暦ですね。勿論この宮ではない。前の宮。旧宮に神様が旧教会から御遷座されたのが60年前の12月23日。そして6月13日は教団の『教団独立記念祭』ですから、金光教の独立祭。なので私は、6月13日には『御田植祭』を朝からおかげいただいて、1時間後にはバスに乗って団体参拝。ご本部に行かせてもらう。同じ日に…。どちらも意味のあるその日に、60年という一つの区切りの日に、大恩師親先生がお祈りを込められた、その聖地からのお米を「お供え」させてもらって、神様にお祈りする。その実りを私たちは11月23日の『御初穂感謝祭』の時に「お下がり」頂いて。確かに小さじ半杯ですよ…。ですが、それを食の代表として、生かされている喜びを頂く。それがこの御神田を造らせてもらおうと思った中身なのです。

信心はやはり筋が要るのです。それは全て神様から授かっているということです。その喜びのお礼で私たちは生かされているということです。これは他に色んなことを言っても、ここが一番大事なことです。私はそう思う。そのことを形で見せてもらうということなのかなと思うのですね。

そして皆さん方は、もう一度お帰りの際に見てください。先ず驚くことは、凄い台に見えると思うのですね。あれは実は水平で、正面参道が坂になっているのです。正面階段と正門とで、なんと1メートル20センチの高低差があるのです。だから半分くらいなので、70センチくらいかな。なので台になっているように見える。それであれは、今は粘土の部分なのですね。あの粘土を丁寧に丁寧に丁寧にしないと…。普通の水田でしたら、仮に粘土がいい加減であっても、その下に自然の粘土層があります。ところが大正区は埋立地ですから、粘土層はない。ですからきちっと粘土層を造っておかないと、下からの潮が上がってくるし、上からの水が漏れる…。そこの区切りですね。

これを手抜きしますと数年間は良いけれども、段々と水は下に漏れる、潮は上がると、こうなるのです。ですから今は丁寧に丁寧に。そしてその上に土を入れているのですね。さらに最終的には全部できてから2カ月ほど寝かすのですね。こんな言い方はどうか分かりませんが、土を熟成させるのですね。落ちつかせるというのかな。だから6月の田植えにギリギリなのです。『御田植祭』が6月13日ということは、2カ月前なら4月13日。今日はその日まで1カ月ですからね。

そして、竹中工務店さんの役員さんに、「田植えをする時は大変でしょうね。しかし皆さんしたいでしょうね。私も参加してよろしいでしょうか…」と、言われた。今年は難しくても、何年か先に落ちついてから皆さん方に来ていただこうと思っていますね。最終的には近所の子供さんたちや、ボーイスカウトやガールスカウトにも田植えをしてもらったりね。そしてその方は言われた。「年男(としおとこ)とか年女(としおんな)とかに田植えをしてもらったらどうですか…」。皆、色々と言ってくださって有り難い。水田を造ることだけで皆さんが色んなことを言ってくださる。有り難いことですね。もう神様のお働きがすでに始まっているなと、思わせていただいたのですね。

ここをさぼりますと上手くいかないのです。これは言わば土台であり基礎であります。物事は土台や基礎が一番大事なのですね。基礎ですよ。例えば体力でも、今の若い人は体力は有ると言いますが、それは瞬発力はあるのだけれども、粘りが弱い。ということは、本当は体力が無いというのですね。例えば風邪を引いたとしましょうか。同じ風邪を引いたとしても、基礎体力が有れば早く風邪に克つのです。基礎体力が無ければこじらせたと、こうなるのですね。

風邪は皆引くのですよ。皆引くのです。風邪を引いたことありませんという方があるならば、それは風邪を引いたことがないのではなくて、風邪を引いていても、それを風邪と感じない。ウイルスは沢山飛んでいる。その人だけを避けて通らない。どこにでも皆飛んでいる。黄砂(こうさ)でもそうでしょう。私の所には黄砂はありませんという人はいない。黄砂も飛んでいるし、ウイルスも飛んでいる。風邪も罹るのだけれども跳ね返す力、これが基礎体力。強い人は引いても跳ね返すし、弱い人はこじらせて1カ月も、何かしっくりしませんと、こうなるのですね。ということは大事なのは基礎なのですよ。体力でさえもですよ。私たちは基礎をしっかりと頂かないといけない。

さあ信心の基礎は何でしょう。信心の基礎は私から言うと、やはり足運(あしはこ)びでしょうね。日参(にっさん)だと思う。週に一度参拝している人は2回させてもらおうという願いを持つ。月に一度の参拝の人は二度という願いを持つというように、前向き前向きに、神様、霊様に向かって、しっかりと向かって行くということです。

それは会社でも同じですよ。家庭でも同じ。何事も同じ。難しさに向かうということが大事ですね。会社で言えばね。もうこのプロジェクトは私は苦手だからと避ける社員では、その会社は発展しません。そしてそのプロジェクトに真剣に取り組めば必ずやそれを認めてくださる。取引先も上司も。そしてその結果としてその向こうにある消費者の人々に喜んでもらえる物品が作れる、売れる。お役に立つということですよ。

その元はどこか、難しさから逃げないということです。ところが人間は大体どっちかと言うと楽に付こうとするのですね。それは違う。もう辛いとか、もう駄目だとか言うと、いくらでも楽に付ける。そしてその瞬間に止まってしまう。そしていざという時に風邪を引けばこじらせてしまう。そして基礎体力がさらに落ちていく。その時にしっかりと頑張っておけば、いざという時にバンと弾き返す…。

昨日は終日「お呼び出し」をさせてもらった。皆さん方の親先祖の霊様方の「お呼び出し」。また11年前からは大恩師親先生、4年前からは二代親先生の神霊様。そしてその霊様と共に、今日は、皆さん方はあらためて参拝されたのだと思う。そして今日このお祭で、霊様は喜んで霊舎に戻られた。この神様と霊様と私たち。「神霊人(しんれいじん)」。神(しん)は神様ですね。霊(れい)は霊様。人(じん)は人間。神霊人(しんれいじん)共に助かって行く道。これがこのお道。泉尾教会の、金光教泉尾教会の信心。だから私たちだけ助かってはいけない。霊様だけでも神様だけでもいけない。

そのお祭を今共々におかげを頂かせてもらって、私たちは本当にお礼を申さないといけない。そう思わせていただきますね。そして皆さん方は4月1日に是非参拝をしてください。『二代親先生四年祭』です。確かに『三年祭』『五年祭』という大きな区切りのお祭ではない。けれども『三年祭』から『五年祭』にはならないのです。必ず『四年祭』があるから『五年祭』があるのですよ。

二代親先生は4月1日。大恩師親先生は9月1日。この朔日(ついたち)という日にご祭典を仕えさせてもらっているのにも実は意味がある。これは玉水教会初代大先生が2月1日という日なのです。そして10年前に玉水教会で私がお届けをさせてもらった時に、奥で大奥様がこうおっしゃった。「歳雄先生(大恩師親先生)は、師匠である大先生と同じ朔日に年祭ということは、大先生も歳雄先生もお喜びですね」とおっしゃった。大奥様が私にですよ。そこまで師匠を頂いておられる。亡くなってでも。ですから4月1日。確かにどうしてもの区切りの時は3月末の日曜日を選びますが、普段の年は朔日。その2月1日と同じ4月1日、9月1日ですよ。そしてそれはそれぞれご自身の家の年祭と思ってください。皆さんを自身の子として祈ってくださった。ですから皆さん方の親先祖と同じですよ。その親先祖の霊神様の助かりなしに、私たちの助かりはないのですから。お一人お一人が本当に今日を喜ばせてもらって、共々におかげを蒙られますように。