飾磨会 春の霊大祭教話

教会長 三宅光雄
14年3月10日


只今は共々に飾磨会の「春の霊大祭」のおかげを頂きました。そして今日は午前中に、飾磨会新広前の「上棟祭(じょうとうさい)」。棟上式むねあげしき)のおかげを頂いたのですが、昨年が飾磨会の「開所五十年」という大吉祥の年でしたね。その開所五十年に、中心者の野田執さんが願いを立てられたのですね。野田さんのご先代からの願いでありました新広前のおかげを頂かせていただきたいという願いを立てられたのですね。

本来は昨年の2月10日。もう1年以上前ですね。その日に、この飾磨の地に大恩師親先生のお祈りを頂かれて、「飾磨会」という会が開かれたのですね。そして昨年の5月10日の「春の大祭」をもって、「飾磨会開所五十年記念祭」を頂いたのですね。あの時は、このお広前いっぱいに、障子も全て外して座ることのできないほどの大御祭を、共々におかげを頂きました。そして半年後の12月10日に新広前の「地鎮祭(じちんさい)」のおかげを頂いたのですよね。「年内の内に必ずおかげを頂きたい」という中心者の願いがありましたものですから、12月の内に「地鎮祭」を頂いて、そして今日は「上棟祭」のおかげを頂いたのですが、今の予定では10月18日の土曜日に「遷座祭(せんざさい)」を頂きたいと思っております。この御祭は長時間ですよ。お昼の2時頃から始まって、幾つもの御祭があるのですね。全てが終わるのが夜の9時頃ですかね。その中心の神事は、御帷(みとばり)を張って、神様のお供をしての御遷座ですね。

御帷という白い布で神様の四方を囲み、その中を私が神様を抱いて歩かせていただく。そして提灯。夜にこのお広前から新しいお広前へ行列を組んで行かせてもらうのですね。昨年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮がありましたからね。皆さんも、神道の御遷座をテレビで観られたでしょう…。

私が生まれる前ですが、泉尾教会は昭和25年12月に、旧教会から今の聖地泉光園のお広前へ御遷座されたのですね。私が直接経験した御遷座は、24年前の春日丘教会。そして「阪神淡路大震災」で被害があった生穂会、神戸灘教会。8年前の新堀会と、そしてこの度の飾磨会ですね。

昭和26年、聖地泉光園の旧広前の「落成大祭」で大恩師親先生は、その時のお広前は四百畳敷きですね。当時の金光教の教会のお広前で一番大きなお広前と思います。その時に大恩師親先生は「これは仮の広前」とおっしゃった。日本で一番大きなお広前でですよ。「15年で新しいお広前を神様から頂きます」とおっしゃって、そして今の五百六十畳の会堂広前を頂かれたのが47年前ですね。四百畳のお広前を「仮の広前」とおっしゃって、15年で新しく頂くとおっしゃった。飾磨会もそうありたいですね。もちろん15年後に新しい建物をというのではないですよ…。

飾磨会の皆さんは、一生に一回有るか二回有るか分からんような大大吉祥を迎えさせてもらうのに、もっと「願い」をしっかり持たないといかん。そうでなければこの神様のお働きに申し訳ないし、勿体ないし、いかんと思う。そしてもっと大事なことは、世間一般でも「仏作って魂入れず」という言葉があるでしょう。広前を建てる、建物を建てるのが目的ではないのですよ。「人が助かる」が目的なのです。そのための場としての新広前を建てるのですね。

ということは、人が助からなければ新広前はただの建物ですね。ただの飾りですよ。分かりますか。ただの飾りの広前を造ったのでは、かえって負担になりますよ。意味がない。人が助からなければ、今からでもやめたらよい。しかし、助かるのであれば、これはもの凄く意味のあることですね。だから大前提があるのですね。分かりますか…。

勿論新しく信心をされて、今年は「大恩師親先生十五年祭」ですから、15年より入信が新しい方は大恩師親先生のご生前のお姿をご存知ない。また二代親先生は今年が「八年祭」ですから、二代親先生のお姿も知らないというご信者さんもおられます。どうぞその方は私を見てください。私の中に大恩師親先生、二代親先生を見てください。この大恩師親先生・二代親先生のご信心をどう頂くかですよ。「人が助からなければ死ぬまで」とおっしゃった大恩師親先生…。だから皆さん方は、極端な言い方ですが、もう自分のお願いをしなくてもよい。貴方のお願いは私がしています。もうすでに助けられています。皆さん方は共々に人のお願いをしてください。人の助かりのお願いをしてください。分かりますか。

勿論最初は自分のことからお願いをして、信心は始まる。ある方が教祖様に、「そんなことを言われても、教祖様は生神様ですから…」と言い訳をされたのですね。そうしますと教祖様は「人を一人助ければ一人の神である。十人助ければ十人の神である」とおっしゃった。ということは、私たちは金光教のご信心をさせてもらう以上は、泉尾教会のご信心をさせてもらう以上は、飾磨会でおかげを頂く以上は、「お一人お一人が人助けの御用に使っていただいて」おかげを頂かないといかんのですね。そしてお一人お一人が「生神の道」を歩まないといかん。生神にならないといかんのです。

「いやあもう私なんか無理です」。無理なことはないのです。人を助けて生神になるのです。だから一人助ければ一人の神。十人助ければ十人の神…。ということですね。
では人を助けるとは何なのか。それは、その人のことを「自分のこととして」願うことです。「成りかわって」ではないのですよ。もう20年程前に、二代親先生は泉尾教会の本部婦人会の役員会で、おっしゃっておられました。その場に居た私は、厳しいお言葉だなと思いましたね。役員さんが、「○○さんにこういう問題があります。どうにもなりません」と二代親先生に尋ねられた時に、二代親先生はズバッとおっしゃいました。「あんたらは泥水をすすっていないから分からんやろうな…」とおっしゃった。ということは答えは簡単なのです。

泥水とはどこにあるのか。地べたにあるのですよ。地べたにですね。自分がその人と同じになって、その一番の問題の場所に、その大変な中に浸かって、いやそれよりももっと下の位置に居れば、必ずや貴方はその人を祈れる。その人も頼ってくれるし、こちらは祈れるのですよ。しかしこちらが高い位置に居てたら、「ああ大変やな…」と、上から見て、「大変やな。おかげを頂けたらいいな…」。それでは人は助からない。自分がその場に行くか、もっと下の場になって…。そしたら簡単でしょう。教祖の神様はおっしゃった。「上から下へ水を流すのは容易(みやす)いが、下から上へ流すのはむずかしい」とおっしゃった。当たり前のことですけれどもね。上から下に流れるのですよ。
これは商売でも同じです。「商売が上手くいきません」。それは自分が高いのですよ。「家族が上手くいきません」。これも高いのですよ。「いつも有難う」と奥さんに言ってください。奥さんもご主人に「有難う、大変ですね」と言ってみてください。その瞬間に道が開けていきますよ。親が子に、子が親に…。ところが「あんたのせいで私はこんなにしんどい目をしてる…」。そんなもの絶対におかげを頂くはずがないですよ。そうでしょう。どうぞそのことを、この飾磨会は一番下。下の下。だからそこへどんどんと流れてくるのですよ。どんどんと徳が流れてくる。下にならないといかん。下も下、穴を掘ってでも下に入る。そしたらどんどんどんどんと。そして下といったらどういうことか。それは、「その人と一緒に、その人として」。その人に「成り代わって」ではないのですよ。その人と一緒に難しさに向かい、共におかげを頂き、お礼を申すのですよ。それが新広前です。そうでなければ飾り物ですよ。あるだけ負担。管理するだけでも負担ですよ。そんなことになったら、神様のお働きに申し訳ない。

どうぞ皆さんが今日の今からこの棟上げ。「天地金乃神 一心に願え」と棟札の表に書かせていただいた。今日からその札が棟に上がったのですよ。その前の一ヶ月の間はこちらの広前にお供えをさせていただいて、さらにその前には泉尾の広前のご神前にあの棟札がお供えされていたのですね。それを頂いての10月18日「遷座祭」ですよ。約半年後ですよ。そしてその1ヶ月後には「落成大祭」。御礼の大大吉祥の大祭。一生に一度有るか二度有るかということですよ。皆さん方はその覚悟で一世一代の御大祭を頂かないといかん。

そしてその「御大祭」は、実は終わりではないのですよ。そこからスタートするのですよ。スタートする大祭を頂く。どうぞ、そのように頂いていただき、おかげを蒙らせていただきましょう。