秋の霊大祭教話

教会長 三宅光雄
14年9月23日


只今は共々に、「秋の霊大祭」のおかげを頂きました。今日は、このようなお天気のおかげを頂きまして、御祭の前には祈りの塔にて「納骨祭」のおかげも頂き、全てに守られて恵まれて、今日の御祭を共々に頂いたのですね。毎秋「霊大祭」を頂くのですが、毎度毎度違うのですね…。カレンダーの上では「秋分の日」で、毎年同じ日でありますが、毎度毎度違う御祭を、毎度毎度お一人お一人が頂いておられる。それがこの「秋の霊大祭」でありますね。

特に今年は8月31日の「大恩師親先生十五年祭」。さらには9月28日にお迎えする「先代大奥様二十年祭」という、教会の真柱であられる二柱の神霊様の、大きな区切りとしての御祭を頂いているのですね。ですから泉尾教会に付き従う全ての霊様、また出社各会に付き従う全ての霊様へのお礼と共に、あらためて大恩師親先生、先代大奥様の神霊様にお礼を申し上げさせていただいたのですね。

8月31日に「大恩師親先生十五年祭」のおかげを頂いたのですが、私は本当に何も分かっていませんね。確か7月の上旬でしたか、「婦人大会」の直前まで「何でこうなるのや…」と、あることをはがゆく思っていたのですね。それは何かと言いますと、ご祭詞でも「不肖己(おじなきおのれ)は、去る8月24日から27日、イギリスはバーミンガム大学にて第34回IARF国際自由宗教連盟世界大会を主催させていただき…」と申し上げましたように、私は8月の世界大会の閉会まで、IARF会長職でありました。

IARF国際自由宗教連盟は19世紀から続きます、世界で最も古く、最も権威のある、そして今なお多くの諸宗教の相互理解による国際宗教協力組織として、世界で中心的な活動をしている国際組織ですね。19世紀からですから、今は21世紀ですから、足掛け3世紀…。その会長に日本人がならせてもらう。こんなことは大恩師親先生が1969年にIARFに加盟された当時には考えられないことなのですが、そのおかげを私は頂いていたのですね。

ところが4年に一度世界大会をさせてもらうということは、これはIARFの規約で決まっております。そして3年前に参加する青年のことを考えて、大学の夏休みにさせてもらおうということが決まり、2年前に開催国はイギリスということが決まり、さらにそののち、バーミンガム大学での開催が決まったのですね。そしてその開催日が、最終的には「大恩師親先生十五年祭」の直前になるということになったのですね…。これは国際評議員の多数決ですから、いくら私が会長だからといっても、大勢の方がこの時期が良いと言われたらそう決まるのですね。

私は初め、どうしてこういうお繰合せになるのかと思っていたのですが、7月の上旬に、それは違うということに気付いたのですね…。これはわざわざ神様が重ねてくださった…。大恩師親先生が神霊様として、十五年祭の中身としてお仕えくださる世界大会を、私が共に参加させてもらうのだということを、神様から教えていただいたのですね…。だからわざわざ重ねてもらったのに、お礼こそ申さないといかんのですが、最初はどちらかというと大変さが勝っていたのですね。

人間というのは同じことをしていても、思い違い、取り違い、心得違いをしていたら、結果が違うのですよ。そのことを先に気付かせてくださった。有り難かったですね。こう思わせていただいて、今もご祭詞を読ませていただいて、その時のことを思い出しました。ああ、あの時は、初めは思い違いをしていたけれども、神様が「そうではないぞ」ということを教えてくださって、おかげ様でその「世界大会」のおかげも頂き、「十五年祭」のおかげも頂かせていただいたのですね…。

さて更にご祭詞で申し上げましたが、ご祭詞の中に「信心相続」という言葉が4回も出てまいりましたね。霊様の御祭は信心相続祭といっても良いのです。親先祖を祀るということは、それぞれのご家族が霊を祀るということは、信心を相続するということなのです。それはそうですよね。私だっていずれ祀られる日が来るのですね。その日は、明日かも分からん、50年後かも分からん…。しかし祀ってくれるのは後に続く人です。その人が信心をしっかりしていただいて、その人が助かりの道をしっかりと歩んでもらわなければ、霊としても残念ですね。いや私には子はおりません、孫はおりませんという方もいる。勿論いる。結婚もしておりませんという方もいる。その方も、信心の子が孫が、お道引きをさせていただいた方が、日々お祈りをさせていただいた方が、自分を祀ってくれないといけませんね。

だから今日は、「大恩師親先生十五年」の年の「秋の霊大祭」ということは、皆さん方は大恩師親先生の信心の子です。それぞれのお家の霊様の御祭であったと同時に、最初に申しましたように、大恩師親先生の神霊様にも、先代大奥様の神霊様にも共にお礼を申し上げねばならないのですね。それぞれの方が金光教泉尾教会のご信心に御神縁を頂かれて、今日こうして参拝させていただかれているということですね。

自分自身で御神縁を頂かれた方もいれば、親が信心をされていて、また、親の親が、親の親の親が…。いろんな方がおられる。皆一人ひとり違うでしょう。しかしそれは全て御神縁ですよ。生まれながらというのも御神縁なのです。そして信心をさせていただきますと、これは御神縁を頂いていても、最初分かりませんから、「信心しています」とこうなるのですね。

初めは「御神縁を頂いた」となりますが、そして「信心をしています」…。その信心がだんだん進んで行きますと、「信心させていただいて、させてもらって有り難い」となるのですね。それが更に更に進んで行きますと、「信心をさせてもらって」ではなくて、日々の生活そのものが「信心になる」とこう申します。だから教会へ参拝されている時だけ、お祈りをしている時だけが信心ではなくて、四六時中、24時間、365日。いつでもどこでも、どこにいても。神様と共に、霊様と共に世と人のためにという…。それが「信心になる」ということなのですね。これが本当の意味での信心。それまでの段階に、今も言いましたね。先ず御神縁があるのですね。

ということは、まだその御神縁を頂いていない方の方が多いわけです。私たちは先に頂いたのですからね。教会の「先生」というでしょう。先生とは先に生まれると書く。先に頂いて、新しく生まれ変わったということです。そしてそれは、大勢の方に御神縁を頂いていただくことをさせていただくのは、教会の先生だけでよいのか。それは違うのですよ。

私はいつも申しますように、教会の教師だけでなく、ご信者の一人ひとりが布教者(ふきょうしゃ)でなければいかんのですね。人を助け、教えを伝える人が布教者です。それにはどうするのかというと、自分の生き方が人様に喜んでいただくということです。自分の生き方がお道を伝え、教えを広げることにならないと、教本を持って来て順番に読んでいるだけでは。勿論それも悪いとは思わないけれども、だからこそ、自分自身が「信心になる」でなければならないのですね。あの人が右を向いたら有り難い、左を向いたら有り難い、立ち止まったら有り難い、笑ったら有り難い、怒っても有り難い、というような日々になる…。そしてそのことを、神様と共に、霊様と共にですよ、私たちはそのように歩ませていただかないといけない。このように思わせてもらいますね。

この28日。もう5日後ですよ。「先代大奥様二十年祭」を頂きます。このお広前には大恩師親先生のお写真だけがご霊舎の上にありますが、多くのお教会では、初代教会長、二代教会長、三代教会長と、何枚かのお写真があるのですね。これは二代親先生が、「大恩師親先生五十日合祀祭」のその夜に、このようにするようにと私におっしゃったのですね。

あのお写真はこうしてあの位置に上がっているから、そんなに大きくは見えないかも分かりませんが、畳一枚よりも大きいのですよ。確か横が110センチで縦が160センチでしたかね…。そして檜の額ですからもの凄く重いのです。それを留めるために、もの凄く大きい金具を使っているのですね。二代親先生に「一度釘を打ってしまったら外せません」。それとも仮止めにしますか…。そんなことは言えませんが「二代親先生が亡くなったら、どこにお写真を上げさせてもらいましょうか。私はどうしましょうか…」と思ったのですね。そうしますと二代親先生は、「このお広前には私の写真はいらん」とおっしゃった。「この写真の中に私を見なさい」と…。

私は昭和二年にご布教くださった大恩師親先生、そして昭和二年に泉尾教会に、ご布教されたばかりの大恩師親先生に嫁がれた先代大奥様、さらに昭和三年にお生まれになった二代親先生。このお三方は本当に泉尾教会の歴史そのものですね。このお三方を「泉尾教会真三柱神霊様」と私は頂いています。ゆくゆくはですよ、今から50年くらいしたら三代親先生も入れて四柱にしようかと、のちの人に言ってもらえれば良いですよ。言ってもらえないかも分からないですね。「真三柱の神霊様」ということは、この大恩師親先生のお写真の中に皆さんは二代親先生のお顔が見えますか。先代大奥様のお顔が見えますか。いや写真には写ってないのですよ。大恩師親先生のお写真だけですからね。しかし「この中に私を見なさい」とおっしゃった。分かりますか。写真には写っていないのですが、その中に皆さん方が見えているかどうかなのです。ということは皆さん方の中に、三柱の神霊様が今でも、共にしっかりとおられるのかどうかということです。そうしたら鏡のように見えるのです。

どうぞこの28日。日曜日ですね。あらためて「先代大奥様二十年祭」を頂くのですから、次は「三十年祭」。さらに10年後ですよ。しっかりおかげを頂かせてもらわないといかん。このように思わせてもらうのです。

一人ひとりが、自分自身の信心が、「信心になる」のですね。そして「霊大祭」は信心相続祭だということです。私はそう思わせてもらっております…。

今日のこのお天気、暑いくらいですよ。勿体ないな。本当に勿体ないことと、このように思わせてもらっております。どうぞ皆さん方一人ひとりが、今日を新たなスタートとして、神様に、そして大恩師親先生の神霊様に、親先祖の霊様にご安心いただき、喜んでいただける日々を送らせていただけますよう、神様と霊様と共に生かせていただけますようお願い申します。