早朝勢祈念教話

教会長 三宅光雄
14年12月1日


私は37年前、國學院大學文学部神道学科在学中に『金神(こんじん)信仰と金光大神』という卒業論文を書いたのですね。今年は「教祖二百年」というお年柄ですね。そして先月には大阪の2ヶ所で、さらにこの6日には大阪中地区と大阪府下地区、7日には大正地区の信徒地区集会があるのですね。そしてそのテーマが『教祖様のご信心を頂いて』なのですね。そこで私もこの際に、私自身の信心の原点をもう一度見直す機会にさせていただこうと思い、あらためて自分自身で37年前に書いた大学の卒業論文を読み直したいと思ったのですね。「教祖二百年」のお年柄だからこそ教祖金光大神様の信心を通して、私は自分自身の信心を見直さないといけないと思ったのですね。

その論文には、私たちは「生きた宗教」、「生きた信心」でないといかん。「死んだ宗教」、「死んだ信心」ではいかん。と、書いてある。37年前に私が書いた論文にですね。勿論この論文は当時、二代親先生にも読んでいただき、大恩師親先生のご実兄の三宅實先生にも読んでいただいたのですね。

それは、金光教泉尾教会の、泉尾教会とは何かということなのです。37年前とは、ご布教五十年の頃です。あの頃の泉尾教会は「生きた信心」そのものなのですね。そしてそのころの私は、泉尾教会の信心以外の信心は、「生きた信心」とは思えなかったのですね。若いですからね…。そしてそのことを、「生きた信心」を本気で求めていたのです。お道の信心はそうでなかったらいかんのですからね。だから大恩師親先生は当時、道を求められる若い先生方と共に「十四日会」という共励会を作られて、道の信心を求め続けられた…。「生きた宗教」「生きた信心」を…。

ところが今の私たちの信心はどうでしょう。本当に「生きた信心」と言えるのか。言葉だけでは言いますよ、「生きた信心」とか「真の信心」とか…。では「真の信心」とは何なのでしょうか…。それは「教祖の信心」でしょう。教祖様が神様と出会われて、その時に助けていただかれた信心。これこそが「真の信心」ですよ。それを皆、今ではただの物語にしている。先日も1階のロビーで『おかげは和賀心にあり』というビデオを観たでしょう。あのビデオはあれで間違いではないのですよ。しかし教祖があの境地に至られるまでの中身。もっと厳しく苦しい、辛い大変だったところを飛ばしてしまっていますね。始めから神通力があるような…。勿論あれはあれで正しいのですよ。しかしあそこまでにどんなに大変なところを通っておられるのか…。

そして一番大事なこと。私が大学生の頃でもそうでした。大恩師親先生のお結界に進んで、「頑張るのやで…」とお言葉を頂いた時には、 ボロボロボロと泣きましたね。それは、その前に、大変なお祈りと何倍もの厳しさがあるからですね。厳しさがあるからこそ、その一言、「頑張るのやで」が百倍になって、涙が出るのです。私のことを私以上に思い、叱り、祈ってくだされているからこそですね…。

しかし今の皆さんはどうでしょう。そもそもこの頃は、叱られるからお結界には進まない…。そしてお結界でもし厳しく叱ったら、もうこのお届けはしないでおこう…。それはなぜか。楽についているのですね。そしてそれは私も同じです。神様から叱られることはしない。安全策、安全策。そうではないということです。そして何よりも私に、人を思い、人を祈る力が足りないということなのですね…。

教祖の「金神(こんじん)信仰」は、そもそも祟り障り。当時の金神とは、もの凄く恐ろしい神様。ここが大事なのですよ。だからこそ人を助けてくれる。「金神七殺(こんじんしちせつ)」といって、14年間に牛2頭を入れて、家族が7人も亡くなる…。

教祖の金神信仰の先達である「小野うた」様は、「助ける神か、殺す神か、助ける神なら助けてくれ、殺す神なら皆殺してくれ…」と神様に直談判されるのですね…。分かりますか、もう皆殺してくれ。助けるのなら皆助けてくれ。さあどっちや。ここまでの祈りをされるのです。皆さんはまだそこに至っていないでしょう。ただ「助けてください、助けてください」でしょう。殺す力のある神なら、助ける力もあるはずだ…。そこで変わるのですよ。

大恩師親先生も同じく「私ほどメグリ深い者はない。だから助けてもらわないといけない」と変わられるのですよ。親鸞聖人の弟子、唯円は『歎異抄(たんにしょう)』で「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と言っておられる。私はこの悪人とは一般に説明されているただの悪人ではなく、自分自身のことをも言っておられると思っているのですね。唯円自身ですよ。自分は悪人(助からない者)だと気付いた自分こそが助からないといけないのですね。

このようにコンバージョンが無い限りは、本当の助かりは無い。私も若い頃からそう思っていたのですね。大学1年生の時に宗教学の授業で「コンバージョン」というものを習ったのですね。コンバート(変換)する。その名詞形がコンバージョン。宗教学では「改心(かいしん)」というのです。心が改まる。それなしにないのです。そして「現世利益(げんせりやく)」なのです。今「助かる」ということですね。

ところが今では、現世利益と言ったら、何か安っぽい宗教だと思う。そうではないのですよ。現世利益なしの宗教は宗教ではないのですよ。同時に苦しみ無しの宗教も宗教ではないのですよ。助かりなしの宗教も宗教でなく、さらに同時に、理論無しの宗教も宗教ではないのですよ。本来はこれらが揃ってないといかんのですよ。ところが、「ああやこうや」と頭だけで考えて言ったりする。何でそうなるのか。違う。「本当の助かり」。本当の助かりはどこにあるのか。答えは簡単なのですよ…。そしてこれを皆さん方は聞くだけでは何にもならないのですよ。このことを伝えないといけない。一人ひとりが布教者にならないといけないのですね。

教祖の「金神(こんじん)信仰」の流れとは、堅磐谷の小野うたというおばあさんからの流れですね。この方のところには、多くの方が参拝されたのですね。そしてその次に、その「金神信仰」を教祖の実弟の香取繁右衛門(かんどりしげえもん)という人が頂かれ、継がれていく。その香取繁右衛門の金神信仰に影響を受けて、教祖が金神を天地金乃神まで頂かれた。しかし、ここのところを今の金光教はほとんど現していませんね。安政6年の『立教神伝』から明治6年8月19日のお知らせが中心になっていますが、ほぼ同じことを実弟の繁右衛門さんが先に経験され、おっしゃっていますね。ここをほぼ抹殺している。それは金光教をただの流行神(はやりがみ)の信仰にしたくなかったのですね。しかし本当に大事なのは、この「金神信仰」があったおかげですし、これこそが立派な信仰の元なのですね。

このことは、教祖様を頂くには本当に大事なのですよ。この金神信仰の流れが…。ここのところを無くしている。「金神七殺」という力があるからこそ、助ける力も出てくるのですよ。そうでしょう、強い人にしか頼めませんよ。何を言っても頼りにならない人には頼めないのですよ。そうではないでしょうか。

教会の先生も、ただ親が教会長であったからといって、あとを継いだらいかんのです。勿論親が信心していた人は、他の人よりも徳があるはずなのですよ。当たり前ですね。日本語は日本人の方が話せる。そしてアメリカ人は英語を話せるのに決まっている。いくら日本人がアメリカに行っても、向こうの人の英語にはよっぽど勉強しないとかなわない。だから教会子弟が継いだ方が良い。しかし、一般には代を重ねて、それが続くのか…。それは違う。だから代を重ねても、その代の人が信心を継ぎ、しかも「日々がさら」のあらたまりの信心でなければいけない。分かりますか。二代目でも、三代目でも、その人が初代の信心でなくてはいけない…。

ではなぜ金光教が教団として残ったのか。それは小野うたにはそのような弟子が無かった。香取繁右衛門にもほとんど弟子が無かった。しかし金光大神には素晴らしい弟子たちがいたからですよ。しかしその弟子たちはその過程で、教祖の信仰の、その部分を極力薄めたのです。それは教団を明治政府に公認させる(信心を伝える)ために必要だったのですね…。だからこそ今私たちは、金光教という信仰の形の中で、大恩師親先生という教祖の信心をそのままに頂かれ現された、現在の弟子の信心を頂かないといけない。しかしだいたいが、後者が抜けてしまっているのですね。

皆さん方は金光教泉尾教会。しかし私は金光教泉尾教会なのですよ。この意味が分かりますか。どちらも教団名と教会名は付いてるのです。ただ金光教泉尾教会か金光教泉尾教会の違いですね。どちらも同じように言っているけれども、私は後者なのですよ。しかし一般的に、今の泉尾教会の皆さんの信心も前者になっているのですね。形だけになっているのですね。勿論、形がなかったら入れることができません。しかしそれよりもその中に入る信心の中身の方が大事なのです。それはなぜか。それは私にとって三宅歳雄は、教祖そのものだからなのですね。

「人が助かりさえすればよし」しか、教祖様も、大恩師親先生も他にないのです。そしてその前に、どんなに大変なところを通ってこられて、それに気付かれたか…。そしてもっと前に、同じ事が先達の小野うた様にも、また実弟の香取繁右衛門様にもあるのですね。ところがそれが形に残らなかった。信心はあったけれども、形に残らなかった。それは、それを残す弟子がなかったからですね。そして今の泉尾教会にも本当の弟子がいない。大恩師親先生の、二代親先生のご信心を頂き現すのは、私を始め皆さんたちなのですよ。皆が大恩師親先生の「一乃弟子」でないといけないのですね…。

私たちは大恩師親先生のご信心でないといかんのですよ。しかし大恩師親先生のご信心といっても金光教がなかったら、入れものに入ってないからね。勿論大切なのですよ。そしてそれは「助からないといかん」のですよ。そのためには「助けてくださる神様」。先程も言いましたね。小野うた様が42歳のときに、老母と盲目の孫が訪ねてきたときに、「どこで尋ねても金神のしわざと言うが金神は殺す神か、生かす神か。殺す神なら親子3人を一度に殺してくだされ。生かす神なら、この娘も助けてくだされ」と…。殺されたら困ると、それくらいの力のある神様なのですね。それから出てくる言葉なのですね…。

当時二代親先生は、「生きた信心」、「死んだ信心」とよくおっしゃっていました。私もその通りだと思っていました。だから私が大学受験のとき、大恩師親先生は宗教学のある学校だけを受けなさいとおっしゃったのですね。キリスト教でも仏教でも神道でもいいのですよ。「生きた宗教」「生きた信心」とは何かを学んで欲しい…。そしてそれを現すのだと…。ここのところが分からないといけませんね…。

皆さんの仕事ではどうでしょうか。本当に「生きた仕事」をしているでしょうか。家庭ではどうでしょうか。「生きた家庭」でしょうか。綺麗で高度でリッチが皆良いと思っているけれども、その綺麗でリッチな元を築いた家の芯というものがあるはずですよ。そこをちゃんと分かっていないと…。分かった上での綺麗ならいいですよ。でも私はそれは関係ないのだとやっていたら絶対駄目ですよ。

「大恩師親先生の信心」を放さなければ何事に出合っても大丈夫なのですよ。そこが抜けている。先日のビデオはそこのところが抜けている。香取繁右衛門様と教祖は同じことを言っておられるところが多くあるのですね。特に『立教神伝』はそうですね。それはなぜか。同じ神様だからですね。なのに小野うた様や香取繁右衛門様の信心は残らず、なぜ教祖の信心は、金光教は残ったのか。それはそれを形にした、信心を伝えた素晴らしい弟子が居たからですね。しかし後に続いた人々に形を伝えるために、そこのところを控えたのですね。しかし本当はそこが大事なのですよ。

何でもそうでしょう。果物でも、皮をむいて美味しい実だけ食べるけれども、本当の栄養は硬い皮の近くにあるのです。皮と実の間ですね。私たちは見た目に綺麗でやわらかく甘い物ばかり求めているのですね。だけど苦い皮との間に本当の栄養があるのですよ。それは、その甘い実を守るために、紫外線から守るために、皮が付いているのです。実は私たちには、本当は食べないといけない物があるのですね。しかしそこを食べないで、「ああ美味しかったな」と言っているのは、本当は、気付いたら栄養のないところを食べて、粘りのない体になっているのですよ。だから私は、これからは、私自身にも信者さんにも、もっと厳しく向かっていこうと思っているのです。

皆難しさから逃げて、やり易いことばかりしているのですね。難しさの中にこそおかげがあるのですね。本当のことを知らず逃げているのですね。それは当時の「金神(こんじん)」から逃げていた人々と同じなのです。違う。だからこそ「助かる」のですよ。どうぞ皆さんはそこの芯のところを分かっていただいて、本当の「助かりの道」を歩ませてもらう、12月の朔日を、しっかりと頂いてください。