感謝祭・大恩師親先生ご命日祭教話 教会長 三宅光雄15年10月1日 只今は共々に、月の初めの『感謝祭』、そして『大恩師親先生ご命日祭』のおかげを頂かせていただきました。先の月は、本当に恵まれ、そしていよいよ今月は、一言で言えば「ご大祭月」と申しますね。そしてご本部『ご大祭』への団体参拝ですね。この「団体参拝」は春の『ご大祭』からの半年間の御礼と、これからの半年間のお願いをしっかりさせていただく。その御礼というのは、その半年間の、本当に恵まれていた中身に対しての御礼ですね。そして恵まれているとは、決して自分の思い通りになるということではないのですよ。「何事にもおかげを頂いている」中身に対しての御礼を申し上げることですね。そして、泉尾教会信徒奥城にお祀りされている霊様に対しての参拝。さらに同時に今日から申しますと、あと178日後に頂きます『二代親先生十年祭』のお願いをしっかりさせていただくということですね。次の春の『ご大祭』への団体参拝は4月ですからね。『十年祭』は3月ですからね…。心を込めて、しっかりと向かわせていただきたいと思わせていただくのですね。 同時にご本部の『ご大祭』を受けて、親教会の『ご大祭』を頂き、そしていよいよと泉尾教会の『秋の御大祭』ですね。さらにその『御大祭』を受けて出社各会での『秋の御大祭』を頂かせていただくわけでありますね。11月末まで続くのですね…。 さて、今朝「お出まし」をさせていただきました時には、先ほども激しい雨が降っていましたが、その時間はまだ雨は降っていませんでしたね。今日はこの前線が北上する関係で、日本中が1日の中のどこかで激しい雨が降るということですね。これは前にも聞いたことのある「爆弾低気圧」のレベルにまでなる感じがしますね。今もちょっとの間でしたが、かなり激しい雨でしたね。今夜が心配ですね。しかし「お出まし」の時は傘いらずのおかげを頂きましてね。有り難い「お出まし」をさせてもらって、私は歩ませてもらって、いつもふっと見せていただくところが、結局は「神様がそれを見なさい」とおっしゃっているところなのですね。今日見たことが、神様が見なさいということなのですね。それは、いつも同じところを見ていても、それを意識しているか、していないかなのですね…。 「お出まし」は、奥玄関より進んで、拝礼殿の前でご祈念をさせていただいて(さらに特別信行の日は祈りの塔中で御祈念)、拝礼殿から会堂の正面まで進んで、会堂に向かって神様に拝をさせていただいたのち、東を向いて天皇様に拝をして、次に西を向いて金光様に拝をしてから、正面階段を上がってくるのですね。これは毎朝決まっている歩みなのですね。私が小学生の時には既に「お出まし」がありましたから、かれこれ50年は切れずに毎日続いているのですね。今朝は金光様の方に向かって、だから西側に向かって拝をして、パッと目を上げた時に、フッと拝礼殿の方のクスノキが1本くっきりと浮かびあがって見えたのですね。丁寧に言いますと、祈りの塔の横にあるクスノキに視点がいったのですね。あのクスノキを見た時に思いますのは何かと言いますと…。今私が言っているのはどこのクスノキのことか皆さん分かりますね。皆さん方が今日帰られるとき、祈りの塔に向かって拝をされた左側に見えるクスノキです。 「祈りの塔」は、真っ正面からは、それこそ祈りの塔ですから、世界平和を祈願するということですね。大恩師親先生の御神像が塔の中にある。ところが正面からいうと右手側にまわると入口が見えるでしょう。あそこは半地下になっていますね。東側からの半地下への入口と、南側からの中二階の入口とがあるのですね。「祈りの塔」の構造は二層建てなのですね。 実は「祈りの塔」は、今も話しましたように、元から2階建て構造になっていたのですが、昭和59年(1984年)の拝礼殿建築のための改修工事までは、1階から下の階に、約45センチ四方の穴があって、そこに鉄梯子が掛かっていましたね。1階床の鉄扉を開けますと下へ降りられたのです。本当の地下室ですね。地下へ降りるのですね。そこしか、その45センチ四方の入口しか出入口はなかったのですね。それをなくしてしまって、中二階は平和を祈る祈念の場で、半地下が霊様をお祀りする納骨堂…。階層を別々にし、入口も別にしたのですね。 そして建築法で、当時いろいろと新しい規制があったのですね。納骨堂としてですよ…。だいたいそうでしょう、一般でも、新しく家を建て替える時とかに、その時に検査がありますね。そこで「どうしてもこれだけの大きさの入口がいります」ということになったのですね。その大きさをクリアするためにと、(シンメトリーにして)真っ正面に入口を創りたいという思いで、本当に大変だったのですね。工事をしてくれた竹中工務店さんの責任者であった中島さんはよくシンメトリーを言われるのですね。そうすると法律上の大きさと、シンメトリーをあわせれば入口の場所は決まっていましてね。どうしてもこの大きさが必要だと言われるのですね。ところがその近くには、大きなクスノキが植わっていたのですよ。もちろん、少しはずれているのですよ。(大きく手を出されて)これがクスノキの幹としますと、空中には幹しか出ていませんが、当たり前の話ですが、その下には大きな根っこがあるでしょう。そうすると幹から10センチぐらいのところまで工事の幅を拡げないと、シンメトリーを計算した上での入口はできないのですね…。やっぱり入口はシンメトリーにしたい…。「祈りの塔」の東側の真ん中に扉を付けたい。そしてあの扉は、元々の正面扉を移築しているのですよ。この大きさだったら建築法上も問題ないと…。だからきっと元の祈りの塔を建てる時の入口サイズも、そのルールがあったと思うのですね。 そこで、竹中工務店さんは、「このクスノキは抜いてください」と言われたのですね。ところが大恩師親先生は「それは駄目だ」と言われるのですね。「絶対抜かん」と…。絶対抜かんと言われても、幹には当たりませんが、その幹の端から10センチのところに入口の壁がくるためには、10センチと幹との間に、工事のための仕切りがなかったらいかんでしょう。幹と壁のできる間は10センチしかないのですよ。この10センチの間に仕切りを作らないといかんのですよ。仮にそれが7センチの幅だったら、幹から3センチですね。3センチぐらいしかないのですよ。そこのところに鉄の板を打ち込むのですよね。一番端にですよ…。クスノキは竹中工務店の担当者は、「申し訳ありませんが、将来は枯れるでしょう」と言われたのですね。そらそうですよ。反対側に根がいくらでも張っていて、その反対側を切られるのならまだいいですが、その片一方は端が決まっているのですからね。幹から2メーターで端ですよ。余裕のあった一方をきちきちでカットして、残り三方は全て長くて2メートルの囲いでしょう。三方が駄目だからこそこちらに伸びていた方を、きちきちで切るのですからね…。これは絶対枯れますよとおっしゃるのですね。「今抜いた方がいいのと違いますか」と、植木屋さんまで言っていましたね…。 ところが大恩師親先生は、決して抜かれなかったのですね。そして枝切りをされたのですね。木のボリュームは変えずに、枝切りというより枝の間引きですね。私は自分でやりましたから、はっきりと覚えています。「お前のぼれ」と言われて私が切りました。高い枝ですね。枝を短く切ったり丸坊主にしたら怒られるのですね。全体の1割ぐらい残して間引くのですね。枝を透くのですね。できるだけ木の大きさは残したまま枝を落とすのですよ。というのは、木は葉が光合成をして育っているので、そのためには葉(枝)が必要なのですね。根から水(栄養)を吸い上げて育つのですね。根から全体へ、そして葉から全体へと循環しているのですよね。天と地からですね。雨が降って、栄養で上がって、また上に抜けて、それで大きく育っていくのですね。 ふとそのことを今朝思い出しましてね。根の力が少なくなれば、もちろんその分、自主的に足してやる(水やり)のですが、同時に葉の力も落とすのですね。上下でバランスをとるのですね。そして、水やりをして少しずつ力をつけていくのですね。未だに忘れることができませんが、こんなに雨が降っている日は、今は何もしませんよ、元気に育っていますから。しかし当時は、大恩師親先生は雨の日でもそのクスノキに水やりをされていました。私はこれこそが信心だと思うのですね。 10年程前に、ある先生に、ある教会の直会宴で、「三宅先生、あんたなあ、聞いたことあるか」…。何のことか分からないので「何のことでしょうか」と言いましたら、「私はなあ、親先生(大恩師親先生のこと)に…」。親先生と言われましたね。普通なら三宅先生とか歳雄先生とか言われるのですが、大恩師親先生を大尊敬されていたので「親先生」とおっしゃったのですね。「私の若い頃に、『なんぼ信心しても前が開けません。私は教師を辞めようと思いますが、どうしたらよいのでしょうか…』。そのことをお聞きしようと、泉尾の親先生のところへ行ったんや…。その時なあ、歳雄先生は何と言われたと思う…」。私は分からないので「何と言われたのでしょうか」。そうしたら、「『人を助けるのは執念』と言われたよ。『どうしたら人が助かりますか、いくら神様にお願いしても助かりません』と聞いたら、『人が助かるのは執念』…。その瞬間にハアーと思って眼の前が開けたんや…。全ての問題がなくなったと思った」と…。「三宅先生を信じて頂いていけば間違いないと思った」と…。「今の私があるのは、あの時の三宅先生のその一言でなんや」とおっしゃったのですね。 人を助けるには執念。ただの祈りでは人は助からず、執念というぐらいの祈りでないと人は助からないと言われたと…。その一言で自分が助けられないのではなくて、その願いが足りなかったということに気付いた。そして助からないから、そのことは諦めていた。だけどそれは違う。 普通、執念という言葉は悪い時に使いますね。「執念深い人だな」とか言うでしょう。そのぐらいでないといかんということですね…。竹中工務店の方と植木屋さんがこのクスノキは絶対に枯れますと言った。しかし大恩師親先生は毎日、雨の日も水やりをされていたのですよ。でも、亡くなった大奥様が雨の日は止めはるのですね。「あんた親先生(大恩師親先生のこと)の代わりに水をやってきて、こんな雨降ってるのに親先生が風邪引かれたらどうするの…」。「私が水をやらせてもらいますから」と言いますと、大恩師親先生は「そうか…」とおっしゃって私と交替されますが、それからまた1時間くらいしたらご自身で水やりをしてはるのですね。だからきっと私がいい加減に表面だけに水をやっていると思われていたのかなと、当時は思っていたのですが、今だったらそのお思いを少しは分からせていただきますが、当時は…。だからあんなに立派なしっかりした木(クスノキ)に育っているのですね。本来は枯れていてもおかしくなかった木でした。 それと同じ事が私共ですよ。本来は枯れたかもわからない。放っておいたら枯れていたでしょうね。それが立派に世と人のお役に立つ木に育って…。人だってそうですね。鳥が、虫が、羽を休め、巣を作り…。それから環境も良くしていますよ。人だったら世と人のお役に立っている。今そのようにお役に立てているのは、大恩師親先生が、二代親先生が祈ってくださったからこそ、一人前になっているのですよ。本当ならどうでしょう。もう枯れてしまって…。それを今朝ふと思って、ものの2秒くらいの間ですね。頭を上げてからの2秒です。その時のことを思い出したのですね。 ああ、今はその大きなお祈りの中にあるな。しかしそのお祈りの中であるのに拘わらず、今の私はどうなのだろう…。自分自身が頂いたお祈り(おかげ)に対して、どれだけ御礼ができているのか。人に対してどれくらいお返しができているのだろうか。 「人を助けるのは執念」というような強いお祈りに対して、私は100パーセントのお祈りをしているつもりでも、それは100パーセントではないのですね。本来の100パーセントとは、101パーセントに近い100パーセントなのですね。100パーセントは100パーセントなのですが、100パーセントでもそれを超える101パーセントに近い100パーセントですね。勿論本来、100パーセント以上はありません。全てということが100パーセントなのですが、私の言っている100パーセントはそれが振り切れるところの100パーセントなのです。もしそれを数字で言うならば101パーセントということです。本当はそんなのはないのですよ。全てを100パーセントと言うのですから。でもそれを100パーセントといっても、99パーセントに近い100パーセントも、101パーセントに近い100パーセントもあるのです。その100パーセントができているかと思うと、不十分という言葉で申せないくらい、申し訳ない中身だなと思うのですね…。そしてどうしてそれが10月1日の早朝にふと思わせていただいたかということです。 それは、それが神様からの「お気付け」だからですね。同じところを昨日も見ているし、一昨日も見ている。ずっと365日その風景は見ているはずなのです。それなのに今日、それに気付かせてくださっているというのは、きっとその意味なのです。そうでなければただの風景として通り過ぎているわけですよ。だから、それに気付かせていただいたからこそ、私は一瞬止まったのですから。そこを足らんとお詫びしながら、このご大祭月をしっかり頂くということです。 だから、ただ一生懸命やっていますではいかんのです。100パーセントでなかったらいかんのですよ。そして100パーセントであっても99パーセントに毛の生えたような100パーセントではいかん。100パーセントを突き抜けるというくらいの100パーセントでないといかん。それだけの願いでしっかり行かないと…。それは何故か。それは私が100パーセントを突き抜ける、鈍物が100パーセントを突き抜ける大きな願いで、助けに助けられ、一人前に扱ってもらえているからですよ。そこの喜びさえあれば、どんなことにでも向かえる。ただし自分の思い通りではないですよ。いや自分の思い通り以上のおかげをくださるということです。 そして、この、私のいう100パーセントということこそが「一心」ということですね。「一心に願え」の一心ですよ…。そこのところをしっかり頂かれまして、このご大祭月をお一人お一人が、教会のご大祭月ではなくて、自分に頂いたご大祭月だと、神様が、大恩師親先生がお働きくださるご大祭月だと、しっかり頂かれまして、おかげを蒙られますように。 |