感謝祭・大恩師親先生ご命日教話

教会長 三宅光雄
16年6月1日


只今は共々に月の始めの「感謝祭」、そして「大恩師親先生ご命日祭」のおかげを頂きました。大恩師親先生は、常盤台教会長の道人先生が金光教学院を出られた時に、勿論それ迄にも何度もおっしゃっておられたのですが、その時も「私ほど幸せな者はない。上三代、下三代」とおっしゃったのですね。「上三代」というのは祖母の湯川さと様ですね。そして「下三代」とは私共孫であります。大恩師親先生には4人の男の孫が居るのですね。3人の男の子供と、4人の男の孫の全員が、学院を卒業して金光教教師のおかげを頂いたのですね。その時にも、そのようにお話をされたのですね。そして今日私は全く同じ気持ちなのです…。

「私ほど幸せな者はない」ですね…。大恩師親先生には3人の男の子と私を含む4人の男の孫がいました。私には男の子はおりませんが3人の娘がおります。その3人の娘が3人共、特に今日その3人の一番下の娘の泉(いづみ)が、本日付で金光教教師の任命を頂いたのですね。これで3人全員ですね…。だから、「私ほど幸せな者はない」とおっしゃった大恩師親先生以上に、私は幸せなのですね。3人共にですね…。

それで今日は有り難いことなので御祭の前に、私と善信先生、修先生、道人先生と娘の恵、薫、泉とで記念写真も撮りました。自分を入れると私は「上五代」になります。そして「下二代」ですね…。こういう場に置いてもらっている私は、お徳を積んでくださった親先祖の上に自分があって、そして同時に、一緒にそのお徳を頂き世と人に現す者が、教師として7人もいる…。と同じく、これは泉尾教会でいえば、皆さん方は全てその中におられるのですね。私と同じ中に…。このことはとっても嬉しく、有り難いですね。だから私にとりまして今日の日は特に有り難い。と同時にお礼申し上げる日なのですね。そして泉の教師の補名は、6月12日の「教団独立祭」で教主金光様より頂くのですね。しかも泉が全教を代表しての参拝者代表の玉串のおかげを頂くそうです。今度、団体参拝のおかげを頂かれる方は、例年もそうですが、特に有り難いですね。善信先生の長男の善正も今年は学院生としてご本部でおかげを頂いておりますね。

何という勿体ないことかなと思いますね。だからその全ての勿体ない上に乗せてもらっているのですから、よっぽど自分が「有り難い中身を世と人に現す」。頂いているだけではいけないのですよ。現さないといけないのです。これは皆さんも全く同じですよ。頂くばかりではいかん、現さないといかんのですよ。そして現すということが次に頂く中身に?がっていくのですから、現さなければそれで終わりですね。どうぞそこのところをしっかり頂いていただきたい。

そして何と言っても今日はお朔日(ついたち)ですね。しかも今日のお朔日は上半期を締めくくる月のお朔日です。この1ヶ月で上半期、6ヶ月間の中身がこの1ヶ月で決まるのですよ。そういうことでしょう。来月の7月朔日は下半期のスタートですからね。今年の5ヶ月間も、今月の中身も大変な中身ですよ。

そして今月の日曜日は、教会では行事祭事が切れ目無しにありますね。第一日曜は「御神田お田植祭」。例年は図ったようにこの「お田植祭」の前後に大阪は梅雨入りですね。きっと今年もそのようになるでしょうね…。そして第二日曜は、今も話しましたようにご本部の「教団独立祭」へ団体参拝させていただく。第三日曜は「青年大会」。大恩師親先生がご布教されて一番最初に取り組まれたのが青年会ですね。ご布教の年からですからね。そして第四日曜は「東海地区信徒大会」ですね。

『御布教九十年記念大祭』迎えの「地区信徒大会」は各地で10回開催されるのですが、この集会は、信徒会の地区大会ですから、私は教会長という立場でなく、個人の立場で、ですから案内のビラや掲示には、三宅光雄先生と出ているでしょう。私はこの各地の「地区信徒大会」ではゲストなのです。主催は信徒会ですね。

その「地区信徒大会」を積み重ねていくことによって、来年1月22日に『御布教九十年記念大祭』を頂くわけですよ。その「地区信徒大会」が第四日曜ですね。今度は「東海地区」ですね。勿論今も話しましたように月末には「上半年感謝祭」を頂きます。

ということはこの月は非常に大事なのです。そして別に日曜日だけが大事なわけではないのですよ。今は分かり易いように日曜日だけで申したのですね。また今日からは、罪穢をお詫びして、上半年の「祓津物人形(はらえつものひとがた)」を持ってお届けしていただく。これは月末までですが、その日だけでなく、毎日でもお届けさせていただいて、毎日毎日お届けするのですね。またお礼を申すのですね。そういうように毎日毎日を積み上げておかげを頂いていく。有り難いことだなと思わせていただくのですね。

先月の22日、10年程前までWCRP日本事務総局の御用をしておられた天台宗の先生のご自坊が全焼になったのですね。彼と私の直接の出会いは、大恩師親先生がご帰幽になった時ですね。なんと彼の一番最初のWCRP事務総局での仕事は、泉尾教会でのお葬儀に、WCRPの事務総局員は全員が受付の御用に来てくださっていたので、その時の事務総局の留守番からだったそうですね…。そのことを合祀祭の直後に、全事務総局の方に対してお礼(食事会)をしなさいと、二代親先生が指示をされたので、私が一席持たせていただいたのですね。その時に初めて彼と話したのです。今までにも顔は知っていたのですが、初めてゆっくり話をしたのはその食事会の時でしたね。

それからどういうわけか私を慕ってくれまして、何かある度に光雄先生、光雄先生と慕ってくれたのですね。WCRPの御用を終えられて、比叡山で御用をされている時も、いろいろとしてくださいました。特に二代親先生は足がお悪かったので「比叡山サミット」の時は必ず駐車スペースを確保してくれていましたね。あの延暦寺の坂を上るのは大変ですからね…。

数年前にご自坊に帰られたのですが、この度火事を出されたのですね。昨日もお見舞いに行かせてもらっていろいろ聞かせてもらいました。お寺は燃やしてしまったのですが誰一人死者もなく…。

その時にも反対に、「泉尾教会さんは既に熊本に救援活動に行かれているそうですね」と…。どこで聞かれたのかなと思いました…。「何であんたが知ってるの」。「いや皆知っていますよ」と…。どこかから回ってくるのですね…。「光雄先生も行かれたそうですね…。そしてWCRPも動きだしましたね…」。「WCRPは大きな組織だから大変だけど、そしてそれぞれのご教団様でも既に動いておられるようだしね…。またあなたも元気になったら第一線に立って動いてくださいよ…」と話したのですね。

先日も話しましたように。1階のロビーに張り出された写真にもあります熊本県下の4教会。特に木山教会ですね。あの写真は4月25日の「春のご大祭」の翌日。私は常盤台教会長と一緒に、日帰りでしたが熊本へ参りました。その前日の、「ご大祭」の晩から二女の薫が車で「金光教大阪災害救援隊」の一員として熊本に向かったのですね。今は大阪より車で10時間程で行けるそうですが、当時は十数時間かかったそうですね。道路が中断されていましたからね。そうしますと午後一番にLINEが薫より来ました。それは、「今、木山教会を出ます」。私は「今から木山教会へ向かいます」と返信しました。薫と私は違うコースで、私は水前寺教会、熊本教会、松橋(まつばせ)教会の次に木山教会に行ったのですね。反対に薫は木山教会から入ったのですね。その時になんと「木山教会長は泉尾教会の『御布教六十年記念大祭』にご夫妻で参拝されていました」との連絡でした。私はそのことを知りませんでした。その時に泉尾教会の会堂の裏の会館を見られて、「木山教会にもあのようなコンクリートの建物を建てさせてもらって、社会に役立つ会館としておかげを頂きたい」という願いで、信者さんと話をされて、3階建ての会館を建てられたと、おっしゃったそうですね。木山教会のお広前を始め木造の建物は全壊ですが、会館だけは助かったのですね。

その翌日からも薫は何度も木山教会へ、そして1ヶ月後にも木山教会へやらせていただいて、2回とも教会の駐車場をお借りして、「大阪災害救援隊」はそこで炊き出しをさせていただいたのですね。そして先程も話しました三女の泉も第3次には二女の薫と一緒に御用にお使いいただいたのですね。さらにその翌日入れ替わるように泉尾教会の青年会員有志が何人かで木山教会へ御用に行かせていただいたのですね。

お広前には赤紙が貼られているのですよ。だから本来は入ったらいかんのですよ。私もその時に奥様が「中を見てください。そしてこの現状を多くの人々に知らせてください…」。私は入って見ることは構わないですが、赤紙が貼られているのですよね。本当は入ったらいかんという意味でしょう。先程常盤台教会長に聞きますと、この前の日曜日に、ちょうど木山教会長先生たちがそちらにおられない時に、一部の建物が潰れ屋根ごと落ちたそうです。それは1週間前なら泉尾教会の青年会員が、10日前なら薫たちが、1ヶ月前なら私が…。分からないのです。誰も入っていない時に4棟のうちの1棟の屋根がドンと落ちたそうですね。聞かせてもらって、全てに守られているとしか言いようがないですね。勿論私共だけではないのです。あれだけ余震が続いているのですからね。時々今でも震度3以上が熊本で、南阿蘇で…。

今月も二女の薫が5日間行かせていただきますね。南阿蘇の方へ行くことになるかも分かりませんね。その時に一番困っているところへ行くのです。「東日本大震災」では第29次まで5年間続けたのですよ。今年の3月で一旦区切りをさせていただいての、4月から熊本ですね。だから切れていないのです。熊本地震は4月14日ですからね。続いているのですね…。

これも全て神様のお働きですね。そしてこの「大阪災害救援隊」の隊長は、大阪教会長の白神先生なのです。そして監査というお役を私が頂いているのです。そして隊員の皆さん。本当に有り難いなと思っております。

大阪教会長の白神先生は立派な方で、「困っている人がいたらほっておけん、これこそが大阪教会の信心です」とおっしゃり、その白神先生のご信心が玉水教会のご信心となり、泉尾教会の信心となっているのですからね。勿論、全てのお道の教会はそうですね。そしてそのことを世界にまで現してくださったのが大恩師親先生ですね。有り難いことです。この流れが中心になって、例えば、「大阪災害救援隊」の御用をさせてもらっているのですね。

確かにできることは限られていますが、でも限られている中の最高をさせてもらっているのですよ。限られているからしないではなくて、限られている中で自分の力が50だったら51させてもらっているのですよ。100ある人もいますよ。100の人が80でやっていても80と51では51の方が小さいですよ。しかし50だけども1を足してやらせてもらっているのですよ。常に1というものに気が付き、足させていただいたら、自分の力が知らないうちに100になっているのですよ。そしてまた100になっても1を足すのですよ。そうしたらこの前まで100だった人は、80しかしていなかったらちょっとなまって、常は90ぐらいしかできない。しかし私は100させていただける。そして次に200になるでしょうね。そういうおかげを頂いている。本当に勿体ないなと思ってね。そういう意味で今非常に大きな輪が大阪にはできている。これこそが大恩師親先生のご信心なのですよ。

私たちには「さあここが勝負なのだ」というところがあるのです。第2教職舎のお風呂場の前の通路を行きますとプランターに挿(さ)し木(き)をしてあるのです。半月程前に私が剪定(せんてい)した木を「これを挿し木しなさい」と…。私の自分の経験ですよ。経験ですから絶対とは言えませんが、挿し木は本当に難しいのですね。なかなか全てが根を付けるとはかぎらない。半分も付かないこともあるのですね。私はその前を通る度に祈っているのですね。挿し木そのものが付けば良いということもあるのですが、その係の者が水やりを毎日続けるということを…。

毎日続けないといかんのです。雨が降った日も水をやらないといかん。1日で5リットルで良いからと、1日抜いて2日まとめて10リットルではいかんのです。毎日5リットルなのですね。そして逆に多すぎたら枯れるのです。根腐れといって。本当に難しいのです。その御用をしている者の成長になるために、仮に枯れても本人がそれで気付けばと思ってさせているのですね。だから通る度に祈っているのです。そのためにも見える場所に置くようにと言ったので、見える場所に置いてある。私から言うと全部が付けば一番良いですが、なかなかそうはいかないのですよ。

というのは私たちがそうなのです。何年か前に私にある教会の教会長先生が、「その昔に、泉尾の親先生に教えていただいたおかげで今の私があります。本当に有り難いです」と…。それは、その当時その先生は大変悩んでおられて、どうしたらよいのかも分からず大恩師親先生にお聞きになったそうですね。「三宅先生、人を助けるとはどういうことでしょうか。どうしたらよいのですか」と、お聞きになった。そうすると大恩師親先生は「人を助けるのは執念」とおっしゃったそうですね。執念というのは普通はよく悪い時に使いますよね。執念深い人だなとか…。そのぐらいの気持ちで向かわないと人は助からない。「そのおかげで今の私があります」と言われた先生がおられるのですね。執念というくらいの祈りでないといかんのですね。

だから教祖様がおっしゃっています。「井戸替えをするに八九分替へて退屈して止めれば掃除はできぬ、それで矢張り水は濁って居る」と…。私たちはだいたい八分九分まで、そこまでも行かないかも分からないですが、仮に行ったとしても八分九分で止めてしまう。そしてまた濁ってくる。濁ってきて「濁ってきたやないか」と言われたら、もうプーッとふくれるわけですよ。私は頑張ったのに…。違う。問題の根が深く傷が深ければ、それだけ大変なのですよ。それに気付かないといかん。それが自分は「メグリが深い者だ」ということに気付くという意味なのですよ。それよりも大きな喜びで、問題よりも大きな喜びで向かえばどんな問題でもおかげになるのですよ。ところが問題の方が大きいので負けてしまうか、もしくは問題と同じくらいの喜びで何事にも向かうので、その時は向かえたと思っていてもどこかに残っている。どこかに残っていて、何年かしたらまたそこからサーッと出てくる。全て枯らさないといかんのです。そしてそのためには「あらたまる」のです。「喜びをもってあらたまる」のですよ。

そのあらたまる機会というのが一年でいったら「元日」であり、ひと月でいったら毎月の「朔日」です。そして一日でいったら「朝起きた時」ですね。そしてもっと言えば今、「今」なのですよ。

毎月の朔日というのは、そういう意味では大きな節目なのです。今日は、昨日までのお詫びとお礼を申した上で、大きな喜びで、今日を頂いてください。問題は皆あるのですよ。問題の無い人は無いと私は思っています。幸せだといっても問題はあるのです。でもそれを幸せだと頂けるおかげを頂いておられる。それこそ有り難いと思うのですね。
どうぞそこの中身を頂いてもらって、今日のお朔日の意味。最初に申しました、上半期を締めくくる月の朔日です。だから他の朔日とは違うのですよ。そういう日に、共に参拝させていただいて神様にお礼を申せた。大恩師親先生の神霊様にお礼申せたということを、先ずお礼を申して。そしてここからまた新しい一歩を踏み出させてもらって、共々におかげを蒙らせて頂けますように。