年越大祓式感謝祭教話

教会長 三宅光雄
16年12月31日


只今は共々に、今年を締めくくらせていただきます「年越大祓式感謝祭」のおかげを頂きました。今年を振り返って数年後に「平成28年はどのような年でしたか」と聞かれますと、例えば、平成28年は3月に頂きました「『二代親先生十年祭』の年でありました」と答えるでしょうし、「先代大奥様が亡くなられた年です」と言うでしょうね。そして何といっても「『御布教九十年記念大祭』をお迎えする信心信行をさせていただいた年でありました」と言うでしょうね。そしてそれは、それぞれのご家庭で、お仕事で、皆さん方それぞれにあられると思うのですね。その中でこうして今日の日を迎えさせていただいたのですね。

毎月、月の初めは朔日(ついたち)で、その前日が晦日(みそか)なのですね。しかしその中でも、12月31日の晦日は大晦日ですね。今日は平成28年として、大きな区切りの日であるということですね。そしてこの区切りはとても大事です。

区切りというのは終わりではないのですね。これは間違ったらいけませんね。区切りということは、続いているのですね。続いている中で、あらためてそこで区切りを頂いて、振り返らせていただき、喜び感謝をさせていただき、そしてその喜び感謝の足りないお詫びをさせていただいて、勿論ご無礼お粗末のお詫びをさせていただいて、更にここから、何事にもしっかりと向かわせていただきますと、願い、誓わせていただく、それが区切りでありますね。

その日を、今年でいうのならば、一番大きなその日を、本日頂いているということですね。だから大晦日でありますね。心からお礼を申し上げましょう。そして「しっかりさせてください」と誓わせていただきましょう。

しかし今日では、多くの本教の教会では、大麻(おおぬさ)行事さえも有りませんね。それどころか神殿のお扉も無いお教会が多いですね。お扉が有る教会はほんの少しでしょうね。ではなぜ泉尾教会には、お扉が有って、大麻行事が有るのでしょうか。それは大恩師親先生がそうされたからです。

大恩師親先生は33年前に金光教が新方式になった時に、「私はお扉の有るこのお広前でおかげを頂いてきた。そして玉水教会初代大先生のご信心を頂いてきた。だから私はこのことは変えない」と、そう言い切られました。今でも玉水教会にはお扉はありますね。

ということは、大恩師親先生は、自らの師匠が、神様が向かわれたご信心をそのまま頂いておられるのですね。しかしお広前の有様で、ただひとつだけそののちにおっしゃったことが、「私の目の黒いうちは、お広前は椅子にはせん」とおっしゃったのですね。しかも「外殿は、この会堂では畳のままで」とおっしゃったのですね。

ということは、いずれは広前は、畳から絨毯に変わり、その上に椅子席になるだろうということですね。だから泉尾教会でお広前が椅子になった一番最初の祭事は、大恩師親先生のお葬儀でしたね。その時に初めてレンタルのパイプ椅子が広前に入ったのですよ。それまでは畳でしたね。しかもその時は畳のお広前にパイプ椅子だったのですよ。今は絨毯ですね。

これは、あと半月しますとお広前の絨毯は全て新しくさせていただくのですね。本当は今年中にさせていただきたかったのですが、11月に先代大奥様のことがありましたので、約50日間、いろいろと『御布教九十年記念大祭』迎えの工事が止まったのですね。そして年末年始は毎日のように祭事行事がありますので、年が明けてからさせてもらうということになったのですね。お広前も2階のロビーも全ての絨毯が新しくなるのですね。何とこのお広前は障子を開けますと、外殿も含め650畳あるのですよ。このようなお広前を頂いている教会は他にはありませんね。

この大きなお広前で、日々おかげを頂いている私どもは、決して信心が小さくなったらいけません。私どもの信心は「大きい信心」をさせてもらわないといかん。

「大きい信心」とは何かといいますと、自分や自分の家族や知人のことだけでなく、大恩師親先生が「世の全ての人の難儀を祈り助けよ」と神様から「御神言(おことば)」を頂かれたように、世と人のことを祈りお役に立つのですね。その信心をさせていただく「拝める宮」なのですよ。そのお広前なのですよ。

その「拝める宮」会堂が建築されて、来年はご遷座五十年の年ですね。「いずみ」の1月号を既に読まれた方があると思いますが、最初の頁を開いていただきますと、この「拝める宮」の写真がありますね。来年はご遷座五十年の年ですね。50年前といいますと、ご布教四十年の年ですね。そして今度はご布教九十年の年ですね。

『御布教四十年記念大祭』は、1月24日は、この下の1階のロビーで、まだ建築中の会堂の1階で『御布教四十年記念大祭』が仕えられたのですね。旧宮より正式にまだご遷座される前ですからね。神様を仮の広前にお迎えして。皆さんの中でそのことをご存知の方があると思いますが、旧広前は参拝入口の方(東側)から3分の2は壊して、この会堂がその敷地に一部重なって建てられたのですね。後方を切って、そこにこの会堂が建っているのですよ。

その旧広前から神様を一時お遷しさせていただいて、今の1階ロビーに仮広前を作って。その時はまだ1階のロビーから2階の床下が見えていましたね。ということは天井がまだ張られていないということですよ。そこに、2階の広前に敷く新しい畳と、旧広前の畳などを敷いて、打ちっぱなしの床の上に座らせていただいて、御祭を頂いたのですね。今の1階の風防のところまで畳が敷いてありましたね。それでも、その畳に座りきれない程の参拝者で、参拝口のガラス戸もまだ無かったですね。建物だけがあるだけですからね。

その中を、1月24日の『御布教四十年記念大祭』には数千人の参拝があるわけですから、半分に切られた旧のお広前には入れるご参拝者の数ではないのですからね。だから工事中のこの「拝める宮」会堂で記念大祭が仕えられたのですね。

しかもまだこの2階は工事中で、一般の人の入れる状態ではなかったのですね。だから1階で仕えられたのですね。50年前の1月ですよ。正確に言いますと49年と11ヶ月前ですね。そしてその秋に、『遷座祭』という御祭を仕えられたのですね。

私は覚えていますが、帳(とばり)ですね。前の広前からご神璽・ご霊璽を胸に抱かれた大恩師親先生と二代親先生を白い布で囲むのですね。この帳の中には大恩師親先生、二代親先生は勿論ですが、子供であった私も入らせていただいて、正面階段からこのお広前に上がらせてもらって、神殿・霊殿にご遷座させていただき、さらにその翌年の4月に『新築落成大祭』という、あらためての御祭を頂いたのですね。だから工事を始めてから『新築落成大祭』まで4年かかったのですね。その大工事を50年前に頂いて、そのおかげ様で私どもはこうして今おかげを頂いているのですよ。

先程、祭典後の放送での若先生のお話を、最後だけ少し聞かせてもらいましたが、「親の恩」ということを話していましたね。大恩師親先生は「神様いませばこそわれあり。玉水教会初代大先生いませばこそわれあり。親先祖いませばこそわれあり」というご信心ですね。これこそが大恩師親先生のご信心の基礎ですね。神様と、それぞれの師匠と、それぞれの親先祖ですね。これは私たちも同じで、この三方(さんかた)がなければ、私どもがないのです。では三方だけがあれば、自分は何も努力しないでもよいのか。そんなことはないのですよ。三方を頂いた上に、自分は努力に努力を重ねていかなければいけないのです。そこを忘れてしまったら何にもならないのですよ。いくら今は自分でできているように思っても、それはその時の、その場だけなのです。そんなことではどうにもなりませんね。事実、それは世界の歴史が示していますね。

そういうことを今日の日に思わせていただくわけですね。今年を振り返って、やはり自分で、私自身が、何が今一番足りなかったかと思わせてもらう時に、「本来一番させてもらわなければいけないことが足りなかった」なと。

今早朝も「祈りの塔」でご祈念をさせていただいていまして、その後の朝六時の勢祈念、さらに今の御祭でもそうですが、今一番させてもらわなければいけないことは、私もそうですし、皆さん方も同じなのですが、それは何かといいますと、「祈る」ということです。私ども信仰者には、祈りがなければならないのです。その「祈り」とは、「ただ神様にお願いしておいたらそれでよい」というような祈りではないのです。

大恩師親先生の「祈り」とは、祈り=努力なのです。祈り=頑張るということなのです。これは同じなのです。祈りが強まるということは、努力も強まらないといかんのです。10のうち9が祈りで、1が努力ではなしに、10のうち9が祈りになったら、9が努力になるのです。10のうち10が祈りになったら、10が努力になる。だから倍できるのですよ。それくらい祈るということが大事なのです。しかしどうしてもその祈るということが抜けた努力をしているのです。そうしたら限りがあるのです。限度があるのですね。どこまでいっても限度があるのですよ。

いやいや私は10年前に比べて5倍の仕事をしています。それは私から言えば、たった5倍ですよ。いやいや10倍です。たった10倍ですよ。それには必ずどこかに限度があるのですね。勿論世の中には倍もできず、去年よりも悪いことだってあるのですよ。そこのところを私たち信仰者は、無限の力を頂いている。「神は向う倍力の徳を授ける」と教組様は教えてくださいました。

「神は向う倍力の徳を授ける」ということは、「無限大」だということですよ。そしてそれは、何に対して「向う倍力の徳を授ける」のかといいますと、自分の力の100パーセントを出し切った人にだけ、その出し切ったことに対して無限大に力を下さるのですよ。

自分の力を100パーセント出し切らずに、例えば自分の力は50だから倍力で100だとか、60だから倍の120だ、とは違うのです。100パーセントになったその瞬間、もっと言えば100パーセントでも101パーセントに近い100パーセントで、99パーセントに近い100パーセントではなくて、もう100パーセントを、そこを超えますよという、ギリギリの101パーセントになろうとしている100パーセント。その100パーセントになった瞬間に、そのギリギリの分に対して、0.1パーセントなのか0.2パーセントなのか分かりませんが、そこに対して無限にお力を下されば、それは1万倍にも10万倍にも100万倍にもなっていくのですね。私はそうだと信じています。

しかも「おかげは乗数倍(じょうすうばい)です」と、いつも言ってますよね。3倍でなく3乗ですね。4倍でなく4乗です。乗数倍で大きくなっていくのですね。だから無限なのですね。そういうおかげを実は私たちは頂いている。しかしそのことを知らないのですよ。そしてご無礼を重ねるのですね。申し訳ないことですね。早く気付いていただきたいと願うのですね。

同時に、この「気付く」ということがどれだけ大事かということです。私は何事も「気付くまではしょうがない」と思っているのですよ。勿論私は気付いてくださるようにと祈るのですが、私の祈りも足りない…。

しかし一度気付いたのに、その時にああっと思ったのに、ある時になったら、それが当たり前になっている。あああの時に、高校生の時に、社会人になった時に、50歳の時に。自分は平気で通りすごしているかも分からないですが、一つ違えばというところがきっとあったはずなのです。

その一つ違うおかげを頂いていたのに、それはもう過ぎ去ったことになってしまっている。健康でも経済でも同じですよ。人間関係でも同じです。何事も皆同じですね。何事も「当たり前」になってしまっている中身ということにお詫びをしないと、せっかく気付かせていただいたのに。皆さんは何事も絶対に、「神様、親先生」と一心に向かったことがあるはずなのですよ。でもそれが今では当たり前になってしまう。それはいかん。

そして、「祈る」ということは、もっと言えば、「祈られている」ということに気付くということです。これはもの凄く大事なことなのです。そしてそのためには、先ず祈らないといかんのですが、実は祈られている自分があるのだということに気付くということが、祈るということの、祈る中身なのです。本当はそういうことなのですよ。

「祈る」ということは、自分が100パーセントの力で物事に向かうこと。そして今申しましたように、それを足してもらっていくと、実は「祈られている自分ということに気付いていく」のですよ。そうしますと、また前へ一歩進むのですがね。なかなかそこのところが分からないのでしょうね。

というのはなぜか。それは「祈っていない」からですね。本当に祈らせていただくと分かってくるのですよ。どんなに鈍な人もですね。それは、私がそうだからですね。鈍な私でさえも祈られている中身、大変な中身が分かってくるのですよ。そうしたら、「これで良いとは思えるはずがない」のですよ。

そこのところをもう一度、今年は残すところ9時間あるわけですから、もう一度しっかりと見つめ直した時に、さあどうしましょうとなるのですよ。放っておいて9時間が来るのか、さあと思っての9時間なのか。

人生において9時間とは大きな時間ですよ。皆さんの単位は1週間とか1ヶ月くらいと思っておられるのかも分かりませんが、人生において、例えば1時間だって大変なことですよ。それで変わる人だってあるのですよ。いや変わらなければいけないのですよ。それに気付かせてもらった時に、スッと流れてしまうのか。どうなのか。

そうであるのならば22日後、22日間は本当に大きいですよ。この22日間の中身をしっかり頂かせてもらうのですね。そうしますと気付かなかったことや、足りなかったことや、お詫びが、どんどんどんどんと。そうしたら、そのままおかげに?がっていくのですよ。そう思われて、しっかり向かっていただければ有り難い。このように思わせていただきます。