感謝祭・おかげ祭教話

教会長 三宅光雄
17年3月15日


今日は、ちょっと厳しいお話をさせていただきます。私は、叱られないようなことでは人間は半人前だと思っています。これは別に二十代や三十代の人にだけ言っているのではないのですよ。男性も女性も、老いも若きも、そして常にですね。命の尽きるまでです。歳や性別は関係ない。勿論それは、神様からですよ…。

私自身、二十代までは何事をさせていただいても、自分も辛抱していると思っていました。本当にそれが違うと分かったのは、結婚してからだったでしょうかね。

最もそれに気付かせてくださったことは、結婚をする前に九州の金光教甘木教会へ「百日修行」に行かせてもらったことでですね。周りの人は皆言ってくださるのです、「若先生(当時の私の呼び名)よう辛抱されましたね」と…。そらそうですよね。別に行かなくてもいいのですから。例えば学院なら行かないと教師になれませんよね。しかし甘木教会に行かなくても別に構わないわけですよね。自分が進んで行ったのです。自ら進んで、わざわざ行かせていただいたのですね…。

そこで「よう辛抱したね」と、周りの人に言われるものですから、その時は、「ああ、私はよく辛抱したな。頑張ってきたな」と思っていましたが、泉尾教会に戻らせていただいて、信心を少しずつですが進めさせていただけばいただくほど、実は辛抱してくださったのは、甘木教会の教会長先生を始め皆さん方だし、神様の方が辛抱してくださったということに、だんだん気付いていったのですね。

それまでは自分が辛抱していると思っていたのですね。いやいやそれどころか、その間泉尾教会でご祈念くださっていた親先生(大恩師親先生のこと)、そして先生(二代親先生のこと)がご修行してくださっていたということに、だんだんと気付いていったのですね。

甘木教会では朝5時20分の御祈念から、勿論いろいろの当番はもっと早くからで、4時半ぐらいから始まる御用もあるのですね。そして夜遅くまで…。そしてその間に、休憩時間というものは、ほとんどありませんでした。本来、私は別に甘木教会で修行しなくてもよいのですが、自分で言い出したことだし、「その間は辛抱させていただき、修行させていただいて、自分がちょっとでも大きくなって、世のお役に立てる人にならせていただきたい」と思っていましたが、泉尾教会に戻らせていただいて、本当は、私は辛抱というようなことはしていなかったことに気付いていくのですね。今では自分が恥ずかしいとしか思えない。だから今でも甘木教会に参拝させていただきますと、本当にお育ていただいたなと思うのですね…。

ではなぜ、「私は辛抱している」と思うのかといいますと、それは「自分の我(が)」なのですね。「我(が)が外れたら、辛抱なんていうものはないのですよ」…。我(が)を外して、神様にお任せをすれば、今の言葉でいうところのストレスはないのです。そして辛抱はないのですよ。しかし神様に100パーセントお任せでないから、結局そこに辛抱、ストレスというものになってくるのです。私は常にそれを思うのですね。

そして、神様から見られたらどうなのかと、私は常に思うのですね。私は会堂北側の、「裏の階段」のことを引用して、昔からよくお話をしますね。あそこの階段は、1階から先ず6段上がって180度曲がって、7段上がって180度曲がって、8段上がって更に180度曲がって、最後に9段上がると、2階に上がれるのですね。

40年程前に、私と先代大奥様が、母と私がですよ、1階の扉を閉めて、階段を2回目まで折れて上っていた途中で、誰かが1階で電気のスイッチを消したのですね。そうしますと真っ暗になって…。一度皆さんも行ってみてください。

1階の扉を閉めて途中で電気を消されたら、本当に真っ暗なのです。大きな声で、「誰か、電気を点けて…」と言うのですね。言わないと真っ暗で一歩も動けない。しかしその時母は、私はビックリしましたが、「大丈夫、次は8段あるから」と言うのですね。覚えておられたのですね。6、7、8、9段と…。そうすると1階から2階に上がるのに、最初の私は南に進むことが2階に上がることだと思うのです。

当時の三宅の家は、同じ御用に三代揃ってお使いいただいている。大恩師親先生と二代親先生と私では、同じ事に出合っても違うのですね。私より上を歩いておられる二代親先生は、北に向かうことが2階に上がることで、私は2階に上がることは南に向かうことだと言うのですが、同じ2階に上がるといっても、「南に行け」と「北に行け」は反対方向ですが、それはお互いに2階に上がるためなのですね。でももっと上を歩いておられる大恩師親先生は、南に向かうことが2階に上がることだとおっしゃる。さらに大恩師親先生はその上には北に向かうこともあると分かっておられた。そしてその階段(道)は、最初が9段、8段、7段、6段と楽になるのではなく、最初は6段ですが次が7段と、だんだんと厳しくなるのです。6、7、8、9段と上がるのですね。私は今でも裏の階段を上がるときに、いつもそれを思うのですね…。

ということは、「皆正しい」のですね。同じ目的でも北に向かうことが正しかったり南に向かうことが正しかったりするのですからね。そうしますと、それを逆に言いますと、「皆間違っている」ということですよね。皆正しくて、皆間違っているのですね。では何が正しいのか。それは、神様に向かって上に上がることが正しいのです。神様に近づくことが正しい。ここでは階段ですがね…。

ということは、神様のお考え、だから先に進んでおられる二代親先生のお考え、さらにはもっと上におられる大恩師親先生のお考え。いや大恩師親先生よりもっと上におられる神様のお考えに向かって、大恩師親先生は進んでおられたのですね。「お考え」とは、「願い」ですね。「祈り」ですね…。私はこの階段でそのように思わせていただくようになったのが、30歳ぐらいだったのですね。それで甘木教会でのことをフッと思い出したのですね。「私が辛抱していると思っていたけれども、辛抱してもらっていたのだと…」。

そうであるのならば私はどうするべきか。何事にも「ハイ」と言わないといけない。これはできます、これはできません。これでは全然駄目ですね。できるできないは本来はないのですよ。できるといっても、それは「できる」と思っていることだけで、同じく「できない」と思っているだけですね。させてもらえる。いやさせてもらえるおかげを頂いているのですね…。

そうであるのならば不十分なのは始めから分かっているのです。いやいや不十分だからこそ言ってもらえているのです。そう思いますと、どんなことでも怖くないし、どんなことにも向かって行けるし、どんなことでも大丈夫なのですよ。それはなぜか、例えていうならば、神様は太陽だからですね。地球の中では、日本からアメリカまで離れたら凄いと思うけれど、太陽からそれを見れば、その差は無いに等しいのですね。だから私から言いますと、何事でも心配ないのですよ。

「いや親先生、私は1ヶ月の余命だと医者に言われました…」。「はい1ヶ月かどうかは分かりませんが、人はいつか死にます」…。そう思えば何事も大丈夫です。いつか死ぬのですからね。私たちの人生は地球の60億年の中での、たかが100年間ですよ。そうであるのならば、私たちはその100年を、世の為 人の為に使えばどれだけ有り難くなるか。100年が200年にも1,000年にもなりますよ。そのように私は思います。

だから私はそういう意味で、信心が進んでまいりますと、最初辛抱していると思っていたことが、辛抱してもらっていたということが分かってくるのですよ。しかし最初は、辛抱しているから始まるのですが、そのことは最初には分かりませんからね。

私は未だに神様に、大恩師親先生の神霊様に、二代親先生の神霊様に辛抱していただいて、今御用にお使いいただいているのですね。そうなると余計に何事にでも「ハイ」と言わせていただかないといけませんね。どんな場合でもですね。どんな場合でも「ハイ」と言わせていただかないと、本当のおかげは頂けませんね。

では私は本当に何事にでも「ハイ」と言えているのかと思いますと、いつも理由を付けていますね。例えば、4月19日という日ですが、御用が重なりに重なったのですね。元々私が兼任教会長の南田原教会の大祭日であったのですね。そこに外部から2つの御用が入ってきたのです。そして2つとも大事な御用です。しかし私の体は1つなのです。計3つですね。南田原教会の大祭は、南田原の信者さんの理解を頂ければ、神様にお詫びし、お願いをして日にちを変えてもらうことが可能なのです。そして神様はその場合はそれが人の為なら、必ず「変えてもよい」とおっしゃいますね。本当はこちらが、最初から決まっていたのですから、ここが優先ですね。ご信者の皆さんが「親先生の御用に合わせてください…」と全員が言ってくださったので、それなら「すみませんが」と申して…。しかしそれでも1つしかできないですね。あともう1つあるのですね。
そうしますと、今日も東京のWCRP世界宗教者平和会議の事務局から電話があって、「三宅先生どうか熊本での復興祈願の集いに…」。それは、金光教の教会を会場に他宗教の先生方と一緒に祈りの集いがあるのですね。WCRPですよ。それをお願いしますと電話とメールがあったのですね。私にお祈りをしてくださいと…。「私でなくとも」とメールをしたのですが、是非に私にということなので電話をしました。そしたら「是非、何とか時間を作ってください」と…。あとの1つは代理で行ってもらう…。

ということは、本当に勿体ないなとしか思えないですね。不十分という言葉で表せないくらいの私が、神様が使ってやろうと言ってくださっている。それを「ハイ」と言わないといけないのに決まっているのですね。さらにその前の日の予定はどうかといいますと、最終の新幹線で四国方面から帰ってくるのです。そして翌日の20日は玉水親教会の大祭日ですね。その中で熊本に日帰りをさせていただく…。

神様に向かわせていただき、本当に祈らせていただけば、何事にもお繰合せを頂いて、使っていただけるのですね。

何もかも含めて「ハイ」と言わせていただけるおかげ。もし、これはできます、これはできませんと言ってしまったら、「ハイ」が「ハイ」でなくなってしまう。私はそう思うのですね。それは、初めから不十分なのですからね。よく、「十分にできないので私はできません」という人がおられるでしょう。あれは全部間違っていますね。私たちには初めから十分はないのです。初めから神様に足してもらっているのです。そうであるのならば、何事にも「ハイ」と向かわせていただくのですね。皆さんのお仕事も、家庭でもですよ。皆同じですよ。そこのところをしっかり頂かせてもらわないといかんなと、このように思わせていただくのですね。

今日は最初から「叱られない人は半人前だ」というような厳しいお話をしましたが、そのように向かっていただいたら、何も問題はないですよ。どんな時でも、神様が一緒に、常に自分と一緒に居てくださっているのですから。そこのところさえしっかり分からせていただき、向かっておれば、何の心配もありません。どうぞ皆さんはそのことをしっかり頂かれまして、おかげを頂いていただきたい。

私の話の前に、今日は「春の霊大祭」の放送がありましたね。私は装束を着替えていましたのでそこの部分は聞きそびれましたが、私は今も白衣を着ていますが、今朝から白衣なのですね。今日から「霊大祭迎えの信行」が始まっています。たった6日間です。霊様の信行は春と秋と足しても、たった2週間ですよ。せめてその間だけでも、1年で2週間ぐらいは、春1週間、秋1週間ぐらいは、霊様に向かわせていただかないといけませんね。本当は違うのですよ。1年中なのですが、「せめて」ですよ。

今朝私は、「今朝から1週間の短い信行ですが、この信行を通してご信者も私自身も、どうぞお守りいただいた上にお役に立たせていただけますように」と、祈りの塔でお願いをさせていただきました。拝礼殿での、早朝の五時前からのご祈念が無理な方は、6時のお広前での勢祈念は十分早いので、10分だけでも早く、いやいや週に一度しか参拝できない人は、二度参拝させていただけるように、お繰合せのおかげも頂かれますようにと…。

親先祖無しに自分は無いのですよ。今になって、偉そうに自分1人で生きているような顔をしていますが、だれしもそんなことはないのですから。そうであるのならば、「私は15年も前に親が亡くなりました。もう15年も経っています」からではないのですね。いや20年も前に、50年も前にという人があるかも分からないですが、でもあらためて、せめて春の1週間ぐらいは、一度自分の親先祖と向かい合う、そして家族揃って霊様にお礼の申せる御祭のおかげを頂かないといけませんね。

「せめて」もですよ。「せめて」というのは最低限という意味ですからね。このぐらいのことはさせてもらわないと、私たちはいけませんね。それぞれ何事にもしっかりと向かわれまして、おかげを蒙られますようにお願い申しておきます。