感謝祭教話

教会長 三宅光雄
18年10月15日


只今は共々に、「感謝祭」のおかげを頂きました。この月の上半期のお守りのお礼を申し上げ、また足りないところのお詫びをさせていただき、下半期のお守りをお願い申し上げましたが、祭典後の「婦人会例会」では、感話の方が「婦人大会」のときのお話をされていましたね。この方は、向かわせていただけば必ずおかげを頂きます。向かわせてもらった分おかげを頂きます。そのことの「あかし人」と、そう思うのですね。

「先月の婦人会例会」では、婦人会長を始め副会長の役員人事、9月より婦人会が新体制で出発するということになり、引き続き「今月の例会」では、若婦人会が会長の人事と、2ヶ月続けて執行部の人事で「新出発」ということになりましたね…。7月15日の「婦人会創立90周年記念大会」を終えさせていただいて、ここからはあらためていよいよと「泉尾教会御布教百年」に向けて、地固めをしていくというようなことになってきたのですね。

今日の御祭詞でも、信者一同が25日の「ご大祭」に向かっては勿論ですが、特に婦人会員は、11月8日の「二代大奥様二年祭」に向かって、勇みの先頭に立って、ということでしたね…。よく御祭詞を聞いていただきますと、婦人会員はという括りになっているのですね。勿論ご大祭には皆勇むのですよ。特に婦人会員は、更にそこに併せて11月8日の…。

それはなぜかと言いますと、二代大奥様は二代目の婦人会連合会長を長年務めてくださいました。勿論初代大奥様が初代の連合会長をされている時も、その支えとして御用を頂かれたのですね。そういう意味でも、特に婦人会はご恩がありますからね…。その二代大奥様には、教会の全てのご信者を祈っていただいておりましたね…。

ある信者さんは、二代大奥様がご結婚当初に、二代親先生と初めて淡路の生穂(いくほ)会に参拝された時に、「私に直接お声を掛けてくだされて、『○○さん大丈夫ですか』と、私の名前も知っていてくだされた」と、感激されていましたね…。泉尾教会二代親先生に嫁がれて61年間、人生の大半を、大恩師親先生・初代大奥様を頂かれ、二代親先生に尽くされ、私たち3人の子供を育てられ、全てのご信者に心をくばられて、全ての人々を大きな愛情で包んでくださいました。そのお姿は泉尾婦人会員の手本であると思いますね。二代大奥様のお話をさせていただくと切りがないので、この辺にしておきますが…。

大恩師親先生から頂いた婦人会へのお祈りに「台人(だいびと)の信心」とありますが、それは「人のお役に喜んでならせていただいて、そしてそのお役に使ってもらった者がその方と共々におかげを頂き、お礼を申す生き方」ですね。でもそれは、泉尾教会の全てのご信者のあり方ですね。泉尾教会の働きそのものが「台人」なのです。

「台人」とは、見えないのですよ。土台ですからね。家でいえば基礎ですね。土の中にあって外には見えない。しかしここがしっかりしていませんと、普段は別に、例えば掘っ建て小屋でも大丈夫なのです。ところが大風や大地震ですと、掘っ建て小屋は崩れますからね…。

9月4日の台風21号で、この会堂大屋根の一部の銅板が、強風で吹っ飛びましたね。しかし建物としてはビクともしなかった。それは地下三十数メートル辺りまで天満層(てんまそう)という地層があって、会堂は、天満層の下まで何百本も杭を打っているのですね。だからどんな地震が来ても大丈夫なのです。但し真下で直下型地震なら駄目ですね。直下型が真下で起ると、どんな建物でも駄目です。それは乗っている台がずれたら、いくら下に揺れ防止を付けていても、お土地そのものが壊れたら、これはどんな建物でもアウトですよ。しかしそれ以外のことだったら、基本的には大丈夫なのですね。

ということは、何事も基礎がしっかりしているということが大事なのですよ。私が小学5、6年生のころは、毎日のようにドーンドーンドーンと杭を打っていましたね。その杭の長さが1本が18メートルあるのです。それを2本継いで36メートルの地下まで打つのですよ。そうするとこの辺の天満層は30メートル程ですから、その下まで打ち込める、それほど基礎が大事なのです。何事も「台」が大事なのです。ということは、私たちの信心、「台人の信心」こそが大事だということです。

さあいよいよと10日後に「秋のご大祭」のおかげを頂きます。その前に、20日には玉水親教会のご大祭ですね。今回は小さな曇りマークと大きな晴れマークが出ていますね。それが20日の大阪の天気予報ですね。今日の時点ではまだ泉尾教会の、25日の天気予報は出ていません。1週間先までの天気予報ですからね。

ともかく大恩師親先生は、玉水教会へご自身が足を悪くされて参拝できなくなられた時から、いやそれまでもそうだったのですが、私が直にお聞きしたのはその時で、「親教会のご大祭がお天気のおかげを頂かれるように祈らせていただくことが、今の私の御用」と…。玉水教会へは二代親先生が代わって参拝され祭員の御用をされておられたのですよ。特にご晩年はご自身では参拝することができなくなられていましたが、その時には、ともかく「親教会ご大祭のお天気のおかげを頂く」…。そしてものすごいご信行をされたのですね…。それを私は直に何度も見せていただいていたのですね。

私は有り難いですよ。直に大恩師親先生のお言葉、お声を聞かせていただき、もっと言えば叩いてもらえた。これは「宝中の宝」です。なかなか叩いてもらったり、蹴られたりまでしてもらえた人はいないですね。今では、直のお声さえ聞いておられない人の方が多いのですからね。勿論本当に優しい。私はいつも言うのですよ。「叩いてください」でないと叩いてくださいませんからね…。叩いてくださるなという人には叩いてくださらないですよ…。

ということは、「心から向かっている人しか叩いてくださらん」ということです。だから向かわないといかんのです。そして向かうということは、叩いてくださいということですよ。そして叩いてくださいとは、教えてくださいということですよ。本当に教えていただくためには、叩いてもらわないといかんのですよ。私はそう思っています。これが世間でいう、ただの教育とは違うのですよ。一般的には、教え、育てるでしょう。本当はそこに祈る(お詫びする)が入って、教育なのです。祈り教え育てるですね。しかし今の一般的にいう教育は違いますね…。

これは本当に、極端な言い方をしたら一子相伝(いっしそうでん)というのです。その一子相伝が何人も何人もあるわけですが、それだけに師匠(親先生)と弟子(信者)で、皆一人ひとりが一子相伝なのです。一人ひとりに対して一子相伝というような願いで、祈りで私たちを祈ってくださっていたのですね。決して大きなザルでザーッと撒くようなのではなくて、一人ひとりです。魚でも大きな網で取るのではなくて一本釣りというのがあるでしょう。あれですよ。一人ひとりに対して丁寧なのですね。私はそういう意味で本当に有り難いな、勿体ないことであったなと、今になってつくづく思うのですね。どこを取っても有り難いですね。まず、何といっても子供のころよりお側に置いていただけたというのは、本当に有り難いことだったなと思うのですね。

そして一人ひとりにお役前がありますね。それはそれぞれの「場(ば)」ですね。「場」が人を育てるのです。そしてしんどいからといって、その「場」から決して逃げてはいかんのです。その為には何事でも、そのことの責任者に自分がなることがいるのですね。「させていただく」のです。

例えば教会では、教会長という「責任の場」の御用があります。しかし同時に、修行生も役員さんもご信者さんも、お一人お一人の「場」があり、役前があるのですね。そしてそのお一人お一人が、「それぞれの場」で責任を持って取り組ませていただくことによって、自らも助かり、人様も助かるのですね。一人ひとり頂ききるのですね…。そして祈り合いなのですね。

例えば「支えてくださる人」があるおかげ様で「上の場の者」があり、「上の場の者」があるおかげで「下の場の者」があるわけです。そして実は、「場」には上も下もないのですね。これが「あってのある」なのです。ということは、神様さえも「氏子があって神の働きができる」とお礼を申してくださっているのですね。こんな勿体ないことはないですね…。こんな有り難いことはないですね…。

親と子の関係もそうでしょう。実は上も下もないのですね。「場」なのですね。親も、親といいますが、子供が生まれて親になるのです。子供が生まれなかったら親とは言えない。全ての人は、自分は子供であることは間違いないですね。親無しに子供は生まれていないですからね。しかしずっと子供のままの人と、子供が生まれて5人も6人もの親になる人もいる。勿論、子供のいない方もいれば、子供の多い人もいる。それはそれぞれそうなのですが、しかし子供がいなかったら親とは言わないですからね…。

では、子供のいない方は親ではないかといいますと、実はそうではありませんね。「願いの親」になれますね。これは子供がいても、その気持ちのない人はなれないし、その気持ちのある方は、いなくてもなれますね。私たちは自分に子供があろうがなかろうが、人を祈る「願いの親」にならないといけませんね。そしてこれは信心でのお話ですが、仮に信心のない人でも、ボランティアで「里親(さとおや)運動」とか、いろいろありますね。人を祈るということが大切ですね…。

親というのは親心(おやごころ)が親ですね。そしてその活動は、泉尾教会のご信者は皆さん入ってくださっていると思います「人類共栄会」の活動がそうですね。もう40年になりますが、南アジア各国に「ミヤケホーム」が建てられ、そこで大勢の子供たちが育ちました。そしてそこは今ではそれぞれ自立した活動をしていますね…。その「ミヤケホーム」が自立しているだけでなく、そこで育った子供たちが自立をしてくれていますね…。その人たちが自分がおかげを頂いたといって、そこの施設に寄附をしたりして、さらにそのような働きが、「施設ごと自立ができる」ということになっていますね…。「ミヤケホーム」は初めからそういう願いでしたのですから、それが一番良いことなのですね。自分が育ててもらったお礼にと…。

以前にも話しましたが、大恩師親先生がご帰幽される直前でしたか、バングラデシュの1人の青年が泉尾教会を訪ねて来られたのですね。その青年は「ミヤケホーム」で育ったのですね。その青年が子供のころ「ミヤケホーム」で聞いていたのは、日本語で「親先生ありがとうございます」「大阪の金光教会」の2つの言葉しかないのですね。それだけを頼りに泉尾教会を訪ねて来られたのですね。

その青年が訪ねて来たときに、たまたま私がそこを通りかかった。そして二代親先生と2人で客殿でお会いしたのですね。子供のころは日本語を知っているのがその言葉だけで、「親先生ありがとうございます」と毎朝お唱えしていたそうですね。そして、「OSAKA・KONKO‐CHURCH」だけですね…。それだけを知っていたのですね。それしか知らないで東京で大学を卒業して、東京から直接帰国せずに、わざわざ一度教会を見るだけでもと思い、大阪から帰国しようと、関空からバングラデシュに戻ろうと決めて、泉尾教会へ来たのですね。

なぜかといいますと、その青年は国費留学生ですから。勉強ができたのでしょうね。きっと「ミヤケホーム」で育った何千人のうちの1人か2人かでしょうね。日本の大学へ国から行かせてもらって、帰りに関空から帰る。一度自分を助けて育ててくれた「ミヤケホーム」の、いうところのオーナーの所へ行って、一言でもお礼を申したい、いやただ見るだけでも行ってみたい…。そういう気持ちで教会まで足を運ばれたのですね…。
しかしその時には大恩師親先生はお身体がお悪く、お会いすることはできなかったけれども、二代親先生がお会いになって、その青年は1987年の開所式のときには小学生であったのですが、大恩師親先生のお話の「後に続く子供たちのためになることがあなた方のお礼だ…」ということを、自分はしっかり頂いて、これからは教育が大切だという思いで一生懸命勉強したのですね。だから日本の大学の教育学部だったのですね。しかしあまり日本語は上手くはなかったですが、「これから国(バングラデシュ)に帰って、子供たちの教育ということでそのお礼を果たしたい」と、力強く語ってくれましたね。その当時は各地の施設も「ミヤケホーム」と言いましたが、今では名前も、その土地の名前を付けていますが、そこへその青年は支援を続けていきたいと言って、帰国しましたね…。

それだって、いえば「親」ですね。血は?がっていないし、歳からいうとお兄さんぐらいの歳かも分からないですが、ということは、人を思い行動するということは「親」ですね。私はそう思います。そしてそれこそが大切なのですね。

ではそれはなぜかといいますと、これは簡単なのです。それは、私も神様より、そして人様より「思われて育った」からです。ところが、自分が勝手に育ったような顔をしている人が、世の中にはいっぱいおりますね。今は自分が一番元気で、何でも自分でしている。それどころか人のこともやってあげていると思っているけれども、その自分の一番元は、オギャーオギャーから始まっているはずですね…。病気で熱を出して親に心配をかけた時もあったはずです。人によっては何も食べられなかった時もあったはずですよね。いろんなところがあったはずですね…。そういう事の上に、今の自分があるのだと…。だから自分もさせてもらうのだと…。それは私から言うと当たり前のことですね。何も特別なことではないですね。それに更にもう1つさせてもらえば、さらに有り難いですね。

それは何かといいますと、そのことが分からない人に、そのことを伝えるという働きですね…。内容を「現し」、次は「伝える」のですね。御祭詞でも「頂き 現し 伝える」とあるでしょう。自分が頂いて現して人に伝えていく。このホップ、ステップ、ジャンプですね。これをしっかりさせていただくと、三段跳びで自らの記録が出るのです。そこの3つが必要なのですね。

これを二代親先生はいつもそういう言い方をされましたね。「嬉しく 楽しく 有り難く」。嬉しくだけではいかんのです。嬉しい楽しいだけでもいかん。嬉しい有り難いだけでもいかん。有り難いだけでもいかん。「嬉しく 楽しく 有り難く、共々におかげを頂かれますように」と、いつも二代親先生はご教話の最後におっしゃいましたね。同じように、信心を「頂き 現し 伝える」ということが必要なのです。そしてそこから自分は「親」になっていくのです。「願いの親」になっていくのだと、私はそう思っています。

それはなぜか、自分は「願いの子」だからです。私はそれがたまたまですよ。実の親と、実の親の親が「願いの親」。願いの親と、親が一緒ですね。重なっているのですね。だから人より二重に頑張らないといかんのです。二重に頑張らないといかんと同時に、二重に有り難いし、二重に分かり易いですね。皆さんもそうです。それにそのご縁を頂くことが、「御神縁を頂く」ということです。

だから改式(かいしき)をさせていただくということはそういう意味です。そのことによって改式をさせていただいて、親先祖まで助けていただき、後に続く者も助けていただく。

少なくとも今日参拝している方は、そう頂いておられるから参拝しておられるのですね。そして「現し」も半分ぐらいできていると思う。問題はそれを「伝えているか」どうかですね。それが、家族までなのか、隣近所までなのか…。先程の感話の方は「婦人大会」に四十人とおっしゃっていましたね。「伝える」ですね…。

もう一度話は戻りますが、自分自身もそういう中にあったのだという自覚がいるのですね。そうしたら、させてもらったことに今度は「お礼が申せてくる」…。お礼が申せてくると「足りない」ということが分かってくる。全部?がっているのですね。私はいろいろお話をさせていただきますが、話をどこでどう切るかで違う話になりますが、内容は全てそうなのです。

そしてその中身を今日の自分の中身とかけ合わせますと、お話をさせていただけるのですね。例えば最近でいいますと「大屋根の銅板」という話と、今の内容が重なれば、お話をさせていただけるのですね。例えば先日の「ご本部団体参拝」と重なれば、これも話ができるということでしょう。

お話をさせていただいて、分かっていただいて、伝えるということです。そしてその全ての元には「喜び」というものがないと、それがただの話になってしまったり、話にもならなかったりするわけです。「喜び」というものの上に、今のものが積み上げられていくと、1つのものになっていくのですね。そしてそれが、「目出度目出度の若松さまよの枝も栄える葉も繁る」と、教組様がこうおっしゃった中身に?がっていくわけです。これが「御理解(ごりかい)」第百節ですね。そして第一節は「今天地の開ける音を聞いて眼をさませ」ですね。この中で私たちは今どこに…。と同時に、一節も百節も同時になかったらいかんのですね。そして毎日、それの繰り返しです。そこを分からせてもらったら、どんな難しいことが来ようが、何が来ようが、大丈夫ですね。私たちの向かっているのは神様ですからね。全てをお預けしているのですからね。それを自分がしているのだと思っているから、難しさが自分の器を超えた時に、「ああ大変、どうしましょう」となるのですね。命さえも、そもそもが授かりものですよ。自分1人で生まれてきた人は、1人もいませんからね…。

そこを私たちが分からせてもらって、いよいよと10日後に、平成30年「秋のご大祭」を頂きます。その時に私が、「私の為に神様がお働きくださっているこのご大祭にどう向かわせていただくか」ということです。その人が1,000人集まっているということです。しかし決して1,000分の1ではないということです。今日なら100分の1ではないということです。自分1人の為に、神様がそのように祈ってくださっている人が100人居るということですから…。そのように頂かれて、一人ひとりがどうぞこの10日間の中身としっかり向かっていただきまして、それぞれにおかげを蒙っていただけますように。