IARF/WCRP 愛・地球博」出展委員会 私に与えられた時間が20分間でお話をしなさいということですので、すぐに本題に入らせていただきます。実は今、西田委員長がおっしゃいましたように、本来WCRP国際事務総長のベンドレー博士がこの場でお話をされるということになっておりましたが、日程の都合がつかずに来れないということになりまして、実は内情をばらしますと、一昨日「三宅、お前がベントレー博士の代わりに話をしなさい、テーマは『自らの体験を踏まえた今後の宗教協力』で、時間は20分間」。と、こう言われまして、「はい」と、お受けした次第でありますが、今、この場に立ちまして、これで良かったのかなと思いながら、お話をさせてもらっております。 明日から『愛・地球博』の「地球市民村」で1カ月間。IARF/WCRP共同出展が始まります。その開会セレモニーにカンボジアから、国王陛下の兄君、チヴァン・モニラック殿下がお祈りにご参列いただける。また日本の本当に著名な先生方が共に祈らせていただこうと、お出ましくださる。そしてIARFの国際事務総長もお出ましくださる。ただ、WCRPの国際事務総長は欠席でしたけれども、多くの方々がご出席くださる。 せっかくにお出ましくださるんでしたらということで、このような機会を設けた訳でありますけれども、また同時に私は、WCRPの評議員もさせていただき、出展委員会の副委員長でもあり、今年はIARF/JLCの当番教団をさせていただいておりますので、その関係で三宅、お前が話をしろということであったと思います。「自らの経験を踏まえて」ということですが、私、まだ49歳でございます。ですから経験といっても、本当に本当に微々たる経験しか無いわけでございますが……。 戦後の日本というところから振り返りますと、まぁその草創期は昭和20年代、今から50〜60年前ですか。このころの宗教協力というものは、無からの出発であったと思うんですね。今までにあった価値観、いろんなものが一旦リセットされて、そして新しい出発が始まった。これが昭和20年代。50年〜60年前の内容だと思うんですね。 そして昭和30年代。40〜50年前には、この時代は、私は理解と努力の時代だと思います。この時代に多くの小さな理解がいくつも生まれ、それが形をだんだん創っていき、だんだんと固まってきたのが昭和40年代。30〜40年前ですね。そして世界的なネットワークに繋がって、例えば今回のIARFの現在、中心的な御用をされている教団の先生方は1960年代の後半に、このIARFに参加されています。またWCRPというものは1970年に第1回の会議を京都で開いております。ですから丁度、30〜40年程前に、この世界的なネットワークというものが始まっていくんですね。ですからその前の10年はいろんな個々の関係が生まれてきて、さらにその10年前というのは、なにも無いというところから生まれてくる。そういうような時代でありました。 そういうところを踏まえさせてもらって私は、幸いにもWCRP第1回大会の1970年は中学校3年生でした。その時に第1回の大会にボランティアとして参加させていただいております。またその2年前に、日米宗教者平和会議が京都でございまして、その時にも私は、祖父に連れられてその会議に行った覚えがあります。ですから、丁度私がいろんな事をさせていただこう、そういう時代と丁度並行して、その戦後の宗教協力というものが生まれてきているのですね。 私自身も同じことなんですが……。ところがこの30数年たって私が思いますのは、組織は拡大し充実してきましたが、実態はと言いますと、どうなのかと思うんですね。 厳しい言い方をしますと、まぁ、今日は私が皆様方に教えていただくという意味で申させていただきますと、宗教協力というよりもどちらかというと、「親切」の発表の場になっているような感じがしますね。まぁこんなこと言ったら今日は新聞社の方もおられますから、一部だけが記事になってしまうとどうなのかなと思いますが、誤解を恐れずに申しますと、相手の事を先に考えてない。本当に相手が思っておられることを自分の事としてやっているのかというと、まず自分が先に立っているような感じがしますね。そしてさらにもっと進んで、宗教者が政治的ですね。権力中心主義のような気さえする今の宗教協力の場ですね。私は自らいろいろな場におらせてもらって、こんな事で草創期の先生方に対して本当に良いのか、今も申しましたように、まず相手の場に立って、そして自らがどうさせてもらうのか、どうお礼申させていただくのか、という活動では無くなってきたような、自分自身がですよ。他の方は分かりませんが、私自身がそういうような甘えの場に立っておる。そのような気がしますし、さらにもっと言えば、これをここまで言うと本当に言い過ぎかもわかりませんが、「お付き合い」で参加されているような参加の仕方。そんな参加の仕方で本当にいいのかな、と思うんですね。 「宗教者に本当に信心があるのか。宗教者に祈りが本当にあるのか」というのは、私のテーマです。宗教者に祈りが無くなっているのではないか。だって宗教者だから、祈って当たり前ですよね。八百屋さんが野菜を売っているのと、魚屋さんがお魚を売っているのと同じなはずなのに、私に本当に祈りがあるのか。例えば10年前の阪神淡路大震災の時に、ボランティア活動はしました。ボランティア活動はしたけれども、本当の宗教者としての働きが出来たのか。そう思わせてもらったときに、私自身に何事をするにも祈りが無い。という自分というものに、気付かせてもらうのであります。 私がまず「欲」を捨てて、そして「我(が)」を捨てる。エゴを捨てて自分自身をピュアーにして、物事にあたらなければ、本当の宗教者の宗教協力にならない。私はそのように思わせてもらうんですね。自分の例えば信仰でも、私どもの教会も昭和2年に布教させていただいて、今年で78年になりますが、その当初から『人よ幸いであれ』と先代教会長は教えてくださり、そして、「共生(ともい)き」ということを教えてくださいました。でも今では「共生き」というものがやっと、人間と人間の「共生き」というとこまでは行くんですが、神仏と私どもの「共生き」なのかとなると、どうもそこになっていない。もっと言えば、神様と神様の「共生き」なのか、そしてその神仏を通して私どもは「共生き」なのかと言うと、どうしてもエゴ・我というものが先に立っている。「共生き」だと言いながら、まず私が先にある。そういうような宗教協力になっていないのか、私は反省をしています。そしてお詫びの心で、今お話をさせていただいております。 具体的に申しますと、例えば同じ活動をしましても。例えばですよ、日本でいうのならば、五連合というものがありますよね。全日仏さんとか、教派神道さんだとか日キ連さんだとか、神社本庁さんだとか、新宗連さんだとか。何でもかんでも「五連合のバランス」なんて言うてやっている。そんなことでどうして本当の活動ができるんでしょう。今気付かせてもらってさせてもらえるという人から、まず始めなければと、私はいつも思っておるんですが、常にその壁にあたるんですね。皆だいたいは一緒に行きましょう。そして誰か一人が反対したら止めておきましょう…。国連の安保理ではないのですからね。そんな感じがして、どうもしかたないんですね。 これは私の課題なんです。と同時に対話ということ。一番大事なことは、祈りであり対話なんですね。で私はまず対話というものを思わせてもらうときに、まず自らが自分に対しての対話が本当にできているのか、これがひとつの課題であります。そして、その次には同じ意見を持った人との対話。この30〜40年の間に、できたかも分かりません。だけれども同じ意見を持たない人との対話はできたのか。ここが課題なんです。頂いたテーマは「今後の宗教協力」ということですが、私はここからがテーマだと思うんですね。同じ意見を持たない人と対話をしていく。もっと言えば対話など必要ないと言っている人。原理主義を含め対話なんかいらないという人に対して対話ができていくのか。これが今後の私ども宗教者がこの三十数年積み上げてきた上に、さらに進ませてもらう中身だと思います。 最初に申しました「祈り」ということ。そして「自らとの対話」。さらに「同じ意見を持つ人との対話」はできていても、「そうではない人に対しての対話」。そしてもっと言えば「対話など必要なしという人への対話」。さらにそれが拡がって行きますと、それが宗教者からいろんな世界に拡がって行くでしょう。そのような宗教協力の形こそ、今後の形。その意味で、明日から開かれます今回の「万博」というものが私は、それが全て含まれていると思うんです。 今回この万博によってご縁を頂いた方、非常に多うございます。宗教者も勿論ですけれども、それ以外のいろんな方々ともご縁を頂きました。これは素晴らしいことです。ただまぁ、『良し』と言われる人たちばかりですね。けれど今度はそうじゃないのだと言われる方に対してもお教えいただきたたい。私は教えてくださいとお願いしたいと思うんですね。そして共に一緒になって、反対や反対を超えた人たちに対しても、共に一緒になって問題解決の為に向かって行きたい。向かわせていただきたい。そう思わせていただく次第であります。 司会:三宅先生、貴重なご講演を有難うございました。ここで、時間もあまりございませんが、折角の機会でございますので、フロアからのご感想でも、ご質問でもございましたら、三宅先生にお答え願いたいと思いますが、どなたかおられますでしょうか。 西園寺昌美:私は、白光真宏会の西園寺と申します。只今は素晴らしいお話を伺わせていただきまして、大変感動いたしました。 なぜならば私は、宗教協力とかおっしゃって、いろいろとやっておられる方は多く、その積み重ねは本当に素晴らしく尊いことでございますけれども、やはり内からほとばしる、本当に世界を平和にしたいとか、本当にひとつに繋がって宗教協力をしたいという祈りから出た意識というものがなければ、ただ表面的な会議を繰り返しての、なかなか人類の心というのは変わってこないのではないかと、私は常日頃から思っておりましたが、今日、三宅先生のこの本当にご体験から、真実ではありますが、言いにくいことをはっきりとおっしゃられたということは、ものすごく勇気のあることで、それこそ自我を捨てられ、ご自分の立場を捨てられてのご発言は、素晴らしいご講演だと、本当に称えたいと思いますし、お教えいただいたと思います。 司会:ご質問というよりご感想を頂きました。有難うございました。他にはございませんか。 田中利典:金峯山寺(きんぷせんじ)の田中利典と申します。私どもは、宗教者間の対話ということについては、それほどの関わりは持っていませんでした。勿論、全仏のような伝統教団の中のスケールでは、友達関係もありますし、私も全仏青なんかは6年くらい経験しましたし、いろんなことをしましたけれども、国際的な事になるとなかなかやっていけない。なぜかと言うと、たぶん自分の信心とか、教団の在りようとかに、フィードバックできないことが問題だと思うのですね。だからフィードバックできない 三宅光雄:有難うございます。私はある意味では非常に恵まれた、1968年に日米宗教者平和会議が開催され、1969年にIARFの世界大会。1970年にWCRPの第一回世界大会。そのころ中学生という、しかもその中で私どもの祖父がその活動をさせていただいておりましたから、分からんままについて行った。というところから関係ありますから。私はもしかしたら特異な立場なのかも分かりませんが、宗教協力と申しますが、私はどんなご教団さまでも他教団という感じはしない。勿論その、それぞれ神仏。いろいろ信心されておる、その中身は違うんですけれども、他教団という感じがしない。たとえばWCRPならWCRPで教えていただいたこと、そのものが、イコールが私どもの教会ですから、私は特異な立場なのかもしれませんが、私にとりましてはフィードバックではないんです。しかし一般的にはそうだと思います。 一般的な事で申しますと、フィードバックは「自らできる範囲プラスアルファというものをさせていただく時にこそ生まれるんだと思っております」。自らのできる内容以下を何度繰り返してしても、フィードバックはきっとできないと思うんです。ちょっと、0.1%。ちょっとプラスアルファをさせていただいた時に、その何十倍ものフィードバックがあるのだと、私は思っておるんです。で、できる範囲を少しでも力をセーブしてやった時には、フィードバックは無いと思っております。それぞれの教団の方が絶対に確かなんですね。何年も何十年もそれを繰り返しているんですから。そのことの専門職なんですから。 プラスアルファをさせていただいた時に、その何層倍ものフィードバックというか、自分の中に生きてくるものがきっと生まれてくるんだと思うのですね。私はきっと特異な立場で、私そのものはイコールだと申しておきながら違う話をするのもちょっと変なんですけれども、そのように感じております。まだまだ分かりません。先生に教えていただきまして、これから勉強させていただきたいと思います。 田中利典:実は私も1955年生まれでして、おっしゃっている事はよく分かるんですけれども。私個人としてはいろんな事をしていますが、たぶんうちの教団のこのようなことに携わっている人たちはいろんな事をして、プラスになっているのかなと思うのですが、私にとってはいろんな事が、いろんな意味を持つし、あんまり自分とこの宗派や教団にこだわっていない人なんですけれども、やはり宗派とか考えると、直接に関わらないとあんまり深く関わっていけないところなんで、たぶん日本の伝統教団は皆お付き合い程度の事はするんですけれども、今おっしゃった事になっていかないのは、そこなんだと思うんですよね。そこの事がない限り、本当に実質的な形には繋がっていかない気がしますので、そういったところが今後の大きな課題になるかな、という気がいたします。 三宅光雄:もう一言申しますと、私、かなり前ですが、ある教団の幹部の方から言われたんです。そのとき私の申し上げた結論は、「先生の方からまず一歩出てください」。とお願いしたんです。その一歩は小さな一歩なんですけれども、大変な一歩になるんだと私は思いますので、何とか先生の方から一歩出ていただくことはできませんか。とお願いしたのです。その先生とは実は今、一緒になって相互理解で平和活動をさせていただいているのですが、「あの時、三宅先生に言うてもらって」、と今でも言われています。 司会:時間の都合上、もうお一方だけになりますが、どなたかおられますでしょうか。 西田多戈止:私は一燈園の西田多戈止と申します。三宅先生はWCRPの開発環境委員会の委員長を務めていらっしゃる。そしてここにお出での上杉先生や田中先生はその仕事を一生懸命やっていらっしゃる。それを横から見て……。今まで教団でやってらっしゃった事と、開発環境委員長として一生懸命やってらっしゃること、その双方にお互いどういった、たぶん真逆であることもあったのではないかと思うんですが、その特徴的なものをそれぞれ、教団にとってプラスになること、あるいは、開発環境委員会にとってプラスになったことを、何か教えていただくことがあったら教えていただきたい。 三宅光雄:西田先生、有難うございます。私、名前だけ委員長でして、実は今でも上杉先生のご指導を頂き、ここにもおられます田中先生を始め大勢の方々の支えを頂きながら、名前だけ委員長をさせていただいておりますが、開発環境委員会をさせていただいて本当に気づかせていただいたのは、天地自然の中に私どもがおらしていただく実態を、キリスト教はキリスト教、佛教は佛教、神道は神道。いろんな宗教はあるんですけれども、それぞれの人が本当に感謝を持ってされているということです。その違いの細かいこと言うたらいっぱいあるんですけれども、違いを認め合って、そしてその上で一緒になって……。 開発環境委員会の今回のテーマが「水と森と祈り」ということで取り込ませていただいていますが、それは、なにか生命(いのち)。そしてそれを越えたもっと大きなものに対して、それぞれの教団さんで勉強してくだされ、今回は文章を書いてくださいましたが、一人ひとりの中に通っているものは、言い方は違うんですけれども、同じだと。それぞれの教団さんが違うのですが同時に一つの思いで、天地自然というものを見ておられるということを直に分からせていただいたことは、本当に大きな自分の成果だと思わせてもらっています。 違いを理解し、そして同じ目的のために取り組ませていただいたことこそ、WCRP開発環境委員会の御用をさせていただいて教えられたことです。有難うございました。 |