人に従っていただく徳を積む 親先生が3月28日にご帰幽になられ、今日は十日祭。続いて、二十日祭、三十日祭、四十日祭とおかげを頂く。そして、5月13日に五十日合祀祭。仏教で言いますと「四十九日の満中陰」ですね。神式では五十日祭。それをもちまして、葬儀が終わる。そういう気持ちであります。ご葬儀のご祭詞の中でも、「故(もとの)金光教泉尾教会長三宅龍雄大人(うし)」とこう申されておりましたように、正式には、「故(もとの)」ですので、「亡くなった教会長」ということでありますが、私の気持ちの中には、そのような気持ちがないんです。今もなお、五十日合祀祭までは、教会長として、親先生として、お働きくださっている。 ですから、十日祭に先立って仕えられた月々に頂きますおかげ祭の祭詞とは矛盾があるのですね。おかげ祭のご祭詞では、「親先生のお祈りを頂き」とこう申し上げました。そして、この新霊舎で引き続いて、その親先生の十日祭が行われている。ですから、矛盾があるように思われるかもしれませんが、実は矛盾はないのです。これは、私が親先生のお祈りを頂いて、そして私共が今日、親先生の十日祭を頂いている。私の中で一切矛盾はない。皆さん方もそう頂いていただきたいと、お願いしたいと思わせてもらいます。 親先生のご信心を振り返らせていただくために、親先生が(教師養成機関である金光教)学院に行かれていた時のエピソードを紹介しましょう。たまたま金光町内を歩いておられた親先生は、教老になられた藤彦五郎先生に「三宅君、ちょっと私のお伴をしてください」と言われたそうです。一学院生といっても、当時、お道で「人を思う、人を祈るご祈念では右に出る者はない」と言われていた先代恩師親先生三宅歳雄の長男、つまり泉尾教会の後継者であるということでありますから、藤先生も、親先生のことを特に祈ってくだされたのでありましょうね。そして、「この荷物を持って私の後をついて来てくれんか」と、こうおっしゃったそうです。 というわけで、藤先生の後を親先生は付いて歩かれますと、藤先生は、「三宅君、悪いがなぁ、わしの後を付く時には、わしが右足を出したら右足を出してくれ。左足を出したら左足を出してくれ。私が止まったら止まってくれ。私と足を揃えて歩いてくれんか」と、こうおっしゃったそうです。「はい」と若い親先生はそうおっしゃって、藤先生の後を付いて歩かれたそうです。そして次に、藤先生は「わしが右に直角に曲がれば、(ショートカットせずに)わしの後をついて直角に曲がってください。すべて私と合わせて歩いてください」と、こうおっしゃったそうです。そこで、親先生は尋ねられたそうです。「ハイ、分かりました。しかし藤先生、もし先生が転ばれたら、私はどうしたらいいんでしょう? 右足を出されたら右足、左足を出されたら左足。右に曲がられたら引っ付いて右に曲がる……。これは分かりました。でも先生、もし先生が転ばれたらどうしたらいいんでしょうか?」それはすなわち「私は止まるんでしょうね」という意味です。 すると、藤先生は、「もし、わしが転んだら、あんたも団子餅の様になって、一緒に私の上に転んでくれ」と、こうおっしゃったそうです。目的地に着いて、御用を済まされた後に藤先生がおっしゃるには、「なぜ、私があんたにそう言うたかというと、あんたは今は若いけれども、これからは人に従ってもらう立場になる人だ。だから、今こそ、無条件で人に従う御用をさせてもらわねばいかん。そしてそれが学院での君の修行だ」とおっしゃったそうです。30歳そこそこの親先生に、教老であられた藤彦五郎先生が、「これからは、人があなたに従ってもらう。だからあなたは、今、人に従う。それが修行。そして、人に従ってもらう徳をあなたが積んでくれ」と、こうおっしゃったそうです。 そのことを、私が御用をさせていただいてすぐの20代前半の頃に聞かせていただきました。それは、当時副教会長であられた親先生が、先代恩師親先生に代わって信者さんにご教話をされている時のことでしたが、私は「これは私に向かっておっしゃっているな」と思いました。「ゆくゆくは、人が従ってくださる徳を頂かねばいかん。そのためには、今、お前が修行せないかんのや」ということをご教話という形で私に諭してくだされている。そう思わせてもらいました。 それと同時に、親先生の生きられ方。それは、まさに「人に従う」という人生を常に歩まれた。長年、先代恩師親先生の後を付いて歩まれました。で、ご先代が右に曲がられれば右に、左に曲がられれば左に……。ご自分では、もしかしたら「そうだ」と思われなかったこともあったかも判りませんが、それでも、ご先代が「こうだ」とおっしゃれば、必ず「はい」とお受けになられた。このご信心の徳をもって、今の泉尾教会があるんですね。 これは、ほんの一例ですけれど、私どもは親先生のお徳の上に、今、こうして参拝のおかげを頂いている。そして、この50日間を頂いている。私は、二十日祭でも三十日祭でも四十日祭でもお話しさせてもらおうと思いますが、「この五十日間はお葬儀の中にあるんだ」ということです。ということは、「親先生の徳を頂かせてもらう器(うつわ)をこの50日間の間に創れ」ということです。親先生は私たちにその猶予を下されている。 「なみなみと徳を注いでやろう」と……。そのための猶予を頂いている。だから、私の中では矛盾してない。親先生は亡くなられたが、生きて働いてくださっておられる。しかも、それが五十日合祀祭を頂く時には、実際にこの目で見せてくださる。そのように生きて働いてくださる。今日はその十日祭であります。 本日は皆さんよう参拝してくださいました。本当に私ども一人ひとりが親先生のご信心をしっかりと頂く。そして、私どもが、その徳の上に置いていただいているという自覚を持たせてもらう。どうぞ、五十日合祀祭目指して、自分の信心成長をしっかりと向かわせてもらいたいと思います。有難うございました。 |