・・ 2001年 新春メッセージ ・・


今年も他教団をはじめ、各界の多くの先生方から泉尾教会へ宛てて新春のメッセージを頂いた。

『二十一世紀の劈頭に当たって われらは何をなすべきか』というテーマで頂いたメッセージを、ここに紹介する。
(順不同敬称略)



人のために生きよう
妙智會教団会長 宮本丈靖

 戦後の激動の時代のなかで、経済的豊かさが人の幸せなのだと思いこみ、多くの人は他人を思いやる心を失ってしまいました。

 自分さえよければいいという利己主義に陥り、目に見えないものへの畏敬の念と、他者への思いやりの心が少なくなったように思えます。

 三宅歳雄先生は『心の糧』のなかで「二十一世紀めざして我欲を捨て利他のつくしに生きぬこう」と、遺のこされております。人は誰一人として自分の力だけでは生きてはいけません。神仏のご加護はもとより、父母先祖、そして生きとし生けるものの、すべてのおかげにより生かされております。
新世紀を迎えた今こそ心機一転し、感謝の心をつよく持って、人人の幸せのために精進努力いたしましょう。


次世代へやすらぎと希望の燈を
第二五五世天台座主 渡邊惠進


 前世紀を振り返りますとき、そこには人間のエゴと傲慢による争いと、生活の便利さのみを追い求めた 結果、大自然の環境破壊という取り返しのつかぬほどの大きな罪過を残したまま、二十一世紀を迎えました。今世紀へ生命をつないだ私共は今こそ、その償いと次世代の人々が希望と生きるよろこびの持てる世界を実現する責任があります。そのためには宗教者たる私共が各々の宗旨、教義の違いを乗り越えて連帯感の意識を育て、相互に理解を深め、心を一つにすることが何よりも肝要であります。

私共の開祖伝教大師最澄上人は「一目の羅あみは鳥を得ること能あたわず」と申されております。一目、一目の宗教、宗派が手をつなぎあい大きな網とならなければ一人をも救うことは出来ません。況いわんや多くの人々を救うことをや。・人もまた地球上の一生物なり・の基本に帰り、万物との共生と地球上六十億余の人々にやすらぎと希望に満ちた日の一日も早く訪れることを今こそ神仏に深く祈り、共に行動を起こさねばならぬ時であると思います。


二十一世紀への提言
和宗総本山四天王寺第一〇八世管長 吉田英哲


 二十一世紀、IT等の更なる発展のもとに、世界は国家や民族の枠を越えた共存共栄の道を模索することをいっそう余儀なくされるでしょう。

 二十世紀、近代科学文明が人類社会に進歩と幸福と同時に多大な負の遺産をもたらした現実を思うとき、新しい世界の構築には同じ轍てつを踏まぬよう、殊に先端を歩む人々には基本的姿勢の確固たる共通理解が必要であると言えよう。

 科学文明の犯した過ちは、自然の一員であり、自然の中でしか生き得ない人間が、自らその一番上位に置いたことにある。人間は、自分で生きているのではない。他を生かし、他に生かされ、この大いなる自然に抱かれて生きている。仏教の根本精神とも言える・感謝の心・は、スピードと無機質の砦とりでとも化してしまう恐れのある新しい世紀に、人間と人間を結ぶ温かい絆きずなになるはずだと私は思う。
合掌


宗教協力で共生の世界を
円応教教主 深田充啓


 新世紀、二十一世紀を迎えました。本来ならば、輝ける未来を語るべき時でありましょうが、環境問題、食料問題、民族紛争と、われら人類の抱える問題はあまりにも大きく、悩みは深く、容易に解決を見ない問題ばかりです。

驚異的な科学の発展を残した二十世紀は、対立と抗争の世紀であったとも言われますが、まさにその世紀に生きたわれらは、二十一世紀こそ平和な世界が築けるように、その橋渡しをしなければなりません。

 互いに生かされ、生かしあう「共生」の世界を開くために、人類が協調と寛容の心を取り戻すために、宗教に求められる働きは大きなものがあります。そして、先代教会長三宅歳雄先生が生涯をかけて開いてこられた「宗教協力」こそ、それに答える道であろうと確信いたします。
それぞれの立場で、できるところから、互いに努めてまいりましょう。


家庭を世界平和の発進地に
解脱会法主 岡野聖法

 二十一世紀は、ぜひ、真の共存共栄の世界としたいものです。幾多先人の献身的努力のおかげで、人種差別の撤廃が二十世紀後半にオリンピック憲章にも盛り込まれたように、どうにか共存の土台は据えられています。

 この上に、世界の人々が理解し尊重し合って大きく和してゆくことこそ天意である、との信念のもとに、さまざまな良識の花を地球上に広く、大きく、美しく咲かせてゆくことがわれわれのなすべきことと信じます。

共存共栄の花は、まず何より人間個々の心に咲かせることですが、それには家庭という小社会の中にその開花を促す愛と誠の栄養素がなくてはなりません。総体として不遜に陥っている人間が謙虚さに目覚め、敬いと慈愛に生き、安らぎと喜びと希望に満ちた家庭づくりをしてゆくことが最も肝心と思う次第です。


無条件の生命尊重を
善隣教教主 力久隆積


 『教えて頂きたい』――私は三宅歳雄大人のこの言葉が忘れられず、深いご示唆を感じるものです。二十一世紀の初頭に当たり、三宅大人は『教えて頂きたい』と疑問符を投げかけながら、時代の覚醒を促して下さっていると思います。そのためには、宗教に対する疑問符「なぜ宗教は対立してきたか、これからも対立するのか?」に真正面から答えねばならないでしょう。

三宅大人をはじめ全世界の宗教者が集まった世界宗教者平和会議は三十年の歴史をかけて、かのトインビーいわく「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈る」の精神の実現に向かいました。この言葉によって二十一世紀に真実の花を咲かさなければなりません。そしてその結集力で「無条件、生命尊重」「無条件、人間尊重」の精神を世界のすみずみまで浸透させたいものです。『教えて頂きたい』「わが命奪われてよい」「わが存在、無視されてよい」と思っている人がいるかどうか……?


秩序と輝きのある世界へ
イエズス会日本管区長 カトリック大阪大司教 池長潤


 キリスト教のたどった歴史の歩みの中に、キリスト教に限らず、すべての宗教のこれからの世紀に向かう課題と役割が見えてくる。

 中世キリスト教は、宗教が入るべきでない様式で科学や裁判に介入した。この弊害は次の近代において、宗教を無視する態度を生み出し、政治・科学のみならず、人間生活のあらゆる領域から神を閉め出してしまった。

 そしてこの間、科学技術が急速に発展し、科学万能の時代が流れた。クローン技術、遺伝子治療、脳死と臓器移植、出生前診断、安楽死、性と生殖の手段化。さらに環境問題、ハイテク兵器など、どこかで整理し、秩序づけなければならない問題が山積した。

結局今、もう一度、すべての存在領域をおおうものとして宗教がその役割を演ずる時がきた。今度は、入るべきでない様式で宗教が介入するのではないが、結局、すべての存在の領域とその在り方を宗教が照らさなければ、世界の秩序と輝きはとり戻せない。


新しい世紀の責務
神習教教主 芳村正徳


 人類が待望していたこの新しい世紀を迎えられたことをとても嬉しく思う。
 二十一世紀を迎えた今、すでに過去となった二十世紀を振り返ってみると、この世紀に如何に人類が多くの犠牲をはらったかがわかる。しかし、同時にそれは辛く厳しい経験から数多くの智慧を身につけた世紀であると捉えることができる。

 この新しい世紀は、この過去の智慧を生かして、さらに後の世代の人々のために、今ある問題に取り組みながら人類の幸福を進める世紀にしなければならない。

 このために、日本の、そして世界の一人でも多くの人が、人類の幸福は待っていれば与えられるものではなく、一人一人が、たとえ小さな一歩だとしても、それを踏み出すことが後の大きな進歩に繋がるという信念を共有し、人類の未来に向けて自分自身に何ができるかを問い、全ての人が自分なりの一歩を踏み出す世紀にしなければならないと思う。

金光教泉尾教会のますますのご発展と、この世紀が人類の歴史にとって輝かしいものになりますことを心よりお祈りいたします。


世界の和平実現のために
黒住教副教主 黒住宗道


 昨年八月に、ニューヨークの国連本部を主会場として「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」が開催されました。

 宗教問題を、いわば・敬して遠ざけてきた・国連ですが、「二十一世紀を真に平和な時代とするために、国連も宗教と関わりをもつべき」との立場から、国連初の・生え抜き・事務総長であるコフィ・アナン氏の英断によって実現した会議でした。

 開催されること自体が画期的な会議でしたが、最終日に「今後、国連と連携して世界平和実現に向けた行動を実践してゆく」との声明が採択され、宗教協力に基づく平和活動が国連とともに推進される礎いしずえが築かれました。

貴教会のご先代が心血を注がれた「世界宗教者平和会議」を中心とした・宗教対話・協力の先進国・であるわが国の宗教者の一人として、今後も世界の和平実現のために微力を尽くさせていただきたいと思っています。


個と全体の救たすけのバランスを
天理教表統領 飯降政彦

 泉尾教会前会長様のご逝去から一年余りが経ちました。その間にも日本の社会は、政界、経済界、学界等、どの分野においても、相変わらず目を覆いたくなるような事が次々と起こり、この国は、またこの世界は一体どうなるのかと、人類の先行きを思えば思うほど心配になってくる昨今であります。

 こういう時であるからこそ、私たち宗教家の真価が問われるのではないでしょうか。宗教家が持つべき大切な二つの視点は、「個々の人間が救たすかるべし」ということと、「世界全体が救かるべし」ということだと思います。個々の救けに心が行き過ぎると全体が見えなくなり、教えの本質が失われてしまいます。逆に全体を見据えて大上段に構え過ぎると、人間一人ひとりの悩みや苦しみに心が行き届かなくなってしまいます。

天理教では「二つ一つが天の理」と教えられていますが、個々と全体のたすけの視点をバランスよく心に置いて、日々を勇み心一杯につとめていく事が大切であると考えます。


「行」こそ信仰の証
大本本部長 奥田宗弘


 あけましておめでとうございます。「本年も相変わりまして」よろしくお願い申し上げます。

 われわれ大本では、昔から新年には「本年も相変わりまして」と挨拶する習慣があります。昨年と同様というだけでなく、昨年以上のご交誼をいただきたいという願いを込めてのご挨拶であります。ことしは昨年に増してのご教導を賜りたくご祈念申し上げます。

 さて、いま、私の手元に貴教会の布教六十五年記念のご本『信ひとすじに』があります。巻頭には初代教会長の三宅歳雄先生のお写真につづき、三宅先生のご染筆「神願に生かされ、信行に生きる」が紹介されています。「信仰」とせず「信行」と揮き毫ごうされていることは、信ひとすじに行じてみえた先生のご生涯をあらわす至言と拝察いたします。

二十一世紀を迎えたいま、宗教者に求められるものは、「信行」であろうと存じます。仏典にも『教行信証』という教理がありますが、「行」こそ「信仰」の証でありましょう。三宅先生のこのお示しを座右の銘とさせていただき、いっそう精進努力させていただきたく存じています。


道は自分の足もとにある
念法眞教教務総長 長谷川霊信


 「戦争の世紀」といわれた二十世紀も終わり、世界の平和への希望を孕はらんだ二十一世紀の幕あけを迎えました。

 年頭に当たって思いますことは、信仰をもつすべての人々が、それぞれの宗教の教祖・宗祖の真のおしえを理解して、先ず、それぞれの家庭を明るい(仏)正しい(法)仲よい(僧)楽しいお浄土にしてゆくことが肝心だということであります。これが徹底すれば、わが国の荒廃した世相も再生できるでありましょうし、世界の平和も夢でなくなると信じます。

道は遠いところにあるのではなくて、自分の足もとにあるのです。お互いに家族が拝み合うところ、そこに浄土は生まれるのです。家庭を家族の安らぎの場、明日への活力の源泉となるようにつとめてゆきたいものです。先ず、自分の足もとからお浄土づくりに励みましょう。


『金光教宣言』の表明
金光教教務総長 森定齋

 金光教では、二十一世紀の冒頭にあたって、『金光教宣言』を表明します。
 宣言文は次のとおりです。

「大いなる天地に生かされる人間として、すべてのいのちを認め、尊び、神と人、人と人、人と万物があいよかけよで共に生きる世界を実現する」

 現代の社会状況や世界の情勢を見たとき、平和、環境、生命などの様々な問題があり、その根底には、神と人、人と人、人と万物があいよかけよで共に生かし合う関係が損なわれているからにほかありません。

そこで、この宣言をもって、二十一世紀における世界の平和と人類の助かりに向けて、金光教の願いを表明し、そのことが成就するように取り組んでまいりたいと思います。


日本に取り戻すべきもの
予防外交フォーラム会長 明石康


 二十一世紀を迎えるに当たり、私たちは地にしっかり足を着け、眼はできるだけ遠くをみつめたいものだ。

 懸命な労働や真しん摯しな探求を重んじない、最近のふやけて、ぬるま湯のような雰囲気を脱却しよう。かつての日本のようなチャレンジに挑んでいく精神、貧しくとも誇り高く、学習精神にあふれた空気を思いだそう。

 「ノーという日本」に表されるケチで偏狭で、劣等感だらけの肩をいからせた態度は、決して健全といえない。

常に前向きで、平和を求め、目的に向かって緊張にみちた生活をするということは、私の尊敬した三宅歳雄先生の目指しておられたものでなかったろうか。


新しい時代への決意
大阪市長 磯村隆文


 新世紀の幕開けにあたり、ごあいさつを申しあげます。

 金光教泉尾教会の皆様方には、日頃から大阪市政の各般にわたり、格別のご理解とご協力を賜り、厚くお礼を申しあげます。

 輝かしい二〇〇一年の元旦を迎え、大阪市では、二十一世紀の新しい時代にふさわしい、ひとが輝く「生活魅力都市」、まちが華やぐ「国際集客都市」をめざして市政を推進してまいります。

とりわけ、世界の平和とスポーツの祭典として、二〇〇八年オリンピック・パラリンピックの開催をめざし、七月の開催都市決定に向けて、全力で招致活動を展開してまいりますので、皆様方の一層のお力添えをお願い申しあげます。

 金光教泉尾教会のますますのご発展と、皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申しあげまして、ごあいさつといたします。


「滅び」の世紀に際して
京都造形芸術大学大学院長 山折哲雄


 端的にいって、二十一世紀は「滅び」の世紀になると思います。アメリカのハンチントン教授は、二十一世紀は「文明の衝突」の時代になると予見しましたが、私もそうなるだろうと思っています。

 文明の衝突とは、すなわち宗教と民族の衝突、という意味です。そして生命科学の進展、情報工学の発展が、いっそうそのような衝突と滅びの趨すう勢せいを加速することになるのではないでしょうか。

その「滅び」の世紀において、いかに生き、いかにそれに対処するか、そのことを根本的に考えるべきときにきているようです。

わが国の「宗教」は、もはや楽観の言葉を無責任にいうべきではないと思います。悲観の言葉で深く語るべきときに際会しているのではないでしょうか。


すべての生命を尊重して
チベット文化研究所所長 ペマ・ギャルポ


 新年明けましておめでとうございます。二十一世紀を迎えるにあたり、人類は過去の歴史を踏まえて新しい一世紀を歩まねばなりません。

 二十世紀は、多くのアジア、アフリカの植民地が独立を勝ち取った民族自決の世紀だったと言えるのではないでしょうか。また、それまで人間が身勝手に自分の都合で動植物を無慈悲に消費し、破壊した教訓として環境問題が大きく注目を浴び、事の重大さを私達に認識させた世紀でもあったように思います。

 これらの教訓から二十一世紀は、人間は勿論のこと、動植物をも含めた生命を尊重する重要さが更に増すでしょう。全ての宗教の根底には「汝、殺すなかれ」の教えがある以上、私たち信仰を持つ人間として、特にその役割は重大であるよう思います。

二十世紀において、貴教団により宗教間の相互理解と世界平和に多大な努力と貢献をされたことに敬意を表すとともに、より一層のご活躍を心より祈念申しあげます。


不易流行の哲学を持って
衆議院議員 塩川正十郎


 いよいよ新世紀になりました。時の流れは間断なく、淀みはありませんが、人心の移り変わりには重大な節目であります。

 新世紀は、共生で、バラ色の世代ではありません。あらゆる部門、即ち、国勢、所得、経済力、文化すべてに於いて弱者と強者の格差は拡大し、紛争は絶えない時代になると思います。格差を僅少化するためには政治の役割が重要であります。政治の指導が開発指向、拡張推進の時代から均衡・調整のバランス維持の役割に変わってきました。この改革が混乱を来さず、スムーズに移行せしめるには不易流行の哲学を以ってする必要があると信じます。

不易と流行を正確に認識して改革を推進する政治を私は心得てまいります。


「お陰様で」の心で
参議院議員 谷川秀善

 いよいよ二十一世紀、新年明けまして、おめでとうございます。お陰様で家族揃って、元気で新年を迎えさせていただきました。

 二十一世紀は、心の時代だと言われています。しかし、残念ながら、心というのは目に見えません。それが見えるようになるには・お陰様で・という言葉の意味を味わうことだと思います。私たちは決して一人で生きているわけではありません。森羅万象、あらゆるもののお陰を被こうむって生かされているのです。

 今、政治は出口の見えない混迷を続けています。しかし、これを一日でも早く解決しなければ日本の将来はありません。国民が政治家に求めているのは何もむつかしい事ではありません。一人一人が、人間の生きていくための根本原理である・お陰様で・の心を取りもどしてほしいということです。

私も初心を忘れず・お陰様で・の心で、今年一年頑張って参りたいと思っています。


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