・・ 2013年 新春メッセージ ・・

『今、宗教者に求められるもの』(順不同 敬称略)


■クリーンなエネルギー開発を
第256世天台座主
半田孝淳

明けましておめでとうございます。新春を恙なくお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年、8月3、4日には比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が、海外諸宗教代表者のご参加の下に開催され、「原発を稼働し続けることは、宗教的、倫理的に許されることではない」との、『比叡山メッセージ2012』が発表されました。地球上のあらゆる生命が、安全に過ごせるように、未来に向けてクリーンなエネルギー開発を強く望むものであります。

東日本大震災から1年半が過ぎようとしておりますが、なお復興への道は嶮しく、被災者の皆様は辛い日々を過ごされておられます。しかしながら、早くも東日本大震災に対しては関心の風化が始まっているように思えてなりません。

皆様と共に宗祖大師が示された「忘己利他」「一隅を照らす」というご精神を被災地に届け続けたいと存じております。

■自分の中にある他者を見る目を変える

高野山真言宗 管長
総本山金剛峯寺 座主
松長有慶

金光教泉尾教会のご信徒の皆さま。新しい年を迎えて、今年もまたいい年でありますようにと、お祈りされたことでしょう。

ご家族の健康、家門の繁栄、ご自身の長寿、いずれも私たちの日常生活に欠かせぬ願い。でも、これだけのお祈りに終始していては、本当の幸せが訪れることはないでしょう。

お祈りを通じて、ご自身の心の目が開く。いつも非難し、快く思っていない人にも、何か他にかけがえのない長所がある、と気付く。心の豊かさ、これはお祈りの中で得られる最も大きな功徳であろうと思います。

「信心とは、自分の中にある他者を見る目を変える営みである」。この『いずみ』の昨年10月号の巻頭言に、私も教えられました。


今こそ「言挙(ことあ)げ」を活発に

神社本庁 総長
石清水八幡宮 宮司
田中恆清

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

昨年は布教八十五年の佳節を迎えられ活動もご盛況にありましたこと 洵 (まこと)に大慶に存じます。

さて、宗教者の果たす役割が更に問われている現在において、われわれ神道人は何をなすべきでしょうか。

元々神道には厳格な「教え」は存在しません。しかしながら、われわれは本来日本人に備わっている「おのずからなるみち」というものを知っていたはずです。
多様すぎる価値観に溢れ「みち」というものを見失ってしまった日本人に私たち宗教者は共に寄り添い、昔当たり前にあった「こころ」を取り戻すための歩みを進めて行くべきであると思います。

そのためにわれわれ神道人は「 言挙(ことあ)げ」というものを今こそ活発に行うべきときであると確信しています。

万葉集 柿本人麻呂和歌
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする  言幸(ことさき)く ま 幸(さき)くませと  障(つつ)みなく 幸くいまさば ありそ波み ありても見むと  百重波(ももへなみ)  千重波(ちへなみ)しきに 言挙げす我れは」


祈りを捧げるという初心に立ち返れ

日本宗教連盟 理事長
神習教 教主
芳村正徳

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

日本人は神祭りということを通して、あらゆる命、自然に対して感謝の気持ちを抱き、分け隔てなく大切に祈りを捧げてまいりました。それと同時に恐れのような感情を抱いてまいりました。

そして昨今、自然災害や紛争、環境やエネルギーの問題、いじめ問題など、恐れを抱かせる存在は多種多様になっております。

しかし、それが如何に変化しようとも、宗教者は常に人の心に寄り添い支える存在でなければなりません。その上で、豊かな心を育て、豊かな社会を形成する一助となることが大切なのだと存じます。

年頭にあたり「祈り」を捧げるという日本人としての初心に立ち返り、宗教者同士が互いを尊敬し、尊重し合いながら協力し、日本はもとより世界の平和、安寧に向けて共に歩んで参りましょう。


■今日一日を大切に

本門法宗 管長
大本山妙蓮寺 貫首
松下日肆

金光教泉尾教会、三宅光雄教会長先生をはじめ、皆様方お健やかに新春をお迎えのことと、お慶び申し上げます。

平成24年も、国内外を問わず世相は混沌として不安続きの中、皆さんの光雄親先生を始め、善信総長台下は、宗教指導者の会、国際宗教同志会の代表として、例年にも増して国際宗教対話活動を展開し、進めてこられました。

今年もまた、初代の歳雄親先生よりの「世助け・人助け」の念願を先頭に掲げ、国際社会の抱える諸問題に目を転じ、宗教者としての活動が期待され、種々の事件が報道されるたびに、宗教者の役割は、「生命の尊重、他者への感謝や慈愛が重要」と強く感じられます。また、文化、教育、環境、社会福祉、特に国際平和活動と多岐にわたる幅広い活動の分野が待っています。

光雄親先生、善信先生の下で手を繋ぎ「お任せください」の精神で、心の豊かさを大切に、私も絆を結ぶ社会をつくっていきたいと決意し、金光教泉尾教会の皆さんのお力を頂き、共に今年も頑張りたいと覚悟しています。

教会中ご一同の皆様の信仰心と社会平和活動に敬意を表し、ご健勝と活躍を心より祈念申し新年の言葉といたします。

■むさぼり、いかり、おろかさの火を消しに

融通念佛宗 管長
倍巖良舜

平成二十五年(癸巳)年の新春をお慶び申し上げます。

貴教会の光雄先生、善信先生には国際的にも国内的にも東奔西走、人々の心にぬくもりを与え、平和の種まきをなしてくださっていることに深い感銘を受けております。

自分の命は誰よりも一番大事と皆そう思っています。自分以外の他の人も皆そう思っているのです。しかるに、他の人の命をおびやかす紛争が世界の各地で起こっています。

自分の意思に反するものは抹消しようという人間のエゴが戦争をひきおこしています。

こういった人間のむさぼり、いかり、おろかさの火を消しに廻るのが宗教者のつとめです。

貴教会が世界平和のために更なるご活躍をなしてくださることを願うと共に、貴教会のますますのご発展をお祈り申し上げます。

■伽藍に閉じ籠もるだけでなく

妙智會教団 会長
宮本丈靖

私が敬愛する三宅歳雄先生は、『世界平和には、血の出るような犠牲を払い、いのちをかけての尽くしが要る』とのお言葉どおり、世界中を東奔西走され、そのご生涯を平和実現と人類の幸せのために尽くされました。

その大恩師親先生のご精神を継承される教会長・三宅光雄先生、総長・三宅善信先生のお二方は、昨年1年間だけでも、アフリカ、カナダ、アメリカ、イタリア、サウジアラビアなど、世界中いたるところに足を運ばれ、国際宗教対話活動をなされました。

お二方ともに、大恩師親先生の偉業をしっかりと受け継がれ、国家、民族、宗教の違いを超えて、菩薩行に尽くすお姿は、まことに目覚ましく、力強く、私たちに深い感動を与えます。

昨年六月、私どものありがとう基金が主催した「子どものための宗教者ネットワーク(GNRC)」第4回フォーラムを、アフリカで開催しましたが、ここでは三宅光雄先生が、本会議の議長を務めてくださいました。国際会議だけに大変なお役にもかかわらず完全にまとめられて、多大な成果をあげてくださいました。感謝に絶えません。

私ども宗教者は、伽藍に閉じ籠もるだけではなく、国内はもとより国際的に目を広げ、その上で祈りを込めて行動を起こすこと。この平和へのひたむきな活動こそ、いまもっとも求められていると信じます。平和のため、人類救済のために本年も草の根の人びとを結集し、広宣流布に精進努力いたしましょう。


■怨みを超えて

WCRP日本委員会 会長
立正佼成会 会長
庭野日鑛

釈尊の言葉に「殺す人は殺され、怨む人は怨みを買う。また罵りわめく人は罵られ、怒りたける人は他の人から怒りを受ける」とあります。

これは、人間関係のみならず、民族と民族、国家と国家の間にも通じることです。怨みに怨みで応じ、暴力に暴力で対抗している限り、不信と争いの連鎖を断ち切ることはできません。

釈尊は、「まことに、怨みは怨みによって消ゆることなし。慈悲によってのみ消ゆるものなり」と教えています。

慈悲とは、一切のいのちを尊び、慈しみ思いやる心といえます。時間がかかり、困難を伴っても、その道を歩むのが宗教者でありましょう。

■物心両面にわたる日本の再生を

大本 第五代教主
出口 紅

新年あけましておめでとうございます。

昨年、大本では開教百二十年の節目をつつがなく迎えさせていただくことができ、深く感謝を申し上げております。

年頭にあたり、まず一昨年の東日本大震災で被災された多くの方々の安心安全な暮らしと、地域の復興を心からお祈り申し上げます。

私たちに突き付けられた原発問題は、人類はもとより、万物の生命を脅かす一大生命倫理問題であり、放射能によって汚染された大地や海川が1日も早く浄化されるとともに、原発に依存しない世界を目指して行くことが、今後の大きな課題であると存じます。

私どもは「世界平和の根本は、お土のご恩を悟らせていただくことである」と教えられております。人群万類を抱擁し、すべてを生み育て浄化するお土のお恵み、月日のご恩を深く心にとどめ、物心両面にわたる日本の再生と光明世界の実現に向けて、皆さまとともに心一つに連携、協働し、微力を尽くしてまいりたいと存じております。

泉尾教会さまの益々のご発展と、皆さまのご多幸を心からご祈念申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。


■神への信仰と礼拝を!

天理教 表統領
上田嘉太郎

現在の世相は、国の内外共に、先の見えない混迷状態にあると申せましょう。

宗教離れ、無信仰の風潮は一層強まっているかに見える昨今ですが、一方では心の拠り所を持たぬが故の悩みや争いが増えているのではないでしょうか。
心の尺度が無ければ、人は 畢竟(ひっきょう)、自己中心的となり、欲望の追求に走ることになります。

しかし、そのわがためを図っているはずの人間の思案が、さまざまな苦しみやトラブルを招いていることを知らねばなりません。

天理教教祖は、「欲にきりない泥水や 心澄み切れ極楽や」、また、「この先は世界中は一列に  万(よろず)互いに助けするなら」と仰せられ、欲望の飽くなき追求が地獄をもたらしているとして、我欲を捨て、人々が互いに助け合う世への立て替えを求められました。

私たちは、このような時代であればなおさら、世界中の人間が互いに助け合って暮す「陽気ぐらし」世界の実現を目指して 弛(たゆ)むことなく歩み続けて参る所存であります。


■宗教者は弱者に寄り添って

日本聖公会 首座主教
植松 誠

新年明けましておめでとうございます。

世界平和のための御教団の熱心なお働きに、深く敬意を表し、また感謝申し上げます。

東日本大震災発生から1年10カ月余が過ぎましたが、被災地にあっては復興には未だ程遠いという感がいたします。また復興が進む中でも、そこから取り残される「社会的弱者」の方々もたくさんいらっしゃいます。

さらに、福島第1原発事故による放射能汚染の問題に関しては、その解決の道筋すら一向に見えない状況下で、恐れと不安の中にいらっしゃる方々もおられます。

私たち宗教者は、この年も、これらの方々を覚え続け、寄り添って歩んでいけるようにと願っております。

■手を取り合って、世界の闇と対決を

カトリック 大阪大司教
池長 潤

真の宗教は、本質的に、宇宙万物から、さらに霊界や人間の死後の世界、いわゆる存在の世界の全体にわたって、どのような目的や意味を持つのかを照らすだけの知恵を備えているはずである。

まして、地球上に置かれているわれわれ人類のもっとも望ましい姿が何であるかについては、根元的な知識を持つはずである。

このような英知に照らして見る時、現在の人類のありのままの状態がこれでいいのかどうかを、かなり細部にいたるまで把握できるのである。

この知恵と知識にそって見るならば、世界の国々のありさまや、わが国の状態がかなり嘆かわしいものであることが指摘できる。

今、宗教者は手を取り合って、世界の闇と対決しなければならない。

■国民に説き、導くことが宗教者に求められる

念法眞教 教務総長
桶屋良祐

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年が明けますと、このように新年の挨拶を交わし、お互いの幸せを願います。これは、人として当然ですが、人だけが出来る崇高な行為であります。大仰な言い方に感じるかもしれませんが、人の道と言ってもいいでしょう。

しかし、我が国では人の道が蔑ろにされているように感じます。お釈迦様は80歳まで法を説かれ、それがお経となって現代に伝わっていますが、国民の“心”には伝わっていないのではないでしょうか。故に子供を虐待したり、自ら命を絶ったりするといった胸の痛むニュースが絶えないと思うのです。

国民一人ひとりが人の道に沿わなければ、世の中は良くなりません。国民に説き、そのように振る舞うよう導くことが今、宗教者に求められていると思います。

新年が国民にとって、そして世界の人々にとって、心安らかな1年となりますように。

合 掌


■豊かな人生を歩むためには

自由民主党 幹事長
石破 茂

新年明けましておめでとうございます。

昨年の衆議院選挙では、皆様方のご支持を頂きまして、自由民主党は再び政権を担当させていただくことになりました。責任の大きさに身を引き締めると共に、あらためて御礼申し上げます。

三宅教会長をはじめとする金光教泉尾教会の皆様方は、宗教活動を通じて教育、文化、社会福祉をはじめ多岐にわたる分野で非常に重要な役割を果たされて参りました。
私たち一人ひとりが真に豊かな人生を歩むためには、宗教および宗教的行事を通じて育まれるすなおな信仰心や生命の尊重、自然に対する畏敬の念、他者への感謝や慈愛の気持ちを大切にしていかなければならないと心から思います。

皆様の日ごろの献身的な宗教活動に対して深甚なる敬意を表するとともに、今後のご健勝、ご活躍を心よりご期待申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

■ 原発に依存しない社会へ

東京大学大学院 教授
島薗 進

人類社会がいのちの犠牲を代償にした原発からの脱却に向かっていることはまちがいのないことです。何よりも将来世代に膨大な廃棄物を押しつけることはやめなくてはなりません。

そもそも、核兵器のために開発されたものを正当化する「核の平和利用」として原発は始まりましたが、エネルギー源としてもその役割を終えようとしています。
「安全神話」を広めるのに手を貸してきた科学者・専門家のあり方も問い直されています。

近い将来の経済への顧慮とともに、人類が進むべき大きな方向を見失わず、未来を照らすのが宗教の役割でしょう。世界平和への貢献と切り離せない重要な問題、ともに考えていきたいものです。

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