2021年 新春メッセージ

新しい年を迎えるにあたって、激動する現代社会において宗教者は何をなすべきかについて、各宗派教団の指導者の先生方からメッセージを頂戴した。

今、宗教者に求められるもの(順不同・敬称略)

一身弁じ難く、衆力成し易し

第257世 天台座主森川 宏映

新型コロナウイルス感染症が世界中を席巻し、目に見えぬ恐怖にさいなまれた一年でありました。

不安と悲しみは不満や怒りに変わり、怒りは絆を壊し、人々を分断し孤独を与えます。しかしながら、打ちひしがれるばかりでなく、上を向いて共に励まし合いながら立ち向かい、新しい取り組みにも挑戦しておられる人々に想いをいたすと、心からの敬意と明るい希望をもって早期終息と人心安寧の祈りを捧げることができます。

「道心ある人を名づけて国の宝となす」との祖意を深く体し、「己を忘れて他を利する」の精神を広く伝え、「一隅を照らす」人物が充ち満ちる国づくりに邁進まいしんしなければなりません。宗祖伝教大師の鴻恩こうおんに報いるため、私もより一層の精進・努力を傾けてまいりたく存じます。

祈りの心

神社本庁 総長石清水八幡宮 宮司田中 恆清

先ず以って、聖寿の万歳と皇室の弥栄をお喜び申し上げ、謹んで新年の賀詞申し上げます。

教会長様、総長様をはじめ皆様におかれましては、日頃から格別のご交誼を頂きますこと、改めまして厚く御礼申し上げますと共に、本年も相変わりませぬご厚情を賜りますようお願い申し上げる次第であります。

昨年は新型コロナウイルス感染症の全世界への蔓延という未曽有の災害に見舞われ、私たち日本人の生活も大きく変化を遂げた年となりました。

疫病の感染防止対策として他者との接触が避けられるようになり、人間関係は希薄化し、また企業の倒産による雇用不安等、暗いニュースも多く聞かれました。

まさに今の時代にこそ、日本人が受け継いできた、家族や他人を思いやり幸せを願う「祈りの心」を思い起こし、次代に伝えていく時であると強く感じます。

古来日本人は、他者とのつながりを何よりも大切にして、自分以外の人々のために神仏に祈りを捧げてきた民族であります。

自己中心的な考え方に陥ること無く、助け合いの精神や優しさ等、人と人とを結びつける心の大切さをもって、この難局に立ち向かっていくべきでありましょう。

「祈り」と「願い」

和宗総本山四天王寺 管長加藤 公俊

新年にあたりまして謹んでお慶びを申し上げます。

神仏へのご加護に感謝の気持ちを捧げるとともに、人は「祈り」という私たち人類に与えられた尊い行いをするのですが、この祈りの姿ほど貴いものはありません。決して誰にも邪魔される隙というものもありません。

また、「願い」というものがあります。お正月には『宝船』という「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」の回文歌を紙に書き、枕の下に敷くと良い初夢を見ることができるということが昔から言われております。

この時代、希望を棄てることなく、強い心をもって生き抜きたいと思います。

神仏の御心は絶対のもの

融通念佛宗 管長吉村 暲英

人は相寄り相たすけ合ってこそ、平和な社会が生まれる。かつて教育の場で「勝ち組、負け組」ということが言われたことがあった。嫌な言葉である。コロナ禍で、人と人が距離をとることで人間関係にひびが入らぬか心配である。

大小、強弱、多少、浄穢じょうえなど反意熟語がある。象は大きい、鼠は小さい。それは相対の世界でのこと。象も鯨の前では小さいし、鼠も蟻の前では大きいのだ。

相対は比較、偏見、我見から生じる。人間関係にはどうしてもこれがつきまとう。しかし神仏の愛(慈悲)は絶対のものである。

幸いにも神仏の道に縁を得た私たちは、ささやかながらも神仏のお心にかなった生き方をしなければならないと思う。

本年もよろしくお願い申し上げます。

コロナ下なればこそ

黒住教 教主黒住 宗道

昨春先から「今こそ、ありがとうなろう!」と、呼び掛けてきましたが、できれば、現状を楽しむぐらいの余裕をもって自然体でいたいものです。

増加の一途を辿る感染者、特に重症患者の苦痛や、極限状態が続く医療従事者のご苦労、そして経済的困窮を極める人々の心中を思うと、楽観論を語ることはできません。

しかし、「コロナのせいで」変化を強いられた新たな日常の中に、「コロナのおかげで」と思える喜びや楽しみや発見は誰にも必ずあります。

一緒にいたくないコロナとの付き合いは “コロナ下”と呼ぶべきで、“ウィズ”は、私にとっては“ウィズお天道様”であり“ウィズ宗忠様”。信仰の拠り所を示す言葉として重宝したいと思っています。

今、宗教者は何をなすべきか

大本 教主出口 紅

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

昨年は新型コロナウイルス感染拡大や気候変動などにより、世界は大きな変化を余儀なくされました。誰もが不安を抱える一方、多くの人々が本当に大切なことに気づき始め、私たちの価値観は変わりつつあります。そして希望とともに世界が進むべき方向性も見えてきたように思います。

こうした時こそ、ゆるぎない信仰心を中心に据え、真実を見極め、正しい判断をすることが求められています。私たち宗教者はそれぞれにみ教えを実践しながら、全人類がお互いを認め合い、天地の恩恵を等しく受け、万物の調和と感謝と喜びに満ちた世界を創り上げていけるよう、努めてまいりたいと存じます。

金光教泉尾教会さまの益々の弥栄をお祈り申し上げます。

家族に心を向ける「時」

立正佼成会 会長WCRP日本委員会 会長庭野 日鑛

新型コロナウイルス感染症の拡大は、私たちの行動、とりわけ人との距離のとり方を大きく変えました。それは一方で、人間同士の心理的な距離をも隔て、疎外感や孤独感を抱く人が増えているともいわれます。その意味では、他者のそうした苦しみに思いを致すことはとても大切です。ただ、省みるに、私たちは最も身近な他者である家族など、目の前にいる人の心の声にどれだけ耳を傾け、理解しているといえるでしょうか。

信仰を持つ私たちにとって、家庭で過ごす時間が増えた今は、 神仏と向き合い、自らの心の内を省みる絶好の機会ですが、それは同時に、身近な人とより創造的にふれあう「時」を頂戴していることと、私は受けとめています。

足下を見つめて

金峯山修験本宗 管長総本山金峯山寺 管領五條 良知

令和三年の初春を寿ぎお慶びを申しあげます。

昨年の今日、誰も想像もしなかった一年でありました。私は、自分自身を省みるにはお正月ほど良いときはないと常々申しておりますが、この一年ほど、足下を見つめ空を仰いだ日々はありませんでした。

人は誰でも時に有頂天となり、あるいは泣き崩れ立ち尽くすことがあるものです。そんなものです。それでも時が来れば、今できること、今行わなければならないことを少し頑張ってみれば良いと思うのです。焦ることはないのです。心に祈りを持つことが大切であると思うのです。我々には信じるところの神さま仏さまの大いなる後ろ盾があるのですから、心配することなく精進すれば良いと思うのです。

万人が安楽でありますよう、ともにお祈り申しあげます。

合 掌

ウィズコロナ ピンチはチャンス 去年今年こぞことし

カトリック大阪教区大司教・枢機卿前田 万葉

新年のご挨拶を申し上げます。

コロナ禍は、神社、仏閣、教会の新生活を余儀なくすることになりました。充分な感染対策を講じつつ、恵みを共有できる、新しい宗教生活・礼拝様式づくりが求められます。

この試練を新しい選択への好機に変え、単にパンデミック以前を取り戻すのではなく、連帯を示し、もっとも傷つきやすい人を中心にした宗教活動を構築すべきでしょう。

一方、「宗教=家の中で示す教え」、「宗教=RELIGIO=再び結びつける」、「教会=エクレジア=集い」など、「ソーシャルディスタンス」との論議も聞かれるようになりました。

新年はなお一層の宗教間対話・交流を深めて、「ピンチをチャンス」にと「世界平和」に励みましょう。

世界中で苦しんでいる方々を覚えて

日本聖公会 首座主教WCRP日本委員会 理事長植松 誠

新年おめでとうございます。

いつも世界平和のために熱心に取り組んでいらっしゃる御教団に、心からの感謝を申し上げます。

昨年二月以来の新型コロナウイルス感染拡大は、私たちの生活に大きな影響を及ぼしています。また、どの宗教の宗派、教派にとっても、礼拝や宗教的な活動が大幅に制限されています。

そこで言われている「人との接触をできるだけ避け、また互いに距離を空ける(ソーシャル・ディスタンス)」ということ、これはどのような人にも愛と慈悲をもって接することを大事にして来た私たち宗教者にとってはまったく相容れないことでした。

そのような時、世界中の苦しんでいる方々を覚えて、祈り続けることが、今私たちに求められていることではないでしょうか。

心を一つに

円応教 教主深田 充啓

新年、誠におめでとうございます。

今年は、例年と違って全世界の人々がコロナ禍によって不安な年明けとなりました。しかし、教会では、教会長三宅光雄先生を中心に早朝より祈りを捧げておられることでしょう。

コロナ禍に出会い、当たり前が当たり前でなくなりました。恵まれていることを忘れがちな私たちに「感謝が足りないよ」と神仏様におさとしいただいたように思います。万事万物によって生かされているという敬虔な心で、「ありがたい」「もったいない」と感謝の言葉が口々に出る私たちでありたいと願います。

そして、宗教者として今、心を一つに「コロナ禍が終息しますように」「全世界の人々に安寧平和な生活がもどってきますように」「皆が心穏やかに、笑顔で過ごせますように」と一心に祈り続けましょう。

私どもの教祖も「たとい遠国の人でも、心わかれば私も同じ、哀れは同じ人の身の上」という言葉をのこしております。たとえ国は違えども、人を思う心を大切に精進させていただきたいと願っています。

金光教泉尾教会信徒の皆々様の上に、一層、笑顔あふれる幸せな一年が訪れますよう、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。

明るく、前向きに行動しましょう

妙智會教団 法嗣宮本 惠司

謹んで新年のお喜びを申し上げます。

妙智會教団は昨年十月十二日、開教七十周年、ありがとうインターナショナル(AI)設立三十周年を迎えることができました。

三宅光雄先生におかれましては、AIの理事をお務め頂き、AIの礎を築いてくださっておりますことに感謝申し上げます。

また、日頃から私どもの教団への格別のご配慮とご交誼を賜っておりますこと、重ねて感謝申し上げます。

「令和」もはや三年目を迎えましたが、昨年は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、経済・社会のあらゆる分野で「新しい生活」を余儀なくされ、宗教界も多くの行事を中止・延期、自粛せざるを得ないという困難な状態に直面いたしました。

さらに外出を控える傾向が顕著になった現状では、相手の方との触れ合いや機微の感触を読み取ることが希薄になり、これまでの人間関係も疎遠になりがちです。

私たち宗教者の役割は、祈りと行動です。これ以外によき解決策はありません。先が見えない暗い世の中であるからこそ、私たちは悩める者や弱き者に光明を点じて、明るく、光り輝く日常生活と生きがいが取り戻せるように、祈りに祈って、お手伝いしなければなりません。

「縁」というものを大切にしてきた私たち宗教者は、こういう時にこそ、祈りをもって悩める者や弱き者の傍に寄り添い、心で感じ取り、より具体的に、そして迅速に行動すべきではないでしょうか。

このような世の中だからこそ、明るく、前向きに行動しましょう。それが何よりも大切だと確信いたします。

「仕合せ」の構築

松緑神道大和山 教主田澤 清喜

「平和は一人ではできない。しかし、一人が何かをしなければ何もできない」

今与えられてある時間を、自分にしかできないこと、自分の可能性を考える時間に転換したいと考えます。何かをしなければいけないプレッシャーではなく、何かをしたいという希望に換え進み続けたいと願います。

そのためには、行動することです。

行動するときに心にしていることが「仕合しあわせ」です。個人の幸せも大切なことです。そこに、目的をいつにする自分以外の方々に、取り巻く環境に、そして見えざるものに、仕える心と祈りを加えて行動することです。仕え合わせる相手がいて、仕えようとする祈りや思いがあって、積み重ねられていく成果は「仕合せ」と信じます。

兄弟姉妹である人間が真に力を合わせれば

天理教 表統領中田 善亮

この度のコロナ禍により、その恐怖や不安から医療、政治、経済、教育、文化などすべてが混乱し、あらゆる面で人々のつながりが分断されてしまいました。

この世の中に起こってくることは全て神の為すことであり、人類が生きる真の目的である「陽気ぐらし世界」の実現に向けての私たちへのメッセージと教えられます。

「陽気ぐらし世界」とは、人間が互いにたすけ合う姿を神が見て共に楽しむ神人和楽の世界であり、コロナ禍を通して感じる神の思召は、今、人類が向かう方向を見つめ直して、それぞれが人間本来の役割を果たし、互いにたすけ合うことの自覚と実践を促されていることにあると思います。

親なる神のもとに兄弟姉妹である人間が真に力を合わせれば、必ずこの大難を乗り越えて、新たな安寧の世を取り戻すことができると信じます。

ウソとマコトを見極めるように

念法眞教 教務総長一宮 良範

あけましておめでとうございます。コロナ禍での新春を、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

マスコミは連日、「PCR検査を増やすべきだ」などと政府を批判したので、皆さん、コロナへの不安が強まり、政府への不満が募ったのではないでしょうか。ところが、世界保健機関(WHO)は、日本政府がPCR検査の対象を絞り、医療崩壊を防いだことを評価していました。

宗教者は、国民に心の平安を与えるのが務めです。コロナ禍では、報道内容の真偽を見分け、真実を伝える役割も求められたのではないでしょうか。

念法眞教の開祖様は「ウソとマコトを見極めるように」と説かれました。そのおさとしを実践し、新年は皆が安心できるように勤めさせていただきます。

合 掌