『人類家族の一致を目指して』ローマで諸宗教対話の集い

2014年3月16〜20日

2014年3月16日から20日まで、ローマ郊外のカステル・ガンドルフォにおいて開催されたフォコラーレ運動の創設者キアラ・ルービック女史の帰天六周年記念『人類家族の一致を目指して』と題する諸宗教対話の集いに、世界32カ国から250名以上の宗教者と共に参加した。

▼カステル・ガンドルフォ

全世界に数百万人の会員を擁するフォコラーレ運動は、1943年にイタリアの一女性によって始められたカトリックの在家運動であるが、全世界に拡大する過程において、諸宗教との対話の重要性を認識するようになり、現在では、カトリック以外のキリスト教各派やムスリムや仏教徒にまで、その活動を広めつつある。そのフォコラーレが、十数年前から、「キリスト教と仏教との対話」をはじめ、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教といった個別の宗教との対話を進める集会を累次開催してきたが、今回はじめて、「諸宗教との対話」へと歩を進めることになった。

諸宗教対話集会でスピーチを行う
諸宗教対話集会でスピーチを行う

主催者から「宗教と平和の関係についてスピーチしてほしい」との依頼を受けたので、教会行事の大変忙しい時期ではあったが、これまでの泉尾教会とフォコラーレ運動との長い関係に鑑みて、この集いに出席することにした。すると、ちょうど6年前の出来事を思い出した。フォコラーレ運動の創始者であるキアラ・ルービック女史が逝去した直後に、ローマ市内のサンタマリア・マッジョーレ大聖堂で行われた同女史の追悼ミサに出席し、数千人の会葬者の前でイタリア語で弔辞を述べるために、2泊4日でローマを訪れたのである。私はそこで、大恩師親先生と同様、その生涯を人々への献身と宗教の壁を超えて平和を実現するために懸けられたキアラ・ルービック女史について述べた。

東日本大震災3周年慰霊復興関連行事で東北各地を巡回されている親先生に代わって、3月15日の感謝祭の祭主と教話と取次の御用および16日の日曜の祈りの御用を終えてすぐに関空からローマに直行するアリタリア便に飛び乗った。13時間のフライトの後、フィウミチーノ空港に到着したら、フォコラーレのスタッフが出迎えてくれていたが、各国からの到着便で着く人々を集めるのに約1時間かかり、その後、バンに同乗して明朝から始まる行事の会場に向かった。というのも、私が宿泊することになっているホテルが事前に知らされていなかったからである。

ロッカディパーパの町はアルバーノ火口湖畔にある
ロッカディパーパの町はアルバーノ火口湖畔にある

今回の会場である教皇の夏の離宮カステル・ガンドルフォがあるロッカディパーパの町は、ローマと言っても、東側二十数キロ郊外のアルバーノ湖というカルデラ湖(火山の噴火口に水が溜まった湖)の縁に位置する保養地である。したがって、「ローマ」の空港であるフィウミチーノ空港に到着したとしても、まるで、関西空港に到着したとしても、いわゆる「大阪市」へ行くのではなく、生駒山麓の石切辺りに行く感じと言えば読者の皆さんにもイメージを掴んでいただけると思う。石切なら「大阪」といっても、大阪城も見えねば通天閣も見えないように、カステル・ガンドルフォは「ローマ」といっても、サン・ピエトロ大聖堂も見えねばコロッセオも見えない場所である。それだけに、2日間という限られた時間ではあるが、会議三昧の時間を送れると思った。

▼苦労を共にした仲間

3月17日朝、私はホテルから徒歩で10分ほどの距離にあるカステル・ガンドルフォ内のフォコラーレ運動の世界本部マリアポリ・センターに赴いた。このセンターは、二十数年前に大恩師親先生のお供で初めて訪れて以来、これまで数回来たことがあるが、いずれも1時間程度の滞在であったので、本格的に滞在するのは初めてのことである。

諸宗教対話の集いが始まり、バチカンと国交のある中華民国(台湾)の駐バチカン大使とバチカン諸宗教対話評議会ミゲル・ギノット次官とフォコラーレの二代目会長であるマリア・ヴォーチェ女史から歓迎の挨拶があった。キアラ・ルービック女史が1980年代以来行ってきた諸宗教対話の歴史を振り返るビデオを鑑賞した後、ルービック女史との交わりを持ったユダヤ教とヒンズー教とイスラム教の代表が、そして仏教徒の代表として日蓮宗の竹内日祥妙見閣寺住職が感想を述べた。

フォコラーレの対話集会に参加したアジアからの面々
フォコラーレの対話集会に参加したアジアからの面々

午後からは、『愛と慈悲』と題して、キリスト教徒と仏教徒の交わりを中心に、タイの上座部仏教の代表や、東アジアの大乗仏教圏における圓佛教(韓国)や佛光山(台湾)といった新しい仏教運動などの代表が、これまでの経験に基づく活動を報告し、日本からは立正佼成会の赤川惠一外務部次長が発表を行った。圓佛教の代表(圓光大学教授)とは、1996年に圓光大学のある全羅北道イクサン市で第29回のIARF世界大会が行われ、久しぶりに旧交を温めると同時に、朴光洙(パククワンソウ)教授から「是非、同大学の宗教哲学の講座で講義をして欲しい」と依頼された。因みに、長年、日韓宗教協議会の会長として日韓交流の端緒を開かれた大恩師親先生は、同大学から名誉博士号を贈られている。また、2006年に高雄市郊外にある佛光山本部で第32回IARF世界大会が開かれた際に、現地の受け入れ主任であった佛光山の尼僧(現在はスリランカ僧院の責任者)とも、当時の苦労話に花が咲いた。やはり、共に苦労した仲間とは、たとえ立場や意見が違ったとしても、一瞬で昔日に戻れる。おそらく、今回の集会に参加しているほとんどの人がキアラ・ルービック女史のカリスマに触れた経験を共有しているのであろう。

この日の行事の掉尾といえる部分に、私が担当している『宗教と平和』というプログラムが持たれた。イタリア人の国民性として、絶対に時間どおりにプログラムが進行しないことは判っていたが、やはり、遅れに遅れ、事務局が申し訳なさそうに、「せっかく予めスピーチ原稿を送ってくれたけれど、時間が押しているので、モデレータとの一問一答の掛け合い方式にしてくれないか?」と言われたので、「望むところだ」と応えた。そして、ステージに登るなり「6,000マイル(1万キロ)の彼方から遙々やってきたのに、3分間しかもらえない」とジョークを飛ばし、フロアの人々の気持ちをガッチリと掴んだ後、「大恩師親先生とキアラ・ルービック女史の共通点は、日本とイタリアというどちらも敗戦国の過酷な現状からスタートした諸宗教対話と平和運動であり、理屈で考えた運動ではない。だから、戦後多くの支持者を得ることができた」という、これまでにない視座から宗教者による平和運動の意味と、その必然のプロセスとしての諸宗教対話の意義について述べた。

フォコラーレ第2代会長マリア・ヴォーチェ女史と共に
フォコラーレ第2代会長マリア・ヴォーチェ女史と共に

この日の夕食時には、昨年春からローマの日本人学校の校長として赴任している和歌山会の松本芳之さん夫妻が、わざわざカステル・ガンドルフォのフォコラーレ本部を訪ねて来てくれたので、ローマ在住の日本人(天理教や立正佼成会にはローマ駐在事務所があるし、日本人のフォコラーレ会員もたくさんいる)に紹介した。親先生のお祈りは、このような場所にまで届いていると実感させられた。

▼ローマは一日にして…

2日目となる18日は、「キリスト教とヒンズー教」、「キリスト教とユダヤ教」、「キリスト教とイスラム教」の順で、それぞれの対話の体験の発表や今後の指針等について話し合われたが、会合の内容もさることながら、天理教のローマ駐在員である山口英雄師や、この日から参加した清水寺の大西英玄師らとも、食事の時間(イタリア人の食事時間は3時間ほどある)にゆっくりと話し合うことができて、貴重な機会であった。また、30年前にハーバード大学の研究所で共に学んだパトリス・ブロデュア博士と、久しぶりに旧交を温めることができた。ブロデュア博士は、昨年11月にウィーンで開催された第9回WCRP世界大会の共催者となったサウジアラビア国王の諸宗教対話組織KAICIIDの調査部長に就いていた。博士に、現在、さまざまな問題を抱えるIARFについて相談し、非常に的確な助言と、惜しみない協力を約束してくれたのが、望外の実りであった。

三宅善信総長の英語による講演に耳を傾ける参加者たち
三宅善信総長の英語による講演に耳を傾ける参加者たち

私は、春の霊大祭の前日祭で祭員の御用を勤めなければならないので、翌19日の早朝6時にホテルをチェックアウトしなければならなかった。この日は、フランチェスコ教皇との特別謁見を用意してくださっていたのに、まことに残念な次第である。このフォコラーレの集いは、19日のバチカンでの教皇謁見を挟んで、最終日の20日にウルバノ大学で開催される公開イベントまで含めて4日間あるが、御用の関係で最初の2日間だけの出席となったので、後半のプログラムに出席される妙智会教団の宮本惠司法嗣や、先週末に叔父に当たる庭野欽司郎師の葬儀をされたばかりの立正佼成会の泉田和市郎青年本部長とは、お目にかかる機会がなかった。

こうして、往路同様、ローマをゆっくり発てるローマ→関空の13時間の直行便を使えば楽ではあるが、それでは前日祭のスタートに間に合わなくなるので、わざわざ半日早くローマを出発する(そのせいで、フランチェスコ教皇との初謁見の機会を逃した)エールフランス便で、パリ経由で16時間かけて、20日の9時15分関空着の便で戻り、なんとかかんとか11時から始まる前日祭の御用に間に合わすことができた。



戻る