大阪国際宗教同志会 講演会記録


「イスラム教徒の目から見た日本の宗教建築」

前スーダン共和国駐日大使

ムサ・M・オマール



平成九年十月六日、金光教泉尾教会神徳館国際会議場で、国際宗教同志会創立五十周年記念大会が開催され、27教派・団体から

約百名の宗教者が参加した。講師のムサMオマール博士は、1965年にスーダン日本友好協会を設立、1980年に早稲田大学で建築学

の博士号を取得された後、1990年から94年まで、スーダン共和国の駐日特命全権大使を務められた親日家である。


只今ご紹介いただきましたオマールでございます。今日ここで、皆さま方とお合いすることを、非常に嬉しく思います。先日、比叡山で三宅龍雄先生とお合いして、その時、三宅先生より(今回の講演の)ご依頼をお受けして、是非とも皆様にお合いしたいと思いました。なぜかというと、三宅先生とはもう長い間お付き合いを頂いておりますが、今までこちら(泉尾教会)に伺ったことがなかったし、さらに、皆さんと一緒にお話しできることをとても楽しみに思っていたからです。

しかし、本日、皆様にお話し申し上げる内容は、いくら考えても分かり易くご説明することはもとても難しく、「どのようなお話をしたらよいのか」と考えておりました。ですから、本とか資料を見たりとか、なるべくそういうことを今回は避けました。私が今まで日本に来てから、自分で感じたこと、自分で見たこと、自分で思ったこと、それを元にして話した方がいいかなと、思っております。

私は、日本に来る前、「日本のことをよく勉強してきた」と思ってまいりましたが、実際に日本に来たら、それはとんでもないことで、「私は日本のことぜんぜん知らなかった」ということに気付きました。国でスーダン日本友好協会を作って、いろんなことを勉強しましたが、それは自分なりの理解であって、自分なりの解釈のしかたでありました。簡単な例をあげますと、「日本人ならなま魚を食べる」ということは知っていました。日本に来て、初めてすしを食べるまで、これが完全な「なま」の魚であるとは思ってもみませんでした。なぜかというと、私が言葉の上でいくら「なま」ということを聞いても、自分で想像したことは、全くの「なま」ということは思ってもみなかった。まあせいぜい魚を干して、それを食べるのだと思っていた。本当に新鮮な魚を食べるとは思ってもいなかった。

だから、日本に来てから、私は日本の建築に興味がわいて、是非、日本の心を先に掴んで、日本の建築について勉強したほうがよいかなと思いました。正直に言いますと、私は、日本に来る前には、信仰にはあまり熱心ではなかった。日本のおかげで、私は宗教に関心が持てたのです。お寺とか神社だとか、いろんな宗教の建物を観ながら、日本の建築の勉強が進んだわけです。

さて、資料を少し持ってきたのですが、私の話を解り易くするために、イスラムの寺院モスクがどんな形をしているのかを見ていただくということだけで、今日はそのことをあまり詳しく話しはしません。私はスーダンで川の畔で生まれたのです。スーダンの首都はハルツームという街なのですけれど、この街、ナイル川――エジプトの川として皆さんご存知だと思いますけれど――は、スーダンにある白ナイル川と青ナイル川が合流したのちに、いわゆる「ナイル川」と呼ばれる大河になるのです。私は青ナイル川の畔に生まれました。

青ナイルというのは、川幅わずか200メートルだけしかないのですけれども、いったん雨期になると1900メートルぐらいの川幅になって氾濫するのです。ですから、私は自然の優しさと恐ろしさをその川で学びました。氾濫するときは、これはもう恐ろしい。乾期の時はものすごく優しい。水が青い。子供の頃は真っ白な砂浜で遊びながら、水泳をしました。「優しさと恐ろしさは、共に自然の中にある」ということを、よく解りました。高校時代、ハルツームから700キロほど離れた砂漠の真ん中の町にある学校に入りました。その学校は、雨期には一面緑。人間の背の高さくらいの草が生えています。それから、非常に大きい木でバオバブという木がありました。幹のまわりが大体、20人ぐらい手をつないでやっと届くぐらい(直径約10メートル)大きな木なのです。その木と草は非常きれいだったのですけれども、乾期になると、草は全部枯れてしまいほとんど何もない。動物もいないし、人もどこかに行ってしまってしまう。ですから、自然の優しさと厳しさの両方ともまた感じました。


日本では、自然というのは、年中まわりは緑。雨が降っても降らなくても、川の水がきれいに流れている。もちろん、台風の時には川が氾濫することもありますけれども、ほんの短い時間でそれは終わってしまう。しかしスーダンでは、いったん川が氾濫すると長い間氾濫し続けます。自然のイメージが「緑」であるということを私は日本で感じました

日本で一番、最初に見学した建築物は明治神宮でした。明治神宮に行きますと、駅から長い並木の道があって、それから通りを出て、「ああここから神聖なる場所、聖なる地域に入った」という気持ちになって、それから長い参道を歩いて、何に出会えるか期待をしました。周りの自然の中に。それから神社に着いたら、われわれイスラム教徒と同じように、清めの手水をする御手洗みたらいがあって、それから中に入ると、ほとんどお年寄りでしたがたくさんの人がお参りに来てました。私の事前のイメージでは、神社に行けば、そこはみんなが集まる場所、礼拝する施設があると思って行ったのですが、そのような施設はなく、拝殿の前の広場で、皆さんは礼拝していました。それから、もう少し中に入ろうと思いましたが、やはり本殿にわれわれは入ることができなくて、一番、気が抜けた感じがしました。

私が期待していた神社は、やはり礼拝所ではなかった。私の感覚の礼拝所(=宗教施設)というのは、建物の中に人が集まって、誰かに導師をしていただいて、皆でそろって礼拝するための施設であると思っておりました。その後、長年日本におりまして、いろんな宗教建築を見学した結果、なるほど、やはり日本では、宗教建築というのは、啓示宗教のそれと違って、そこは自然の中からきているものだと思いました。それから、いろんなお祭りとか、そのコミュニティを楽しむという機会があると、多分、日本人は自然を尊敬することをとても大事にしているように思います。これは恐らく、神話時代に朔るのですが、原初の夫婦、イザナギとイザナミの最初の子供たちが、神でもなく、人間でもなく、島々であったということからも、なるほど日本人は、やはり自然が大切であると思っていることがよく解りました。西洋と違って、自然と戦って自然に対立してものを造るのではなくて、自然と一緒に調和するという考え方でいろんな建物ができたと思います。


京都や奈良へ行くと、歴史的建物というのは、大きさもヒューマンサイジングで、みな自然と調和する形で建てられております。新宿みたいな街を歩くと、自分の体が非常に小さくて、「周りはみんな支配されている」あるいは「恐ろしいものが周りにある」という気持ちになります。しかし、日本ではどんな大きい宗教建築であっても、その建物は、屋根に自分の手で触れることができると思えるぐらい自分のところまで降りてくれるような感じがします。それから、どこへ行っても、非常に細かいことをよく大事にしています。例えば、もちろん、芸術とか美術はいうまでもありませんが、生け花にしても、盆栽にしても、細かいことというのは、自然をよく見ている人の気持ちではないかなと私は思います。

それから、日本の建築物を見ると、あまりたくさんの色を使わない。ほとんど自然の素材のままの色で使っています。私は、日本に来る前に、何故、日本に興味を持ったかといいますと、学生時代に建築の勉強をしていた頃、古代のギリシャとかローマとかの建築とか、キリスト教のいろんな教会とか、ずいぶん建築様式を勉強しましたが、たまたま、日本の建築雑誌を見て、その時、「なるほど、日本の近代的な建築にも日本の伝統が生かされているのだ」ということに気が付いたのです。「近代的な」と言われているのですけれども、そういう模様とか、あまり色がぐちゃぐちゃしないで、それから周りの空間が大きいとか、非常に細かいのですけれども、深い意味を持っていること。それから、ただ、昔の物を真似して新しい物を造ったということだけではなくて、その昔の物、精神をよく理解して、新しい物を造ったと私はそう思いました。だからぜひ、日本に来たいと思いました。

逆に、現代のイスラム世界では、建築を相当勉強した人でも、「イスラム建築を造ろう」と思ったら、「アーチとドームを付けさえすればイスラム的だ」という単純な考え方が跋扈ばっこしているのです。本当のイスラム精神をよく理解しないで、ただ化粧品みたいに表面上、それを付けて、それが本当のイスラムでしょうか?これでイスラム建築ができたと思うことは大きな間違いです。これと違って、日本では、今でも多分、皆さん、目に見えない所もあるのですけれども、日本の精神がそのまま、本当にいろんな近代的な建物の中で生きていることを私は感じています。もちろん、最近、東京とかそういう都会でできた建物の中にはちょっと訳の解らない物がたくさん出てきたかも知れませんけれども……

先程、お配りした資料についてお話し申し上げますと、仏教はもちろん、元来、日本のものでなくて、大陸から渡って来たものですけれども、よく見ると、日本に適したものが、独自の発展をしてきました。寺院の建物はいうまでもなく「日本仏教」という独特の教えまで……。しかし、イスラム教というのは、世界中どこへ行っても同じ教え、どこへ行っても同じ礼拝のやり方。一つだけ違うのは、モスクの建築様式です。その場所その場所によって変わってきました。しかし、よく見ると、ほとんど基本的な構造は変わっていない。外形的な形は変わりましたけれども、基本的には変わっていない。今日、私がここに持ってきました写真、これは中国で七世紀に建てられたモスクです。これなどもうほとんど何か仏教のお寺みたいな感じのですけれども、こちらの写真は中国のお城みたい。これは仏教とイスラム教を比較するために持ってきたのですけれども、細かく見てみると預言者時代(マホメット生存中)にできたものと基本的に似ています。今、こうなって(メッカのカーバ神殿の写真)いますけれども、基本的にこれは似ています。

私が、一番違うと感じたということは、礼拝堂とか寺院とかは、見学に行く場所ではなくて、宗教行事か社交的な集まりとか何か行事があって、そこへ行く場所だということを心の中で意識しています。私はたまにお寺とか神社に行きます。特に明治神宮で一番悲しかったのは、そこへ行っている人が皆「信者」とは限らないのですけども、しかし、その聖なる場所でお賽銭を笑いながら投げていることです。私は非常に悲しかったです。何故ならば、神社が、聖なる場所ならば、何かこれは尊敬する場所であるという……。せっかく参道という準備装置があって、そこまで行くと、やはり精神的にちゃんと聖なる場所に入る準備もできているというのに……。そこまで思うと、何か私は非常に悲しかった。もちろん、私は仏教徒でもないし、神道でもないのですけれども、宗教の違いを越えて、聖なる場所というのは、やはり本当に聖なることをしなくてはならない。

しかし、イスラム教では、礼拝場というのは、本当は寺院礼拝堂だけではないのです。その聖域でもなくてもいいのです。その場所の周りに住んでいる人々のクラブであってもいいし、そこで何かあれば、人が集まってもいいし、学校でもいいし、区民会館でもいい。祈る気持ちがあれば……。ただ、やはり時間をきちんと守って礼拝を行うわなければならない。千年以上の歴史を持って世界で最も古い大学――二つがあるのですが――一つはカイロのアズハル大学、これは今でもモスクの中にあります。同じくチュニジアのベロアン大学もモスクの中にあるのです。今も続いています。勉強できたら勉強、疲れた人がそこで寝込んでいる人もあります。先月の二十二日、日本建築学協会の会議がありまして、その時に「建築と固有文化の衰退」の話がありまして、その時、今、流行っている国際化という考え方によると、「伝統がどうのこうのというか、固有文化がどうのこうのとかいうことは、あまり気にしない」という人が多くなりましたけれども、しかし、何にしても、その国の宗教伝統、その国の固有文化を忘れると、とんでもないことになります。

皆さんは聞いたことがあると思いますけれど、エジプトでアスワンダムが造られた時、水没するそのダムの南の大体150キロの範囲の住民をどこかに移住させなくてはならないということがありまして、その時に、エジプトの建築家が、その人たちがそれまで住んでいた土でできた昔ながらの建物を、それはあまりいい物ではないと思って、コンクリートブロックで、ブリキの屋根のついた住宅を造って彼らに提供したんです。建築家たちは、前よりいい物を造ったと思ったのですけれども、この人々からすれば、自分らの何千年かの伝統を無視されて、客観的にはどんなにいいと思ったものでも、本人にとって非常に悪いものができあがってしまったのです。彼らは引っ越して初めて、雨の音を直接聞きました。彼らが今まで居た所は、年中ほとんど雨が降らない所でしたが、移転した所は、雨期になると毎日のように雨が降り、音のしない土の家から、雨音の聞こえるブリキの屋根に変わったので、彼らは初めて、直接、雨の音を聞いて「何か神様が怒っているんじゃないか」とぐらい思っていました。これはわれわれアフリカの建築家として、大変なミスであったのではないのかなと思いました。

ですから、今、日本の若者でお寺とか神社といったそんな古いものを「どうでもいい」というぐらいに言っている人がいるかも知れないけれども、やはり何千年とか何百年の歴史を捨てて、何も考えないで新しい物を造ろうと思えば、結果として、最後には道に迷うことになるのではないかなと思います。もともと自然崇拝の神道に社殿は無かったのです。けれども、仏教(建築)が伝来された後、この影響で社殿を造るようになったのですけれども、依然として神社は「建物」ではなくて、何か自然の一部で生まれたものであるのでないかと思います。例えば、伊勢神宮はなるべく自然な材料を使って、(礎石を使わず)直接、柱を土の上に立ててあります。これを建築学的に見ると、長い年月、建物がもたないでないかと思うかも知れませんが、しかし、一番いいことは二十年毎に新しく建て替えるということです。これがどういう意味かということは、その技術とその精神が、時代から時代によって、世代から世代によって伝承されるスタイルではないかと思いました。それは、物資的なモノではなくて、その精神を伝えるということが大切なことで、これこそわれわれが、今、とてもこの時代にもっとも 大事にしなくてはならないと思っていることであります。

日本で、私はいろんな人の家を尋ねた時、一般的に仏壇があって神棚もありますが、皆さんから逆に「イスラム教では家の中では、宗教的にはどのようなものを置かれているのですか?」ということをよく聞かれます。私はその時まで、こういう設問があること自体を一切考えた事がなかったのです。家の中に仏壇とか神棚を置くということの必要性があるかということをあまり考えたことがないのです。しかし、われわれは毎日、五回お祈りしますから、別に礼拝所に行かなくてはならないということがないのですけれども、行った方がいいと思うことはもちろんあります。なるほど、日本で代わりに仏壇と神棚があることは、われわれイスラム教徒と同じように、毎日、礼拝とかいろんなお経をあげたりして、そこで一応、神仏との繋がりが家の中にあるということは、日本人にとっては、「お寺とか神社が自分の家まで足を伸ばしてきた」ということになるのではないかと私は思いました。

ですから、この間、ある日本人のイスラム教徒の方から聞いた話ですが――彼は非常に敬虔なイスラム教徒なのですけれど――「イスラム教の信仰はよく解っているけれども、一番やはり自分自身がなかなか気が進まないのは、自分の家に(目当てになる物が)何も無いということだ。前に何も置いていないのにどうして礼拝に集中できるか」ということでした。先ほどお配りしたその資料をご覧になっても、もちろん、イスラム寺院の中には、何も置いていないし、神仏像的なものも何もない。結局、彼は礼拝する時の気持ちを集中するために、何か造らなければならないということで、一応、イスラム寺院の中の壁にある引っ込み部分(これはメッカの方向を示す目当て)の写真を撮って、これを引き伸ばして、自分の家から見てメッカの方向に当たる壁にこの写真を置いて、これで(礼拝の時)何となく自分の気持ちが集中できるのではないのかなと思ったそうです。一般的な日本人の生活を理解していないイスラム教徒がこの話を聞いたら、その日本人ムスリムが「とんでもないこと(一種の偶像崇拝にあたる)したのではないのか!」と反発すると思いますが、私は、やはりこの人のやり方が、それは ある程度、日本人の宗教的精神に則したやり方でないかなと思いました。何か「目当て」がないとなかなか集中できないということです。

一番最後になりましたが、私が日本人の宗教的行動で不思議に思ったことは、お寺とか神社に大勢の人が参拝に行きましても、しかし、そのお寺や神社ではめいめいバラバラで礼拝を行うということです。このことが(イスラム教徒である)私にはとても不思議に映っています。何故ならば、神様はみんなの前になるべく人が集まって、自分の共同体意識で、みんな平等で立つことを望んでいるのではないのかなと思っていたからです。しかし、そこへ行ったら、一人で自分のお願い事だけを言っておりました。それは、私とって非常に何か足りないのではないかと思われました。


私のお話は、これぐらいで終わらせていただきたいと思います。どうも有り難うございました。



ムサ・M・オマール博士の講演

「イスラム教徒の目から見た日本の宗教建築」への質疑応答
司 会:オマール先生どうもありがとうございました。本当になかなか日頃、聴かせていただく機会の少ないイスラム教の先生のお話を聴かせていただきまして、大変よい勉強になりました。これから、本日ご参加の先生方にマイクをお回しして、ご質問をしていただく訳でございます。なかなかイスラム教の先生、あるいはアフリカから来られた先生のお話を伺う機会が少のうございますし、幸いオマール先生は日本語が非常にご堪能ですから、私どもも安心して質問をしていただく訳でございます。

イスラム教は、われわれが思っているよりも遥かに「生活宗教」といいますか、一日のリズムと申しましますか、生活のあらゆる段階にわたって、総合的に宗教として働いている。ところが、われわれはどうしても「ステレオタイプ化されたイスラム教のイメージ」――といいますと、何かアラブの人独特の被り物をしてですね、「非常に特殊な、われわれとは全く違う種類の人たちではないのだろうか」――と思っている訳でございますけれども、実は、そうではなくって、彼らも同じような生活を営んで、生活の各方面で信仰の働きを現されているということが、オマール先生のお話を聴かせていただいて解ったような気がします。それではどうぞ質問をしていただきたいと思います。マイクをお回ししますので、挙手をしていただいて、お名前と所属をおっしゃっていただいてから、質問をしていただきたいと存じます。

葛葉睦山花園大学の葛葉です。今日は、大変、意義のあるお話ありがとうございました。私は今、京都の花園大学で、宗教部というのがございまして、そこで仕事をしております。僧侶でございますから、臨済宗の一寺の住職をも兼ねております。

実は私、オマール先生が建築のご専門ということで、今日は大変、興味を持って参上したわけです。といいまのは、私の大学で、二年前から「教堂」という建築を建てようと――これは仮の名前であますが――平成11年には完成させようということで、この12月には実施設計、つまり設計の完全なものを造り上げようということで、今、追い込みには入っているところなのでありまが、そこで喧喧諤諤の論議がありますのは、花園大学は禅宗の学校でございます。しかし、といいましても、約4500人のいる学生の中で、寺院関係の子弟は一パーセントぐらいしかおりませんで、それ以外の学生は宗教仏教と関係のない――関係のないといったら少し悪いですが……つまり寺院の師弟ではない――学生がほとんどでございます。せっかく、私学の大学で、社会福祉やその他もろもろの学問をします中で、「(仏教徒でない若者にも)仏教の何たるかを四年間で学ばせて行こうではないか」というのが今の学長の大変強いお考えでありまして、そのために教堂という物を建てようということになった訳でありますが、その中で、当初、私共が考えておりましたデザインは「三階建てのドームの付いた建物」でして、そ の案を企画委員会なり、その他の専門委員会に出しますと、教職員の中から「中近東的すぎる」という批判があるわけで「中近東的すぎる」という意味言ってみれば、「イラム教のモスクにあまりにも似通っていて、日本の禅仏教ということと遠い」ということで、批判の大合唱がありまして、当初の案が中止になりました。さて、どうしようか?と思って、今日のお話を伺ったわけでございました。

先ほど先生は、イスラム建築については、「アーチやドームさえ付ければ、もうそのままイスラム建築なるんだ、と勘違いしている建築家が多すぎる」という意味をおしゃったと思うのであります。本日、頂載した資料を見ていただきますと、イスラム教的イメージの仏教の寺院と仏教(中国)的なイスラム教のモスクの写真もこう掲げてもらっておりまして、あるいは、インドの仏塔などにもございまいますので、(イスラムといっても)それぞれいろんな形式の建物があることを教えていただきましたので、私どもは、当初の案のようにドームを造りまして、その上にちょっと四角のような物を造りまして、塔を付けることで「あまりにイスラム的である」という批判に答えようとしているのでありますが、そのあたりで「何かこういう方向を考えてみたらどうか」ということがありましたら、ちょっと検討違いのご質問かと思いますが、オマール先生は建築のご専門でいらっしゃるということで、そいう立場からお教えいただければありがたいと思って質問を申し上げました。

オマールまあ、これを解決をするためには、まずイスラムに対する誤解をなくさないといけないのですが、よく、イスラム教というと「中近東の宗教である」と思われがちですから、イスラムといえば、すぐドームとかアーチとかをイメージしてしまうのです。東京では、昭和十五年に建てられた現在のモスクを取り壊して、新しい物を造ろうとしているのですけれども、私(日本イスラム協会の役員)の提案は、「日本のお寺みたいに畳の部屋を造った方が日本人がなじみになりやすく、それが一番いいのではないか」と、一生懸命に主張しているのですけれども、他のイスラム協会の役員さんたちは「今の日本人は十分イスラム文化を理解をしているとはいい難いから、典型的なドームの付いたそういう建物を造らなければならない」という意見が大勢を占めて、私の意見(日本風のモスクを造る)に対しては「東京にもうひとつモスクがあれば、あとは好きな通りにしなさい」といわれています。本当は日本には日本に合ったイスラム建築があるはずです。何故ならば、イスラムは、その環境、その地域、その文化、そこにあるものを うまく利用して使うべきなのです。例えば、マレーシアへ行った時、マラッカの南の方に行ったら、そこの寺院モスクが、ほとんどが「中国式のお寺かな」と思ってよく見たら、ちゃんとアラビア語でコーランと書いてあるのです。「あれモスクですか?」と聞いたら、「そうですよ」と言われまして、やっとモスクと判りました。イスラムは本当はあまり様式にこだわらないです。

だから今、みんなが間違って、イスラム建築というとすぐドームとか……。なぜドーム様式になったかというと、昔は鉄筋コンクリートが無くて、大きな空間を造るためには、ドーム様式しかなかったからなのです。それから、礼拝の呼びかけの時は、スピーカーがなったので仕方ないから高いところ(尖塔)へ登って、そこから民衆に呼びかけたのです。今はスピーカーもあるのですから、それ(尖塔)も必しも必要でないのです。お金を無駄遣いをするということは、神様の目から見たら非常に悪いことをしたということですから、「ドームや尖塔さえつければよい」という考え方はまったく意味がないのです。これは何も中近東の問題だけではなく、またイスラム教だけの問題でもないのです。

司 会:葛葉先生よろしいでしょうか? 花園大学当局もオマール先生に設計コンサルタント料をどうぞお支払い下さい(会場笑い)。ちなみに、オマール先生は、本日の昼食を当泉尾教会からほど近い大阪ドームのレストランでお食べになられたそうでございます。このことを見ても、ドームは必ずしもイスラム教の専売特許ではなくて、野球をするところもドームでございます。ドイツ語でドームといえばキリスト教の大聖堂のことです。
他にどなたかご質問ございませんでしょうか?所属とお名前と先におっしゃって下さい。

片岡友次:住吉大社権宮司の片岡でございます。宗教学者でもない建築学の専攻をされているオマール先生にお聞きするのは少し見当違いかもしれませんけれども……。先ほどのお話の中でおっしゃった「日本人の宗教は、自然との調和の中にある」というお褒めの一点と、それから「聖なる祈りの場所に対する敬虔な心が、最近の日本人は大部欠けているのではないか」と、そういうご指摘を受けたのですが、その点は、われわれ日本の宗教人にとりましては、誠に鋭い指摘を受けたと感じました。

それとは別に、イスラムの話をなりますけれども、日本の神道なり、あるいは仏教なり、あるいはキリスト教なり、みんなそれぞれに「宗派」のようなものがありますが、イスラムの方では、スンニ派とシーア派の両派がいろいろとゴタゴタを起こして、その二つの流れがそれぞれに対する反発といいますか、対抗意識といいますか、そういう問題が大いに中近東紛争の原因であるのではないかということを新聞などで時々読んでおりますけれども、これはわれわれの誤った考え方なのでしょうか?それとも、その点について、先生としてはどのように考えておられるのか、少し解かり易く教えていただければ幸いです。

オマール:私が初めて「スンニ派」と「シーア派」という言葉を聞いたのは、実は、日本に来てからのことなのです。この二つは皆さん方の感覚でいう「宗派」とはかなり異なっています。イスラムでは、コーラン(聖典)は一つしかありません。それから、一日何回礼拝するかとかのやり方も一つしかないのです。それから「ラマダーン」と呼ばれる断食も、世界中同じ時間で、それから同じやり方で、一つしかありません。聖地メッカの巡礼も、同じ場所(カーバ神殿)で、同じやり方をみんなでやっていますし、れから喜捨ザカート(救貧税)――自分の収入から幾らかを困った人に与えなくてはならない――というルールも同じです。

では、あとはどこがどう違うかというと、これはむしろ、実際には「宗派」の違いというよりも「学派」といった方がよいかも知れません。もっと解りやすく言うと、生け花や茶道の「流派」みたいだと思った方が早いです。学派といったのはなぜかと申しますと、義務的なこと(戒律)は全部一緒なのです。それから、預言者(マホメット)が定めた「一応そういう風にしたほうがいいということ(規範)」も一緒なのです。「それをしないほうがいい」ということ、それも一緒なのです。あとは何でしょうか?ほとんど「好み」の問題のような選択上の違いがあります。それをしたほうがいいのか、これをしたほうがいいのか、どちらでも構いません。しかも、預言者は両方ともやりました。単にこっちをしたほうが多かった。それも、なぜどちらが「多い」ほうになったかといえば――預言者の活動を見た人々が伝えたんですが――結局は「たまたま一方を見た人のほうが多かった」という程度の問題で、これが「学派の解釈」と呼ばれるもので、そんな細かいところどちらでやっても構いません。

ですから、今、中近東はじめイスラム諸国のどこへ行っても、「実はこのモスクを誰が造ったか?それは〇〇〇派か〇〇〇派か?」など全く関係なく、礼拝時間になったら、そこら辺にいる人々がすぐ入ってしまうのです。そこで一緒に礼拝を済まして、隣にいた人たちが、何派の人かということを誰も考えないのです。ですから、たまに報道で、中近東地域の緊張を伝える時に、例えば「イランがシーア派」だとか、「サウジアラビアはスンニ派」だとかいう表現をしますが、これはあくまで政治的な対立なのです。それだけなのです。

司 会:オマール先生ありがとうございます。会場からご婦人のお手も挙がっておりますね。東京からわざわざお越しいただいた友廣先生です。どうぞ。

友 廣 和:失礼いたします。私は全日本仏教婦人連盟会長の友廣和と申します。本日は、先生のお話を伺うことができまして、誠にありがとうございます。いろいろと参考になるお話……いわゆる「聖なる場所に於いて、日本人は厳粛さを欠く」というお話……全く同感でございます。

そこで、オマール先生から、特に、日本の女性に対して何かご注意を頂く点がございましたら、聞かせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

オマール:女性について申せば、私共イスラム教徒の場合は、外部の世界からは「女性は非常に弱い存在である」ように見られていると思います。「家の中でに隠れているもの」であると見えるかも知れませんけれども、われわれから見ると、女性は非常に強い者であると思っています。ひとつ例を上げますと、サウジアラビアやイランでは女性はみなベールみたいなもので顔を覆っている(弱い存在のような)イメージだけしか持っていないのですけれども、日本の皆さんは以外に思われるかも知れませんが、サウジアラビアの国民が持っている財産の大体六割は女性が持っています。何故、女性がそんなにたくさんの資産を持っているかというと、これはイスラム法による遺産相続制度によるものなのです。

それから、子供の結婚相手を誰に決めるかということは、もうほとんど、本人のお母さんと女の姉妹とかが、男兄弟の状況を全部見回して決めて、最後にお父さん(家父長)に通して(話を)相手側に持って行くのです。息子が誰と結婚するかは、本当にお母さんと女の姉妹で決めてしまうのです。ですから家庭の中では、女性はほとんど「王様」みたいな存在です。

私は1970年に初めて日本に来たのですけれども、そこで一番驚いたことは、もう三十年近く経った今でも忘れられないのですが、夫婦が電車に乗ってきた時、あいにく席がひとつしか空いていませんでした。その時、旦那さんが座って、妊娠している奥さんが立ったのです。私は本当に驚きました。「とんでもない人だ」と思いました。われわれイスラム社会の場合は、重い物を持って出かける時でも、女性には彼女のハンドバッグしかたせません。それから、バスや汽車で女性が乗ってきましたら、年齢など関係なく、男性は席を譲らなくてはいけないのです。あまり男性が女性を大切にし過ぎるのではないかなと思われている人もいるかも知りませんが、大事にしなくてはならないのです。

例えば、この言葉が解るかどうか判りませんが、「ハーレム」という言葉――特にアラビア内地で出てくる言葉で、「ハレン」と発音しますが――は「聖なるもの」という意味です。例えば、メッカのカーバ神殿と周りのモスク全部を「ハーレム」というのです。これを「メッカのハーレム」というのです。これが「聖なる場所」なのです。アラビア語で女性は「ハーレム=聖なるもの」といいます。しかし、日本や欧米諸国で使われている「ハーレム」のイメージは、とんでもない意味なのです。われわれの「ハーレム」とは、「聖なるものなので大切にしなくてはならない」という意味なのです。

先ほど少しお話した遺産相続の話なのですけれども……例えば、ある人(夫)が亡くなり、その人のお母さんと奥さんと子供を残した場合、まず、お母さんは六分の一が貰えます。奥さんは八分の一。あと残りは子供の取り分です。それから、夫婦の信用とか財産は、男性が戸主として責任を取った以上、その家庭で必要とする生活費の一切を男性が拠出しなければなりません。女性の場合は、奥さんの場合、一円も出す義務がないのです。自分(奥さん)の収入は全部自分の個人のものなのです。

特に政治面からいうと、イスラム圏では、1400年も前から女性にも選挙権(意志表示する権利)が認められていたのです。1400年前も前からですよ……みなさん人権思想の本家と思われているフランスでも婦人参政権が確立されて五十年ですよ。スイスなんか、つい最近のことですよ。日本の皆さんご存じと思いませんが……

司 会:オマール先生ありがとうございます。イスラムの女性の話を聴かせていただきまして、何かわが家のことを言われているように思ってしまいました(会場笑い)。その点でわが家はイスラム的です。他にどなたかご質問ございませんでしょうか?

オマール先生は「日本人は、一般的に宗教的な聖なる場所でそう敬虔でない」ということをおっしいましたけれども、むしろ、そういう点を評価されるのなら、日本の新宗教の教団を見ますと、それらはもう、びっくりするくらいたくさんの人が集まって――残念ながら神道や仏教などの伝統宗教はほとんど習俗の部分がございますので、あまり敬虔な態度とはいえませんが――むしろ新宗教では、たくさんの人が集まって、そこで共同にお祈りをするということが日常的な光景です。

私が、日本の宗教の中で一番イスラムと似ているなあと思いますのは、天理教でございます。天理教には奈良県天理市の親里の神殿に「甘露(かんろ)台」という「世界の中心」がある訳ですね。それは、イスラムにおけるカーバ神殿のようなところです。世界中のイスラム教徒がメッカへのカーバ神殿を向いて礼拝するように、天理教の教徒もそちら(甘露台)を向いて皆さん同時に礼拝をする。そして、あの「神殿」と呼ばれる建物の中だけでなくて、神殿のまわりの広場で祈りをするということを見るまでもなく、「聖なる時間を共同で過ごす」という点で非常に類似しています。イスラムの「ウンマ(共同体)」と天理教の「世界一列兄弟」という既念も、非常に共通性を感じる訳なのです。けれども、司会者の方から指名をして申し訳ございませんが、今日は天理教道友社社長の松井先生がお出でになられていますので、少し天理教の観点から教えていただけませんでしょうか?

オマール:私も勉強したいですから。

松井石根:今、司会の三宅善信先生がお尋ねになりましたように、確かに礼拝の形式とか、あるいは、大勢寄って一同に会して拝むというような、共通性……あるいはわれわれのいう「甘露台」は、最も聖なるところであります。他に聖なるものは一切ございません。そういう点で合い似ている所はあるのかもわかりませんが……。

また、教理上から申しましても、今、三宅先生がおっしゃったように、われわれの方は「一列兄弟」でございます。むろん、イスラムの方もそうであろうと思いますので、合い似ている点が少し見たところではいろいろあると思うのですが、ただ救済の仕方においてですね――私どもは不勉強でイスラムのことはよく存じておりませんので判かりませんが、もし先生の方で天理教についてご存じあれば少し聞かせて貰いたいのですが――天理教には独特の救済の仕方というのが教えられておりますので、その辺りが異なると思うのですが、もちろんイスラムにも独特な観点がおありだろうと思うのですが、少しその辺がお尋ねできれば、と思っています。オマール先生は天理へお出でになられたことがございますか?

オマール:私はこれまで行ったことはないのですけれど、非常に天理へ行きたくて……。(日本在住の)イスラムの学者に聞いたところでは、イスラムについて、日本国内で一番資料がたくさん揃っているのがやはり天理です。「日本でイスラムを知りたいのなら、まず天理に行かなくてはいけない」といつもいわれているのです。

松井石根:是非、お出で下さい。いろいろわれわれも教えていただきたいと思いますので……。ありがとうございました。

オマール:ありがとうございます。是非、機会を作って天理へ行かしていただきます。

司 会:他にもどなたかございませんか? 無かったら司会の方でドンドンお願いしてしまいますけれども……。ございませんですか?それでは、またご指名で申し訳ないのですけれども、イスラムの共同体や市民参加による礼拝という点に注目してみますと、日本でも神社の祭りがそれに近いと思いますが、市民参加で行われている祭という点では、本日は京都の八坂神社から真弓先生がお見えになっていますが、祇園祭を主催なさっているお立場からして、その点からも、今日は最初に、神道の参拝のし方についていろいろと厳しい指摘をされたようですので、真弓先生の方からどうぞ、お願いいたします。

真弓常忠:八坂神社宮司の真弓です。先ほどのオマール先生のお話の中で、例えば、「明治神宮で笑いながらお賽銭を投げているのが敬虔性に欠けるのではないか」というご指摘があったと思ったのですが、私どもの神社界では、それが通常のことになっています

むしろ、神社では一般的に個々にお参りする。自分が参りたいときに自由にお参りするところが、かえって神道的だと思っています。いわゆる神道の八百萬やおろずの神であり、また参拝する側もそれぞれ自由にお参りをしているという点があるのではないかのかと思うのが私の見解です。同時に、祭典の際には、これは、やはり一斉にお参りをし、祭事を行ないますから、その点では、イスラムと共通性があるかと存じます。

そこで、いわゆる、神道のアイデンティというのが、これは神道の場合は、天皇が行われる宮中の祭祀も、伊勢神宮の祭祀も、さらに各府県にある大社の祭祀も、また村々里々に数多ある氏神の祭祀も、多様な豊かな対応性を持っている反面、極めて、類似と同一性を持っているという、そこに日本の神道のアイデンティがあるのではないのか、とこう思っている訳です。

そういう点で、先ほどのお話のお賽銭を放り投げる人たちに対する敬虔性の欠除のご指摘もごもっともだと思いますけれども、それなりの日本人の感覚でいえば、聖なる領域ではありますけれども、そこでお互い(神と人)にまた親しみも持っているんだということをご理解を持っていただければと思っています。

オマール:お教えありがとうございました。


司 会:よろしいでございますか?一応、神道側からの意見を言っていただきたくて、真弓先生をご指名した訳でございます。それではもう一人、私が司会をさせていただいている権限で、指名をさせていただきたいと思います。

実は、先ほどの国宗五十周年式典でご紹介されましたように、本日は同志社理事長の野本真也先生が来賓としてお出でになられています。野本先生は、旧約聖書の研究では、素晴らしい権威の先生です。私は二〇年も前になりますが、学生時代に野本先生から旧約聖書の世界のことを教えていただきました。金光教の家に育ちました私が、いわゆる「アブラハムの宗教」すなわち、ヒブル語やアラビア語といったいわゆる「セム語系の宗教」について一番、最初に触れたのは、実はこちらの野本先生のところでございました。イスラム教に一番近いと申しますか、歴史的な意味で近いのはやはりユダヤ教キリスト教の伝統だと思いますけれども、野本先生申し訳ございませんが、ひとことお願いします。

野本真也:本日は、大変な五〇周年記念というお祝いの席にお招きいただきまして本当にありがとうございました。私ども同社社の大先輩(牧野虎次元総長、湯浅八郎元総長)と三宅歳雄先生を中心とする京都大阪の宗教関係の方々が、こうした本当に大切な同志会を結成されて、今日まで交わりを深め、また世界平和のためにお働きになっていらっしゃることを本当に尊敬をしている次第でございます。そういうことで、私など、これまでこうした会議に十分な参加もできないまま今日に至っていることを大変に恥ずかしく思っておりました。

今日は「絶対しゃべらない」ということで参らせていただいたのでございますけれども、先ほどから、オマール先生のお話をお伺いいたしまして、ずいぶん共感を持って聞かせていただきました。教えられるところが多々ありました。ありがとうございました。特に、先生が建築のご専門ということで、同志社でも先ほどの花園大学と同じように、礼拝堂を建てるかどうかというような時には、いつも「日本の風土の中でキリスト教をどのように表現してゆくのか」が問題になる大きなテーマでございます。

では「キリスト教の建築」というのはいったいどういう建築様式でがあるのか?ということになりますと、よく調べて見ますと、イスラムの影響の非常に濃いヨーロッパの教会建築もありますし、あるいはギリシャ正教会の建築やローマ(カトリック)風の建築があったりして、いろいろな影響を受けている訳でございます。普通、日本人は簡単にそれを「キリスト教的な建築」という表現で見てしまいますけれども、古代までの歴史を朔ってみますと、お互いに宗教というものが、どんなに影響をし合っているか、協力をし合っているか、また、学び合っているかということよくが解るわけでこざいます。

残念ながら、現代に於いては、この歴史というものが対立をしたり、分裂をしたり、戦争をしたり、喧嘩をしたりするところだけが何か表面に出てしまいますけれども、地道な宗教者の双方の学び合いということは、非常に深い歴史を持っていると思います。

私も先ほど、ご紹介していただきましたように、聖書のユダヤ教、あるいはキリスト教のその発生の所から、いろいろ研究をしてまいりましたけれども、ユダヤ教にいたしましてもキリスト教にいたしましても、その周辺の宗教、あるいは、当時の世界の様々な宗教から、どんなに多くの支えを得て成り立っているかということにいつも本当にびっくりするくことが多い訳でございます。そうした中で、日本の中でも、われわれクリスチャンがこうした日本の自然の中で、歴史の中で、生き続けてきている宗教というものの中で、これからどういう風にして、いくべきなのか……。そうしたことから大変、いろいろ学ばせていただいた訳でこざいます。

ひとつ私も先生のお話を聴いていて、思い当たると申しますか、大変、気になることは、日本人の宗教性という問題でございます。本当に現代の若い人々たちの中に、私どもが大切にしてきたような宗教性というものが、失われて来つつあるのではないだろうか?これは、どの宗教の場面に置いても感じることでございます。そうした日本人の精神性の深いところにある宗教性が、どうしてこういう風になって行ったのかということが、私も教育の場におりまして、大変、深い反省をさせられておりますし、そういうことが幾つも日常に目をつく訳でございます。そうした中で、何かイスラムの宗教の中で、若い人たちをそういった「宗教というものを大切にする」ということを訓練するような、そういうポイントが日本に比べると、非常に強くあるのかどうか?そんなことをお伺いして、私の勤めを果たせていただきたいと思います。

オマール:非常に難しいところなのですけれども、「子供が産まれた時からすぐに親が教えなければいけない」ということなのです。大人になってから、お寺とか神社に行ったらそこで宗教の勉強ができるとということでしたら、子供が宗教の方へ行かないと思います。ですから、家庭から(幼児期から)始めないともう何も覚えないのです。イスラムの場合は、お坊さんとか牧師とかという専門職の宗教家というのがないのです。にもかかわらず、非常に一般人が宗教(イスラム)をよく勉強をしているということは、やはり家庭から勉強をしているからだと思います。それから、モスクに行ったら、そこで大体、毎日のように勉強会があるのです。そこは何年勉強してもいいし、自分の好きな時に止めてもいいし、子供が特にコーランを暗記しますから、朗唱大会によく出でているのです。家庭から少しずつ教えながらみんなが育つのです。ですから、日本では、宗教教育はどうも難しいのではないかなと私は思います。

それから、もう一つは、コーランはアラビア語で書れていますが、これはアラブ人であれば――アラビア語ができる人ならば――もう1400年ほど前のコーランを、今でも原典そのまま(の文体)で、小学校幼稚園でみんな勉強をしています。コーラン古典語でなく、言葉として今の日常生活の中に同じ言葉を使っていますから、それだけ非常に助かるのです。私は、四年前、花巻に行ったことがあるのですが、相当立派なお寺がありまして、たくさんの人が来ておりました。向こうの人に聞いたら、「ほとんど信者ではない」ということです。これはみんな「何か見学に来ているだけ」ということです。「あぁ寂しいな」と私は思っていたのです。

日本では、宗教についての教える機会は、学校でもないし家庭でもない。ですから、当たり前のように、大人になると宗教から離れるのです。ですから、宗教や道徳について学校でどう教えるのか、もちろん、これは日本の憲法の問題(政教分離)なのですけど、何故、皆さんは学校で宗教を教えることを恐れているのか。私には理解できません。本当は宗教を教えなければならないと私は思うのです。日本にはたくさんの宗教がありますが、みんな宗教はやはり良いことを教えているのです。ある宗教では「うちに来たら最短距離だ」と言われている人もいます。私は「イスラムが最短距離だ」と思っていますが……。もちろん、「多くの宗教が、何も良いことを教えていない」といったらそれは間違いです。家庭から何とかしなければいけません。

司 会:どうもオマール先生ありがとうございました。他にもご質問がございますでしょうけれども、お約束の時間が参りましたので、このあとの議事進行に移らせていただきたいと思います。これで司会のマイクを事務局長さんの方にお返しさせたいといただきます。ありがとうございました。(おわり)


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